第二章 地上の女神

第24話 目立ち過ぎる後輩

 ある日の昼下がりのこと。


 それは——何の前触れもなく起こっていた。


 一琉達が暮らす大都市圏。その都心部に、一個の強大なバグ・キメラが突如として出現したのだ。


 無論、行政からはその場所にいる多数の民間人に向けて、即座に避難指示が出される。ただ、それにはどうしても時間差が生じてしまうため、逃げ遅れによる人的被害が避けられない状況だった。


 とにかく、ADFはこの緊急事態にあたって、大規模に編成した討伐部隊を即座に現場へと投入する。その特別な対応により、対象のモンスター自体はすみやかに処理をされることになっていた。


 だが、その戦場に出ていたスキル・ドライバー達も、無傷という訳にはいかなかったようだ。殉職者じゅんしょくしゃこそ出なかったものの、複数の隊員が重傷を負ってしまう。それに加えて民間人の負傷者も多数発生しており、通常の医療機関だけでは全ての対処が不可能な状態に陥っていた。


 ただ、現在はこういった事態のために、傘下組織であるHESが結成されている。今回も当初から討伐部隊に随行しており、後方にある小さな公園で野戦病院を設営していた。


 もっとも、ヒーラー職のスキル・ドライバーは、そもそも頭数の方が少ないらしい。そのため、これほどの被害が出ている状況では、処置が間に合わない患者が出てきてもおかしくはなかった。


 が——現状において、その野戦病院に殺伐とした雰囲気はほとんどない。

 いや、むしろ——その真逆の光景が広がっていた。

 主に、男性陣の間で。


 彼らの視線。それらは、最後に残った重傷の男性へとそそがれている。いや、その患者自身にではなく、そこに近寄って行く一人の人物へと向けられていた。


 エイミー・ナナオカ。HESに所属している二十代前半のクオーターの女性で、その特徴的な赤髪を後頭部でアップにしている。日本人離れをした髪の色だが、これはアイルランドの血が多分に影響しているからだ。ただ、生まれも育ちもこの国だったため、言語のイントネーションは純血の邦人と比べても全く遜色そんしょくがなかった。


 なんにせよ——現在、エイミーはそれ以外のことで明らかな悪目立ちをしている。その服装が、他のHESの職員とはかなり異なっているからだ。


 確かに、彼女は規定通りの白い制服を着用してはいる。だが、それは通常のロングコート調のものとは違って、はっきりとした改造がほどこされていた。


 まず、そでが消えてノースリーブの状態になっており、その素肌が全て外気にさらされている。また、腰から下は大腿部の途中で大胆に切られており、まるでミニスカートのような状態になっていた。


 そして、最も煽情的せんじょうてきなのが、胴体の中央部分だ。通常、この制服は複数のボタンで前を閉じる構造になっているのだが、それが下半分にしか残っていない。また、その中には何も着ていないらしく、彼女の豊満な谷間が全く隠せていない状態だった。


 そんな極度に露出度の高いHESの職員が、最後の負傷者――戦闘に参加していたスキル・ドライバーの男性の元へと歩み寄っている。そして、その傍でゆっくり腰を下ろすと、女神のような笑みを浮かべながら相手の顔を覗き込んでいた。


「……さ、あたしに傷を見せて。さくっといやしてあげるから」


 その淫靡いんびな光景と、柔らかい声に——

「——あ……は——はい……ッ!」

 重傷者の男性は激痛も忘れ、素直な反応だけをしている。それを見たエイミーは満足したように頷くと、すぐさま対象にてのひらかざして自らの儀能を展開していた。


 その直後——

「——よし、終わり!」

 一気に仕事を終えて、腰を上げている。


「……え⁉ もう……⁉」


 と、その男性が驚いていたが、確かにこの一瞬で傷の方は完治をしていた。痛みは全て消え去っており、身体のどこにも異常は残っていない。ただ、彼の経験ではヒーリングにはもっと時間が掛かるはずだったため、このあっという間の出来事にはしばらく唖然としていた。


 だが、エイミーの方は、もう相手のことなど全く気にしていない様子だ。それよりも、他に患者が残っていないかどうか、キョロキョロと周辺を見渡しながら歩き回っている。だが、結局はどこにも発見できず、思わず拍子抜けをしていた。


