第2話 徴兵検査

「こんな時期に何の用だ?」

 フレスブルクにたった1か所存在する、女子徴兵事務局。受付のおばさん……と言う程の歳でもないが、お姉さんと言うにはちょっと微妙な妙齢みょうれいの女性の受付が煙草たばこを吸いながら、やる気の無さそうな態度で出迎えた。ムカつくなと思いながらも、ヒルダは徴兵通知の書類を渡す。

「何の用って、ここに来たからには一つしかありません。徴兵検査です」

「徴兵検査か? どれどれ……ヒルデガルト・コッホ、798年7月20日、フレスブルク州ヘルギ出身、26歳か。結婚はしていないのか?」

「もう一生結婚はしないって決めました。子供もいりません」

勿体もったいないぞ。私だって若い頃はそう思ってたけどな、実際産んでみたらほんと可愛くってなぁ」

「私は誰かの妻や、母になる資格は無いと思います」

「ここに来ている奴はそんな事言うひねくれ者ばっかだな。ま、普通に生きて結婚して子供産んでりゃ兵役に行く事もねえしな。じゃ、こいつに書け。書き終えたら身体検査をするぞ」

 受付の女性はヒルダに調査票を渡す。簡単な設問にチェックを入れる。未婚か、既婚かには未婚の欄に。飲酒は、たまにする。喫煙は、しない。持病は、特に無い。性交渉は……。

「ちょっと、何でこんな破廉恥はれんちな質問するんですか?」

「性病にかかっていると困るだろ? 性病に罹っている奴は使い物にならねえからさぁ……」

 ヒルダは黙って『なし』にチェックを入れる。受付は笑いを必死に堪えていた。

「おい、お前まさかねえのか」

「出会いがありませんから……」

「私がお前くらいの時は既に結婚してて、子供もいて、ちょっと浮気も楽しんでたぞ」

「それ、旦那さんが聞いたらどう思うでしょうか?」

「ははは、軽い冗談だ。ちょっと火遊びをしていただけさ」

「やっぱりしてるじゃん……」

「もう書いたか? じゃ、次行け。身体検査をする、私とはしばしお別れだな」

 はいはい、あんたとお別れできて清々せいせいしました。そう言いたい欲を抑えながら、身体検査の部屋に行く。体重計に身長計。様々な測定器具が並ぶ。入口にはカゴが用意されていた。中年の女医が出迎える。

「ではまず、裸になりなさい」

「はいっ?」

「裸にならないと分からない事があるでしょ。いいから裸になりなさい。女同士なんだから恥ずかしくないでしょ」

 恥辱を感じながら、ヒルダは服を脱いでいった。下着姿になると、手を広げて何も持っていないポーズをして、女医に見せる。

「ほら、裸になりましたよ」

「全然裸になってないじゃない」

「ま、まさか……ぜ・ん・ら………」

「当たり前でしょ、それが『裸』なんて言えるのかい?」

「ぬぅ、脱ぎますよ! 見ないでくださいね!」

「見なきゃ身体検査にならないでしょ!」

「は、はい……」

 ヒルダは恐る恐る下着をゆっくり脱ぐ。凹凸おうとつの無い平坦な身体からだ。あばら骨が浮き出ていて、盛り上がりのない胸部には桃色の小さな突起とっき。女医の目線が何となくいやらしい。まずは身長を計る為、身長計に乗せられた。

「どれどれ……150cm!? ちっちゃいな、あんた」

 女医はあからさまに馬鹿にした態度を取る。ヒルダはそれが不快で、機嫌が悪くなった。体重を測ると、今度は37kg。身長に比して、かなり軽いようだ。

「軽いなぁ。でも女の力は身長や体重で決まるもんじゃない……魔力だ。魔力測定こそが本番だよ」

 そう言われて、ヒルダは魔力測定器に手を当てる。察しの通り、酷く低い。並みの男性よりも低いくらいか? 魔力の無い女など、筋力の無い男と一緒だ。

「お前……本当に女か?」

「女ですっ! 正真正銘の! 疑うなら下半身を見てくださいよ! 余計な物はどこにも付いていないでしょう!」

「おいおいキレるな。肺や内臓の状態も透視とうししておくから、次行け次!」

 魔法で身体の内部を透視し、流れ作業のように見ていく女医。幸いな事に、内部には特に異常は無いようだ。ヒルダは嫌々ながらも検診を受け、それが終わると待合室で2時間くらい待たされた。


