第5話 見上げれば広がる世界

 カーリン先生との対話を終え、校長室を出た。

 

 なんとなく教室へ戻るのを躊躇してしまう。


「……はあ、サボるか」


 あの男子がミアに謝ったのかどうか気になるところだったが、今すぐこの場所から離れたかった。それに、あの男子も悪気があったわけでもないだろう。きっとすでにミアに謝っているはず。


「んー。家に帰るわけにもいかないし、あそこに行こう」


 今は授業中ということもあり、特に誰かに見つかることもなく、学校を出られた。




      ***




 いつもはオルケラの町の中を通って行けばいいのだが、今日は学校をサボっている。町の魔法道具屋で働いているアドルドに見つかる可能性もある。

 

 私は町を迂回するため、町を取り囲む森の中を歩いていた。


 曇り空で薄暗い森の中、私は独り言をつぶやく。


「いや、サボってきた時点で、家に連絡行くじゃん……はあ」




      ***




 しばらく草木が擦れる音を聴きながら歩く。

 まるで、今の私の心のざわめきを表現しているように聴こえていた。


 前世でも何かに迷ったとき、特に新曲のイメージが浮かばないときは、よく森林浴に出かけていた。森の中で一人、木漏れ日を浴びながらゆっくり過ごすあの時間が好きだった。

 

 とはいえ、今は曇っていて天気がいいわけでもないし、この世界に〈歌〉は存在しない。


「あっ……」


 私は知らないうちに目的地に到着していた。

 下を向いて歩いていたせいで気づかなかったのか。


 私とミアのお気に入りの場所。

 小高い丘になっていて、大きな木が一本生えている。

 その大きな木の奥には、私も住むオルケラの町が一望できる。

 

 特に大きな町と言うわけでもないし、この町だけの名産品があるわけでもない。

 でも私はこの町が好きになり始めていた。


 私が歌えば、聴いてくれた人たちはみんな笑顔になってくれる。

 それが何よりも嬉しかった。


 でも、きっとあの笑顔は、私の歌に対して向けられたものではない。

 将来、この世界の偉大な魔女になる子を見ているから、みんな笑顔になっているだけなのかもしれない。町の人たち、学校のみんな、カーリン先生、そして、オリヴィアとアドルドまでも。


 だったら、みんなの期待を裏切ってはいけない。


 空からぽつぽつと雨が降り始める。

 次第に雨は勢いを増していく。


「……ぅ…………うっ……っ……」


 視界が涙でぼやけていく。


「わたしは…………わたしはっ…………っ!」


 私は空を見上げ、涙を洗い流すように降りしきる雨を全身で受け止める。


 ――スゥッ。


『上を向いて歩こう 涙がこぼれないように――』

『思い出す 春の日 一人ぽっちの夜――』


 私はやっぱり、歌が好きだ。

 異世界に転生して、さらには魔法が使えるなんて夢のようだとは思う。

 でも、それでも、それ以上に私は歌が好きなんだ。


 頬を伝う涙は止まることなく流れ続ける。

 涙に濡れた歌声は、ひどすぎて、とてもじゃないが人には聴かせられない。


 気づけば、私の周りにウィンドフェアリーたちが飛んでいた。

 でも、いつもの楽しそうな表情をしていない。


 ――最低だ……。こんな顔を見たくて歌を歌ってるわけじゃないのに……。


 嗚咽を漏らしながら歌っていたせいなのか、喉の奥が詰まった感覚になり、最後まで歌うことができなかった。


 俯く私のそばからウィンドフェアリーたちは、どこかへ飛んで行ってしまう。


 すると、草を踏む足音が聞こえた。


「ステラちゃん……っ!」


 聞きなれた声で、私は振り返る。


「ミア……どうし――」


 どうしてここにいるのか理由を聞く前に、ずぶ濡れのミアが抱きついてきた。


「『どうして』じゃないよっ! ステラちゃんこそ、どうして教室に帰ってこないのよっ!」

「そ、それは……」


 強く抱きしめられていて、ミアの表情は見えないが、ミアの声も涙に濡れていた。


「カーリン先生に連れて行かれた後、授業中には帰ってこないし! そろそろ話は終わったかなって思って、校長室に行ってみたけど誰もいなかったし! 誰に聞いても知らないって言うし! 次の授業には戻ってくるかなって思って待ってたけど、それでも来なかったし!」


