第7話 遠征

 その後、大きな事件は起きないまま、一か月が過ぎた。守ってくれるはずの勇者が隠れてしまった土地は、モンスターの侵攻によって市民に被害が出始めている。勇者の国で何が起きているかなど知らないが、突然災害に見舞われることの多くなった市民たちは失望し、怒り、かつては確かに自分たちを守ってくれていたはずの勇者を誹り、異なる救世主の登場を待っていた。

「あんまり遠くには行けないから、困ったね。まさかこんなにたくさんの勇者が市民を見捨てるなんて、思いもしなかったよ」

 福島や山梨、岩手、和歌山と、手の届く限り千葉の勇者と茨城の勇者がモンスターを倒し人々を守っていた。山形と秋田の市民の悲鳴を聞き、そちらに向かうことを選ばなかった自分を責め、千葉は言った。

「でもモンスターがよく出ていっつもきついって言ってるグンマーが、どこにいんのかは知らないけど、ちゃんと戦うだけ戦ってくれててそれはよかったよね。このまま外のことばかり考えてて、あたしらんとこが守れなくなっちゃしゃあないし、そろそろ帰ろう。夏になったらあたしらもみんなきつくなるし、秋になったらちばちんとこにもモンスターがいっぱい出っぺ。今の季節だから耐えられてるだけで、みんなを助けようとしたってそのうち限界が来んだから、しんどいけど、諦めるしかない。あたしも、ちばちも、ちゃんと頑張ってるよ」

 俯いた千葉を励ます茨城だが、彼女も胸を痛めていることは明らかであった。食事の時間を削ってまで二人は走り回り、戦い続けている。たった二人ではこれが限界なのは二人ともわかっていたが、千葉が所属していた東京部隊はリーダーを失い埼玉は消え、神奈川に協力を仰ぐことは難しい。そして茨城は最前線は任されていなかったため部隊には所属しておらず、頼れるものはいなかった。

「そういえば、広島さんって知ってる? なんか、部隊の人がみんないなくなっちゃったみたいで、一人でめっちゃ全部やってるんだって。噂だけど。私たちのことも噂になってるかな。そしたら、どっかの誰かも頑張ろうって思ってくれるかも」

 そう言って千葉は全く笑えていない笑顔をどうにか浮かべる。

「広島って聞いたことないけど、部隊の人がみんないなくなったって、そりゃさすがにやばいっぺよ。大事なんかね」

 膨らんでくる不安に二人は下を向く。大きな剣はモンスターの血を飲み干して、まだ足りないと急き立てる。和歌山は顔が広い人で、千葉も茨城も彼とは知り合いであったからやってきてしまったが、すっかり遠征になってしまったと帰り支度をしていたとき、二人に声がかかった。

「そこに誰がおるん?」

 驚いて振り向いた場所に立っていたのは、茶髪の若い女性であった。相手が背後から来たということを茨城は強く警戒したが、彼女の頭に黒髪が目立ち始めているのを見て、親近感から剣を納めた。

「あたしは茨城の勇者。こっちの千葉の勇者と一緒に、いなくなっちゃった人の分もモンスターを倒して回ってるとこ」

「あー、そうやったの。そら立派やな。でも、千葉ゆうたら東京さんとこ所属してるエリートなんとちゃん? そんなんしとってええの? あ、うちは奈良やで。大阪んとこの」

 千葉は最初から警戒をしていなかったし、茨城も簡単に警戒を解いたが、一方の奈良の側はそうではなかった。彼女は和歌山がいなくなって、それから全く姿を見せていないということを知り、自分の地を守るために軽くモンスターの討伐をするつもりでやってきたが、先客がいるなんてことは考えもしていなかった。

「奈良か。うん、聞いたことあるよ。大阪のとこってことは、和歌山とも仲良かったの?」

 予期せず人と会ったことで、奈良は不安になったが茨城は安心していた。洋服で軽く手を拭い、握手を求めて右手をまっすぐ差し出した。

「え、そうやね。和歌山とも同じ部隊やで」

「じゃあさ、ここのモンスターは任せていい? あたしらんとこからだと遠くて、なのになんか他のとこもやばいっていうし、まじでやってらんねぇからさ。大阪も強いっぺ? 任せるから! ガチで!」

 左手では剣を握りつつ、奈良も差し出された手を掴む。相手に少しの怯えもないことが奈良からすれば怖くて仕方がなかったし、千葉が何も言わないことも奈良には恐怖を感じさせた。

「あ! そうだ! 大阪さんのとこの! 奈良さんでしょ! 何年か前にさ、東京部隊と大阪部隊で合同でなんか、やったじゃん! めっちゃきつかった戦い! そのとき! そのとき会ったよね! 久しぶり!」

 一人が気さくさで油断させて襲ってくるつもりかと奈良は千葉から目を離さないでいたのだけれど、そんな中で千葉は飛び跳ね出して突然大声で話しながら握手に割って入って奈良に抱き着いた。

「な、なに、何すんねん」

 戸惑いながら奈良が千葉を引き剝がそうとすると、彼女は「あ、テンション上がってつい、ごめん」と笑って距離を取った。さっきまで不安で笑えていなかったことさえ、忘れているようであった。

「うちの剣、奪えへんの?」

 衝撃で落としてしまった剣を拾い、奈良は二人を見上げる。

「奪うわけねぇべよ。そんなことしたら戦えなくなんだから」

「じゃあね、私たちもう帰るから、ありがとねん」

 楽しそうに茨城と千葉は走っていき、呆然としているうちに見えなくなってしまった。勇者も、モンスターも残っていない和歌山の地で、奈良はすっかり座り込んで一人暫く動くことができなかった。

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