怪人は歯車の海へと沈む その5

 窓から差し込む光が、まぶたを温める。髪に残る熱にオレは朝だと気付かされる。細かな埃が光に照らされてフワフワ浮いていた。

 どうやら、昨日拾ったカプセルを調べているうちに寝てしまったらしい。おかしな姿勢で寝るものだから後味の悪い夢を見てしまった。

 父さんが死ぬ時の夢だ。彼は偉大であったが、毒ガスを吸い込んで呆気なく溶けてしまった。オレがエレナに拾われる直前の話である。

 固まった体をほぐしながら立ち上がり、工房を出る。階段に足をかけると、合成肉を焼いたような食欲をそそる匂いがしてきた。

 台所に立つ爺さんにオレは「おはよう」と声をかける。


「おはよう。ご飯もう少しで出来るから。それとも食欲ない?」

「お腹は空いてるよ。いただくかな」

「おっけい。じゃあもう少し待っててね……って、メイ。君はまた工房で寝ていたね。顔を洗っておいで。ひどいもんだよ」


 思わず、という風にしかめっ面になっていた。爺さん──本名をメイス・マッカラン。オレと一文字違いの名前を持つこの爺さんは世間知らずだったオレに街のことや、ギア・ラインのことを教えてくれた、いわゆる師匠とも呼べる人物だ。父さん以外でオレが寝食を共にした唯一の人物でもある。気のいい爺さんで、いつも笑顔を絶やさない。オレはこの人の事がとても好きだ。

 洗面所で自分の顔を鏡で見てみたら、よだれの跡ができていた。

 随分気が抜けたもんだ。

 昔の夢を見たからか、そんな事を思った。この街に来てから窮地というものに無縁だったからだろうか。昨日のような状況はあるが、それでも街では飢えて死ぬことも無いし、毎日同じ寝床で寝ることが出来る。喉が渇いたら水を飲めるし、何よりガスに怯える必要がない。

 オレからしてみれば、それだけでここは天国だ。力を大っぴらに使ったら捕まるけど、それだって永遠ではないということをオレは確信していた。エレナがやると云った事は必ず実現する。いや、させる。

 顔を洗ってから、皿を出したりカウンターを掃除したりして、爺さんの手伝いをする。カウンターの隅に置いてある写真立てに挨拶も忘れない。朗らかに笑う白い髪をした少女が、両親と手を握って笑っている。爺さんの娘が一〇才になった時に記念に撮ったものだ。すっかり色あせてしまっていて、写真はもはや少女の姿をぼんやりと写すのみになっている。それでも爺さんは、ずっとこの写真を手放そうとはしない。娘の思い出で残っているのが、もうこれだけだからだ。彼女は突然変異の化け物として政府に捕まり、そして二度と戻ってこなかった。ただ、少しばかり念動力が使えて、体の形を変えられる新人類だったからというだけで。


「なあ爺さん、オレと娘さん、やっぱり全然似てないって」


 爺さんは卵をかき混ぜながら顔だけをこちらに向けた。


「あの子は小柄だけど、お前は背が高い。口調だってもっと女の子らしい感じだった」

「全然似てないって云ってるみたいだぜ?」

「なんていうんだろうね、雰囲気がさ、似てるんだ。同じ家の中で暮らしていると感じるものが。階段を降りてくる時の音で、家族の誰か判別出来るでしょう。それと一緒ですよ」

「ふうん」


 そんなに多くの人間と暮らした記憶はないが、 雰囲気という話はわかる。扉の前にいる人物を気配で感じ取れることはあるものな。

 突然電話のベルが鳴り響く。オレは受話器を手に取ると、ラッパ管を耳に当てる。


(おはよう怪人さん)


 管越しの雰囲気だけでオレだと分かる人物など一人しかいない。


「そっちもお疲れさま。昨日の事だけど昼前にはレポートで送るよ。それで、朝から何の用事?」

(相変わらず朝が遅いのね。それと、この間の件はありがとうね)

「こないだ?」

(ハリスホーク伯爵の件。匿名で私に告発文送りつけたの、あなたでしょ)

「さっすがエレナ。オレのやる事はお見通しか」


 電話越し、人混みのガヤガヤとした音が聞こえてくる。水が流れるような音もする。噴水広場にある街頭電話で掛けてきているのだろう。電話の記録を自分の端末に残したくは無いのだ。これも、いつもの事だった。


(それでメイ。貴方、もう一通告発文なんて送ってないわよね」

「もう一通? んや、同じ技をそう何度も使わないよ」

(そうよねえ……でもね、来たのよ。ワイルドターキーって知っている?)

