第7話:群れの咆哮、迷いの渦
“ガアァッ……!”
暗い森の奥で、二匹の巨大な獣型魔物と対峙したアキラたち。
唸る獣の喉元には長い牙がギラつき、獰猛な赤い目がこちらを射抜く。
地を踏み締める足音だけで、空気が震えるほどだ。
◇ ◇ ◇
「いくぞ……!」
先陣を切るのはアキラ。
剣を抜いて火の魔法で牽制する。
衛兵たちは槍や弓で距離を取り、ガルドは斧を振るって援護に回る。
ユウェル僧侶が後衛で回復魔術をスタンバイ。
(連携すれば勝てる……はず。いける……!)
胸を鼓舞しながら、アキラは剣を握りしめる。
汗ばむ掌に意識を向けないようにしつつ、一歩、また一歩と魔物に近づいた。
◇ ◇ ◇
獣の一匹が大きく咆哮し、地面を蹴って突進してくる。
横から見れば小型の馬車が飛んでくるような圧迫感。
アキラは横っ飛びで回避し、すかさず火球を放った。
ボッと炎が爆ぜ、毛並みに焦げ跡をつけるが、それだけでは怯まない。
逆に怒りを買ったらしく、獣が再度急加速して振り向く――。
「やば……っ!」
剣を構え直し、防御体勢を取ろうとするが間に合うのか?
血の気が引くような一瞬――
“ズシュッ!”
すぐ脇からガルドが斧を振り下ろし、獣の肩を深く斬り裂いた。
その勢いで獣が体勢を崩し、アキラは間一髪助かる。
「おいおい、ボーッとしてんじゃねえぞ、アキラ!」
ガルドが笑みを浮かべるが、その瞳には戦闘の
アキラは焦りつつも「悪い、助かった!」と返し、剣で魔物の足を狙う。
衛兵たちも後方から矢を放ち、獣を徐々に追い詰めていく。
もう一匹の獣は衛兵リーダーが誘導し、弓や槍の連携でダメージを与えていた。
(これなら……勝てる!)
そう思った矢先、森の奥が揺れるような
“グルルル……”
耳を疑うほど低い音域の唸り。それも一匹や二匹ではない。
まさか、これが“群れ”の本体か?
「数が多すぎる……! 何匹いるんだ、これ……」
衛兵の一人が声を震わせる。
すでに目の前の二匹で手いっぱいというのに、さらに複数の気配が近づいてくる。
アキラは舌打ちをしつつ火球をもう一発放とうとするが、魔力も残り少ない。
甘い風がまた鼻腔をかすめ、集中が乱される。
(黒いコートの男……こんな時に見ているなら出てきやがれよ……!)
心中で毒づいても、闇の観客は姿を見せない。
むしろ楽しんでいるかのように、遠巻きに眺めているようだ。
◇ ◇ ◇
「やばい、囲まれるぞ! 布陣を組み直せ!」
衛兵リーダーが必死に指示を出し、みんなで円陣に近い形を作る。
ユウェル僧侶が小さな回復魔術を一人ずつに回していくが、
刻一刻と魔物たちの足音が増えていく。
すでに斬りかけた二匹も完全には沈んでおらず、
傷を負いながらも狂乱状態で襲ってくる可能性がある。
心臓がドクドクと音を立てる。
このままでは危うい――誰もが悟りながら後戻りもできない。
アキラは喉を鳴らし、「数が多い。どうする?」とガルドに視線を送る。
ガルドは眉をしかめ、短く答えた。
「やるしかないだろ。今さら引けば、襲われて逃げる間もなく全滅だ。
ここで踏ん張って、できる限り倒す!」
意を決した瞬間、複数の獣が木立の陰から現れる。
五匹、いやそれ以上――体格にはばらつきがあるが、どれも凶暴な息遣いだ。
(まずいまずい……こんな数、俺の剣技と少数の仲間でどうにかなるのか?)
不安と絶望が頭をもたげるものの、「やるしかない!」と猛然と剣を振る。
火球を一発、顔面めがけて放つと獣が
「ぐあっ……!」
腕がジンと痺れる衝撃だ。衛兵リーダーが槍を突き出すが、獣の怪力に弾かれる。
ガルドが隙をついて斬り込む――乱戦状態で息が詰まる。
ユウェルは回復を連打するが、魔力が切れそうで顔面蒼白。
血の匂いが濃くなり、誰かが「ひぃっ」と悲鳴を上げる。
焦りが肌を刺し、アキラは喉の渇きを感じる。
◇ ◇ ◇
(なんだよ、こんなの……)
(これが俺の思い描いた“ヒーローの活躍”か?
こんな泥臭くて死と隣り合わせで、助かるかも分からない――
それでもやめられない。ここで逃げたら終わりだ)
まさに“死地”だ。
アキラは乱雑な剣撃で一匹の前足を切り裂くものの、
背後からもう一匹が飛びかかる――。
ガキン!
防御が間に合わず、衝撃で膝をついた。
獣の牙が肩を掠め、血が散る。
「うっ……あぁ……っ」
痛みが走り、視界が暗転しそうになる。
だがすぐ隣から僧侶の術が飛び、痛みを和らげる。
「アキラさん、しっかり!」
ユウェルが叫び、アキラは呼吸を整える。
だが、魔物の勢いは衰えない。
◇ ◇ ◇
その時、甘い風が唐突に吹き荒れた。
(また……!)
