第7話 岐路と帰路

「そんじゃ、母さん。行ってくるよ」

「行ってらっしゃい。気をつけるのよ」

「お、おい、すごい緊張してきたぞ」

「ヨージ、あんたはライトの護衛なんだから、しっかりしてよね」

 ヴァイサイが海に落ちてから、十五年の月日が流れていた。

 ヴァイサイから飛び立つスイとレンの姿を見た後、ライトは浜に上がっていた小さな木製ボートでヴァイサイへ移動した。枯れてひび割れた地に、リーゴの大樹の焼跡、そしてトリンと瓦礫が点在する、だだっ広いもの悲しい景色があった。

 そこへアージ村の人々が移住し、ライトの魔法で守られながら国を再建してきた。現在は、田畑や緑に囲まれ、元のヴァイサイと遜色ないほど豊かになっていた。

 

 王としてヴァイサイを統治するライトは、初めて隣国であるピック大陸のマージ街を訪れようとしていた。十八歳のライトは、百八十センチメートルという高身長で筋骨隆々、ガントレットにゴム手袋をした左手がトレードマークの屈強な青年になっていた。

「ライト、あんたは海に近づかないこと! いいわね?」

「分かってるよ」

 ライトの左手は、海が持っていってしまったのだ。移住して間もない頃、ライトは興味本位で海に触れた。すると、左手首から先が煙のように消えてしまったのだ。それ以来ホテイは、ライトが海に近づこうとすると、えらい剣幕で怒った。

 アオイを失った記憶が蘇るという理由で、ホテイは海を好きにはなれなかった。アージ村にいた頃は、ウサギや鹿などの肉が食事の中心だったが、それらのいないヴァイサイへ移住してからは、魚が食事の中心となり、海と無縁とはいかなくなったのだ。もちろんホテイは、ライトに漁獲禁止令を出した。狩猟で能力を遺憾なく発揮していたライトは、少し退屈に感じたが、王という能力以上に重要な職務が、それを晴らしたのだった。

 ただ一つ、ホテイには引っかかる点があった。海は人間界とヴァイサイを繋ぐ鍵だ。しかし、人間界にヴァイサイがある今、ライトの左手はどこへ消えたのだろうか。


 マージ街に初めて足を踏み入れたライトは、複雑な心情だった。ここは、従兄弟の命を危険に晒した者たちが住む街であるし、ライトの従兄弟に家族の命を奪われた者たちが住む街なのだ。ヨージは、ライトのその胸中を察していた。

「何も気にするなライト、ただお前のやるべきことをやれ」

 かく言うヨージだが、着慣れていないスーツの襟とネクタイを、何度も直していた。ライトは、ヨージの言葉とそんな様子を見て、背筋を正した。やっと街をじっくり見られる程度の余裕さと、王の威厳が出たのだった。

 王宮への長い階段を登りながら、ライトは心の中で自分の意思を確認していた。この決断は正しいのか、みんなにとって良いことだろうか、ここへ来るまでに何度も確認してきたはずのことが、湯水のように湧いてきた。

 王というのは、責任感という見えない相手と戦い続ける仕事であり、今までウサギや鹿といった獣とだけ戦ってきたライトにとっては、難しい仕事だった。この時ほど、王を引き受けてしまったことを後悔したことはないだろう。そんなライトの頭や尻を引っ叩いてくれるヨージとホテイの存在は大きかった。二人が側にいるから、王としてやってこられていると言っても過言ではない。それにライトは、二人がいるから王としての自覚を持てているのだ。

「ライト、まだ迷ってんだろう?」

「分かる?」

「気づいてないと思うがお前、考え事で頭がいっぱいになると、髪の毛に静電気が溜まるみたいだぞ」

 ヨージはライトに金属板を渡した。そこに映ったライトの頭は、実験に失敗した博士の如く、大爆発を起こしていた。

「待ってくれよ! せっかく整えてきたのによ!」

 ライトは右手で電気を吸い取り、手櫛で整えた。ヨージは、ライトの幼稚さに、ため息を吐いた。

「縁起でもねぇ頭しやがって……。いいか? アージ村のみんながライトの選択を支持してここまでやってきたんだ。それを今更悩んでどうする? それに、せっかく支えてきたのに、それを否定されているようで気分が悪りぃ」