「もちろん」


 ロッズ・ザ・ワイルドターキーといえば、この街で最も有名な投資家だ。数多の研究者たちのパトロンをしており、この街の技術的発展を支えている男といっても過言ではない。現在の貴族院議長の名前を知らない人でも彼の名前は知っている。それぐらいの有名人だ。街の中心を流れる大川にかかる橋が出来たのも、他ならぬ彼の力があったからだ。日に一万人近くの人が行き交う大橋は、彼の名前からロッズ橋と呼ばれている。


(そのワイルドターキーがね、悪事を働いている可能性がある、と云ったら貴方はどうする)


 誰かに聞かれるのを避けるかのように、声を抑えているのが分かる。


「そんなこと聞いてどうすんだよ。オレはエレナの望む事がしたい。あんたの為なら、命すら惜しくは無い。いつも云ってるだろ?」


 親父と死に別れたオレを助けて、街に居場所をくれたのは他ならぬエレナ・バランタインだ。だからオレはエレナの望むことをしようと決めた。彼女に救われた命を、彼女のために使う。オレのために命を使った親父のように、オレもエレナのために命を使う。


(そうだったわね。ちょっと寝不足だからかしら。おかしなこと聞いちゃった)

「マリー・ボーンとは朝まで飲んでたのか?」

(そこまで見てたの? 流石に二時間くらいで返したわ。どちらかといえば、そのあと街の方々を歩き回っていたのが効いてね……ふわああ)

「相変わらず元気だなあ」

(貴方ほどじゃ無いわ……。メイ、改めてお願い。ロッズ・ザ・ワイルドターキーについて調べてみて欲しいの)

「いいぜ。告発にあった犯罪の証拠でも抑えればいいか?」

(そうね。証拠がないと警察組織は動けない。例えば……その不正で動いたお金について書かれた帳簿とか)


 裏帳簿ってやつか。表向きにしたくない物なら、おそらくスタンドアローンにしてあるだろう。 ギア・ラインに繋げずに屋敷の金庫にでも記録のカプセルを保管している可能性が高い。

 つまり、エレナの注文はこうだ。

 誰にも見つからずワイルドターキー屋敷に潜入し、裏帳簿を複製する。それをエレナに渡す。

 たしかにオレ向きの仕事だろう。警察のような公的権力がやっていい事ではない。闇夜に紛れる怪人の役目だ。


「わかった。三日、いや、二日くれ。二日後の夜に〝世界樹の木の下〝でいいか?」

(助かる。頼むわよ、グレンバーギ)

「グレンバーギ? なんだそりゃ」

(街の人が貴方怪人に付けた名前よ。名前を付けられる事は祝福だわ。私たちの世界にようこそ、っていうね)

「それはオレの名前じゃない。強いて云えば俺たちの──」

(無理しないでね、メイ。それじゃあ)


 オレの言葉は遮られて、一方的に電話は切られた。オレは頭を掻いて、それからその言葉を口の中で反芻してみた。それから、盛り付けの終えた爺さんの向かいの席に座る。


「どうしたの、何かいい事あった?」


 云われて、オレは自分の口元が緩みきっていることに気がつく。少しばかり気恥ずかしい。


「ああ、頑張んなきゃなあ、ってね」

「いいじゃない。で、今度は何を頼まれたんだい」 

「それがな──」


 オレはエレナに頼まれた事柄を掻い摘んで説明する。


「金持ちで警備も万全な屋敷の見取り図って、どうやったら簡単に手に入るかな」


 角切りにしたパンをかじる。目玉焼きを頬張る。その間でオレは爺さんに尋ねる。爺さんは屋敷かぁ……と顔を上にやって、それから答える。


「ギア・ラインで、建築事務所の情報基地に潜るのが早いだろうね。大きな屋敷を手がけたなら、事務所の広告とかで名前を載せているだろうし、そこから潜るのが近道だと思うよ。アフタヌーンティーの前には終わるんじゃないかな」

