次の作戦


「おねぇ?」


「いや、何もない。何でもないんや。それよりミコトは? どうしてこんなところまで?」


「ん」


 と、ミコトから買い物袋を突きつけられる。

 中には今日の買い物リストが揃っていて、代わりにおつかいをしてくれたことを知る。


「ミコト……! おぉ……!」


「そんな大袈裟な顔せんといてよ。ただ買い物をしただけやのに」


「すまんかったなぁ。不安やったろ? 怖かったやろ? 人間に見つかって何かされとらんか? 意地悪されとらんか? もし何かされたんやったら、おねえに全部言うんやで? すぐに生きとることを後悔させるくらいの責め苦を――」


「大袈裟やねん! たかだか買い物に行っただけやろ!? そないことで妖狐パワー全開にされたら、人間かて命が幾つあっても足らんわい!!」


「せやかてミコト」


「大丈夫やって言っとるやろ! ほら、ちゃんとこうして着けとるし!!」


 と、ミコトはキャップのツバを掴んで帽子をアピールする。下半身も何時も通り、窮屈そうなスパッツを身に着けていた。


「おねえは心配性なんよ。うちかて妖狐やで? そりゃ未熟なんは知っとーけど、普通に暮らすくらいはなんてことないわ」


「いやいや、そら心配にもなるっちゅうねん! 現代社会っちゅうやつは妖狐に冷たいんや! もしもミコトが、昔のうちのように寒空の下に追いやられて、ドブネズミに『おいコラ。ジャンプしてみろ』って硬貨を強請られたら……ああ、そんな姿を想像するだけで、うちは……!!」


