ジョーカー ー2025.1.5.
監督:トッド・フィリップス
「「あんのこと」が過る」
主人公がどうなるのかは明白なため過程を堪能する作品と思うも、コスプレで起きた事件も過るためなかなかアメコミ原作のエンタメとしては処理しづらかった。
アメリカの格差、分断がシンプルに表現されているが、原作に忠実なだけかは知らない。ただ来るべき断絶と格差の時代を先読みし、人格ではなくそのアイコン、象徴として主人公を描きたかったのでは、と見る。
そんな主人公の不幸具合が波状攻撃過ぎてやはり漫画だな、とある意味ほっとするも
直接対決することになるロバートデニーロの緊張感が帳消しに。
あの一連のやり取りは良かった。
また現実と妄想の入り乱れ感が不意打ちで、まんまとハマる。
ありがちなはずも、脚本のうまさに唸らされた。
途中からどうしても「あんのこと」が浮かんで止まず。
本作が落ちるに任せるなら、あんは落ちるに逆らい続けた真逆のスジ立てで、
双方主人公はどこが違ったのだろう、と考える。
そして「あんのこと」が頭にある以上、本作の主人公には同情できなかった。
いや、ヴィラン誕生前提の物語なので、共感するもしないもないのだが。
(全編ユメ落ちではない視点で)
本作を観て共感する人は一定数、存在するだろうと強く感じた。特に、コスプレで電車内、事件を起こした人物がいただけにそんなおっちょこちょいはいない、とは言えない。
おそらく作り手側も、社会的弱者ゆえの不遇から逃れられない者らの気持ちの代弁をテーマに作ったものと思われる。がしかし、代弁することで共感を集めヒットを狙うとして悪をヒーローにしてしまう事の危うさには気づいていたはずで、全編、どこまでが主人公の妄想なのか、全てが妄想なのか分からなく設えてある。そして悪と暗躍することなく、最後は病院の中のシーンで締めくくられていた。こうすることで視聴側はそんなことになるわけがない、と我に返るわけだし、我に返ることはすなわちヒーローだとして拘束された彼はやはり悪なのだ、と距離を置くことになる。
そういう意味で紙一重、なかなか危険な作品だと感じた。
同時に、作り手には冷静な判断が必要であることを思う。
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