第3話 ヒルダとエリーゼ

 エリーゼ・ランゲルハンス。175cmの長身に、シミ一つ無い純白の肌。ほっそりとした柔らかな輪郭りんかくに、シンメトリーな均整きんせいのとれた顔立ち。東洋人のような真っ黒な長髪ちょうはつ、クリムゾンレッドの澄んだ瞳。同性であるヒルダも、思わず惚れてしまいそうな美しさ……。誕生日は1日違い、同じ街で生まれた幼馴染。それなのに方や理不尽に耐え抜く電話交換手、方や若くして空軍少尉。嫉妬しっとを禁じ得ない。

「久しぶり、ヒルダ。元気にしていたか?」

 背の高いエリーゼ、150cmと25cm低いヒルダを見下ろす。15歳の頃には空軍幼年ようねん学校に入学し、それ以来軍服姿でいる事が多い彼女。白いワンピース姿が新鮮だ。大胆に開いた胸元に視線が釘付くぎづけになる。おっぱい大きいな、柔らかそう……。

「エ、エリーゼ……。可愛い服着てるね」

 彼女の胸を揉んで柔らかさを確かめたい衝動しょうどうを必死に抑えながらヒルダは話す。

「私だって可愛い服くらい着たいよ」

「エリーゼって軍服のイメージが強いから、新鮮だなーって。でもいいな、1ヶ月も休暇を貰えるなんて」

「交渉に苦労したよ。1ヶ月丸々無給さ。たっぷり貯金しておいて良かった」

「それで旅行するんでしょ。羨ましい」

「ああ、東洋まで行く。国際列車で1週間かけてサイベリア鉄道を通り、和寧わねい大城テソン浦山ポサン、そこから船で秋津の鴻臚こうろまで行き、花京かきょう逢坂あいさかを巡る。1ヶ月がかりの旅行だな。お土産が欲しければ言って欲しい。遠慮するな、何でも買ってきてやるよ」

「やっぱりお寿司が良いな」

「無理だ、腐る」

「何でもって言ったじゃん。じゃあ和寧のキムチは? あれって美容に良いって聞いた事あるよ」

「食べ物以外にしてくれ。検疫けんえきにも引っかかる」

「うーん。東洋の事そんなによく分かんないから、エリーゼに任せるよ」

「じゃ、私を信じろ。君が喜びそうな物を買ってきてあげよう。そうだ、出発の前にカフェでゆっくり話そう。まだ発車まで2時間あるからさ。私が全部奢ってあげるよ」

「ありがとう!」

 フレスブルク中央駅近くの喫茶店に2人は入る。エリーゼはブラックコーヒー、ヒルダはホットココア。クロワッサンと共に頂く。こんなに美味しいものは久々に飲んだな、ヒルダはたちまち元気になった。

「エリーゼ、実は昨日、徴兵検査を受けたの」

「えっ?」

 エリーゼは戸惑っていた。

「おかしい?」

「いや……君が兵役に行くなんて思わなかったから…結婚はしないのか?」

「相手がいないから。ヒルダだって予定ないでしょ?」

「予定無いと言えば無いが……この人と一緒になりたいと思える相手に出会えればするし、出会えなければしない。子供の頃からずっとこの考えだよ」

「やっぱり、年頃だから結婚しないと、って適当に結婚した人がみんな不幸になってる気がするし……」

「合わない相手と一緒にいるのは孤独こどくより辛い事さ。無理してする必要は無い。でも、一緒になりたいって思える相手と出会えたら絶対に逃すな」

「だよね。でさ、3種合格だったんだけど、その場合……」

「3種か? なら実戦部隊には入らないな。通常は『兵士』ではなく『職員』として支援の任務になる。それも立派な兵役だよ。その中には電話交換もある筈だ。経験を活かせるぞ」

