戦国中2戦記

剛♂珍太郎

プロローグ、それは帝遍中『一生徒』の長い前口上

第1話 立春式

その年の2月3日は立春だった。


帝遍(ていへん)中学では『立春式』が初めて執り行われる。

いにしえにおける元服儀式の現代復活版だ。

昨年、県外からスカウトされた校長先生が、生徒の意識改革の一環として故郷の学校行事を持ち込んできたのだった。


式が始まりだしても、雑談の声のほうが大きくて校長先生の挨拶は全く聞こえなかった。


体育館に集まった生徒は、14歳前後の中学2年生だけだ。非日常的だし意外とみんな式典が好きなのだろう。生徒の数だけ用意されたパイプ椅子に空きがない。赤、青、黄色と、色とりどりの髪であふれていた。私服は少なく仲間意識からか制服を着ているものが多い。安物の香水のせいだろう、石鹸のようなきつい匂いが漂っていた。


普段から学校に通っていない不登校のぼくだ。

「式ぐらい参加しろ、中2は全員強制参加だ」と担任が家まで式次第を持ってこなければ欠席していた。根は真面目なのだ。身の危険がないのなら参加ぐらいはする。


ぼくの学校、賓墾(ひんこん)市立帝遍(ていへん)中学校は教育困難校である。学級崩壊、いや、学年崩壊どころか学校全体が瓦解していた。ぼくのようなものは陰キャと呼ばれ不登校者が多かったが、一般生徒の登校率は高かった。勉強のためではなく「ダチに会う」ために学校へ向かうのだ。普通に授業を受けるヤツはハブられる。いじめの対象になる。落書きだらけの校舎は、授業中でも廊下でボーリング玉が転がっていたり、教室で野球ボールが飛びかっていたりしていた。それでもバイクのエンジン音や、けたたましい火災報知器音が鳴らないだけましだった。


中学の先生は小学校の先生を非難していた。

「こんなものを中学に上げてくるな。これは人ではなく動物である」と。


小学校と中学校の先生たちの仲が悪いのはもちろんとして、帝遍中学校内でも先生同士が互いに険悪この上なかった。よそから校長先生を呼べば内部の反発があって当然だ。すなわち派閥争いであり、パワハラであり、職場いじめであり、セクハラであり、不倫であり、ロリコンである。制服少女を性的対象として盗撮なんて日常茶飯事で、気が弱い子を愛人にする輩(やから)まで登場した。3年前に明るみに出たというが、視聴覚室でその教師のコレクション動画がみつかったのだ。学校が内々に処理し依願退職ですませた。なぜか警察が活躍しなかった。被害者側の意向だそうだ。ご丁寧に中学女子との行為をことごとく撮影していたらしい。示談になった。


子どもたちの憧れの職業である芸能界でも、そういうスキャンダルは枚挙にいとまがない。日本を代表する声優俳優、アイドル男性、お笑い芸人と、笑えないほど頻繁に女性問題を起こしている。モラルの低下が日本社会の常態なのだ。法曹つまり法律家や戒律を守る僧侶ですら例外でない。いわんや先生をや、である。


適切な対処もできない未成年相手もひどすぎるが、成人女性が性暴力被害を訴えても日本では黙殺される。成人男性なら「オカマ掘られたのかよ」と笑われる。この国はキレイごとばかりで自浄作用がない。腐敗している。日本を代表する芸能事務所に蔓延っていた未成年への性加害は、業界内は周知の事実だったが、外国の圧力があって初めて表面化した。社会正義を唱えるマスコミがマスゴミと呼ばれるようになって久しい。帝遍(ていへん)中学の学校崩壊だって改善は無理だろう。たかが『立春式』程度で生徒や先生が変わるはずもない。


日本だけではない。ハリウッドの大物プロデューサーも自分の権力を笠に着て、女性たちに性暴力を振るってきた。その告発をきっかけに「#Me Too」と呼ばれる、以前から細々とあった性被害者女性たちが声を上げる運動が世界的な社会現象へと広がった。「女遊びは芸の肥やし」とされた日本でも無視できなくなったのである。所詮は黒船、他力本願だった。


人間は生物(なまもの)なのだ。すぐに腐る。


イギリスの人気司会者は半世紀にわたり、少年少女らに性的暴行を繰り返していた。大英勲章を叙勲し、英国首相や王室とも親交があり、ナイト爵が叙された貴族である。犠牲者500人以上、最年少で8歳というから、日本は負けている。


