第5話 現実を平らかに均す夢、惑乱する美意識を鋳固める天秤の右辺
猛吹雪に見舞われながら、村人はゆっくり前進していきます。
行く先には、凍てつく大地が果てしなく続いています。
仲間と一緒に乗り越えて来た道を引き返しながら、無意識に往きの出来事を真っ白な吹雪のスクリーンに投影していました――――。
「寒いし、進みづらいですね……魔法で火を起こして、雪を溶かすついでに暖をとりませんか?」
僧侶が両肩をかき抱きながらそう魔法使いに提案します。
「この気温でむやみに火をおこすと、溶けた積雪が水蒸気になって視界を塞ぐわ。あと、体にまとわりついた水蒸気が凍結すると最悪よ?」
そう言いながら魔法使いは、さりげなく僧侶に寄り添い、体温を分け合っています。
村人は一人、後方でもたついていました。
膝下まで埋まる雪に足を取られ、倒れ込みかけた村人を、近寄ってきた戦士が支えます。
「気張れ、村人。嵐が近そうだ、こんな所で立ち止まっていたら凍え死ぬぞ?」
「あ、ありがとう……ございます……」
「大丈夫だよ、今のペースなら嵐が来る前に雪原を抜けられるさ、みんな頑張ろう」
勇者は、皆を安心させるように、切迫した状況に似つかわしくない穏やかな笑顔を浮かべていました。
――――これはおそらく、走馬灯です。
村人は凍死しかけていました。
凄絶な自然が行く手を阻みます。
村人は死と雪と思い出を振り払うように腕を振り、足を前に出しました。
あらゆる傷病を癒す
飲まず食わずでも、極低温環境でも、至高の魔法は村人を生かしました。
そのとき突然、地響きがとどろきます。
村人は凍り付いた首の皮膚をバリバリと動かして、顔を上げました。
吹雪の中にうっすらと、地上と空を繋ぐ二本の影が見えました。
一瞬、吹雪が止んだ空に垣間見えたのは、人間の下半身だけをひたすら縦に引き伸ばした奇怪な二本脚です。
それは生物の二足歩行を不器用に真似るように地上を闊歩しています。
「タワー・ビー……」
村人が呟きました。
二千年前からいる魔物です。
遠く離れた人界からも観測できる大きさの魔物を、人々はタワー・ビーと呼び、畏怖していました。
魔王がいなくなった今、魔物がこれ以上増えることはありませんが、強大な魔物はいまだに各地に生き残っています。
意志も目的もなく動き続ける殺戮機械のように破壊を振りまき、討伐が困難を極める魔物は、個人はもちろん、国の手にも余りました。
人の言葉を解し、破壊を主眼に置かないスライムは例外です。
タワー・ビーは、生き物なのかどうかも怪しい超巨大な魔物でした。
そんな脅威を再確認した村人は唇を引き結びます。
『“××◇××”』
ふと、スライムの声が頭の中に響きました。
「タワー・ビーのことですか?」
『あなたたちの言葉では、“現実を
「タワー・ビーでお願いします」
『………………』
村人は意味深な間を感じ取りましたが、あえて無視しました。
「スライムは魔物に詳しいのですか?」
『私たちは法則の総体で、本座標に漏出した際、物質と意味を持って切り離されましたが、もともとはひとつでした。法則とも呼べないような小さな部分も存在するので、完全とは言えませんが、自分自身のことを知らないものの方が少ないでしょう』
「私は、自分自身のことでも知らないことの方が多いですよ?」
自分の名前、本当の望み、生きる意味、この世界で何を為し、何が成せるのか、わからない事だらけです。
その事実に村人は、迷子になったような茫漠とした不安を覚えていました。
『そんなことも知らずに、よく生きていられますね?』
「そんなことを知るために、生きているのです」
村人は苦労しながら凍り付いた表情筋を動かし、苦笑いを浮かべました。
『私の行動原理と似ています』
「たぶんスライムのような高尚な理由ではありませんよ……ただ、そうやって考えれば、何もせずにぼんやり生きて、ただ死を待つより、少しだけ人生が有意義に思えるのです」
そびえ立つ塔のような二本足を横目に、村人は歩みを再開します。
『しかし、おかしいですね……』
スライムが疑問を口にしました。
村人が目をしばたたかせると、凍ったまつ毛が折れて飛び散ります。
「なにがですか?」
『“◇◇×◇◇”――――“夢に
「タワー・エーのことですね。その魔物は二千年前に私たちが倒しました」
『そうですか』
タワー・ビーは、歩き回るルートが規則的で、そのルートに近づかなければ問題のない魔物ですが、タワー・エーは違いました。
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