第5話 謝罪

「それじゃ来週からテストなので、土日も気を抜かないように!」

 担任の声とともに放課となった。

「おーい井川、部活いこうぜ!」

「これからカラオケ集まれ~!」

「明日有田んち行っていい?」

 解放とともにみんなの緊張感も一気に解ける。先生の言葉なんて何も頭に残っちゃいない。

 この雰囲気で僕は逆に緊張感が高まるので、足早に教室をあとにしていた。

 今日急ぐ理由はそれだけじゃない。

 琴吹先輩とエンカウントしないよう気を付けていた。教室から出ず、トイレもわざと授業中に1回だけ行ってこらえた。


「小田くん」

 下駄箱に手を伸ばそうとしたところを、その声に止められた。

「やっぱり――さっさと帰ろうと――してたんだね――」

 琴吹先輩だ。走ってきたのか、肩で息をしながら下駄箱にもたれかかる。

「はあ、はあ、生徒会長に廊下を走らせるとはね――うえっ」

「な、なんで……」

 背筋に悪寒が走る。

 吐き気するまで全力で走ってきたり、ここまで必死に付きまとう理由は、なんだ?


「人目があると、困るからね」

 人気がない昇降口。

 喧噪はいまだ遠い。

 まさか――シメられる?

 昨日処断した復讐?

 そこまで現実と架空の見境がついていなかったなんて――


 先輩は僕をにらみつけながら、ゆっくりと近づいてくる。

 女子とはいえ高校生。僕より背は大きいし、柔道技をかけられたらとてもかなわない。

 逃げようと思うが、双眸から目線を外せず、身動きできない。

 そして手が届く距離になり――


 深々と頭を下げてきた。


「すまなかった!」


「え? え?」

「昨日はいきなり感情的になってしまった。時代背景も鑑みれば敵国の重臣を殺すことも妥当な判断だ。自己の価値観を押し付けた傲慢なふるまいだった」


 

 真面目というかなんというか。

 ゲームだから、という思考にはならないのだろうか。

 ただ、そんな思考とは裏腹に、胸につかえたモヤモヤが晴れていくのを感じた。


「いやまあ僕のほうこそ、軽々しく判断してしまいました」

 思わずそんなことを口走ってしまった。

 口にしてみると、存外そんな気がしてきた。実際、処断については早く見限りすぎたかもしれない。逃がしても勝ち続ければよいし、調略も厄介は厄介だけど、それだけで決定打になるほどではない。楽な道に妥協してしまったのは事実だ。


「そんなことはないだろう」

 琴吹先輩がぴょんと顔をあげる。

 勢いで眼鏡がずり落ちた。近眼レンズが外れると、けっこう目が大きいのがわかる。澄んだ瞳でじっと見つめられると、さっきとは違う意味でドキドキしてしまう。

「君は、勝利というただひとつの目的のために最良の選択肢をした。合戦時の動きなど、素人の私から見ても鮮やかなものだった。天下統一をなさんとする者の手腕とはまさにかくあるべしだな」

「僕なんて全然……YouTubeとかでプレイ動画上げてる人たちはもっと神がかっていますよ」


「他がどうあれ、私にとって君が初めてだからね」

 眼鏡を直し、涼やかに微笑む。

「歴史ゲームなんて絶好の逸品をもたらしてくれたのは」

 胸のつかえがあったところが、途端にむずがゆい。かじかんだ手をお湯の中に入れたら、あたたかな湯がしみてほぐれていくときの感覚。


 と、人の声が近づいてくる。


「じゃ、僕は急いでるので!」

 適当に言い訳して、足早にその場を立ち去った。


「あ、ちょ――」


 なにか言いかけた先輩を尻目に、昇降口から走り去る。


 そのままひたすら走り続けた。

 先輩は別に怒っていたわけじゃなかった。

 それどころか、ほめてまでくれた。

 それだけで、胸につかえていたモヤモヤが消え失せてしまった。

 今はとにかく無性に走りたい。

 とはいえ、すぐに息が上がってしまった。


「はあ、はあ、はあ……」


 もつれかかった足を止め、膝に手をつく。

 顔をあげると、そこは旧校舎の前だった。

 今日は別の場所で別のゲームをするつもりだったけど、今はやっぱり信長の野望をやりたい。


 今日も僕は旧校舎のドアをくぐった。


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