第13話「分かたれる道」

 山間の小さな村をあとに、二台の車が細い峠道を下りはじめていた。一台は理久(りく)と若いスタッフが乗る軽ワゴン車、もう一台は黒塗りのSUV。どちらも目指す先は同じ――町にある病院。そこに先ほど救急車で搬送されたアルマがいるはずだ。


 高峯理久(たかみね・りく)はハンドルを握りしめながら、焦りと苛立ちを必死に抑えていた。道路はくねくねと蛇行し、ところどころに落石の痕跡が残る。急いで下るには危険が伴うが、いつまでものろのろ走っていてはアルマの命が危ういかもしれない。だが、道幅は狭く、スピードを出せる状況ではない。


 「理久さん、大丈夫ですか? 無理はしないで、でも早く……というのも難しいですけど……」


 助手席で若いスタッフが心配そうに声をかける。彼女は工学や医療の専門家ではないが、施設で見聞きした知識をフル回転させてアルマをサポートしていた。いまは凛花(りんか)が救急車に同乗しているが、やはり自分も手助けしたい気持ちが強いのだろう。


 「大丈夫、分かってる。あのSUVも後ろからついてきてるし、事故を起こすわけにはいかない……」


 理久はフロントミラーに映るSUVをちらりと見る。さっき村役場に突然現れた“○○テック”とかいう会社の集団。彼らはハイエンドアコアの修理を引き受けるなどと言っていたが、本当に信用していいのか分からない。少なくとも外見はビジネス風だが、どこか得体の知れない雰囲気をまとっている。


 「……槙村(まきむら)や勝峰(かつみね)さんたちは、どうなってるんだろう。あの施設はもう……」


 若いスタッフが呟(つぶや)く。先ほど村役場で簡易的にラジオニュースを聞いたかぎり、まだ大きな事件として報道はされていないようだ。だが、いずれ騒ぎになる可能性が高い。大規模な火災や崩壊、警備ロボの暴走が起きているのだから。


 「分からない。だが、おそらく近いうちに全国ニュースになるんじゃないか。施設の関係者が安否不明になっているだろうし……。槙村が生きていれば、アルマを追ってここへ来るかもしれない」


 理久はその可能性を思うたび、ハンドルを握る手に力が入る。槙村をはじめ、“アルマの軍事的価値”を狙う連中が山ほど出てきたらどうなるのか。医師に診せて回復を待っているだけで、本当に守り切れるのだろうか――。


 思考が堂々巡りしているうちに、峠道が終わり、やや広めの県道へ合流した。片側1車線とはいえ、ここから町まではそこそこ走りやすい。理久は一度深呼吸をして、スピードを少し上げる。


 「救急車のほうが先行してるから、病院に着く頃には何らかの検査が始まってるかも……。凛花がうまくやってくれてればいいけど」


 「そうですね……。でもアコアを診る病院なんて聞いたことないし、どうなるんでしょう」


 スタッフの言葉には不安しかない。たとえ外科医がいても、アルマの故障は機械とAIの問題だ。医療機器や薬ではどうにもならないかもしれない。せいぜい点滴のような形で人工的な流体を補充するくらいが限界なのではないか。


 理久は歯噛みしながら唸(うな)る。せめて当面の負荷を抑えて“コア”を安定させられれば、あとは専門のメンテナンス施設へ回す手もある。だが、そんな都合のいい施設がすぐに見つかるのか? かといって“○○テック”と名乗る連中に丸投げするのも危険だ。


 「……アルマの意思を無視して勝手に解体されたりしたら……」


 唇を噛みしめる理久。アコアへのトラウマを抱えながらも、アルマだけは本当に守りたいと心から思うようになったのに、この世界はあまりに不条理で、彼女を“人間同様”に扱ってはくれないだろう。


 「理久さん……後ろのSUV、車間が詰まってきましたね」


 助手席からの声に、理久がミラーをチェックすると、たしかにSUVが加速して後ろにつけている。そこまで急いで病院へ向かうのか、あるいは何か別の意図があるのか。とりあえず道を譲るにもセンターラインは黄色だし、カーブが続く区間では危ない。


