愛されているから


「マコトちゃんマコトちゃん!!」


「急に辞めるなんて言い出してビックリしたんだから!!」


「ねぇ何かあったの!? 困ったことがあるなら、なんでもいいから相談してって言ったよね!?」


 復職して一日目。マコトは盛大な歓迎を受けた。

 バックヤードに入るや否や、 同僚達に詰め寄られる。


「心配したんだから! ほんと、もう……マコトちゃんに何かあったらって」


「うぅ……そうよ……! 私達が何かやらかしたのかって、思っちゃうじゃない……!!」


 要するに アニマッツィオーネ青岳支店の、主婦達パートによる出迎えだ。 

 退職を撤回して、それが思ったよりもすんなりと受け入れられて、かように涙まで流されている。


「ちょ、ちょっと! みんな、ちょっと落ち着いて――!」

 

 一方でマコトからすれば、土下座をしてでも復職させてもらうつもりが、結果として宥めることばかりに必死になってしまった。



                 ***


「それだけおねえが、みんなに愛されてるってことやん」


 そうしてこれまでと同様、何事もなかったかのように、シフトを済ませた帰り道。 

 迎えに来てくれたミコトがそう言った。


「おねえは昔っからそう。せやからどんだけアホやっても、みんな許してまう」


「そうなんか? うちはそないなつもりは」


「ふんっ、この人たらしが。前にも言ったけど、それにどれだけ泣かされてきた相手がいるかって、おねえは慮った方がええと思うよ?」


 自覚はない。少なくとも働いている時は、変化にバレないことで必死だ。

 故にその瞬間だけ故郷への想いを忘れ、ありのままでいたことにマコト自身が気づいていない。

 結局は人懐っこくて話好きな妖狐だなんて――他者から言われたところで――彼女は意地でも認めないのだろうが。


「――あ」


 さりとて、そんな妖狐とて何時までも無知のままではいられない。

 