アキラは思わず叫びたい衝動に駆られる。
こんな緊迫した状況で、誰がこんな風を起こしている?
もはや幻覚で済まされないほど強烈だ。
獣たちですら一瞬動きを止めたように見える。
空気が歪み、紫色の花びらが森の闇からふわりと舞い落ちる――。
「な、なんだ……?」
衛兵たちが狐につままれたような顔をするなか、
アキラの心はさらなる恐怖と苛立ちに飲み込まれる。
(まさか、黒いコートの男が今ここで現れるのか……!?)
しかし実際に姿を現したのは、さらに巨大な獣だった。
森の奥からぬっと顔を出す、漆黒の毛皮を持つ魔物。
“リーダー格”という表現をも超える威圧感。
体長は先ほどの二匹の倍ほどあり、牙はどんな甲冑も砕けそうな存在感を放っている。
「お、終わった……こんなの、勝てるわけが……」
衛兵の一人が心砕けた声を漏らす。
数の上でも優勢な獣の群れに加え、この超大型魔物が出てきたら、集団全滅は十分あり得る。
◇ ◇ ◇
胸が軋む。
(バルトの野郎、こんなのがいるなんて聞いてねえ……!)
アキラは剣を握りしめ、絶体絶命を悟る。
汗が頬を伝い、頭がクラクラする。魔力もほとんど残っていない。
このままでは――。
そう思った瞬間、自分の“欲望”をありありと自覚してしまう。
――誰か助けてくれ。奇跡が欲しい。もっと強い力を……!
魔物たちの唸り声が重なり、一斉に突撃の気配が生まれる。
もう逃げる間もない。
その時――アキラの背後で鈴のような音が響き、“甘い香り”がさらに濃くなる。
森全体がひゅうっと風を吸い込んで沈黙するようだ。
(来た……!)
アキラは直感で“黒いコートの男”を意識し、振り向きたいが、
魔物の眼前から目を離せない。
仲間たちも「なんだ、この香り……?」「霧が立ちこめてる?」と動揺を隠せない。
そして森の暗がりから、黒いコートの裾がほんの少しだけ見えた気がする。
次の瞬間、それは消え――代わりに紫色の花びらが強い風とともに舞い散り、視界を遮る。
◇ ◇ ◇
見えざる視線がアキラの心に囁くようだ。
“欲望を……お求めで?”
耳で聞こえるというより頭に直接響いてくる声。
その甘美さにクラクラしつつも、アキラの動悸は激しくなる。
(そうだ……俺は願ってる。
もっと強大な力があれば、この魔物たちを一瞬で薙ぎ払って、
領主代理バルトを黙らせて、町を救って、俺が英雄に……)
内心が燃え上がる。
現実的には無理でも、ここで何か奇跡が起きれば――そう願わずにいられない。
それを確認するかのように森の闇が微かにうねり、
魔物がまた一歩迫ってくる。
“ああ、どうか……誰か助けてくれ!”
アキラはそう叫びたい気持ちをこらえ、剣を構え直す。
仲間たちも限界に近い。
ユウェルの魔力は底をつき、衛兵たちも恐怖で後ずさりしている。
大型魔物が低く身を沈め、突撃態勢を整えつつある。
この防御を崩されたら、全滅は避けられない――。
◇ ◇ ◇
――その刹那、かすかな笛の音が「ふぅう……」と響いた。
まるで鈴虫のように清らかな旋律が、森のざわめきを割る。
アキラは息を詰める。
(笛……? なんでこんな所で?)
仲間たちも困惑して動きを止め、魔物ですら足を緩める。
まるで笛の音に人も獣も鎮める力があるかのようだ。
甘い香りがより濃厚になり、アキラは頭がぼうっとする。
(この旋律……まさかヤツが……?)
自問する間もなく、森の闇から静かに歩み出る人影。
黒いコートの男。顔は影で見えないのに、圧倒的な存在感が空気を支配する。
艶やかなトランクを手にし、口元には奇妙な笑み。
笛を吹いているのは彼自身ではなく、傍らに佇む小柄なメイド風の少女らしいが、その姿も一瞬で視界から消える。
「え……え?」
衛兵たちが硬直し、ガルドが「な、なんだ、こいつ……!」と斧を構えかける。
しかし男は悠然と闇に溶けるように姿を消す。
笛の音だけが響き続け、魔物たちが何かに抗うように暴れ出す。
その一瞬の間隙をどう使うか――逃げるのか、反撃するのか。
アキラたちは選択を迫られる。
◇ ◇ ◇
アキラの意識は混乱する。
落ち着こうとしても、鮮明な旋律が脳内をかき乱す。
「力が欲しいのか?」と問われているようだ。
“欲望が満ちるまで、まだ足りない。もっと渇望しろ”
頭の中でそんな言葉がこだまする気がする。
◇ ◇ ◇
獣のリーダー格が再び大きく踏み出し、足元が震える。
仲間たちが一斉に構え直して「今しかない!」と叫ぶが、
アキラは笛の音に意識を奪われ、剣を振り下ろすタイミングを失う。
ガルドが背中を叩き、「アキラ、気合い入れろ!」と怒鳴る。
はっと目が覚め、アキラは剣を振ろうとするが――
森の闇がざわめき、魔物たちは最後の突撃態勢を取る。
笛の音は消え、男も姿を消したようだ。
(あいつ、何が目的で……!)
苛立ちと戦慄が渦巻く中、獣の群れが一斉に襲いかかる――。
(第7話:群れの咆哮、迷いの渦・了)
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