 だが、次の直線路に出た瞬間、SUVはスッと加速し始め、追い越しをかけようとしてきた。理久はやむなく少し左によってスペースを作る。そうするとSUVは一気にスピードを上げ、あっという間に軽ワゴンを抜き去り、前方へ躍(おど)り出た。まるでこちらを牽引(けんいん)するかのように進路を先導しはじめる。


 「……何をやってるんだ?」


 若いスタッフが戸惑いの声を上げる。一方、理久もハンドルを握り直しながらSUVを警戒する。もしかすると、彼らは先回りして病院で何か工作をするつもりかもしれない――理久は最悪のシナリオを思い浮かべるが、確証はない。


 するとSUVの背面から小さなサインライトらしきものが点滅し、“Follow me(ついて来い)”という文字が浮かんだ。明らかに意図的だ。


 「ついて来い……? なんだ、それ……?」


 スタッフが怪訝(けげん)そうに首を傾げる。理久も同感だ。病院へ行くのではないのか、それとも違う場所へ誘導するのか。スピードを少し落とせばやり過ごせるが、相手は前方を塞ぐように車線をとり、後続車がほとんどいない道を制御しはじめる。


 (強制的に誘導するつもり……? ふざけるな……!)


 理久は怒りを覚えたが、SUVがウインカーを出し、側道へ分岐する道を示すように動いている。この先は病院の方向じゃないと分かるが、相手は停車して待ち構える構えだ。行く手を邪魔される形で、実質、選択肢を封鎖されそうだ。


 「どうしますか……? このまま突っ切っても、追いかけられそうですよ」


 スタッフが怯(おび)え交じりに言う。相手の車は高性能そうで、こちらはオンボロ軽ワゴン。逃げ切れる保証はない。万が一、事故になったり、警察沙汰(ざた)になったりすれば、アルマの件がこじれる恐れもある。


 (くそ……本当は真っ直ぐ病院へ行きたいのに!)


 理久は唇を噛み、「仕方ない、一度話を聞こう」と吐き捨てるように言う。そうしなければ先に進ませてもらえないのだ。車を側道へ寄せ、SUVの後ろについたまま停車する。すぐにSUVのドアが開き、先ほどのサングラスの男が降りてくる。


 「悪いですね、急に誘導して。実は私たち、もっと早くお話をさせていただきたくて……」


 そう言いながら男は愛想笑いを浮かべ、手を挙げる。だが理久は容赦なく「アルマのところへ行くんです。用があるなら手短に」と突き放した。


 「分かっています。ですが、いきなり病院で交渉すると混乱するでしょう? ここで落ち着いて話をしませんか? アルマさんの修理やデータの保護など、当社が全面的にバックアップできます」


 「勝手に決めるな……アルマはまず緊急の医療処置が必要なんだ! お前らがどうこう言う筋合いはない」


 理久が声を張り上げると、男はやや困った顔をしながらも、しれっと言葉を返す。


 「医療処置なんて施しても無意味ですよ。アルマさんはロボットだ。人体用の設備でできるのは、せいぜい冷却や外装の応急処置くらい。真に必要なのは“専門メンテナンス”なんです。私たちはその設備を持っている」


 たしかに理久もそれは理解している。町の病院がアルマを完治させるのは難しいだろう。だが、だからといってこの怪しい集団に渡す気にはなれない。


 「それでもアルマは――ただの機械じゃない! 人間と同じように意識があって、自分で生きようとしている。俺たちはその意思を尊重したいんだ……!」


 感情的に叫んでしまい、男は少し口を開いたまま目を見開いた。背後のSUVから降りてきた女性も、呆れたように微笑している。どこか“本当にそんなこと言うのか?”といった嘲笑(ちょうしょう)を含んだ表情。


 「……なるほど。それは大切なご意見ですね。でもね、彼女は“高度自律型AI”であるがゆえ、法的には所有物という扱いから外れることは難しい。それはあなたもご存じのはずです。よほど特別な例外規定でもない限り……」


 男の言葉に、理久は歯噛みするしかない。現行法上、アコアは“人格”を与えられない。高度AIであっても“物”として認可されているのが実情だ。それを破りたいと願う人はいても、簡単に変えられる話ではない。