 ミアが涙で濡れた声を張り上げ、ここまでの経緯を語る。

 私はその声に、ただただ圧倒されていた。


「ご、ごめんって……」

「ウソ! ミアがどれだけ心配してたか、ステラちゃんは全っ然わかってないっ!」

「そ、そんなことは…………てか、待って。まだ授業ある時間だよね?」

「そうだよっ! でも、勉強どころじゃないよ! 大事な友達がずっといないんだよ? 探すに決まってるよっ!」


 私は正直に驚いた。

 将来、母親のような偉大な魔女になるため必死で勉強をしていたミアが、大事な授業を放棄してまで私を探してくれていたことに。


「ミア……っ…………ぅ……ほんと、ほんとに、ごめんね……っ」

「うん、もういいよ。それで? 何があったの?」


 ミアは私を抱きしめていた腕をほどく。

 今までの張り上げた声ではなく、落ち着いた声に変わり、私を心配する表情になっていた。

 

 張りつめていた私の心が少しずつ紐解かれていく。


「わたし……このままじゃ、イヤなんだ……。でも、周りの人たちは期待の目を向けてくる。みんなは私の歌を求めてなんかいない…………。じゃあ、私のやるべきことって、みんなの期待に応えることだけになっちゃう……。そう思ったら、どうしようもなくなって…………っ」

「いいんだよ、ステラちゃんは正直になっても」

「えっ……?」


 ミアが今までに見たことのない穏やかな表情をしていた。

 でも、私はこの表情に見覚えがあった。


 それは前世のころ。

 高校を卒業後、上京してからの三年間は、まったく売れなかった。

 中学時代にたまたま投稿した曲がバズっただけの、一発屋とまで言われていた。

私は、もうダメかもしれない。夢は夢で終わってしまうかもしれないと思っていた。


 そこに、ミアの穏やかな表情と同じ表情をした朝比奈さんが私に言った言葉。

 今度は朝比奈さんではなく、ミアが言ってくれる。


「ステラちゃん、“世界一の歌姫”になるんでしょ? だったら、そんなすぐに諦めちゃダメ、だよ?」


 前世ではこの言葉で私はまた立ち上がることができ、そこから死に物狂いで作ったオリジナル曲『シューティングスター』が大ヒットし、日本の音楽業界で絶大な人気を手に入れることができた。


 でも、ここは日本じゃない。〈歌〉が存在しない世界だ。


「で、でも、わたしはみんなに期待されるっ……! それなら期待に応えるべきでしょ……!?」

「うん、確かにステラちゃんはすごいよ? ミアのケガをすぐに治しちゃうし、将来は凄腕の治癒の魔女になれると思う。でも、ステラちゃんの本当にやりたいことって、そういうことじゃないよね?」

「そ、それは…………」


 微笑んだままのミアはおもむろに私から離れ歩き出す。

 そして、丘の上の大きな木の奥、オルケラの町が見渡せるところに立ち、叫んだ。


「この世界の歴史に残る偉大な魔女には、ミアがなるっ!」

「ミ、ミア……ッ!?」


 町中に響かせるような大声で、ミアは宣言した。

 そして、私のほうを振り返り、また穏やかな表情で言った。


「だから、ステラちゃんはステラちゃんの夢を叶えてっ!」


 前世だろうが、異世界だろうが、私は恵まれていることを実感した。


「いい、の、かな……?」

「いいに決まってる! だって、誰のものでもない、ステラちゃんの人生だもんっ!」


 ミアの言葉の数々に、また涙が溢れてくる。


「ミア……っ……あ、ありがとっ……ぅ……」

「うん、うん。絶対になってね、“世界一の歌姫”に」

「うん……っ……絶対に、絶対になってみせるよ、今度こそっ……!」

「ん? 今度こそ?」


 ――やっば……。


「えっ、あっ、いや、い、言い間違え……かな?」

「そう?」

「うん! そう! そうなの! あははっ!」


 ――相手がさすがのミアでも、私が異世界からの転生者ですとは話せないかな。


「わあっ! ステラちゃん見てっ! ウィンドフェアリーたちが」

「ほんとだ。戻ってきてくれたのかな?」


 どこかへ行ったと思っていたウィンドフェアリーたちが、戻ってきてくれたのか、いまは笑顔で私とミアの周りをくるくる飛んでいる。

 

 気づけば雨はやみ、雲の隙間から差し込む日の光も私とミアを照らしていた。

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