 ライトは、申し訳なさそうに頭を掻いた。

「シャキッとしろよ! ホテイの息子だろ?」

 ヨージはライトの尻を引っ叩いた。叩かれたライトの尻は、キュッと締まった。そしてジンジンと熱を帯びた尻が、ライトの気を引き締めたのだった。


「お待ちしておりました。ライト様とヨージ様でいらっしゃいますね」

 王宮入口の近衛兵は、ライトとヨージを大広間まで案内した。大広間には、すでにマージ街の王とその側近二名が揃っていた。だだっ広い部屋の中央に、長いテーブルと大きな椅子。ヨージは、いかにも金持ちが好きそうな落ち着かない部屋だと心の中で野次った。

 二人が席に着くと、一息つく暇もなく、本題へと入った。

「マージ街へようこそ。あなた方にお会いできたこと、大変嬉しく思っております」

「こちらこそ。以前からお誘いいただいていたにも関わらず、お時間がかかってしまいまして、申し訳ございません」

 人間であるヨージよりも、シュピゼのライトの敬語はしっかりしていた。シュピゼは敬語というものを知らないということをスイとレンから聞いていたこともあり、敬語でハキハキと話すライトに、ヨージは目を丸くした。恐らくホテイから鍛えられたのだろうと感心していた。

 マージ街の王は歴代の王の中では若い方らしく、ヨージと同い年くらいだった。十五年前の王は、あの騒動から二年後に老衰で亡くなり、息子が跡を継いだのだとか。

「お声がけしたのは他でもありません。国交に関してです。荒地だったあの場所を、十五年で国家にしてしまうとは、さぞ素晴らしい手腕をお持ちなのでしょう。是非、我が国と良好な関係を築いてはいただけませんか?」

 ライトとヨージは、やはりと思っていた。ヨージは、マージ街を訪れることを、招待された当初から反対していた。国交の件だと分かりきっていた上に、ヴァイサイにとってメリットが何もないからだ。精々、マージ街の風変わりなサービスを受けられることくらいだろう、それではあまりにも釣り合っていない。ライトもヨージの意見には一理あると思っていた。

 マージ街の狙いは他でもない、ヴァイサイにのみ存在する希少金属「トリン」だ。硬度は充分、且つ研磨によってガラスのような透明性を発現する金属は、人間界に存在しない。マージの今後の発展にとって、これほど手にしたいものは他にないだろう。当たってほしくはない予想ではあったが、その範囲内に収まった会話が展開されていることに、二人は安堵した。なぜなら、答えをすでに用意しているからだった。


「大変申し訳ございませんが、遠慮させていただきます」

 マージ街の王にとって、その言葉は予想の範囲内には無かったのだろう。驚きの表情を全くと言って良いほど隠せていなかった。

「ひとつお聞きしたいのですが、あの国はどこから来たかご存知でしょうか?」

「確か、上空から降りてきたのですよね?」

「ええ、そうです。なので上空へ還します」

 マージ街の王は、目の前にトリンという金脈をチラつかされて、やはり引き下がろうとはしなかった。しかし、言葉巧みに口説こうにも、ライトに言葉巧みに断られた。この押し問答を、ヨージは黙って聞いていた。結局、互いに不侵略を誓い、左手で握手を交わしてから、ライトとヨージは王宮を後にした。

 その時のライトの左手は、いつもよりも軋んでいるようだった。


「長かったなぁ。眠たくなったぜ」

「やっぱり、自国の利益の話ばかりだったね」

「ま、そんなもんよ、人間なんて。それがお前の兄貴たちをあんな目に遭わせたんだよ」

 ヨージは、ネクタイを雑に外しながら言った。

「でも、ごめんね」

「何がだ?」

「もしあの話を受けてたら、みんなで裕福な暮らしができたかもしれないからさ」

「お前、また尻を叩かれたいのか?」

 ヨージは、ライトの頭をがっしりと掴んで言った。

「そんなのどうでもいいんだよ。またみんなでアージ村で楽しくやろうぜ」

 ヨージのその言葉は、ライトの決断を肯定するものだった。それは、ライトの心にあった靄を完全に晴らした。


 ヴァイサイへと帰ってきたライトとヨージは、みんなへの報告を済ませた。拍手喝采に包まれたライトは、やっと肩の荷を下ろせた気がした。そんなライトを、ホテイは強く抱きしめた。

