ルカ

 Vは唸っていた。

 もっとも、声帯を模したパーツが半壊している彼にとって”唸る”というのはモーターを意味もなく回転させることなのだが。

 自らを"ヴァル"と、そう名乗った博士はVから発せられるモーターのジリジリという機械的な音を聞いては、同じように唸っていた。それはヒトの声帯から出るもっともらしい「声」である。


 さて、この一人の人間と一体のロボットは何を悩んでいるのか。


 答えは「名前」であった。


 少し前にヴァル博士はVにある程度自分の事について語った。何やら彼はVの製作者たちに恨みがあり、それを片付けたいらしい。

 簡単に要約すると「VJシリーズを登用した戦争で、僕の恋人や家族が巻き込まれて死んだ。」らしいが、それなら制作者というより敵や戦争そのものを恨みそうなものだから不思議である。


 もっとも、当のVJシリーズの"V"にはそのあたりの記録が無い。


 それでは何故彼らが名前に悩んでいるのかというと、たった一文字”V”。それは製作途中で付けられたあだ名みたいなものであるから、そこを変えたいらしい。

 博士はそうとは語らなかったが、きっと憎きその製作者と同じように呼びたくないのかもしれない。


 ということで冒頭に回帰する。

 未だに喉部分のモーターがカラカラと回っている音が聞こえる。Vは博士の真似をしてたまに足を組みかえたり、顎に手を当てる仕草をしている。


 しばらく時計がカチカチと鳴り、博士はついに口を開いた。


「もうくじ引きでいっか。」


 そうして博士は背伸びをして、部屋の本棚の上から両手で持てるような箱を取りだした。箱には手が入るくらいの穴が空いている。


 博士が箱を取り出したのを見るとおそらく彼は名前の案を書いた紙を沢山箱に突っ込んで、ランダムに引いたものをVの名前とする気なのだろう。


「名前の候補をとりあえず色々書いてこう。でこの箱に突っ込んでってね。」


 Vはとりあえず席から立ち上がり、パーマを掻きむしる男を尻目に本棚の前に向かった。まさに今、自分の名前の候補となるような言葉をこの沢山の書籍から借用しようと、いくつかある紙の束を吟味していた。


 そうして彼が取った本は例えば星座図鑑であったり、ラテン語の辞書であったり、あるいは例の科学者向けの雑誌。

 いくつかページをめくって少なくともヒトに付けられる名前として不自然すぎないものを脳内で検索をかけてピックアップしていく。


 ”機械”を意味する様々な国の言葉、ギリシアやノルウェーの神話に出てくる多様な名詞、遠いどこかな恒星の名前やマイナーな生物の名前など、彼らはこの世の全てを検索する勢いで本をめくった。


 不思議なことに、いきなり微かに博士の机上のコーヒーが揺れ始めた。

 正確に描写するなら、揺れたのは床であり、建物であり、さらに言うなればここらの地域一帯が、である。


 そう、突然な事に地面の振動を伴って、外で轟音が響いたのだ。無い鼓膜を切り裂かれんばかりの圧倒的な振動にVは窓から顔をのぞかせる。

 轟音が起こったのは、Vがカードにペンで文字を書こうと指先を駆動させたまさにその瞬間だった。

 遅れて博士もVの上から窓から身を乗り出した。


 2人はペンも紙も全て放って外の世界を知ろうと躍起になった。博士の部屋はどうやら地上3階に位置するらしく、博士はとても飛び降りられる訳もなく階段で下へ降りようとした。彼が部屋の扉の取っ手に手をかけた時には既にVは窓から飛び降りていた。

 ギョッとしたように博士は窓を見る。せっかく直したばかりのVが落下してしまったかと慌てて窓からまた身を乗り出して地面を見た。


 Vは腐っても戦争に駆り出されたような機械らしく無事だった。博士は安心しつつも、そんな無茶なことするんじゃない、と叫んでやりたい気持ちを何とか抑えて「気を付けろよ!」とVを鼓舞した。