「や、それ絶対おねえだけやから。なんでネズミ如きに古典的な強請られ方しとんの? っつーかそれどういう状況? むしろどうなってそうなったのか見てみたいわ」


「アイツ等怖いんやで!? ほれ見てみい!! 反抗しようとしたら耳を齧られて、今でもちょっと欠けてるんやで!?」


「ド〇えもんかよ。人間には強気に出れんのに、恐怖の対象色々バグっとるやろ」


「あん? ド〇えもんてなんや? ド座衛門の仲間か? うちは一応生きとるぞ」


「おねえはもうちょっと一般常識を学ぶべきやと思うよ? うちの心配するよりもさ」


 蔑むように言いつつ、ミコトはマコトの手を取る。

 そこから伝わる感触は、幾ばくも震えてはいなかった。


「ほら行こ? 早くしないと日が暮れちゃう」


「お、おぉ」


 そのままマコトは引っ張られるように、夕日の指す道路を二人で歩く。

 それが――白透町から電車に乗って三十分の距離にある――青岳町の夕暮れ時だ。駅から離れるとすぐに田んぼに囲まれて、遠くには山がそびえて見える。

 都会と言えども全体は広い。端に行けば行くほどに草木が生い茂り、特に県境と呼ばれる青岳町は地方と比べても大差ない。


『うっそだー! ぜってーなんかのみまちがいだって』


『マジマジ! ほんとにみたもん!! キレーな女の人が虫とりアミを持っててさぁ!?』


『あんなしめっぽいとこ、ダンゴムシかムカデくらいしかいないっしょ』


 そんな田舎地帯の一角。

 近くの小学校からと思しき、ランドセルの集団とすれ違う。

 下校にしては些か遅く、さっきまで遊び惚けていたのだろう。全身が汗ばんていて、白いシャツには点々とした土汚れが目立つ。


「…………」


 そんな少年少女をミコトは無言で見送っていた。繋ぎ合わせた手もキュっと、ほんの少しだけ力がこもっている。

 一体何を訴えたいのか? それがマコトには分からない。


「ミコト?」


「ううん、何でもない。はよう行こ?」


「え、でも」


「いいから」


 しかし有無を言わせず、繋いだ手の力もすぐに緩んだ。

 それから彼女達が暮らす、古びた木造アパートは目と鼻の先だった。


「おかえりなさい」


「お、おう。ただいま」


 一足先に離れてドアを開き、何時のように招き入れるミコト。

 所詮は仮暮らしという認識からか、必要最低限のものだけが備わった自宅は、選んだマコト自身も殺風景だと思っている。


 そんな部屋に帰って来て、程なくして二人は簡単な夕食を済ませる。

 パックの白米とインスタントの味噌汁に、薄く焼いた油揚げ。大根おろしとポン酢で味をつけ、ネギは腹を壊すから入れない。


「あ~……」


「ちょっとおねえ、だらしないで」


「別にええやんか。どうせ誰も見てないんやし」


 そうして腹が満たされると、マコトはくすんだ畳にゴロリと寝転がり、ミコトは頬を膨らませる。

 ここで言う『だらしない』とは、何も腹を見せて雑魚寝していることに対してではない。完全に変化を解いて、まんま狐の姿でゴロゴロとしていることだ。


「ミコトもその姿のままやったらしんどいやろ? 洗いもんが後でうちがやっとくし、一回くつろいだらどない?」


「ええ。おねえに任したら、今度は家が水浸しになってまう」


「もう同じ失敗はせんて。せやから一辺もとの姿に戻って……せや! 久しぶりにおねえが毛づくろいしたるさかい、こっちに来いや」


「ええて!」


 マコトはちょいちょいと肉球で手招きをするも、ミコトは顔を赤くして拒否する。


「もう子供やないんやし……それに」


「それに?」


「服を一回脱がなあかんし。うちはおねえみたいに、まだ上手く出けへんから」


「…………」


「せやから寝る前まではこのままでええ。みっともない姿、晒しとうないし」


 言って、ミコトは変化を解こうとしなかった。

 それは彼女の不完全な変化・・・・・・ に起因しており、その所為で窮屈な生活を余儀なくされていることは、マコトも気に病んでいることだった。


 しかし少なくとも、この部屋に人間はいない。

 なればこそ、なりたくもない人間・・・・・・・・・ を強制されることなく、肩の力を抜けばいいのにとマコトは不思議に思う。


「それはそうと、おねえ」


 と、そこで話を逸らすようにミコトが言った。


「あの人のことやけど、おねえは次の考えがあんの?」


「……………………」


「ないならないで、それでええんやけど」


 呆気に取られていると、何処なくホッとした表情。

 先日の失敗もあってか、これ以上の痴態を晒さぬことに安堵しているのかもしれない。


 しかしあなどることなかれ。

 マコトには次の案……というより、次の予定を確約させていたのだ。


「デートや」


「え?」


「あの男とデートを取り付けた。次で一気に進展させたるわい」


 むふーっとドヤ顔でマコトは言う。

 勝負は次の日曜日。あの唐変木にあっと言わせてやるつもりで。


「いやいやいやいや」


 ミコトは首を横に振りながら問い質す。


「おねえ、ほんまに大丈夫なん?」


「大丈夫てなんや? うちに抜かりはない」


「いや抜かりしかないやろ。この前も失敗ばっかやったし」


「前は前。次は次やで」


「……本気で言っとる?」


「本気も本気や。最初っからな」


「…………はぁ」


 しばらく目を合わせた後に小さな溜息。

 渋々でありながらも、納得してくれたようだった。


「分かった。もう決めたことやったら何も言わん。けれどこれだけは覚えといて」


「おう、なんや?」


「おねえ、男の人には3Sやで」


「3S? なんやそら?」


 マコトは首を傾げて聞き返す。

 そんなことも知らんのかとミコトが目を細める。


「男の人をズキュンと射殺す言葉や」


「しょぼい、質素、死ね、の三段活用か?」


「いや精神的に殺す言葉やなくて。そうやなくて、褒めて殺すんやってば」


「あん? どういうもんなんや、それは?」


「手本見したる」


 まるでピンと来ないマコトに対し、ミコトはこほんと咳払いを挟む。

 すると次の瞬間――


「『すごい! そんなことが出来るんですね!?』」


 まるで別人が乗り移ったかのように、妹は華やかな声を上げた。


「『流石です!! 感服致しましたわ!!』」


 口調と振舞いは装っている時のマコトを意識しているのだろう。


「『素晴らしい! ワタクシには思いもしなかったですわ!!』」


 おまけにその出来栄えは当人よりも遥かに見事で、満面の笑顔が直視出来ないくらいに眩しかった。


「――とまぁ、こんな感じや。おねえ分かった?」


「お、おう」


 かと思えばケロリと元通り。イタコが高速で霊を出し入れしたかのような寸劇に、マコトはすっかり圧倒されてしまう。


「褒められて悪い気になる人なんておらへん。あの人かて、ちょっと無口かもやけど、無感情ってわけやないと思うんや」


「なるほどな。あの仏頂面を褒めて褒めて褒め腐らして、ヘベレケにしてまえっちゅうことか」


「いや別にそこまでは言ってへんけど。ってかおねえ、ホンマに分かってる? 適当に褒めればええってわけやなくて、ちゃんとタイミングを見計らって、ここぞという時にやるんやで?」


「分かっとる分かっとる。それにあかんかったとしてもや」


「あかんかったとしても?」


「……いや、なんでもない」


 飽くまで最後の手段だ。今はまだ実行を考えなくていい。

 そう思いつつ、マコトは続けようとした言葉を取り下げる。


「ほいじゃあ明日も早い。今日のところはとっとと寝るか」


「寝るって……お風呂は?」


「昨日入った」


「いや毎日入りや」


「うちは妖狐や。川ならともかく湯浴みは好かん。それに石鹸の匂いは鼻が鈍る」


「今は人間のフリをしとるやん! おねえ自身が臭いで気づかれてまうで!?」


「家を出る前に水被るから大丈夫や。っちゅーわけでお休みっ! また明日な!!」


「あ、もうっ! もうっ!!」


 ぷりぷりとするミコトも右から左。マコトは胴を丸めて目を閉じる。

 そうして眠りに落ちる寸前、窓の外でガァガァとヒキガエルが鳴いているのが聞こえた。

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