第6話 夢に揺蕩う不揃いの現実、矮小なる聖域を称える天秤の左辺


 タワー・エーは気まぐれに進行方向を変え、人界に入り込んでは甚大な被害をもたらしました。


 やる事はただ歩き回るだけですが、一歩踏み出せば小さな村が丸々消えてなくなるような大きさのため、歩き回るだけで脅威となります。


 村人たちは、各国のトップから魔王同様に必ず倒さなければならない魔物を、何匹か言い渡されていました。


 その内の一体が、タワー・エーです。


「ごめんなさい。私たちは自分たちの都合で、スライムの仲間を殺しました」


『謝罪は不要です。何も問題ありません』


 スライムの感性は独特です。


 元は自分の一部と言うような存在の死を、特別でもなく、かと言って無関心でもなく、平然と受け止めていました。


 物の感じ方や尺度が人とは違うようです。


「仲間を殺した私に、何も思わないのですか?」


『感情は知識として知っていますが、私はそれそのものを所持していません。獲得できるかは未知数です』


 つまり、名前を略された時にそこはかとなく不機嫌そうに見えたのは、感情的な反応ではないというのです。


 スライムの沈黙や間の取り方から、感情をスライムが持っているように、村人が感じただけなのです。


 それは、人間が動物や無生物に人間的な感情や意図を投影する擬人化現象に近いかもしれません。


『それよりも、どうやって“◇◇×◇◇”を倒したのですか?』


「魔法使いが歩いてくるルートを魔法で予知して、その前に大きな落とし穴を掘りました」


『なるほど、単純ながら明快です。“××◇××”と“◇◇×◇◇”は、物質化した際に大きくなりすぎてしまいましたから』


 単純明快ですが、大変な時間と労力をかけています。


 雲を貫くような巨大な魔物を落とす穴は、落とし穴というよりもクレーターに近い代物になりました。


 それは魔法使いの魔法がなければとても実現できないような一大事業でした。


「ここからなら見えるかもしれませんね」


 村人は小高い丘を登る途中で後ろを振り返りました。


 折よく吹雪は収まっており、そこから周辺を一望できます。

 

 銀世界の中に少しだけ窪んだ白色の大地が見えました。

 

「あれがみんなで造った罠の跡……だと思います」

 

 村人は、二千年の経過をまざまざと感じ、白いため息を吐き出しました。


『凍結湖になっていますね。たしかに、あの大きさなら“◇◇×◇◇”も倒せそうです』


 そのとき、吹雪の音に混じってすすり泣くような声が耳に入ってきました。


 よく耳を澄ませないと聞こえないくらいかすかな声ですが、確かに誰かが泣いています。


『泣いているのですか、“××◇××”』


「魔物が? 泣く? 聞いたことありません……」


『――――なるほど、悲しくて泣いているのですね。よくやりました』


「悲しいなら、よくないですよ」


『“××◇××”は感情を知りました。私同様、新しい状態に移行したのです。私も感情を持てる可能性があります』


「なぜ泣いているのですか?」


『それは重要ではありません』


「重要です。どうしてタワー・ビーが泣いているのか、教えてください」


『――――“◇◇×◇◇”を探しているようですね』


「タワー・エーを探して……」


 村人は言葉に詰まりました。


 死んだ仲間を探して泣いているのです。


 村人は、タワー・ビーの事が自分の事のように思えました。


「私に何かできることがあればいいのですが……」


『なぜですか?』


「それはたぶん、私が向き合うべき罪だからです」


「罪……知らない概念です」


「罪悪感というやつです」


 言いながら村人はまた歩きはじめます。


「罪悪感とは何ですか?」


「悪いことをしたと思う感情です」


『個体ごとの規範意識が一定ではないのに、そのような概念がなぜ成り立つのでしょう……待ってください――』


「なんですか?」


『――なるほど、自分が犯した罪や不道徳な行いに対する嫌悪などの反応、知能指数の高い社会的動物に備わる高次感情ですね』


「私の言葉で理解に不足したから、頭の中を勝手に覗いて解釈しましたね……」


『集団の規範を守り、関係性を良好に保つために過ちを認めて修正し、再び社会に受け入れられる努力をしようとする機能を、罪悪感が果たしていると考えれば、とても合理的です』


「そこまで難しくは考えていません。タワー・ビーが悲しんでいる原因をつくったのは私たちです。人と魔物は敵対していても、個人的な恨みはありませんから、気の毒に思います」


『“◇◇×◇◇”の死に、良いも悪いもありませんよ。ただ生きている状態ではなくなっただけです。それなのに、どうしてあなたが悪いことになるのです?』


「タワー・ビーを悲しませたのは私たちです、原因は私たちにあり、悪いのは私たちです」


『悲しませたら悪いのですか?』


「はい」


『悲しみは悪い感情ですか?」


「それは……わかりません。ただ私は、タワー・ビーに対して申し訳ないと思います」


『基準が不明確かつ定量的ではありません。まして、あなた方が魔物と悪し様に呼ぶ相手に対して罪悪感を抱くのは、不合理です』


「合理的でなくて当然です。感情ですから」


『理解しかねます。感情とは得る価値のあるものなのか……懐疑的になってきました』


「価値はわかりませんが、素晴らしいものと断言できますよ? 手にすればきっとスライムも気に入ると思いますし、気が滅入ると思います」


『気が滅入ったら素晴らしくないのでは?』


「それも含めて、素晴らしいと感じられるはずです」


『まだ懐疑的ですが、興味深くもあります。それで“××◇××”に何をしてあげるつもりですか?』


「タワー・エーの死を教え、謝罪します。いつまでも悲しみに暮れながら帰らない者を探し続けるよりも、知った上で前に進むべきです」


『なんにせよ、あなたにはなんの得もないように思えますが?』


「損得ではありません。ただ、そうしたい、そうすべきと思うのです」


『私の同行はメリットの有無で決めたではないですか?』


「それはそれ、これはこれ、です」


『不合理の極み……私に感情があれば不満や怒りを感じるところです。感情など、無い方が生きやすくありませんか?』


「どうでしょうね……試したことはありませんよ」

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