 3階にいる博士の目を見つつ頷いたVは疾風迅雷の勢いで音の元へ向かった。


 Vはとにかく駆け回り、元いた博士の部屋から直線距離にして約680mほど離れた閑静な住宅地にたどり着いた。

 曲がり角を飛び越えた時、目の前の光景を眺め、音の原因はここだと確信したようだった。


 あたりはすでに荒れ果てていた。

 ひび割れて一部崩れ落ちたコンクリートや、台風が来たように折れてしまった木々。

 ただそれよりも目につくのは惨たらしく積み上げられた死体。あるいはその骨や血潮だ。そしてその中心には、息を切らした狂気的な笑顔の少女が佇んでいる。


 ここでVは違和感を覚えたのが、その死体についてだ。まずその少女のことは放っておいてVは、その死体が一体何の生物なのか考え始めた。Vは脳内の生物関連の本棚を一瞬にしてひっくり返したが、とんと見当がつかないのである。


 しかしVはもう一度、脳内の本棚を漁り始めた。今度は別の本棚、0.59秒かけてVは”創作物”の棚を調べあげた。どうやらここら一帯の夥しい死体は、見かけはいわゆる”ゾンビ”や”エイリアン”のような…とにかくグロテスクで、明らかに地球の生態系を逸脱していることは彼にも理解できる。


 まだ脳内で考えておきたいとVは思案したが、眼前の狂気的な少女はそれを許さないようで、威圧的な様子で話しかけてきた。


「おぉぉぉぉい、お前だお前ー!!!!!」


「ナ…ガオ、、キ??…ウカ?」


 Vはカラカラとファンを回し脳内を冷却する。


「ハァ???…ぁあ待て、あれか!ヤローか!通りでそんな喋り方なワケだ。」


 少女の荒々しく、シンプルに酷い言い方にVは何となく顔を背けたくなるが、どうにか会話を試みる。


「まぁいい!お前なんか持ってねぇか?食いもん。コイツら食うのもそろそろ飽きちまった。」


 Vは彼女の望みは食物だと解し、警戒を解いた。同時に”食事を与えれば彼女は敵対しない”と考えた。

 しかし丸腰のVに出せるのは駆動用の油くらいなので、彼は首を振ることしかできなかった。博士の家に向かわせれば博士が勝手に食べさせてくれると思案し、自分が来た方向を振り返ってゆっくりと指をさした。


「アぁ?あっちに食うもんでもあんのか???」


 その少女の方に振り返って、Vは頷いた。


 博士を驚かせることになるだろうと気づいたのは指をさしてからであった。


 ---


 さて、目の前の機械の名前を決めるために先刻くじを制作し始めた男は、驚いていた。それは例の轟音へと向かったVが思っているより早くに帰ってきたこと。あるいはその騒ぎの原因を引き連れてきたこと、ひいてはその者が自分よりも幼い少女であったことにだ。


「おう!はルカ!美味いもんをもらいにきたぞ!」


 明朗快活の擬人化のように部屋に入るなり叫んだ彼女、ルカは仁王立ちで博士に向かった。対して、博士は面倒なことをと言いたげな顔をVに向けた。


「それで…なんなのかな、君は。」


「おう!俺ァルカ!」


 それは分かったよ、というのは博士もVも頭に浮かんだ言葉だ。


「あぁ、うん…私はヴァル。そっちの彼は名前はまだないから今決めるとこ。」


 博士は自分で言っておいて、何かを閃いたような顔をした。


「そうだ、彼の名前を決めるからそれを手伝ってくれ。そうしたら少しは食べ物を分けてあげるけど、どうかな?」


「わかったぞ!ヴァル!」


 薄い金髪を二つ結びにした彼女は蒼い瞳を輝かせて博士を見つめていた。

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Vの閉口 有栖サカグチ @Alice_Sak4guch

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