「流石街一番のエンジニア。頼りになる!」

「やめてくれよ。随分と前の話だ」


 残りのパンを頬張って、紅茶でながしこむ。行儀が悪いよ。という小言が聞こえたが、方針が決まると駆け出してしまうのが性分というやつだった。


「ご馳走さま!」


 急いで自分の皿を洗いそれから自室へと閉じこもった。

 さて、ギア・ラインへ潜る準備をしよう。

 自前の階差機関のスイッチを入れた。しゅぽん、しゅぽん、と動力が回転し始めて、中の歯車が回転を始める。ニキシー管が点灯を始めるのを確認して、オレは電極の付いた手袋を篏め、出力装置を頭から被った。出力装置の上からはさまざまな形のアンテナが奇怪なアートのように突き出ている。階差機関が出力した情報を電気信号へ変換し、脳へと流し込む役割を果たしている。

 一つ息を吸って、吐く。目を瞑ると、まぶたの裏に緑に発光する文字が浮かぶ。


. . . Hello , CC !! . . .


 CCというのは階差機関を繋いでギア・ラインに潜るものの総称である。語源とかはよく知らないが、Computer Cowboyの頭文字であると、爺さんに聞いたことがある。

 文字が消える。気づけばオレの体は暗闇に浮いている。眼下には大小無数の歯車が敷き詰められており、どれも輪郭が緑に発光していた。

 ギア・ライン。

 階差機関で作られた世界に広がる街のもう一つの姿。そこにはあらゆる情報が集積されライブラリ化している。この世界は街のあらゆる物につながっており、例えば人々が腕に巻いている携帯端末などは最もたる例だ。街に住む人間の殆どは、端末を使って情報をすくい上げる。だがそれは、例えるなら陸から釣り糸を垂らしているにすぎず、水底に沈む水生生物達を捉えることも、中の様子も伺うことは出来ない。

 だかオレや爺さんのようなCCならそれが出来る。まあオレは爺さんのように専門ではないけど。エレナの手伝いをするのに必要だったから覚えただけ。あいつ、機械はとことんダメだから。

 入力装置を使って検索システムを起動。正面に浮かぶタイプライターのホログラムを使って、情報を絞り込んでいく。五分も掛からぬうちにお目当ての建築事務所は明らかになった。

 今度は建築事務所のあるアドレスから歯車の位置を特定。アドレスを打ち込んで至近距離までジャンプする。それは人の顔ほどの大きさしかない歯車だった。歯車には無数のゼロと一が刻まれており、それがいわゆる端末で確認可能な、こうして潜らなくても得られる情報である。

 オレが欲しいのはこの奥に眠っているもの。歯車の中に刻まれているもので、ここからが腕の見せ所といえた。

 腰のベルトから、渦巻きの形をしたピストルを取り出す。トリガーを引くとアンテナの先から稲妻状の光線が発射され、歯車中央部が透明になっていく。ピストルは無数の解析パターンを組み込んだ暗号鍵を直感的にわかりやすいイメージへと変換したものだ。

 歯車の内部には、さらに大小さまざまな歯車や真空管、ニキシー管などが所狭しと並んでおり、その一つ一つにピストルで光線を当てていく。そうして二十分ほど、どうでもいいテキストや、ゴミを漁っていく。最初は緊張感に満ちていたが、あまりに単調すぎてあくびが出そうになる。

 そんな頃、ようやくお目当のものらしき情報を見つけた。

 ワイルドターキー家の見取り図だ。

 手早く複製を行なって、散らかした歯車たちを元に戻しておく。それから追跡対策のため二、三関係のないラインを経由して、オレは現実へと帰還する。

 およそ二時間ほど時間が経過していた。出力装置を脱ぎそのままベッドへ転がる。ギア・ラインへ潜るのは体力こそ使わないが、精神力をひどく消耗する。昨日からろくに寝ていないこともあり、目をつぶって少し休息を取った。



 爺さんとの午後のティータイムを終えた後、オレは端末に先ほど手に言いれた見取り図を読み込ませる。三階建ての建物には用途不明な部屋も多く、しらみつぶしに動く他ないと思われた。こういう時は天井裏や通風孔を行くのがセオリーだが、それでも全てを回りきれる訳ではない。屋敷の中には他の部屋と独立し、家の上に別の家を建てたような、奇妙な部屋がいくつもあるのだ。

 そう考えると、取るべき選択肢は一つしかないように思われた。


「正面突破、しかないよな……」


 鏡を見ながらオレはため息をつく。

 鏡に映るオレは、六〇過ぎの老人のようになっていた。

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