11、少女との衝突と真実4

「……どう、して?」

 言葉を発したのは、栞のほうだった。かすれるような、しぼり出すような、あるいはありえない状況に困惑こんわくするような声だ。しかし、そのどれであったとしてももはやどうでも良かった。今の僕には、返答へんとうを返せるだけの余裕があまり無いのだから。と言うより、それだけの余力よりょくがもう残されていないと言ったほうがただしいか。

 現在、僕は栞の前で片膝かたひざを着いている。順当な結果だ、何を困惑こんわくする必要があるのだろうか?分からないけど、それでも困惑こんわくする栞に僕は、こまったように笑う。

 袈裟懸けさがけに切られた肩口から、血がなくあふれ出ている。このままでは流石にマズいだろう。そんな僕を他所よそに、栞は混乱する心を隠せずに、半ばわめくような声を上げる。

「ど、どうして!どうして、私の攻撃をけないの!いえ、晴斗はるくんの技量があればあの程度、余裕でさばけたはずじゃないの‼」

無茶むちゃを、言うな……。僕、に……栞を、れるわけがない、じゃない……」

めて!私に、私にそんな言葉ことばをかけてもらえるだけの。そんな言葉をかけてもらえるほどの権利けんりなんて何一つ……」

「そんなことは、無いよ。僕は……栞、きみ……に……」

 そこで、意識をつなぎとめることができずに、僕の意識はやみの中へ……

 ・・・ ・・・ ・・・

 思い出す。うつろな意識いしきの中、僕が思い出すのはあの日の記憶きおく。これは夢なのか幻なのか。ともかく、僕は今かつての記憶きおくを思い出しているのだろう。

 いや、思い出すという表現もやはりただしくはないのだろう。僕は、あの日のことを一度たりともわすれたことが無かったからだ。そうだ、僕はあの日のことを決して忘れることはない。絶対にだ。

 あの日、僕はすべてに絶望ぜつぼうしていた。もう、何もかもがどうでも良くなって自殺じさつしようかとすら思っていた。それくらいに、僕の心の中は絶望でいっぱいになっていたんだ。

 でも、そんな僕にやさしい声をかけてくれた人が一人居た。或いはもっといたのかもしれないけど、それでも僕にとっては、彼女だけが……

 彼女こそが……

「あなた、死ぬの?」

 気づけば、そこには一人の少女しょうじょが立っていた。余程心に余裕よゆうが無かったらしく、声を掛けられるまで全く気付きづけなかった。そんな僕に対し、彼女は泣きそうな顔で僕の手をぎゅっとにぎりしめる。

 突然のことでどぎまぎする僕に、彼女はまっすぐ僕を見据みすえながら言った。

「死んじゃ駄目だめだよ。今がつらくても、きっといつか生きていてよかったと思えるようなことがたくさんあるはずだよ」

 僕のまえに現れた一人の少女。日本人離れした、西洋せいよう人形にんぎょうのような綺麗な顔立ちをした女の子だった。でも、それ以上に彼女はやさしくてあたたかな気性の女の子だった。それこそが、僕と彼女の初対面だったと思う。

 果たして、当時僕はいったい何をかんがえていたのだろうか?そうだ、少し面倒めんどうなことをかれてしまったな、と。その程度のことを考えていたっけな。我が事ながらなかなかに偏屈へんくつだなとそう思う。自分でも、そう思う。けど、事実あの頃の僕はそれくらいに精神的にい詰められていたんだろう。

 でも、そんな僕に対して栞は。彼女は僕を、優しくき締めてなぐさめてくれた。苦しくて、辛くて仕方がない僕の心情しんじょうみ取って。僕の心をかしてくれた。

 僕は、自分自身のことで精一杯せいいっぱいだったというのに。彼女はそんな僕の気持ちをしっかりと汲み取って優しく抱き締めてくれた。

 そんな栞の優しさがうれしくて。相対的に自分のふがいなさがなさけなくて。僕は彼女の胸の中で、声を上げていた。

 泣いて、泣いて、泣きじゃくって。そしてようやく泣き止んだその頃には、もう栞のことをきっときになっていたのだろう。僕はもしかしなくてもチョロいのかもしれない。けど、それでも僕は、栞のことが大好だいすきになってしまったんだ。

