第5話

 通夜の日には、遠方の兄も駆け付けた。兄は、メイクアップアーティストを生業としていた。ジジイの顔を見るなり、


「もっときれいにして、送り出さないとな」


 と、メイク道具を広げた。


 兄は、慣れた手つきで、ジジイが本当に眠っているように魅せた。そのジジイの顔は、少し酔っているようで、穏やかで、堂々としていた。


 こんなに幸せそうに眠る人を、僕は、見たことがなかった。


 幸せ者だな、ジジイ。


 僕は、思った。


「こんなにきれいになって。眠っているみたい。よかったね」


 今まで涙を見せなかった母さんが、初めて泣いた。それを見た僕の胸は、きゅうっと締め付けられた。


 僕はというと、舞と一緒日、顔の知らない弔問客の対応に追われていた。


 地区自治会の人。遠い親戚。ジジイの海釣り仲間。過去の職場の同僚まで。


 ジジイは、こんなにたくさんの人に、愛されていたのか。


 僕は、驚きを隠せなかった。あの頑固なジジイが、こんなにたくさんの人と、かかわっていたなと思うと、僕は、ジジイのことを、何一つ知らなかったのではないかと、思った。


 時に僕は、斎場を見渡す。オバンの姿が、なかった。


 受付に立っていたから、人づてに聞いた。どうやらオバンは、体調を崩したらしい。弔問客の一人が、オバンを病院へ、連れて行ってくれたようだ。


 通夜が始まろうとするその時。弔問客とオバンは現れた。オバンは、車椅子に座っている。


「ばあちゃん、大丈夫か」


 僕は、率先して車椅子を押した。本職を、発揮する。


「ただ熱が出ただけよ。心配かけて、ごめんね」


 と、オバン。


 疲労、気の張り過ぎから来たのだろう。オバンの家に連泊している母さんは、ここ数日、オバンはほとんど寝ていないと、話していた。


 オバンを、席まで連れていく。僕もその後、席に着いた。


 ジジイとの最期が、始まった。




 坊さんが、お経を読む。


 おじさんの、鼻を啜る音が、響いていた。


 幼い頃、あんなに僕たちを叱っていたおじさんが、泣いていた。大きくて厳つい、その背中が、なんだか小さく見えた。


 母さんは、肩を震わせていた。


 僕たちに、めったに涙を見せない母が、ハンカチで目を拭っていた。


 僕は、オバンの姿だけが、どうしても見ることができなかった。


 僕たちは、オバンとジジイが喧嘩をする姿を、嫌になるほど見てきた。しかし、オバンだけと話すと、ジジイの心配ばかりしていて、それが不思議でたまらなかった。


 そのオバンは、今、どんな顔をしているのだろうか。


 僕だけが、呆然と、お経を読む坊さんの頭を、ただただ見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る