第6話:脈打つ森と、背後を嗤う影

翌朝、陽が昇るより早く、アキラは教会の石段に腰かけていた。

肌寒い空気が胸に染みる。スラムに残る闇をまだぬぐえぬまま、

今度は森の魔物を倒すという任務に身を投じる。

経験が浅いままでどこまでやれるのか――

内なる不安を押さえ込むように、アキラはハッと息を吐いた。


◇ ◇ ◇


「アキラさん、いらっしゃいましたか」


司祭ロフェンが小走りでやってくる。

腰には粗末そまつな袋がぶら下がっており、薬草や包帯が詰められているらしい。


「おはよう。朝早くすみませんね」


アキラが微苦笑びくしょうを返すと、ロフェンは首を振った。


「いえ、こちらこそ。

 領主代理バルト様は“魔物の群れを討伐してこそ話を聞く”とっしゃっていますから……

 せめて私どもも、多少たしょうなりともお役に立たねば」


隣には、守衛らしき体格のいい男が立っていた。名前は「ガルド」という。

以前から教会の護衛をやっており、そこそこ腕に覚えがあるそうだ。


「まぁ、バルトは打算的ださんてきな野郎だからな。成果を見せりゃ話を聞くが、

 もし失敗したら……どうなるか分からん。死なないように気をつけるんだな」


そう言ってニヤリと笑うガルド。

瞳にはわずかに恐怖を漂わせた諦観ていかんが見えるが、

どこか血が騒ぐような戦士の気配もある。アキラは内心、心強いと感じた。


◇ ◇ ◇


町の門前には、すでに小規模の探索隊が用意されていた。

領主代理バルトが手配したという衛兵が五、六名。

そこにガルドとアキラ、さらに僧侶を一人(軽い回復魔法が使える)を加えた構成だ。


「助かるよ。まさかバルトが人をつけてくれるなんて……

 いや、利用するつもりか?」


アキラが小声で漏らすと、ガルドは鼻で笑う。


「たぶんな。衛兵をつけときゃ、討伐が成功すればバルトの手柄。

 失敗すれば“やっぱり転生者なんざ役立たず”で済む。

 どっちにしても奴には損がないってわけさ」


(なるほど……)とアキラは苦く思いながらも、

戦力が多いほうが安全だと割り切るしかない。


◇ ◇ ◇


門が開き、朝霧あさぎりの中へ一行が歩み出る。

町の外れには薄い林が広がっていて、その先の深い森に“魔物の群れ”が潜んでいるらしい。


獣型けものがたの魔物が十匹単位でうろついてるとか、

 リーダー格の巨大な個体がいるとか、噂はまちまちです。

 真実は分かりませんが、危険なのは確かでしょう」


衛兵の一人が警戒しながら言う。

一方、僧侶のユウェル、彼女は「私の回復魔法はあまり強くありませんが、 怪我を悪化させる前に早めに声をかけてくださいね」と呼びかける。


アキラは火の魔法と剣技しか持たない。

ここまで大規模な魔物相手にどこまで通用するか正直自信はないが、

もう引き返せない。


(やるしかない……。これに勝てば、バルトとまともに交渉できる。

 スラムのみんなも報われるかもしれない)


自分をふるい立たせ、アキラは剣の柄に手をあてがう。


◇ ◇ ◇


森の入口近くは、まだ開けた草原が広がっていた。

淡い朝霧のせいで視界が悪いが、地面には動物の足跡らしきあとがいくつも残っている。

衛兵の一人が「これ、森の奥から来てるな……結構大きい」と呟く。


皆が慎重に足を進めるなか、アキラはまた甘ったるい風を感じる。


「……また、あの匂いかよ」


低く独り言を漏らすと、ガルドが「ん、どうした?」と怪訝けげんそうに顔を向ける。


「いや……分からないんだけど、町中でも何度か感じた匂いがする。

 まるで花のような、みつのような……」


「ここにそんな花は咲いてねえだろ。野草くらいしかない」


ガルドが首をかしげる。

一方、アキラは全身にゾワリとした感覚が走る。


(絶対いる……俺の足取りを追いかけてる。黒いコートの男……

 一体何が目的だ。出てこいよ、ちくしょう……)


苛立ちを押し殺し、歯を噛むが、仲間に言いづらいのも事実だ。


◇ ◇ ◇


森の木立へ入り始めた頃、雰囲気ががらりと変わった。

湿った土の匂い、冷えた空気、そして動物の遠吠えが時折響く。

日の光が葉で遮られ、薄暗い。自然と心拍が早まる。


衛兵たちは言葉数を減らして警戒モードに入り、

僧侶ユウェルが小声で“安全の祈り”を唱えながら皆を後押しする。


(獣の群れ……本当にいるのか。すぐ見つかるのかな……)


アキラがボソリと漏らすと、ガルドが「見つかったら見つかったで怖いけどな」と苦い笑い。


(まずは索敵さくてきか……俺はこういう集団行動に慣れてないけど、大丈夫か)