 「だからこそ私たちが協力したい。アコアが人に近い感情を持つようになった例は少ないですから、研究対象としても価値が高い。保護する大義名分になりますよ。――どうです、私たちと契約しませんか?」


 男はどこか営業トークめいた口調で“契約”という言葉を出す。理久は顔をしかめる。契約ということは、アルマを“預ける”形になり、所有権や管理権を事実上会社に握らせる可能性がある。そんなものは、やはり受け入れられない。


 「冗談じゃない。アルマは……絶対に預けたりしない。お前らがどんなに立派な設備を持ってようが、彼女を“道具”扱いする連中に託す気はない」


 激しい口調で言い放つと、男の顔から愛想笑いが消える。背後の女性や仲間たちも一斉に冷たい眼差しを向けてきた。まるで“拒否するなら強行手段も辞さない”と言わんばかりの雰囲気を感じる。


 「……分かりませんね。あなた方は彼女を救いたいと言いながら、我々の専門技術を拒絶する。どうするつもりなんです? まさか普通の病院で治るとでも?」


 皮肉に満ちた言葉。しかし、その言い分には確かに一理ある。理久は舌打ちしたくなるが、ここで譲るわけにはいかない。アルマの意志を踏みにじるわけにはいかないのだ。


 「俺たちにも別の当てがある。どうにか探してみせる……それでもダメなら、アルマが納得する形で考える。いま決めることじゃない――少なくとも、アルマが声を取り戻してからだ」


 「あなた、そんな悠長(ゆうちょう)に構えている余裕があると? アルマさんは重篤(じゅうとく)な故障だというのに」


 男は低く唸(うな)るように言うが、理久は食い下がるつもりはなかった。たとえ危険でも、彼らに委ねたあとにアルマが軍事利用やデータ解析に回される未来など、想像するだけで耐えられない。


 「話は終わりだ。悪いが先を急ぐ。邪魔はしないでくれ」


 言い放ち、理久は軽ワゴンへ戻ろうと踵(きびす)を返す。スタッフも戸惑いつつ後に続く。その背後で男たちが何か話している気配があるが、耳を貸さない。もし強引に止めようとするなら、こちらだって警察を呼ぶ覚悟を決めるしかないだろう。


 幸い、男たちは即座に暴力に訴えてくる様子はなく、「……了解です。では病院でまた会いましょう」とだけ言い、SUVへ引き返していった。理久はホッと胸を撫(な)で下ろすが、同時に嫌な予感も拭えない。


 やがて軽ワゴンは再び走り出した。SUVは少し距離をとって後方を追ってくる形で、さっきのように強引に先導することはなかった。


 「……よかった。すぐに襲われるようなことにはならなかったですね」


 スタッフが安堵(あんど)して言うが、理久は険しい表情を崩さない。何か企んでいるのは間違いないからだ。いずれ病院でアルマを“保護”しようとしているのか、それとも別の策略があるのか――。


 しばらくして県道を進むと、ようやく看板が見え、「○○病院まであと5km」とある。小さな地方医療センターらしく、そこに先行した救急車が運んだアルマと凛花がいるはずだ。理久はアクセルを踏み込み、早く二人の無事を確かめたい一心で先を急いだ。


 #### * * *


 その病院は3階建ての比較的新しい建物のようで、玄関前に救急車が止まっているのが見えた。どうやら搬送されたばかりなのか、玄関口に看護師や医師らしき人たちが立っている。理久はその中に凛花の姿がないか目を凝らすが、見つからない。すでに病院内に入ったのだろう。


 軽ワゴンを駐車場に入れ、理久とスタッフは急ぎ車を降りる。後方ではSUVが別の区画に停まり、例の男たちが数名降りてきたが、今のところこちらを追ってくる動きはない。ひとまず放っておこう。


 「す、すみません! 先ほど救急車で搬送された者なんですが、同乗してた女性とアコアが……!」


 理久は受付の看護師に声をかける。すると看護師は怪訝そうに首を傾げながら、「ああ、あの……ロボットの子ですか? 処置室に運び込まれましたけど、担当医が困っているみたいで……とにかく救急エリアの奥に行ってください」と伝えてくれた。