 気持ちの良い夜を迎え、ライトとヨージとホテイは、ヴァイサイを歩いた。もちろん海から離れた場所を。

「さて、どうやって上空へ還そうかね?」

「母さん、それなら時間が解決してくれると思うよ」

「どういう意味だ?」

「ヨージ、あれを見て」

 ライトが指差す先には、リーゴの大樹の焼跡があった。真っ黒い切り株で、まだ微かに焦げた匂いを漂わせていた。スイやレンを思い出させるこの戦跡に、近寄ることがなかったため、誰も気がつかなかったのだが、ある変化があった。

「お、なんだこりゃ?」

 目を凝らすと、小さな何かが切り株を突き破っているのが分かった。ライトは指先に灯りを点け、それを見せた。

 それは新芽だった。リーゴの新芽が顔を出していたのだ。ホテイとヨージは、納得した表情を浮かべていた。スイとレンの話から、ライトもホテイもヨージも、それがヴァイサイの魔力の根源であるということを理解していた。つまりこれが成長すれば、ヴァイサイは元の位置に還ると考えたのだ。

「大きくなるまで守るよ」

「時間がかかりそうだが、頼むぜ、王様」

 ライトは言葉通り、数年の間、あらゆる障害からリーゴを守る日々を送ったのだった。


「よし……そろそろか……」

 リーゴは、元の三分の一ほどの大きさではあったが、ライトが見上げるほど立派に成長していた。光沢のある硬葉が窮屈そうに身を寄せ合い、風に吹かれると、低木ながら荘厳さを感じさせるような葉擦れを響かせた。そんな荘厳さに可憐さを与えるように、小さな白い花がポツポツと咲き始めた。ライトは花から魔力を感じ、浮動の準備をしていることに気がついた。


 ゴゴゴゴゴ──。

 閑散とした自然豊かな地が、まるで意志を持つかのように揺れ始めた。それは海にも伝播し、見送りの手振りのように波を荒げていた。

 ライトは、リーゴの木の側で仰向けになり、虚空を見つめていた。

「あーあ、随分と大変な人生を歩まされたもんだ」

 顎髭を摩りながら呟いたライトとは裏腹に、万世不易の青が一面に広がっていた。


 数時間後、ヴァイサイは眠りについたような静寂に包まれた。ライトはゆっくりと起き上がり、周囲を見渡した。田畑が枯れている以外、変化はなかった。ライトは深呼吸をし、リーゴの木に一礼した。豊かな景色をひとつひとつ脳に焼き付けていくように、ヴァイサイの端までしっかりと踏みしめて歩いた。


「ねぇ、母さん。ずっと気になってたんだけど、なんでぼくとスイ兄ちゃんとレン兄ちゃんは、ひとつの魔法しか使えないんだろう」

「そういえばスイもレンも、それが分からないまま、いってしまったわね。でもあなたたち三人には、共通点があるのよ」

「……あれでしょう? 人間の血が流れている」

「正解! 人間は、あれもこれもできない不器用な生物だから、その影響なんじゃないかって、ヨージと話したことがあるわ。でもね、それだけじゃないの」

「他に何かあるっけ?」

「ええ。あなたたち三人は、愛を知るシュピゼよ」

 結局、三人がひとつの魔法しか使えない、且つ人間界で魔法を使うことができた理由は分からない。ホテイの考察も、真偽のほどが定かではない。

 ヴァイサイ返還前夜に、ホテイと何気なく交わした会話だった。しかしライトにとって、これは心からの疑問ではなかった。なぜなら、それを解明したところで何も影響がないからだ。

 ヴァイサイのシュピゼではないライトにとって、使うことのできる魔法の多さ、魔力の大きさは、生きる上で関係がない。誰かの役に立つのなら、小さくたって構わない。ライトはそう思っていた。


「じゃ、行ってきます」

 ライトはそう言い残し、ヴァイサイを飛び立った。

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そして空へ 葉 田半 @tahan_yo

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