 本当に、チョロくてバカな男だとは思う。思うけど、本気ほんきで大好きになってしまったんだ。

 どうしようもないくらいに。もう、自分自身でもどうにもならないくらいに。

 だから、僕は栞にいた。明日あしたも会えるかな、と。そんな僕に、栞は笑って頷いてくれた。それがうれしくて、僕も満面のみを浮かべて笑った。

 そうして、僕は彼女と笑顔のままその日はわかれた。

 ……でも、あの日のよるにきっと。栞は見てしまったんだろう。栞の父親が、僕の家族を殺した決定的な証拠しょうこを。そして、それからずっと僕に対してつみを償うことだけを考えて生きてきたんだろう。

 あの日誌にっし。僕の血がみた、父さんの研究日誌。きっと、あれを見てからずっと栞の心は止まったまま固定こていされてしまっていたのだろう。強固に、こおり付いてしまっていたのだろうと思う。

 もしかしたら、あの日から栞はずっとち止まったままなのかもしれない。あるいは僕自身も。ずっと、立ち止まったまま何もわっていないのかもしれない。

 僕たち二人、立ち止まったまま、何も変われていなかったのかもしれない。何も変われないまま、変わったような気でい続けていたのかもしれない。だったらとんだお笑いぐさだろう。

 なら、どうするべきなのか?僕は、どうすればよかったのだろうか?

「……………………」

 ……いや、もうすでにかっているはずだ。僕がやるべきことなんて。僕がやるべきことは、もうすでに決まっている。

 僕の中で、覚悟かくごが決まる。僕の中で、何かが音を立ててうごき始める。び付いていた歯車はぐるまが、音を立てて動き出したような気がした。

 栞の心をすくうんだ。かつて、僕が栞に救われたように。今度は僕が栞のことを救おう。僕自身が、僕自身ので。だったら、もうここでくよくよしている場合なんかじゃないはずだろう?いつまでも、こんな場所で一人、なさけなく落ち込んでいるひまなんか何一つ無いはずだろう。ちがうとは言わせない。僕は、僕の手で栞の心を、彼女の心を救い出す。ただ、それだけの事じゃないか。

 だったら。いや、だからこそというべきなのだろう……

 僕は、僕たちはここからまえを向いてすすむべきなのだろう。

 栞にかえそう。今度こそ、以前に栞からもらった分を。今度こそ、僕自身の手で。彼女のことをあいしてしまったから。大好きになってしまったから。

 栞のことが大好きだ。愛してしまったんだ。気付きづいてしまったら、セリフにしてしまったらもうどうしようもないくらいに。自分自身、もうどうしようもないくらい、栞のことを大好きになってしまったんだ。この気持きもちだけは、誰にもゆずれない。

 だったら、今度こそ。僕はまっすぐ立ち上がる。

 僕は前を見据みすえる。夢うつつの中、暗闇くらやみの中、前をまっすぐ見据えて。今度こそ栞をすくうために。彼女からもらった分をきちんとかえすために。

 そうだ、そうだよ。何をまよう必要があったのだろうか。今思えば、至極下らないなやみだったんじゃないか。今度こんどこそ、まえをまっすぐ向く。まっすぐ、現実げんじつと向き合って今をきていくために。今度こそ、今までもらった分を彼女に返そう。

 だから、なあ。栞、今度こそしっかり、まっすぐとはなし合おう。僕と君の二人きりでしっかりと、正面切って話し合おうじゃないか。

 今までずっと、かなしかったんだろ?くるしかったんだろ?僕だって、君に会わなければそうだったのだから。君に、僕は救われたんだ。だから、今度は僕の番。僕が君の心を救うばんだろ?がさないから、きっちり救うから、そのつもりでいろよ。

 そうして、僕は意識が浮上ふじょうしていく感覚に身をまかせてそのまま目を覚ました。

 それと同時。僕の中で、何かが静かに目覚めざめをげた。

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