獅子の歯噛み

トドは激怒した。必ず、かの邪智暴虐じゃちぼうぎゃくのおっさんどもを除かなければならぬと決意した。

そもそも、故郷のアリューシャン列島に帰れると言うから付いてきたのに、辿り着いたのは海はおろかプールすらない、さびれた建物だった。建物の中は同じような部屋が並んでいるばかりで、この上なくつまらない。

せめておっきい湯船のある部屋がないだろうかと探していると、トド年齢で5歳くらいのニンゲンが倒れているのを見つけた。そのニンゲンはひどく弱っていて、お腹を空かせているように見えた。だからトドはおっさんを呼んできて、お魚を分けてあげるように言った。するとおっさんはトドを指差しながら、ニンゲンに向かってこんなことをのたまったのだ。

「もっかいオットセイのモノマネしたら、食べさせてあげてもいいよん」

トドにはおっさんどもの考えることがよくわからぬ。けれどもオットセイと間違えられることに対しては、トド一倍に敏感であった。

おっさんとはなんとも不思議な生き物である。『ニーハオ』と挨拶されたら怒るくせに、トドとオットセイの区別すらもつかない。自分にできないことを他人に求めるなど、傲慢にもほどがある。

しかしおっさんはトドがカンカンに怒っているとはつゆ知らず、倒れているニンゲンに

「ずっとそこで『オットセイごっこ』してなさい」

と言い放った。『オットセイごっこ』などという言葉は、オットセイを、ひいては鰭脚類ひれあしるいを下に見ているからこそ出てくるのである。

「うおおおおおおお」

トドは抗議の声を上げた。

「そんな怒ることないぢゃん」

おっさんが肩の辺りをぺちぺちとたたいてきたものだから、トドは思わず『セクハラ』と叫びそうになった。『イケメン無罪』の対義語は『おっさん死刑』である。広辞苑にもそう書いてある。

ニンゲンはもう虫の息で、ただ身体を震わせるだけだった。それを見てトドはたいそう不憫ふびんに思ったのだが、おっさんどもはそうは思わなかったようだ。

「お魚がないならソーセージを食べればいいぢゃない」

そう言って、おっさんはぐふぐふと笑った。

トドには嫌いなものが3つある。鰭脚類を見下している奴、若者をいじめる奴、そしてつまらないことをさもおもしろいことかのように言ってドヤ顔をする奴である。このおっさんどもは見事に三拍子揃っていた。かのイチロー氏もびっくりである。

そういうわけで、トドは怒り心頭であった。

メロスは、友人を救うために走った。トドは、トドにできることは何か。

残念ながらトドは走るのが苦手である。しかしトドは、おっさんどもの天敵がお巡りさんであることをよく知っていた。トドは決意した。

朕みずからお巡りさんを率い、これが鎮定ちんていに当らん。

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