第7話

とにかく頭が痛かった。

上半身を起こし、頭を抱えながら、自分の今の状況を把握しようと考えを巡らせる。


目に映るのは見慣れた自分の部屋。

ただ、いつも目を覚ました時よりも目線が低い。


普段はベッドで寝ているのに、今はなぜか床に寝転がっている。

一応、体の上にはタオルケットが掛けられている。


昨日は、同期の天沼と飲んでいたところに、彼の従兄妹だという女性2人が合流した。その内の一人と、場所を変えてお茶を飲む予定だったのに、なぜか別の居酒屋に行って、それ以上に飲まされた。自宅は徒歩圏内だったから、何とか家には帰れた。


ただ、相手は終電がなくて。


隣のベッドに目を向けると、こちらを見下ろしている彼女と視線が合致する。


「あ!」


彼女の名を呼ぼうとして、思わず口を押さえた。

ここは自分の部屋だ。名前を呼んだら、明音に呼び掛けたのと同意になる。


「おはようございます」


「……先に起きてたんだ。三輪さん」


昨日、明音と呼び続けるのに抵抗があって、何とか聞き出した彼女の苗字で呼び掛けると、彼女はフフッと笑った。その笑い方は、彼女である明音とそっくりで、見とれてしまう。自分がずっと望んでいた光景なのに、この後、明音としたくもない話をしなくてはならないのに思い至って、気が重くなる。


「昨日は楽しかったですね」


「ごめん、俺、昨日の事うっすらとしか覚えてない」


「私と寝たことも?」


「それは……」


痛む頭を押さえながら、彼女と一緒に家に帰ってきた時のことを思い返す。

シャワーを浴びる気力すらなくて、服だけ着替えて、寝たんだった。彼女が着ているのも、俺が貸したTシャツと短パンではある。ただ、彼女にベッドを貸して、背を向けて寝ころんだことは覚えてる。たぶん、俺は彼女とは寝てない。


「嘘ですけど」


俺が彼女の言葉を否定する前に、彼女が言って、口の端を上げた。

俺にお酒を飲ませてかなり酔わせたことといい、初めて会った相手の家に泊まることといい、今みたいに相手が動揺することを言うことといい、彼女は結構いい性格をしている。

まぁ、嫌いではないけど。


「冴島さん、すぐ寝てしまったので」

「それほどに酒を飲ませたのは君だけど」

「おかげで、彼女さんの話いっぱい聞けましたし」


ふふんと笑うと、彼女はベッドから起き上がって、枕元に畳んでおいてあった自分の服を手に取った。


「着替えたら、帰ります」

「……途中まで送ってくけど」

「大丈夫です。迎え呼びますから」

「じゃあ、隣の部屋にいるから、着替え終わったら呼んで」


はい。と答える彼女の声を背に、部屋を隔てる襖を閉める。そのまま、その場にしゃがみ込んで、頭を抱える。


一緒に寝なかったとはいえ、同じ部屋で寝たことを、明音に話すべきなんだろうか。そもそも、同じ容姿の彼女に会ったことを、明音に伝えていいものなんだろうか。

彼女に会った時は、明音に全てを話して、問い詰める気でいた。それほどまでに、自分にとってはショックなものだった。

だけど、明音がそれを聞いて、自分との別れを選択したら、俺はどうする?


想像して血の気が引く思いがした。


無理だ。


自分の口に当てた手が僅かに震えてる。自分を落ち着かせるように深く息をした。

二日酔いで痛む頭で考えるのはうまくいかない。何度も考えて想像して、形になってから明音に話すかを決めよう。明音は俺の考えが読めるわけではないし、俺が見たものを共有しているわけでもない。話さなければ、知らないままだ。


「……会いたい」


人を好きになるのって、こんなに苦しいものだったんだな。


◇◇◇


朝の柔らかな日差しも、ふんわりと流れる風も、起き抜けの私にはとても心地よいものだった。迎えに来てくれると言っていた場所まで、歩いて向かう間、昨夜の冴島さんの様子を思い返す。


私は、彼の口が軽くなるのを見越して、お酒を勧め、酔わせた。そして、彼の部屋に行く口実で、よくある『終電がなくなった』を使い、その目的を果たしたのに。


彼はさっさと寝てしまった。たぶん、酔わせ過ぎたんだろう。

寝ている彼の顔を覗き込んでみたが、起きる様子はなかった。


「あ……ね」


うわ言のように彼女の名を呼び、


「いかないで」


彼女を求める彼に手を伸ばすことは、流石にできなかった。


別に冴島さんのことが好きになったわけじゃない。会ったばかりだし。ただ、自分と同じ姿と名前の人と付き合ってると言うから、興味を持っただけだ。そして、その彼女が溺愛されてるのを羨ましいと思っただけだ。だから、少し私にも分けてもらえないかと思っただけだ。その思いを。


待ち合わせのコンビニ駐車場には、見覚えのある車が止まっていた。運転席を覗き込むと、姉の優日が、目をつぶって座ってる。寝ているかは分からなかったが、私は窓を軽くコツコツと叩いた。優日の瞼が開いて、私のことを見止めて、へにゃりと笑みを浮かべた。


「おかえり。何か食べた?」

「食べてない」

「コンビニで適当に買っておいたの。そこに置いてあるから食べて」


後部座席にあるエコバッグには、おにぎりやパン、飲み物がこれでもかというほど、わんさかと入っていた。


「こんなに食べないよ」

「残りは帰ってきたお姉ちゃんが食べるでしょ?」

「……お姉ちゃんも帰ってこなかったの?」

「天沼さんと飲みに行ったんでしょ?なら、帰ってくるわけない」


車を運転しながら、優日は軽く笑う。


「優ちゃんもくればよかったのに。」

「仕事だったし、私、あまりそういうの好きじゃないし」

「冴島さん、かっこよかったよ?」

「冴島?」

「天沼さんの仕事仲間」

「……今日は、その冴島さんのところから、帰ってきたの?」


私は、バックミラーに映る姉の様子を見たけど、その表情に普段と変わったところはない。


「終電無くなっちゃって。泊めてもらっちゃった」

「……そういうの止めた方がいいんじゃない?」

「大丈夫だよ。相手は彼女いるし」

「彼女いるなら、余計ダメでしょ?」

「……彼女の惚気話聞いてたら、羨ましくなっちゃって」

「人の恋を邪魔すると嫌われちゃうよ」


優日は深く息を吐く。ちらりと背後を確認しつつ、私とも視線を合わせた。


「いいよね。優ちゃんは彼氏がいるし。いつになったら、会わせてくれるの?」

「……忙しい人なの」

「優ちゃんと付き合う人は、私が見定めないと」

「私は、会わせたら、明音ちゃんに取られちゃいそうで怖い」

「そんなことするわけないじゃん」


優日は私の言葉に笑みを浮かべながらも、少し考え込む様子を見せた。


「でも、私と同じ格好して会ったら、たぶん分からないんじゃないかな」

「それは……分かるでしょ」

「そうかな?」

「だって、恋人でしょう?知り合いくらいは騙せそうだけど」

「……どうかな」


優日はそう言って、寂しそうに笑うのだった。

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