4走目 公式戦観戦

 ヴィンテール市に来てから三日が経った。あれから私はこの街の生活に少しずつ慣れ始めてたよ。『ヴィルマ亭』での仕事も軌道に乗ってきたし、朝と夜のトレーニングも欠かさず続けてる。今日はアストラル・レースの公式戦の日だ。……出場登録は一週間前に済ませる必要があって、当然、私はまだ未登録だから不参加。でも、せっかく大きなレースが見られるチャンスだし、観戦して勉強しようと思って会場に向かってたんだ。

 石畳の通りを歩いてると、人混みがだんだん増えてきて、レースの熱気が伝わってくる。旗がはためいて、遠くから歓声が聞こえてくるよ。ちょっとワクワクしながら歩いてると、突然声をかけられた。


「こんにちは、フィリアさん」

「ん? ああ、君か。君もレースに……いや、この前この街に来たばかりだと観戦か?」

「あ、どうもヴィクトリアさん……とアウリスさん!?」


 振り向くと、そこにはヴィクトリアさんとアウリスさんが立ってた。二人はレース会場に向かう途中みたいで、私を見つけて声をかけてくれたみたい。私はびっくりして、思わず二人の名前を口にしちゃったよ。だって、まさかこんなところでまた会えるなんて!

 二人は自然に私を誘ってくれて、一緒に行くことになった。ヴィクトリアさんは紫色の瞳を輝かせて、私に微笑みながら言った。


「一緒に行きましょうか?」


 ヴィクトリアさんが私に手を差し伸べると、アウリスさんが目を丸くして驚いてた。何でだろう? 私がそんな風に思ってると、アウリスさんが少し戸惑った声で口を開いた。


「ヴィクトリア、君は彼女を選ぶのか?」

「ええ、もちろん、試験に合格した場合に限りますが」


 そう言って、ヴィクトリアさんは私の手をそっと掴んだ。そして、そのまま軽く引っ張るようにして観戦席まで連れてってくれたんだ。アウリスさんはしばらく私をじっと見つめてた。彼女を選ぶって、指導の話のことだよね? ヴィクトリアさんが私に一か月以内に公式戦で一着になるっていう条件を出してくれたあれ。でも、アウリスさんがそんなに驚く理由が分からないよ。

 もしかして、私に才能がないって思ってるのかな? ヴィクトリアさんの眼が節穴だって判断してるなら、私、申し訳ないなって気持ちになっちゃう。でも、二人の会話はそこで何か引っかかったみたい。


「ヴィクトリア……いや、この話は今はいいか」

「そうね、フィリアさんの前で話すことではないな。それに……貴女に答えを教えるつもりもないの」

「…………ならいい」


 アウリスさんとヴィクトリアさんは、私には分からない会話を交わして、そのまま観戦席に座った。私は二人の隣にちょこんと座ったんだけど……さっきから視線を感じてるよ。それも一人や二人じゃない。この観戦席って、レース関係者がほとんどみたいで、アウリスさんとヴィクトリアさんを知らない人はいないんだろうね。そんな伝説の選手たちが、誰か分からない小娘を連れてきたんだから、注目されない方がおかしいよね。

 首をすくめてると、じろじろ見られてるのが分かる。恥ずかしいな……。でも、二人は堂々としてるんだから、私も負けてられないよ。背筋を伸ばして、胸を張って座り直した。すると、ヴィクトリアさんが静かに私に声をかけてきた。


「選手紹介が始まりますよ、フィリア。よく覚えていてください。彼女たちが貴女と切磋琢磨するライバルです」


 私は彼女の言葉にうなずいて、出場選手たちが集まってるスタート地点に目を向けた。たくさんの選手が並んでて、スキルを使う準備をしてる人もいる。緊張感が会場に漂ってるよ。でも、その中で一目で私の目を奪った少女がいた。深い紫色の長い髪が風に揺れてて、どこか空を眺めてるみたい。彼女、誰よりも……浮いてる感じがする。銀色に近い灰色の瞳は、空を映してるはずなのに、なんだかその向こうを見てるみたいだ。


「彼女は……誰ですか?」


 私は思わず口に出してた。その少女から目が離せない。ヴィクトリアさんが私の言葉に答えてくれた。


「あら? 才能があるのは走りだけではなさそうですね。彼女は……ヴィオラ・アストラ。ヴェルティア帝国にあるノクティス領を治めるアストラ公爵家の次女、公爵令嬢に当たる方で……今日のレースの優勝候補よ」

「ああ、それも最も有力な選手だ」


 アウリスさんが補足するように言った。私は驚きを隠せなかった。公爵家のご令嬢がレースに出てるなんて……しかも、最も有力な選手!? 頭の中がぐるぐるしてるよ。貴族って、普通は結婚とかで家を支えるイメージがあったから、思わず聞いてしまった。


「公爵令嬢なら……選手にならずに貴族として結婚したりするものじゃないのですか?」


 口に出した後、「あ、言っちゃいけないことだったかな?」って焦ったよ。別に悪いことじゃないけど、貴族って言ったらヴィクトリアさんもそうだし、失礼になっちゃったかも。でも、ヴィクトリアさんは優しく笑って答えてくれた。


「気にしなくていいのよ。分からなくもない疑問だわ。淑女が行う競技ではない。そんなことは分かっています。それでも……おそらく走りたいという気持ちは貴女と同じですよ、フィリアさん」


 私と同じ。彼女の言葉に、胸が熱くなった。私はアウリスさんに憧れて、誰よりも速く走りたいって思ったからレースを始めたんだ。ヴィクトリアさんにも、そういう理由があったんだよね。だから、あそこに立ってるヴィオラさんも、きっと何か強い想いがあって走ってるんだ。私と同じ気持ちで……。

 その時、アナウンスが会場に鳴り響いた。


『それでは、ヴィンテール市主催公式レース。アストラル・レースの開催です!』


 観客席が一気に沸き立って、拍手と歓声が響き渡る。私は目を凝らしてスタート地点を見た。ヴィオラ・アストラが静かに立ち位置につくと、他の選手たちも準備を始める。彼女の長い紫髪が風に揺れて、その瞳が一瞬こっちを見た気がした。……気のせいかな? でも、なんだかゾクッとしたよ。

 レースが始まる前の静寂が会場を包む。私は息を呑んで、ヴィクトリアさんとアウリスさんの間に座ったまま、目を離せなくなった。このレースで何が見られるんだろう? 私のライバルになる選手たちの走り、私が超えなきゃいけない壁が、ここにあるんだ。ヴィクトリアさんの条件をクリアするためにも、しっかり見ておかなきゃ!

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