「出たぞ、結果」

 もう出たのか。結果が出るまでには何日かかかるって聞いていたのに、早すぎないか? まあ、兵役に行く女なんてそうそういないから、とにかく人材が欲しいのかも知れない。あのやる気の無さそうな受付がヒルダに結果を通知する。結果は……3種合格だ。

「3種合格……ご、合格なんですね。これで1年間、兵役に就けるんですね!」

「おい、嬉しそうだな……」

「私は電話交換手をやっていたのですが、理不尽りふじん怒鳴どなられたり、嫌な話を沢山聞かされました。それを考えれば夢のようです」

「3種だから実戦部隊に行く事は無い筈だが……何はともあれ、おめでとう」

「はい。空軍? 陸軍? 海軍? どこに配属でしょうか。早く行きたいです」

「待て。配属先は手紙で通知が来る筈だ。そんなにやる気があるなら、早めに軍務に就けるように取り合ってやるよ。ま、言うだけだけど」

「よろしくお願いします! 是非、明日にでも」

 ヒルダはスキップして徴兵事務局を出た。やっとだ、やっと陰鬱な電話交換手から解放される! 早速、退職届を職場に……いいや、もうしらばっくれちゃえ。よっしゃぁ! もうあんな仕事はしなくて良い!

 後先も考えず、ヒルダは解放感から町中をスキップしていた。通行人たちはジロジロ見る、されど本人は何も気にしていない。市電に乗り、ウキウキ気分で集合住宅に戻ると、家主の婆さんが玄関口で掃除をしていた。

「あっ、婆さん。1年間留守にするんですが……」

「その間の家賃はどうするんだい?」

「あっ……困った。どうしよう……ちゃんと払い続けます! 兵役に行くので……」

「兵役かい。あんたに軍務が務まるんかい?」

「やってみなきゃ分からないですよ。私、ワクワクしてます」

「よくそんな事が言えるねぇ。私には4人の子がいたんだ、2人の息子と双子の娘。みーんな、40年前のガリアとの戦争で死んだよ。もう80なのに孫の1人もいねえ」

「長生きですね、婆さん」

「こんなんで生き永らえたって生きた心地なんかしねえよ。惰性だせいで生きているだけだ」

「そうですか……」

「いざ戦争になったら生き残れるんかい?」

「今は平和な時代ですから、戦争が起きるなんて思えませんよ」

「何が起こるか分かんねえよ。ま、兵役中でもここには時々戻ってくるだろ? 部屋の掃除をしておけよ」

「はーい、分かりました!」

 ヒルダは共用部にある自分の部屋の郵便受けを開けた。中には手紙が入っていた。消印けしいんは、空軍基地内の郵便局。もしかして、あいつ……。ヒルダはその場で手紙を開けた。

「前略 休暇きゅうかを貰った。1ヶ月旅行する。旅行の前に、久々に君に会いたい。6月17日、フレスブルク中央駅前に来て欲しい。都合が悪ければ来なくて結構。草々 エリーゼより」

「エリーゼ!」

 ヒルダは思わず声を出した。エリーゼ・ランゲルハンス。この若さで空軍少尉にまで上り詰めた秀才。同じ街で1日違いで生まれた幼馴染のエリーゼ。もう3年位会っていないけど、久々に会えるとは。

「おい、誰だエリーゼって」

 婆さんは怪しむ。

「私の幼馴染みです。とっても美人で、優秀で、私と同い年なのに少尉にまでなっているんです。とにかくすごい人なんですよ」

「そんなすごい人が身近にいたのに、何であんたはこうなんかねぇ」

「そんな事言う婆さんは、何かすごい事を成し遂げたんですか?」

「何言うんだい。あの時代、帝室ですら兄弟の半分近くが子供の内に死んだんだぞ。そんな時代に、4人兄弟全員成人させたんだ。それだけですごいと思わんか?」

「確かに。そういえば私の父も、5人兄弟でしたが、成人まで生きたのは父と叔母だけでしたね。今じゃ考えられません」

「そういう時代がついこの前だったのに、みーんな忘れている。公衆衛生の有り難さ、当たり前になると分からなくなるもんだねぇ」

「ですよね」

「そんな過酷かこくな時代を生き抜いてきた私の子供達だって、戦争じゃあっさり死んだんだよ。お前さんみたいな如何いかにも弱い女が、生き残れるんかい?」

「生き延びてみせます!!」

「あんたがどうなろうと私は全く悲しくも何とも無いけどね、せめて親と友達と恋人くらいは悲しませるなよ」

「恋人はいません!」

「何でそんなに自信満々に言うんだい……」

 ヒルダは実際に何をするのか全く考えないまま、これから始まる1年間の兵役に胸を踊らせていた。

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