11月14日土曜日 18:30再診③

3.11月8日 日曜日 7:30


 少し肌寒くて目が冷めた。

 枕元の時計を見ると、7:30。

 昨日は少し飲み過ぎたからか、普段より1時間程遅い起床だ。

 カーテンを開けて、窓を半分ほど開けると、良く晴れた秋晴れの様だが、吹き込んでくる空気は冷え込んでおり、快晴の割には寒そうだ。


 リビングを覗くと、奥のキッチンでは姪の実花が目玉焼きを焼いてくれており、テーブルの上には既に2人分のトーストと、茹でたソーセージが乗ってあった。

 「おはよう。」

 「おじさん、おはよう~。」

 洗面所ではシャワー後の秋奈が髪を乾かしていたが、ドライヤーを持ってリビングに行き、洗面台を空けてくれた。

 「義兄さんはシャワーどうするの?」と聞くので、私は湯船に浸かりたいので、「朝メシの後に風呂入るよ」と答えて、給湯スイッチを押して、湯を入れ始める。

 

 「パパ、おはよ!」

 歯磨きが済んで、リビングに行こうとした時に、エントランスに新聞を取りに行っていた愛結実が戻ってきて、全員が揃ったのでテーブルに着いて朝食にする。


 「姉さんのところにお参りに行った後は、義兄さんたちはどうするの?」

 朝食を食べ終えた秋奈が、新聞を読みながら聞いてきた。

 「愛結実がUNIQLOとか行って、服を買いたいらしいから、赤羽にでも行くかな。」

 私がそう言うと、「ちがうよー!」と、愛結実が越谷レイクタウンに行きたいという。アウトレットで、また私に色々と買わせるつもりだ。

 「たまにしか帰ってこないのに、服なんてウチにあるので十分だろう。」

 私がそう言っても、ウチにあっためぼしい服は粗方、大阪に持っていってしまったので、こっちでも新しい服が欲しい、と言い張る。

 なら、運転手だけはしてやるので、自分のこづかいで買いなさいよ、と言うと、「そんなの知らないもん~」と、愛結実はそっぽ向いて、どこ吹く風だ。


 娘の愛結実は、私と亡くなった妻の結佳(と義理の妹である秋奈も)が卒業した、大阪の国立大学の医学部に今年から通っている。

 元々は、両親が出会った大学に通いたい、と中学生の頃から言っていたが、愛結実が高校に入ってすぐに結佳のガンが見つかった。

 結佳はまだ若く、ガンの進行が早かったため、「せめて、愛結実が高校を卒業するまでは生きていたい」という結佳の願いは叶わず、愛結実が高校2年に上る前に亡くなった。


 母親の死に直面して、愛結実はそれまでは母の後を継いで、薬剤師になることを目指していたのだが、医者になって母親のようにガンで早逝してしまう人を救いたいと、その想いは医者になることに転向し、猛勉強の末に難関医学部の1校でもある我が母校の医学部に合格した。

 

 もちろん、妻を亡くしてひとり親になった身としては、愛結実にはわざわざ大阪の大学でなくても、都内や首都圏近郊の自宅から通える大学に行ってほしかったのだが、母親に似て、おっとりして、まだまだ子供だと思っていた愛結実の意志は固く、大阪の私の実家から通うことを条件に、大阪の大学への進学を許すことになった。


 「バイト代だって、爺さんから貰っているだろ?」

 爺さんとは、私の親父のことだ。

 一応は、不動産会社の社長ということになっているが、実態はウチの一族で持っている土地の賃料収入を得るだけの様な、単なる一族経営の会社の社長で、仲介業というのは地域の昔からのお客さんの物件程度でしかやっておらず、社員も親戚筋の人間しかいない。

 その会社は私の姉が継ぐ予定だったが、最近は頚椎ヘルニアを悪くして、私に今の仕事を辞めて、実家に戻ってこい、とうるさい。

 しかも、姉は考古学者の元旦那と5年ほど前に離婚して、成人した息子が2人いるのだが、この2人の息子も父親同様に学問の徒を目指して、上は考古学、下は民俗学と、またカネにならない研究をしているので、会社を誰が継ぐのかは一族の大きな課題だ。

