ちっちゃなバイキング
平井敦史
第1話
「あああああ! もううんざり!!」
マルグレーテはベッドの上で手足をばたばたさせながら、そう叫びました。
ここはノルウェー王国の都オスロの王宮。
マルグレーテは、海をへだてたデンマーク王国から、去年お
旦那様であるノルウェー王は、ホーコン六世といい、今11歳のマルグレーテより13歳も年上で、王様としてのお仕事でいそがしく、あまりマルグレーテと遊んでくれません。
そして、マルグレーテはマルタという女の人から、来る日も来る日もお
お
マルグレーテはけっしてお勉強がきらいなわけではなく、きびしいマルタ先生のことも尊敬してはいるのですが、やっぱり毎日毎日だと
「そうだ。わたしこのお城のこと、まだよく知らないのよね」
マルグレーテはベッドから起き上がり、ぽんと手を叩きました。
「お
思い立ったら
「そういえば、お城の下に降りる階段があったっけ。あれってどこにつながっているのかしら?」
以前、お城の地下に降りていく階段を見つけたのですが、その時は、近付いてはいけないと見張りの兵士に止められたのです。
そこへ行ってみると、見張りの兵士は他のところを見回っているようで、ちょうど誰もいません。
これさいわいと、マルグレーテは
どれくらい降りて行ったでしょうか。ようやく階段が終わると、そこは
「わあ、すごい! これ、バイキング船よね?」
マルグレーテが
それは細長く優美な曲線で
「この船で世界中の海を渡り歩いていたのね。素晴らしいわ!」
マルグレーテは感動しながら、船をすみずみまで観察します。
そんな彼女に、突然声がかけられました。
「やあ、かわいいお
「わっ! びっくりした!」
マルグレーテが振り返ると、そこには一人の男の人が立っていました。
背が高くてとてもたくましく、鉄の
「まあ、あなたはバイキング? でも
「あっはっは。
「へえ、そうなのね。それにしても、あなたとてもきれいな髪をしているのね」
その男の人の、腰のあたりまで伸ばした髪の毛は、本物の
王宮の女の人でも、これほどきれいな髪の持ち主はそうそういません。
「ありがとう。おほめいただいて光栄ですよ、お
「どういたしまして。わたしはお
そう言って、マルグレーテは胸を張ります。
「それは失礼、小さなお
きれいな髪の男の人の謝罪を、マルグレーテは
けれど、次の瞬間には淑女らしいつつしみ深さをほうり出して、マルグレーテはきれいな髪の人に頼み込みます。
「ねえ、きれいな髪の人。わたしこの船に乗ってみたい! いいでしょ?」
「はっはっは。おやすいご用だよ」
きれいな髪の人はにっこり笑って、マルグレーテの手を引き、バイキング船に乗せてくれました。
そして、いつの間にか何人もの男たちが、船に乗り込んでいました。
皆、
「えっと……。この人たちは?」
「もちろん私の子分たちだよ。さあ野郎ども! 船を出すぞ!」
「おう!!!」
いせいのよい返事とともに、男たちはいっせいにオールを
船はあれよあれよという間に沖に出て、振り返るとオスロのお城が小さく見えます。
「うわぁ、
マルグレーテがはしゃいでいるうちに、船は細長い入り江を抜け、広い海に出ました。
はるかかなたには、彼女の故郷であるデンマークのユトランド半島が見えています。
マルグレーテのまぶたの奥に、両親の顔が浮かびました。
お父様お母様はお元気かしら、と気になります。
「さて、どちらへ行こうか? ユトランド半島沿いを南に行けば、シェラン島を過ぎてドイツ、さらにはロシアだ。西へ行けば、ブリテン島、さらには大西洋にまで出て行けるぞ」
きれいな髪の人が言いました。
マルグレーテが生まれ育ったお城があるシェラン島は、もっと南の方。ここからはまだ見えません。
「西へ行きましょう」
マルグレーテはそう答えました。
お父様お母様には会いたいけれど、会ってしまったらもう二度と離れたくなくなってしまうと、自分でもわかっていたので。
今のマルグレーテは、デンマークのお
船はますます速度を上げて、真っ青な海を進んでいきます。
はるかかなたに、大きな島が見えて来ました。
「あれがブリテン島?」
「そうだ。その向こうはもう大西洋だよ。けど、さすがにそこまで行くと帰るのが遅くなってしまうからね。そろそろ帰ろうか。」
「あ……、それもそうね」
何も言わずに来てしまったので、きっとみんな心配していることでしょう。
マルグレーテは急に心配になってきました。
「大丈夫だよ。私の船は速いからね。せっかくだから、帰りは少し北を回ろうか」
きれいな髪の人が手をあげて
西からの風を
巨大な
上の方に白い雪を残した山々と、
「きれい……」
マルグレーテはそうつぶやいたきり、息をすることすら忘れて、その
「ねえ……。バイキングって、いつもこんな
「はは、もちろん季節によって