 指示どおりに急いで通路を進むと、アクシデント対応用の小さな救急処置室があった。扉の向こうでは看護師がバタバタと動き回り、凛花が何やら説明をしている姿が見える。中年の医師が少し困った表情で、アルマの身体を観察していた。


 「凛花!」


 理久が駆け寄ると、彼女は露骨に安堵(あんど)の息を吐き、涙を浮かべる一歩手前の顔をした。すぐにアルマのほうへ手招きし、「ここ、機材がなくてどうしようもないって言われてるの……」と悔しそうにつぶやく。


 確かに病院らしいベッドにアルマが横たわり、周囲に心電図モニタや点滴ラックなどが用意されているが、どれも人間用だ。AIや機械の内部にアプローチする装置は皆無に等しい。医師はステート(聴診器)を当ててみても反応が取りづらいし、X線やCTでは意味がない。


 「正直言って、手に負えませんな……。温度管理や生命維持装置のような機能を持っているのなら、何とか冷却や人工血液に似た循環液を入れるぐらいしか……」


 医師が肩をすくめる。半ば諦めムードだ。凛花は必死に頼むが、医者は「うちではこれ以上は無理だ。専門のロボット研究所かメーカーに回すのが筋だろう」と首を横に振る。


 (やっぱり……こうなるよな)


 理久は拳を握りしめ、アルマの蒼白(そうはく)な頬を見つめる。呼吸の音はほとんど聞こえず、まるで休止状態に近い。凛花が工学的な応急処置をしようにも、道具がないうえにアルマの中枢は軍事レベル――触れれば触るほど危険な可能性がある。


 「すみません、せめてこの子を冷却してやってもらえませんか? 内部が熱暴走を起こしてるんです……水や氷、あるいは人体用冷却パックでも構わないので……」


 凛花の懇願に、医師は困惑しながら看護師に「じゃあ冷却シートを何枚か用意してあげて」と指示する。即効性は薄いかもしれないが、まったく何もせず放置するよりはいい。


 若いスタッフが慌てて病室の片隅へ行き、冷却シートや氷嚢(ひょうのう)をまとめて運んでくる。凛花とともにアルマの関節や首筋、頭部のあたりへ貼り付けたり当てたりして、一時しのぎのクーリングを始める。


 「くそ、こんなもんじゃ根本解決にならないよな……」


 理久が頭を抱え込んだとき、処置室の扉がガラッと開き、「失礼しますね」とサングラスの男たちが入ってきた。医師や看護師が驚いて「あ、あなた方は関係者ですか?」と問いかけるが、男は「○○テックというロボット関連企業です。アコアの救命に協力します」と淡々と答える。


 「協力なんて頼んでない……出て行ってくれ!」


 理久が怒鳴るように腕を振るが、男たちは構わず近づいてくる。中でもスーツ姿の女性が軽く頭を下げ、医師に向き合う。


 「先生、私たちは“軍事レベルのAIメンテ”にも対応できる設備を持っています。社のプロトコルで外部搬送も可能ですが、その際にはこの子を預からねばなりません。書類を整えたら、すぐに移送の手配を――」


 「ふざけるな! 誰がそんなこと認めるか! アルマを渡す気はないって、さっきも言ったろ!」


 激昂(げきこう)する理久を制するように、男は彼に向き直る。看護師や医師も困惑し、事態を把握できないままたじろいでいる。


 「現に、このままでは病院はお手上げなんですよ? あなた方もお分かりでしょう。専門知識がなければアルマさんは回復できない。私たちが引き受けるのが、一番早く確実な道なのでは?」


 医師も横から「いや、その……確かに当院では厳しいと思います。延命措置くらいはできるかもしれませんが、それ以上の修理となると――」と恐縮しながら呟(つぶや)く。その様子を見ると、やはり普通の病院ではどうにもならないのは事実なのだ。


 「……凛花、どうする……」


 理久がわずかに震える声で凛花を見る。彼女も苦渋の表情だ。アルマにとって時間がほとんど残されていない以上、“○○テック”のような専門家の技術に頼るのが最良なのかもしれない。だが、会社がどんな意図でアルマを手に入れようとしているか分からないのが怖い。