無論、死後に発覚パターンである。絶対に生前からイギリス警察やイギリス政界でも公然の秘密となっていたはずであるが、触らぬ神に祟りなしである。


さすが大英帝国、ネット上でブリカス呼ばわりされるだけある。素知らぬ顔して、善人ヅラして、日本の性加害問題に圧力を加える面の皮の厚さがある。まあいいことなんだけれど。外圧に弱い日本が変れるチャンスだし。実際テレビ報道がされて日本国民が芸能界にはびこる不祥事を知ることとなった。


とにかく、人間の価値は生きているうちに評価してはならない。


芸術作品の真の価値は作者の死ではじめて分かる。生前は政治力がある者が評価される。そして死ぬと作品の値段が下落する。死後に高値になる芸術家こそが本物だ。


スターリンにしても死後でないと批判できなかった。その業界のドンというやつだ。口に出して反対を唱えることすらできないので、改革なんて不可能である。


内部告発は幻想だ。社会的に、または文字通り生命的に抹殺され、生死にかかわらずその業界にいられなくなるのだ。だから「勇気が大事」や「人間の意志は偉大だ」などの校長先生が語る理想論はノー・サンキューである。特攻隊員募集のためのセリフじゃあるまいし。いや、令和のいまだって戦時中なのかもしれない。


学校のいじめ問題も似たようなものだろう。「いじめダメ絶対」というお経を唱えれば極楽浄土が実現すると信じるのはお坊さんだけにしてもらいたい。


祈れば世界は変わるのか。誰もが世界平和を祈っているのに、なぜ戦争がなくならない? 大勢の国民が苦しむ独裁者はなぜ消滅しない?


社会を本気で変えるのなら、戦国時代に政教分離を果たした織田信長のように、関係者の皆殺しが基本なのである。


幕末明治維新、戦前戦後と、先の政治指導者層が壊滅したとき日本は新しく生まれ変わった。


帝遍中学校(ていへん)の有り様を思うに、日本における学校制度の廃止を含めた、根本的な見直しが必要なのだ。


いや、学校だけの問題ではない。日本は衰退途上国になってしまった。


大都市名古屋のベッドタウンである賓墾市(ひんこん)では経済困窮者がバブル崩壊以降とみに増えて、市民の民度が大幅に低下していた。生活に余裕がないので他人を気遣うゆとりを失った。文化水準が低すぎてマナーどころではない。「自分さえ良ければそれでいい」がモットーなのだ。


だから生徒の保護者も家庭で最低限度のしつけすらしていない。保護者本人すら「人が話しているときは黙って聞く」とか「おとなしく席に座り続ける」とかできないのだ。子に求めても無駄であろう。


「教材費、タダにしろ」

「給食費? 無料だろ」

「世間の荒波にもまれていないから、教師は社会人としてのレベルが低い。偉そうに言うな」


ごねないと損をする。クレームをつけなければ侮られる。そう信じ込んでいる。


公僕と下僕の区別がつかないから「公務員は国民の下僕」と先生を見下す。親子そろって先生より「お客様である」生徒の方がエライと信じている。彼らの中ではお客様は神様なのだ。だから目上の人をまったく敬わない。何なら自分が世界でいちばんエライと思っている。どおりでラノベや漫画で神とは対等に喋るのが当たり前なようだ。畏敬の念がかけらもないとは、ぼくには違和感しかない。もっとも、それほどラノベとかを知っているわけではないけれど。10代のスマホ世代よりも40代の親世代の方がよく読んでいると聞く。


とにかく、まともな先生は精神を病む。真剣だろうが手を抜こうが給料は一緒なので優秀な先生は私立に引き抜かれる。そもそも質の良い生徒は私立に行く。ぼくは中学受験に失敗した口である。


帝遍(ていへん)中学校はどちらも残りカスなので、先生の教え方もひどければ生徒の授業態度もひどかった。お互いにウインウインの真逆、ルーズルーズの関係である。


学校という生徒にとっても先生にとっても狭く苦しい空間に、それも外界との接触のない場に押し込められたら、誰でも人間性を失うというものだ。


だが、ぼくは帝遍(ていへん)中の本当のヤバさを何ひとつ分かっていなかったのだ。

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