 そんな状況なので、ちょっとPCを使える程度の愛結実でも、簡単な事務のアルバイトをさせてもらって、本来なら到底、そのバイトの工数には見合わない報酬を孫を溺愛する祖父からこづかいとして貰っているのだ。


 「あ、そうそう、じぃじがね、パパは月曜日に帰ってこないのか?」って言っていたよ。

 愛結実はとにかく、こづかいのことにはそっぽを向くつもりで、話題を逸らそうとする。

 「帰ってもいいけど、火曜日は夕方までずっとリモート会議なんだよ。向こうでやってもいいけど、火曜日の帰りが夜遅くになっちゃうだろ。」

 ウチの実家は、新大阪から1時間程度のところだが、定時すぎまでリモート会議をやって、実家で夕飯を一緒にしてから帰るとなると、王子神谷に帰ってくるのは日付が変わる頃になる。

 「まぁ、考えとくよ」と曖昧に返して、私は風呂に入ることにした。


 風呂から上がると、愛結実は結佳が生前最後に買ってやったCOACHのワンピースを着て、リビングのドレッサーで実花に髪を結ってもらっていた。

 実花は堂前どうまえ一族の1人として、薬剤師になるべく、都内の大学の薬学部に通っているが、小さい頃は美容師になりたいと言って、よく従妹である愛結実の髪を結っていた。

 「パパも早く用意してよ~」

 女優かモデルかの様に、実花に髪を結ってもらいながら、愛結実は鏡に向きながらメイクをしている。

 私も自室で生前の結佳にプレゼントしてもらった、Ralph Laurenの黒のトレーナーに着替えた。

 いい大人が墓参りに行くのに、大きなクマのイラストのトレーナーとは、些か滑稽だが、結佳に会いに行くのだから、これでいいだろう。


 私も出発する用意ができたので、火の元を確認して家を出た。

 秋奈たちに「一緒に行くか?」と聞いたが、「先週、スミちゃんのとこに遊びに行った時に、姉さんのとこにも寄って行ったから、今日は家族水入らずでいってらっしゃい」と、マンションを出たところで別れた。

 「そうだ、パパ、黒松持った?」

 車に乗り込んだところで、愛結実が思い出したように言う。

 黒松とは近所の和菓子屋の有名などら焼きのことだ。

 結佳はこれに目がなかった。

 

 「ああ、その紙袋に入れてるだろ。」

 後部座席に置いた、線香やらを入れている紙袋を指すと、ちゃんと黒松は忘れずに入っていた。

 「じぃじも黒松好きだから、夕方に買って帰ってあげなきゃ。」

 この黒松の店、草月は早いときには朝の9時前から行列を作るほどだが、地元の人は閉店間際の夕方頃に行って、少量を買う。

 紙袋の中の黒松も金曜日の夕方に、愛結実が小学校からの幼馴染のユウちゃんと買いに行った物だが、賞味期限が冬季でも3日ほどしか保たないので、明日に持って帰ろうとすると、今日の夕方に買わなければいけない。

 「リマインダーに入れとこ。」

 愛結実はスマホのアプリに黒松を買って帰ることを入れた様だ。

 「じゃあ、行くぞ」と、今度こそ私は車のエンジンを掛けて、マンションの駐車場を出て、赤羽方面へと車を走らせた。


 途中でいつもの花屋に寄り、結佳が眠る墓がある寺の境内の門をくぐる。

 今日は天気が良いこともあって、私たちと同じく墓参りの人たちが多い。

 墓を洗ってやり、線香を焚いて、花を供える。

 もちろん黒松も供えてやって、手を合わせてしばらくの間、結佳と向き合う。

 愛結実も私と同じ様にしていて、しばらくの沈黙のまま、結佳に近況を話してやった。


 (どうせ、いつもそこから見ていて、全部知ってるんだろ)