◇ ◇ ◇


程なくして、衛兵の一人が合図を送る。


「ここ……足跡が乱れてる。かなり重たい何かが通った跡だな」


周囲が一気に静まり返る。

アキラは背筋を伸ばし、剣にそっと手を触れる。

火の魔法もすぐ使えるよう準備しておく。


「ここから先は、なるべく音を立てずに進む。

 森の奥で“巣”を作ってるかもしれない――」


衛兵のリーダーが低く囁き、そこから一行は声をひそめ、

地面の落ち葉を踏まないよう注意深く進む。


やや下り斜面を越えた先に開けた草地があり、

そこには一匹の獣型魔物が丸まっていた――


……が、すでに動かない。


◇ ◇ ◇


イノサーベル。

猪のような外形に鋭い牙をもつ凶暴な魔物だが、ここでは既に息絶えているらしい。


「なんだ、誰かが狩ったのか……?」


ガルドが足でつつくと、魔物の体には大きな爪痕つめあとが。

明らかに別の獣が攻撃して倒した形跡だ。


「ここ数日でイノサーベルを倒せるほど強い魔物がうろついてる……

 これが“群れのリーダー”なのか、あるいは別の獣か……」


ゾクリと戦慄が走る。

もしその凶暴な存在が近くにいるのなら、相当危険だ。


◇ ◇ ◇


――バキッ


突然、森の奥で木を折るような大きな音が響く。

全員が緊張し、音の方向を探る。


そこには、生い茂った木々の暗がり。

視界が悪くて何も見えないが、大型の生物がいる気配は濃厚だ。


アキラは鼓動を抑えようとしながら、剣を握りしめる。


「やばいな……一匹ならともかく、群れならどうする……」


衛兵リーダーが冷や汗をかきながら「引くべきか? だめだ、バルト様の命令は一掃だ。戻ったら処罰しょばつが……」と声を震わせている。


(くそ、バルト……!)


アキラは奥歯を噛み、“退く”という選択肢を捨てる。

まずは敵の数を確かめて、いけそうなら仕掛けるしかない。


◇ ◇ ◇


その時、甘い香りがまたアキラを襲う。


「………!」


体が強張こわばる。さっきより濃厚で、すぐ背後で誰かがわらっているような不快感。

誰かが見ている。

誰かが俺がどう行動するか試すように――。


アキラは息を呑むが、後ろを見ても何もいない。

衛兵とガルドが怪訝けげんそうにこちらを見るだけだ。


「おい、アキラ、どうした?」


「な、なんでもない……。とにかく少し奥を探るしかないだろ」


◇ ◇ ◇


一行は足並みを揃え、森の奥へ一歩ずつ進む。

薄暗がりの中で、時折獣の視線を感じる。

魔物が近いのは確実だが、まだ全貌は見えない。


僧侶ユウェルが顔をこわばらせ、小声で言った。


「あれ……皆さん、見てください」


樹の根元に不自然な爪痕があり、

その周囲に紫色の花びらが散らばっている。

この辺りにそんな花は咲いていないはず――

まるで誰かが故意に置いたようにも見える。


「また、紫の花びら……。なんだよこれ、気味悪い……」


衛兵の一人が呟き、アキラは嫌な胸騒ぎを覚える。

これが“あの黒いコートの男”の仕業なのかは分からないが、

とにかく自然な状況じゃない。


◇ ◇ ◇


さらに奥へ進むと、小さな空き地があり、

そこでは複数の獣型魔物が地面に横たわっていた。


「え……あいつら、寝てるのか? それとも……死んでる?」


アキラは唾を飲み、ガルドが「こりゃあ……血の臭いだな」と顔をしかめる。

恐る恐る近づくと、5匹ほどの獣型魔物がすでに息絶え、

無数の爪痕や噛み跡が残っていた。


「誰がこんな大群を……?

 こんな傷、相当な化け物が暴れないと無理だろ」


皆が戦慄を覚える。

しかも空き地の中心には儀式めいて紫色の花びらが散っていて、

甘い香りが鼻を突いてくる。


(ここにも紫の花びら……偶然じゃない。

 黒コートの奴か、それとも魔物同士の争いか……)


◇ ◇ ◇


――唸り声。


森の奥から低いうなりが聞こえ、

ガルドが警告の声を上げる。

衛兵は陣形を取り、アキラも剣を構える。


そこへ姿を現したのは二匹の巨大獣。

先ほどの死骸とは明らかに異質で、牙が不自然に長く、毛並みは禍々まがまがしい黒。

人の三倍はある体格で、狼のようにも見える。


「これがリーダー格……?

 やばい、二匹いるぞ……!」


アキラの血の気が引くが、

同時に(ここで勝てばバルトに認めさせられる!)という思いも沸き上がる。

彼は火の魔法の詠唱を始め、無意識に歯を食いしばった。


魔物たちが低く唸り、飛びかかる構えを見せる――

戦闘が始まる。


その瞬間、再び甘い風がアキラの肌を撫でた。


(こんな時に……!)


嫌な汗が背をつたう。

まるで黒いコートの男が「今こそ戦いだ」と囁いているかのようだ。


「うおおおっ!」


アキラは咆哮ほうこうしながら魔物へ斬りかかる。

衛兵たちは弓や槍を構え、ガルドは斧を振り下ろし、

ユウェル僧侶が回復と支援の術を唱える――。


血生臭い戦いが、静かな森の奥で幕を開ける。

紫色の花びらが風に舞い、甘い匂いはさらに濃くなる。


◇ ◇ ◇


――だがアキラは、この戦いの先で“誰か”が“契約”を持ちかけることをまだ知らない。

彼の“欲望”を十分に育て、いつトランクの留め金を開こうかと

黒い商人が笑みを深めているとは想像もしない。


アキラはただ、仲間のため、町のため、そして自分自身の承認欲求のために

ひたすら剣を振るうしかない――。


(第6話:脈打つ森と、背後を嗤う影・了)

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