「えー、嫌だ」

「嫌なのか?」

「もう電話交換なんて懲り懲りだよ。私もエリーゼみたいに魔箒まそうに乗れたらなぁ……」

乗箒じょうそう教室に体験入学して1日で投げ出しただろ」

「あ、あれは……忘れて!」

「忘れられるものか。まあ、電話交換は嫌と一応言った方が良いぞ。多少は配慮してくれる筈だ」

「一応、電話交換の仕事で心を病んでいる事は伝えてある。もううんざりで、二度とやりたくない」

「というか電話交換の仕事で何で精神病んだんだ?」

「嫌な話をいっぱい聞かされるんだよ。浮気だの何だの……。聞きすぎて嫌になっちゃった」

「軍の電話交換じゃそういう話は聞かなくて済むぞ。必要なスキルは守秘しゅひ義務を厳格げんかくに守る事だけだ」

「ああ、でも電話交換自体から離れたいなぁ。何か別の仕事無いかなぁ」

「武器の整備とか、後はタイピストとか。それくらいなら出来るだろ」

「実戦部隊に行かされちゃったりしないかな」

「何心配しているんだ。さっき魔箒に乗れたらとか言ってた癖に。君レベルじゃ末期戦にならない限り実戦に行く事は無い。それこそ首都が敵に落とされるような」

「有り得るかな、そんな事」

「おーい、君40年前にガリアと何があったか知らねえのか」

「あ、そういえば首都のルティアが陥落かんらくしたって。爺さんが従軍じゅうぐんしたって聞いたような」

「それで啓蒙けいもう革命の時代は終わったのさ。ガリアの王家が舞い戻ってな」

「うーん、難しい事よく分からないなぁ。そういう知識は中等学校に置いてきちゃった」

「おーい、困るぞそんなんじゃ。これからの時代生きていけないぞ」

 列車の発車時刻が近付くと、2人はフレスブルク中央駅の改札前へ行った。発車時刻表には『国際特急 モスコフ』とある。ルテニア帝国最大の都市であり古都こと、サイベリア鉄道の始点、モスコフ。そこまで行ったら乗り換えるようだ。

「今更なんだけど、1人で旅行って楽しいの?」

「変な事聞くなぁ。これ程楽しい旅は無いよ。誰にも遠慮せずに行きたい所に行けるんだ。もしかして一緒に行きたかったか?」

「い、いや、そんな事は……。楽しんできて。写真欲しいな」

「ちゃんとカメラもあるぞ、ほら」

 エリーゼが鞄から取り出したのはTOKOのロゴの書かれたカメラ、秋津の東江とうえ光学社製。ヒルダの月給くらいの値段がするこのカメラは、小型軽量、しかし最高の画質を誇る優れものだ。

「おっ、良いカメラ持ってるね」

「妬みか?」

「何でそういう事言うの? 素敵って思っただけなのに」

「悪かった。なぁ、折角だから試し撮りさせて貰って良いか? こいつ、買ったばかりで一度も撮った事が無いんだ」

「撮って、撮って! このままじゃ葬式の遺影いえいに使える写真が無い」

「よし、じゃ私が撮ってあげよう。時計の前に立って……笑って。3、2、1……よし、撮れたぞ」

「ありがとう! 現像して欲しいな」

「ええ……それは困るな。そろそろ列車が来てしまう……仕方ないな、あげるよ。フィルムなんてどこでも売ってるから、旅の途中で買えば良いからね」

 エリーゼはカメラからフィルムを取り出し、ヒルダに渡した。

「良いの?」

「そもそも入ってたのは試し撮り用のフィルムだったしな。どっちにしろ買い足さなきゃならなかったから。私はそろそろ行くから、じゃあな。元気で」

「うん。元気でね」

 エリーゼは改札の中に入る。ああ、羨ましい。国外旅行できるなんて。同じ街で、近所同士で、1日違いで生まれたのに一体何故?

 もやもやした気分を胸に抱きながら、駅近くにある写真屋にフィルムを持って行った。

「これ、現像をお願いします」

「1枚ですね。20ゴルト頂きます……」

 意外と高いな。写真なんて別に無くても生きていけるが、それに20ゴルトは日給600ゴルトにとって結構な負担だ。だが仕方ない。最新の機械を導入しているからか、現像は意外と早かった。大きな時計の前に立つ、小さな独身成人女性。我ながら、可愛いな。多分、人生で一番可愛い時期。この時期の写真を撮っておいて、本当に良かった。

 さて、兵役はいつから開始だろうか。元々薄給はっきゅうなのに仕事をしらばっくれてしまったので、貯金が間もなく底を尽きる。すぐに始まってくれれば良いのだが……。

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ヒルダと憂鬱な戦争 加藤ともか @tomokato

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