「ええ、すごい。本当にすごいわ! 決めた! わたし、バイキングの女王になるわ!」
マルグレーテが両手を握りしめてそう言うと、きれいな髪の人は愉快そうに笑いました。
「はは、そいつは頼もしいや。期待しているよ、小さなお
「うん!」
そんな話をしているうちに、バイキング船はスカンジナビア半島の南西の
そして、お城の船着き場につくと、きれいな髪の人はマルグレーテの手を取り、船から降ろしてくれました。
「ああ、楽しかった! また会えるかな、きれいな髪の人?」
マルグレーテがたずねると、きれいな髪の人は謎めいた笑みを浮かべながら言いました。
「さあ、どうだろうね」
え、ここに来ればいつでも会えるんじゃないの? とは、マルグレーテは思いませんでした。
彼らが普通の人間ではないということは、何となく察していたからです。
「そっか。でも、きっとまた会えるわ」
「はは、そうだね。私も期待しておくよ」
「うん」
マルグレーテは手を振って男たちに別れを告げると、一度も振り返らずに、階段を上っていきました。
マルグレーテが戻ってみると、お城では大騒ぎになっていました。
「どこへ行っていたんだ、マルグレーテ。心配したんだぞ」
年の離れた旦那様で国王陛下でもあるホーコン六世が、ほっとした表情でそう言い、教育係のマルタはものすごく怖い顔をしています。
それ以外にも、王国の
「ごめんなさい」
マルグレーテは謝りました。
皆に心配をかけてしまって申し訳ない、というのは本当の気持ちです。
「で、どこに行ってたんだい?」
旦那様にそうたずねられ、マルグレーテは正直に話しました。
「バイキングの船? いやいや、たしかにあの階段の下は船着き場になっているが、今ではもう使われていないし、船もつないでないはずなんだが」
「きれいな髪の男ですと? そのような者、この城におりましたかな?」
みな首をかしげて不思議がっていましたが、大臣の一人がおそるおそるといった様子で口にしました。
「それはもしや、ハーラル
「そんな馬鹿な……」
ハーラル
ノルウェーを統一するまで髪の毛を切らないと誓いを立て、その誓いを
信心深いキリスト教徒であるマルタは、バイキングを野蛮人だと思っているので、顔をしかめています。
「さあ、マルグレーテ様。バイキングのことなど忘れて、お勉強をいたしましょう」
マルタにうながされ、マルグレーテははぁいと元気よく返事しながら、見えないようにぺろっと舌を出しました。
ノルウェーの夏はまだまだこれからです。
†††††
ノルウェー王妃・マルグレーテ=ヴァルデマーズダッター。のちのマルグレーテ一世。
ノルウェー,デンマーク,スウェーデン三ヶ国の
――Fin.
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【大人の方のための作品解説】
●マルグレーテ一世 1353~1412
本作の主人公。エストリズセン
ドイツを中心とする商業都市の連合体であるハンザ同盟、およびそれを後ろ盾とするスウェーデン王・アルブレクトと対立。父、夫、息子との相次ぐ死別という悲劇に見舞われながらも、したたかに立ち回り、ついにはノルウェー,デンマーク,スウェーデン三ヶ国による「カルマル同盟」の盟主として、
詳しくは零(@zero_hisui)様のツイッター漫画をご参照のこと。
(ttps://twicomi.com/manga/zero_hisui/1551037833829183488)
(ttps://twicomi.com/manga/zero_hisui/1551038063463112704)
あと拙作『女王様はロマンの塊~古今東西女性君主列伝~』第29話「マルグレーテ一世」もよろしくね^^;
なお、本作のエピソードは100%作者の創作である。というか、おとぎ話なので。
●ハーラル(ハラルド)
ノルウェー最初の統一王とされる人物。
ノルウェー全土を統一するまで髪を切らないとの誓いを立て、その実現後に髪を刈り整えると、それが大変美しかったので、「
北欧がキリスト教化される以前の、いわゆるバイキング時代の人物であり、その配下の一部は
本作の「きれいな髪の人」と何か関係があるのかは不明(笑)。
●バイキング(ヴァイキング)
西暦800年~1050年の、いわゆるバイキング時代に、西ヨーロッパ沿海部を荒らし回った、バルト海沿岸およびスカンジナビア半島を拠点とする武装集団。
実際には交易民としての性格も強かったと考えられる。
キリスト教を受け入れ、また進出した先々で土着していき、1200年代頃までにはほぼ姿を消した。
ちっちゃなバイキング 平井敦史 @Hirai_Atsushi
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