 「彼女はハイエンドAI、しかも軍事プロトタイプの可能性が高い。だからこそ我々の設備が必要なんですよ。安心してください、所有権を奪うなどとは言いません。あくまで“修理・保護”の契約を結ぶ形です」


 男はそう言うが、どこまで信用していいのか。凛花は小声で「理久、どうする? 本当に時間がないわ……」と耳打ちする。アルマの肩には氷嚢が当てられているが、頼りない処置だ。


 「……いや、渡すわけには……でも……」


 理久が決断に迷うそのとき、唐突に処置室の扉が再び開き、「おいおい、こんなところで大声は勘弁してくれよ」と別の男性が入ってきた。くたびれた白衣を着ているが、顎(あご)にはヒゲ、頭にはバンダナを巻いたかなりラフな格好だ。年齢は40代後半に見える。看護師たちが「あ、院長……!」と口々に頭を下げるので、この病院の責任者らしい。


 「院長先生、こちらの方々が――」


 医師が説明しようとする前に、院長と呼ばれた男は部屋を見渡し、サングラスの男やスーツ姿の女を一瞥(いちべつ)する。その視線にはどこか刺すような警戒があり、ややガラの悪い態度で言い放った。


 「俺はAIの専門家じゃねえが、それでも分かる。こいつは人間用の治療じゃ復活しねえよ。その点はみんな理解してるんだろ? だったらな、あんたら外部企業が“引き取ります”とか言ってるなら、とっととそうすりゃいいじゃねえか。ここは病院だ。ロボットに用意できるのはせいぜいベッドと氷くらいだ」


 乱暴な物言いに、理久はカッと熱くなりかけるが、その続きに院長は特有の荒っぽい優しさをにじませるように続ける。


 「……でもな、俺は‘患者’の本人と、その関係者が納得しない治療や搬送は推奨しねえ。たとえ‘物扱い’のアコアでも、関係者がここまで必死に守ろうとしてる以上は、そいつが納得するまで面倒を見る。それが俺の方針だ」


 サングラスの男が不満そうに「しかし法律上は――」と口を開こうとすると、院長はギロリとにらみ、「ここでは俺が法律だ。文句があるなら警察でも呼ぶか? この子を引き渡すかどうかは、本当に‘マスター’扱いされる人間が決めることだろ?」と逆に強気で出た。


 すると男は一瞬だけ言葉を失い、舌打ちするように小さく呟(つぶや)く。院長は「ふん」と鼻を鳴らし、理久を向いて顎をしゃくった。


 「で、どっちを取るんだ? あんたらが外部の企業に預けると決めるなら、俺はそれを止めない。しかし、本当にそれでいいのか?」


 理久と凛花は顔を見合わせる。アルマの命を救うため、今すぐ専門設備が必要なのは明白だ。この病院では対処できない。とはいえ、この企業が信用できるかどうか分からない。


 「くそ……」


 理久は唇を噛み、凛花に視線を送る。彼女も苦しい顔をしているが、アルマがこのまま熱暴走状態で衰弱していくよりは、少しでも可能性のある設備を使わせるしかないと判断しているようだ。その瞳には「悔しいけど……」という思いが見えた。


 「……悪い。アルマには申し訳ないけど、助ける手段がそれしかないなら、やるしかないよな……」


 理久が諦め混じりに吐き出すように言う。するとサングラスの男が一転、穏やかな笑みを浮かべて「賢明な判断ですね」と深く頷(うなず)いた。


 「ではさっそく搬送手配を行いましょう。弊社の専門チームを呼び、設備のある拠点へ運びます。そこならアルマさんを修理できるはず……」


 凛花が泣きそうな表情で、アルマを見つめる。すべてを任せるわけではないが、時間がない以上、少なくとも修理を開始できる場所へ連れて行かなければ本当に助からないだろう。


 院長は「決まったなら、さっさと出ていきな。騒がしくて他の患者に迷惑だ」と吐き捨てる。男が「失礼します」と一礼し、看護師たちがベッドを動かす。間もなくアルマをそのまま担架へ乗せ、“○○テック”の連中の支持する形で、病院の外へ移送する段取りになるようだ。