 私は空を見上げて、そこにいるであろう結佳に、そう話しかけた。


 「だいじょうぶ、ママが、あーちゃんとパパを、ぜぇ〜ったいに、いつも守ってるからね、だからね…ぜったいにさみしくなんか、ないのよ…」


 強い鎮痛剤で眠って、私はそのまま静かに旅立つのだろうと、その場にいた親族の皆も同様に思っていた、寒い冬の日の明け方の5:35。

 眠っていた結佳は、最後に大切な何かを思い出したかのように、ほんの少しだけ目を開けて、この最期のひとことを私と愛結実に言い残して、ゆっくりと目を閉じ、静かにまた眠りに就いて、そして…そのまま穏やかに笑っているような寝顔のまま、旅立った。


 俺より先に逝くやつが何を言ってるんだかとも思ったが、私はこれからもまた、あらためて結佳とずっと一緒に生きていくのだと思うと、この一言で、私は彼女を亡くした喪失感に押し潰される様なことにはならずに済んだ。

 

 「ママの分、愛結実がもらっていくね。」

 愛結実が供え物の黒松を取って、ワンピースのポケットに入れた。

 「もういいのか?」

 「うん、まぁ、いっつもママには色々話してるからね。パパは?」

 愛結実も私と同じなんだろう。

 「パパもいっしょさ。ママにはいつも全部見られてるだろうからな。」

 「パパが加藤さんにデレデレしてたのも見られてたんじゃないの〜?」

 ニヤリとしながら愛結実が肘で小突く。

 「ママは、んー、そうだなぁ、あの時間はもう寝てたさ。」

 「たしかに〜」と、愛結実はあははと笑い、私たちは片付けをして、結佳の墓を後にした。


4.11月8日 日曜日 17:30


 墓参りの後は、愛結実のリクエストどおり、越谷レイクタウンで買い物に付き合った。いや、買ったのはほとんどが私なので、“買い物をした”が正しいか。

 両手にブランドのアウトレットセールの紙袋をいくつも提げて、ホクホク顔の愛結実のおかげで、少し前に久しぶりに買ったG1レースの万馬券の臨時収入はきれいさっぱりと消えた。

 

 秋奈にコストコに寄れる時間があったら、いくつか買い物をしてきて欲しいと連絡があったので、レイクタウンから新三郷へ行き、コストコで食料品や飲料、菓子類と、夕飯の惣菜などを買って、北赤羽の結佳の実家で義母の佳江を乗せて、東十条のところまで戻ってきた。

 今日の夕飯は秋奈のところで皆で食べることになっており、義兄の昌和まさかずも来ることになっている。

 

 小雨がパラパラと降り出した。

 午前中は空気は冷たかったものの、まさに秋晴れという快晴だったというのに、今夜遅くから明日の朝にかけては、結構しっかりとした雨が降るとのことだ。

 JR東十条駅の南口の坂を降りたところにある、どら焼きの黒松の店である草月の前で、愛結実を降ろした。

 人の並びも無く、少し雨が降っているので、近くで待ってて欲しいと言うので、角を曲がったところで、少しの間だけ車を止めて愛結実を待つことにした。


 「あーちゃん、傘持ってるの?」

 「傘?うん、持ってるよ。」

 佳江が、「なんだかザッと降り出すかもしれないから」と言って、愛結実に傘があるのかと聞くと、愛結実はポンポンと、結佳の形見のGUCCIのショルダーバッグを叩いて見せた。

