悪人 ー2025.1.13.

監督:李相日



「どこに悪は潜んでいたのか」


劇場で鑑賞後、ふと思い出しオンデマンドで再鑑賞する。

この監督と原作の組み合わせにはまり、後に「怒り」も見る。

もちろん「国宝」も楽しみだ。


原作未読。

二時間半の長丁場ながら、まったくもって中だるみや無駄がない。どのシーンもセリフも全体の断片であり全体へと絡み、大きな一枚の織物を編み上げているかのごとく繊細かつ巧妙な造りが圧巻だった。それでいて混乱することなく分かりやすく、だから目も離せない。

圧巻であり、何度見ても色あせない名作だと感じた。


人の心に巣食うあらゆる「寂しさ」が挙げ連ねられた作品だと理解している。

埋め合わせるため登場人物らは様々なアクションを起こすが、代償行為でしかないそれらは常に歪んでいる。

悪人はだからしてどこにも潜んでいない。

「寂しさ」にそそのかされただけの、はき違えて踊らされた人々がピエロともてあそばされているだけのことだ。ゆえに悪というほどふてぶてしくもなく、むしろひたすら哀れで弱々しい。


だが身の内の「寂しさ」に覚えのない人はどれほどいるだろうか。

誰もがこの作品の中に登場して相当の一人になり得るのではなかろうか。

だと予感すれば、世のいわゆる「悪人」への先入観を改めさせる作品でもあった。



文学作品が映像化された時、原作の良さをたがわず写し取った物はいかほどあるのかと思う。文字作品と映像作品の神話性はそれほど良くないと感じている。何しろ文字作品は読み手という有機物の中で完成されるため、いつどこで、誰が見ても同じようには仕上がらない困難さを伴っている。比べて映画は見た後の感想こそあまたあれど、見せられているものはフィルムに焼き付けられたそれ一本で、ブレようがない。


製作側の誰が読み手として本作を構築していったのだろうか。

原作もさることながら、本作には五体を提供し構築した有機体に感服する。

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