 夕焼け空の下。

 二人並んで差し掛かった公園にて、少年少女が盛り上がっていた。

 プラスチックバットに小さなグローブに、柔らかいゴムボールを投げては飛ばし、野球の真似事に勤しんでいる。


「…………」


 そんな光景を遠目からじっと見つめるミコト。

 これまで何度も見てきた姿だ。それを以前のマコトは、山が恋しいのだと思っていた。同族がいないことを羨んでいるのだと先走っていた。


「おうガキンチョ共――面白そうなことしとるやんけ」


「ちょっ、おねぇ!?」


 しかし今は違う。

 本当の気持ちを汲み取ったマコトは袖を捲り、ぐるんぐるんと腕を回しながらその場へと乱入する。


「バットの振り方が甘いで。手本見したるさかい、ちょっと貸してみぃ」


「お、おぉ……?」


 突然入ってきた知らない女性に戸惑いつつ、土の表面に描いたバッターボックスに入っていた少年はバットを譲る。


「お、おねえってば!! なにしとんねや!?」


 そうして構えようとしたところ、周囲をキョロキョロと気にするミコトに言われる。


「まぁまぁ見とけ見とけ」


 そこにマコトはふふんと得意げに笑って答える。


「こう見えてもガキの頃は、男連中に混じってようやっとったんや。みんなからも褒められたんやで? うちならドリフト一位も間違いなして」


「いや初めて聞いたわ。あんな山奥に野球するスペースなんてないし、そもそもドリフト一位てなんやねん。バット降って横滑りでもすんのか?」


「なんならダースの再来って言われたこともあって」


「バースな? ネタが古すぎんねん。あとその再来、毎年の風物詩くらいに言われとるから」


「たしかあの頃は九割はあったっけなぁ?」


「もうあからさま過ぎる嘘やろが!! 盛るならもうちょい控えめにせいや!!」


「防御率が」


「大戦犯クラスのクソやんけ!! 投手なんか野手なんかどっちやねん!? っていうか、そうやなくて! おねえは一体何を――」


「っと、それより待たせてもうたな! さぁさぁ投げてこいや!!」


「おねえってば!!」


 食い下がろうとするミコトを押しのけ、マコトは前方の、こんがりと日に焼けた少女に目配せをする。

 彼女は「えっと……?」と狼狽えつつも、手にしたゴムボールを振り被って、マコトに向かって投げた。


「――ふんっ!」


 ぽーんと山なりの軌道を描く、ゆったりとしたボール。

 そこにマコトは片足を上げて、音を置き去りにせんばかりのフルスイングで答える。


「「「…………」」」


 数瞬後――グローブに当たって、コロコロと転がるボール。

 バットに当たってそうなったわけではない。盛大に空振って、それにぽかんとしたキャッチャーが取りこぼしただけである。


「うん?」


 しかし当の本人、マコトだけはそんな事実に気付かず、ボールが飛んで行ったであろう(と思い込んでいる)方角に眉を細めていた。


「まさか……うちの打球は大気圏まで」


「んなわけあるかああああああ!!」


「おごっ!?」


 と、すかさず鋭いツッコミ。

 ミコトのドロップキックを食らったマコトが、地面に華麗なヘッドスライディングを決めた。


「ちょっと貸しっ!!」


 それからミコトは転がるバットを拾い上げ、バッターボックスに入れ代わり立って、日焼け少女へ投げるように訴えかける。

 そして、


「アホか! なに見てバット降っとんねん!! ええか!? バットっちゅうもんはこうやって握って、球をよう見て――ふんっ!!」


 グワァラゴワガキーンと、ボールが宙高くに運ばれた。

 文句なしの場外(公園の)ホームランだ。外野にいた子供達は追いかけることを止め、遥か彼方へと消えていく打球を眺めている。


 ――あぁ、こんな才能もあるんやなコイツ。


 改めて妹のポテンシャルの高さを思い知らされるマコトであった。


「と、まぁ……テレビで見た『真似事』やけど、こんな風に当てれば」


「「「…………」」」


「当てれば……」


 集まる視線に気づいて、そこで正気に返ったのだろう。

 バットを下ろしたミコトの顔が、かーっと沸騰したかのように真っ赤に染まる。


「ご、ごめんなさい! う、うち……わ、わたし……!!」


そうして覚束ない謝罪を口にしながら、踵を返して逃げ出そうとするも、


「「「すっげええええええええ!!」」」


「…………え?」

 

 弾ける歓声に、その足は止まった。


「すげぇよおまえ! おれ、あんなの見たことねえ!!」


「どうやったんだ!? 公園の向こうどころか、その奥まで飛んでったぞ!?」


「うんうん!! 男子どころか先生だって、ああまではならないよ!!」


 と、ミコトは目をキラキラとさせた子供達に囲まれる。


「ねぇねぇ! キミ何処に住んでる子!? うちの小学校じゃないよね!?」


「連絡先交換しよ!! 携帯持ってるかな!? ないならうちの番号を教えるから! ね!? ねっ!?」


「かっこいい……しゅき……」


 それどころかゲームの外側。別の遊びに興じていた子供達も騒ぎに乗じて、更に囲いを大きくする。


「お、おねぇ!」


 気付いた時にはミツバチの蜂球のようだった。

 そこから助けを求めるように、ミコトが隙間から手を伸ばしていたが、マコトはくくっと笑うばかりで取り合おうとはしない。


「諦めろ。お前がそんだけ愛されとるっちゅーことや」


「そ、そんな!」


「じゃーな。うちは先に帰って飯でも作っとく。熱中症にならんよう、帽子だけは取るんやないぞ?」


「おねえ!?」


 突き放した言葉は意趣返し。

 されど憎さから来たものではなく、なんなら悔しさと言っても過言ではない。


 ――ったく。ほんまに助けてほしいんなら、もっと悲愴な顔をしろや。


 と思うマコトは事実そのもの。

 ミコトの表情は狼狽えていて、あっぷあっぷしていて、それでいてまんざらでもなそうだった。

 一人ぼっちであったミコトがずっと望んでいて、マコトの気遣いでは手に入らなかったものである。


 しかし気に食わないこともまた事実。姉なりのささやかな嫉妬のようなものだ。

 夕食はミコトの苦手な生野菜尽くしにしてやろうと、そんなことも思いながら、マコトは鼻歌を歌いつつ、一人夕焼けの向こうに去って行った。

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