 「なんだか、ホントに結佳に似てきたねぇ。うん…ホントにそっくりよ。」

 佳江がしみじみとして言った。

 確かに、愛結実は大学で出会った頃の結佳によく似てきている。

 堂前の家の女は余程、この佳江の遺伝子が強いのか、皆、同じ様な顔をしていてよく似ている。思えば、亡くなる前の結佳も私が義母の佳江と初めて会った時とよく似ていた。

 「そうですね、学生の頃の結佳を思い出しますよ。」

 私もしみじみとして、そう答えると、佳江の予言どおりに、ザッと夕立のように大きな雨粒が勢いよく振ってきた。


 みるみる内に雨はバケツをひっくり返したような勢いになり、ワイパーをONにした。

 大粒の雨は、バチバチとフロントガラスに打ち付ける様に降っている。

 夕立みたいなものだとは思うが、とは言え、5分程度で止むような感じではない。

 「ほうらね。降ってきたじゃない。あーちゃん、ちゃんと傘差してくるかしら…?」

 佳江は今どきどこで売っているのか珍しい、ニッキの飴を口に放り込み、私にも舐めるか?と渡してきたが、私はニッキ飴が苦手なので、遠慮した。


 すると、すぐ前方に大きなニトリの袋を2つも提げた加藤さんが、小走りにこっちに向かって走ってきているのを見つけた。傘は差していない。

 「お義母さん、ちょっとそこの傘を貸してください。」

 後部座席の足元に置いてある傘を、佳江に取ってもらい、私は外に出て、加藤さんに呼びかけた。

 「加藤さーんっ!」

 手を振って、もう一度呼びかけると、加藤さんは気が付いたようで、こちらに走ってやってきた。強く降り出してから、まだ2分程度しか経っていないが、昨日と同じ鮮やかな青のコートはだいぶ雨に濡れている。

 「はい、これ!使ってくださいね。」

 有無を言わさぬ感じで、先に傘を加藤さんに押し付けるように渡す。

 「いやいや、すぐそこなので」と、加藤さんは遠慮しているが、この降り様では数分で濡れ鼠になってしまうだろう。

 「来週の診察のときでいいですから」と、加藤さんが遠慮するのを私が遮るようにして言うと、「で、では、お言葉に甘えて、お借りします」と、加藤さんは観念したように、私が渡した傘を受け取り、ラーメン屋の方向へと小走りで横断歩道を渡っていった。


 「今の方、お知り合い…?ずいぶんと綺麗な人ねぇ。」

 後部座席の窓から見ていたのだろう。佳江がニヤリとしている。

 「あぁ、ここ最近通っている歯医者さんの歯科衛生士さんで、加藤さんって方ですよ。東十条にお住まいだそうで。」

 「あら、この前、虫歯になったって話のこと?」

 「もう、大人は、歯を無くしたら二度と生えてこないんですからね…」と、子供に説教をするように、佳江の興味は私の虫歯と歯磨きの方に移り、これ以上の加藤さんの追求は免れた。(と言っても、話した以上のことは無いのだが)



 「あーっ!だいぶ濡れちゃった!パパ、タオル貸して!」

 愛結実は折りたたみ傘を差して戻ってきたものの、この雨足の強さでは大した意味はなかったようで、派手に濡れて戻ってきた。私はタオルを出してやって、愛結実に渡した。

 「じゃあ、帰るぞ」

 制限速度20kmの住宅街の路地で、傘を持たない人や自転車が走っていくので、私はゆっくりと車を発進させた。すぐ先の1つ目の角を右折するのだが、今も自転車がすぐ横をすり抜けていった。

 角のところで、前方からの自転車を先に行かせた。ゆっくりと、私は右折する。曲がった先は赤信号だ。


 信号待ちで、ふと、すぐ右手前の横断歩道の前に立つ、小さな子どもに目が行った。

 紺色のトレーナーに黄色のズボンの小さな2~3歳の男の子……昨夜のあの子だ!

 

 !

 声が出そうになる。

 とっさに目を逸らす。


 もう一度、右手に視線を移す…もう、そこにはあの子はいなかった。


 「パパ?信号青だよ?」

 愛結実に言われて、車を走らせた。マンションはすぐそこだ。

 「あぁ、仕事のことでちょっと考えごとしてた。ごめんごめん。」

 私は適当に誤魔化して、300mほど先の自宅マンションの駐車場に入った。

 

 雨はまた小雨に戻っていた。

 



 


 


 

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28日土曜日 19:30 Tファミリーデンタルクリニック あまみけ @amamike

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