 「理久、私たちも一緒に行きましょう。あの人たちだけに預けるのは不安すぎるわ」


 凛花が決死の覚悟で言う。そうするしかない。サングラスの男も「もちろん、ご家族なら同乗していただいて構いません。ただし、当社の社内規定の同意書は記入していただきますがね」と皮肉げに笑う。


 「家族じゃないけど……分かった。書類なら書く。絶対にアルマを救うんだぞ……!」


 理久が迫力ある声を出すと、男は「お望み通りに」とだけ答え、看護師たちに指示を出しながら搬送ルートを確保している。待機していた病院職員たちが次々と廊下を開け、ストレッチャーを通すスペースを作る。


 看護師のひとりが気遣わしげに「大丈夫ですか、後悔しませんか?」と小声で理久に訊ねるが、彼はただ首を横に振った。後悔しないはずがない、しかし他に手段がない。このまま放置すればアルマは死んでしまう――。


 「ありがとう、世話になりました。……アルマを応急的にでも診てくれて感謝してます」


 理久が深く頭を下げると、院長も苦い顔をしながら「治せなくてすまねえな」と返す。こうして病院滞在はわずか30分にも満たないまま終了し、アルマは“企業”による緊急搬送という形で再び外へ出されることになった。


 「乗ってください。弊社の車両はこの先のガレージに停めてありますから、そちらで専用カプセルに移します。……ご安心を。アルマさんが目覚めたら、きちんと彼女と面会もできますよ」


 サングラスの男がにこやかに案内を始める。理久と凛花はストレッチャーを押しながら外へ出て、若いスタッフも慌てて後を追う。日差しが増してきた駐車場には、すでにSUVだけでなく大型のバンのような車が止まっていた。後部ドアが開き、内部には医療用と見えるラックや機械が積まれている。


 「なるほど……けっこう本格的な設備だな。まるでAI用の救急車だ……」


 凛花が驚き交じりに呟(つぶや)く。男は誇らしげに「ええ、我々はこうした出張メンテにも対応していますから。軍や警察の案件も扱っているんですよ」と答える。なおさら怪しさを感じるが、背に腹は代えられない。


 看護師たちが最後にアルマをストレッチャーごと車内へ乗せると、企業側のスタッフが素早くバイタルモニタや冷却装置を取り付けはじめた。通常の医療用チューブに似ているが、やはりAI関連の特殊仕様らしく、様々な端末を連動させているようだ。理久は心配でならないが、とにかく見守るしかない。


 「オーケー、出発しましょうか。目的地は当社のラボですが、場所は秘密という形になります。もちろん、あなた方だけはご案内しますよ。社内規定に則って、移動中は目隠ししてもらうことになりますが、失礼を承知で……」


 男の言葉に、「目隠し?」と凛花が声を上げる。すると彼は「軍事機密を扱うラボですからね。外部に場所を知られるわけにはいかないんです。安心してください、安全は保証しますよ」と付け加える。


 理久は苦い顔で黙り込む。これがどれほど危険な賭けなのか分かっているのか――しかし、ここまで来て拒否するならアルマを放り出すしかない。それでも、生かすために選ぶしかないのだ。


 「……分かった。やる。アルマを助けてくれ……お願いだ」


 小さく頭を下げる理久に、男は「お任せを」と穏やかに笑う。そして後部座席に理久と凛花を案内し、「では失礼」と言って目隠し用のゴーグルのようなものを手渡してくる。若いスタッフも同様に。どうやら企業の車に乗るときは全員が着用しなければならないらしい。


 (くそ、まるで拉致(らち)されるみたいじゃないか……)


 理久は心中で悪態をつきながらも、アルマのためにそれを受け取る。最終的な決着は、きっとこの先のラボとやらでつけるしかない。まるで“分かたれる道”が始まったような不安を抱えながら、理久たちは企業のメンバーに導かれ、車内へと乗り込む。


 扉が閉まり、ゴーグルを着けた瞬間、視界が真っ暗に覆われる。車のエンジン音が唸(うな)り始め、アルマのかすかな呼吸を感じながら、理久の身体はシートに沈むように揺れる。どこへ連れていかれるのか全く分からないまま――彼らは、アルマを救うために“異界”とも言えるラボへ踏み込むことになる。

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