第8話

それは本当に突然のことだった。

自宅でいつものように明音と話していると、自分の横に同じように座り込んでいる明音の姿が像を結んだのは。


何度も瞬きを繰り返してしまった。

何も言えずにいる俺を、明音は不思議そうに見つめた後、その表情を崩した。


「一夜だ」

「……はじめまして、というべき?」


俺の言葉に、さらに弾けるような笑みを浮かべる。

ずっと、目に映したかった明音の姿は、やはり、以前会った『三輪さん』の姿そのままだった。


『三輪さん』に会ったことを、俺は結局、明音に話せないままでいる。

更に、あれから何度も『三輪さん』と会って、食事をしたりもしている。この部屋に連れてきたことはないけれど。


『三輪さん』は、自分とそっくりの『明音』の話を聞きたがる。茶化したりせず、適度な相槌を打ってくれる彼女の前で、自分の口は軽くなってきているような気がして、『三輪さん』にいつしか、『明音』の姿を投影してしまっていた。


『明音』のことを大切に思うなら、『三輪さん』に会うのはやめるべきだ。

そうは思うのに、相手からの誘いには乗ってしまう。自分から声をかけることは無いにしても。


「一夜?」


明音の問いかけに、今に意識を戻す。


「これで、一夜の負担も少し減るね。わざわざ私に自分が見てるものを、教えてくれなくても大丈夫になった」

「……でも、他の人には明音は見えないんだよね?」

「そうだね」

ということは、外で隣にいる明音と話していたら、やはり変だ。明音と会えるのは自宅か、この間外出した時のように、周りに人がいないような空間でないと。

映画館とか他には、何かあるんだろうか?


明音と付き合うのに、面倒だと思うのは、この制約だ。

面倒だと思う以上に、彼女のことは好きだから、それはいいんだけど。

制約は、少しずつ俺の精神を削っているようにも感じる。だから、そういうことを考えなくていい、『三輪さん』との付き合いを止められないでいるのだろう。


「私が一夜の本当の彼女になる日も近いかな」

「それなんだけど」

「何?」

「明音、俺に何か隠している事ない?」


『三輪さん』の存在を隠している俺が言う言葉ではないと思ったが、明音にそう問いかけた。このまま、明音が実体化したら、そっくりの容姿である『明音』と『三輪さん』が存在することになる。ドッペルゲンガーじゃあるまいし。2人が会ったら、不幸なことが起こるとかないだろうな。


「実を言うと、私も自分が実体化すると、どうなるか知らないの」

「知らない?」

「私が聞いてるのは、一夜との関係が深まると、頭の中で姿をとるようになって、姿が一夜の目だけに映るようになって、最終的には実体化するということだけ」


それは、彼女の声を初めて聞いた時に、彼女自身が説明したことだった。


「今まで、その通りになってるから、実体化もするんだろうけど、どのような形で行われるのかは分からない。もしかしたら……」

「もしかしたら?」


明音はしばし言うのを躊躇っていた。その内決心がついたのか、彼女は俺の顔を正面から見つめて、口を開いた。


「私は明音という人間ではないのかもしれない」

「明音じゃない?」

「……私の推測だけど、多分実体化しても、私は一夜と過ごしてきた日々を忘れることはないし、一夜が好きだというこの気持ちもなくならない。それがなくなってしまったら、『恋人』ではないから」


『明音』はブレインパートナーとして、俺の前に現れた。ブレインパートナー。脳内恋人。

だったら、実体化したことで、今までの記憶を全て失ってしまったら、それは他人同士で、恋人同士ではない。


「でも、実体化するくらい、お互い好きでいたら、私の容姿や名前や環境が多少違っていても、一夜は私の事好きなままでい続けてくれるでしょう?少なくとも、私はたとえ、一夜が一夜でなくても、貴方のことが大好きだし、許されるならずっと一緒にいたい」


明音が今ここに存在していたら、その体を引き寄せて胸の中に抱え込みたい。

心の底から湧き上がるこの気持ちを、どうしたら、彼女に伝えられるだろう。


「だから、私の容姿や名前、環境は、実際とは違うのかも。つまり、私は明音ではないのかもしれないと思ったの」


「俺は、明音が明音でなくとも、君が好きだ」


俺の言葉を受けて、彼女の顔が真っ赤になる。自分でも結構な愛の言葉を口にしてたのに、受けるとそういう反応になるんだなと思うと、かわいいと思う。

1つ望みが叶うと、もっともっとと欲が出る。明音の姿が見えるようになったら、次は彼女に触れたいと思ってしまう。そのぬくもりを感じたいと。


彼女の頬に当てるよう手を添える。

目を伏せる彼女の顔に自分の顔を近づけた。たとえ、何も唇に当たらなくても、俺の気持ちが少しでも彼女に伝わればと、そればかりを考えていた。

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