「あれ? もう……これで終わり?」


 そう呟きながら、適当な場所で立ち止まった時のことだ。


「——ちょっと、ちょっと……ナナオカちゃん?」


 そんな声を掛けながら、そこに一人の女性がやってくる。通常の制服を着込んでいるHESの先任者——香久山紅葉だ。彼女が後輩の元へおもむろに近寄ると、エイミーの方もそれに気づいて即座に振り向いていた。


「あ、先輩。ご苦労様です。どうかしましたか?」


 ただ、その何も分かっていない表情に、一方の香久山は小さな溜息をつく。次いで、周囲の様子を窺いながら告げていた。


「いや、どうも何も……目立ち過ぎだって。あなたの能力が高いのは、私も充分に知ってるけどさ。なんてゆーか……皆、目のやり場に困ってるってゆーか……」


 すると、後輩の方も改めて自身の姿を確認する。

「あー、これですか? 確かに、周囲に未成年の男子とかがいれば、教育上よくないのかもしれませんけど……」


 だが、そんな自覚をしながらも、すぐにそこで胸を張っていた。不必要に、それを揺らしながら。


「今は一人もいないので、特に問題はありません。それに、これは仕方がないことなんですよ。あたしにはヒーリング系のスキルの他に、自らの能力を飛躍的に向上させる〈背水大陣〉の儀能がありますから。自身の防御力が低ければ低いほど、特殊能力の効果が格段に跳ね上がる。これがあるからこそ、こうやって数人分の仕事を迅速にこなせるんです。ちゃんと上の許可も取ってますから、何も問題はありませんよ」


 と、自らの事情を一気にまくし立てている。ただ、それを聞いても、一方の香久山は眉根を寄せるだけだった。


「……それも知ってるけどさ。根本的に……恥ずかしくないの? その恰好……」


 そんな風に、改めてエイミーの姿を確認しながら尋ねている。だが、それでも後輩は自信満々な様子で断言をしていた。


「全然。むしろ、もっと見てほしいぐらいです」


 そう言いながら、周囲に視線を移すと——

『——⁉』

 耳をそばだてていた男性陣の間に、激しい動揺が走っている。それを見たエイミーはそこで意味深な笑みを浮かべると、何やらわざとらしく全身をくねらせていた。


「やーん! もっと見てー!」


 この痴女のような行為に——

『——ッ⁉』

 男性達は何やら色めき立っており、視線をあちこちに彷徨さまよわせている。なんにせよ、この一連の光景を見た香久山は、自らの頭を抱えるしかない様子だった。


「……これって、外国の血のせい? まぁ、なんでもいいんだけど……」

 次いで、すぐに気を取り直すと、再び周囲の視線を気にする。


「……とにかく。男共の反応は、どうでもいいとしても……」

「?」

「向こうにいる女性陣からは、白い目で見られてるんだから。その点だけは、よく自覚しておいてよ」


 すると、この注意を受けたエイミーの顔に、初めて不安そうな色が垣間見えていた。

「え? それって……もしかして、先輩も……ですか?」


 と、恐る恐る聞いている。ただ、一方の香久山は後輩のこのいじらしい反応を見て、思わず否定の言葉を口にしていた。


「私は……別に、何も気にしてないけど……」

 すると、エイミーの表情がすぐに一転する。


「だったら、何も問題はありません。よく面倒を見てくれる先輩以外だったら、誰に嫌われても構いませんから」

「そういう問題じゃなくて……私の立場の問題なんだけど……」

「?」


 なんにせよ、この後輩には未熟な点が多いようだ。香久山はそのことを理解すると、ここで強引にでも意識を切り替えていた。


「……ま、いっか。とにかく、もう他に仕事は残ってないようだし、そろそろ帰りましょうか」

「了解です」


「ちょっと前にも言ったけど、寄り道の方はしないからね。さすがに、その恰好で街中をうろついてもらう訳にはいかないから」

「はーい」


 と、エイミーが何気ない反応をしながら、帰投に向けて動き出している。すると、その背を追っていた香久山が、ここでふと何かを思い出していた。


「……ところで、ナナオカちゃん?」

「はい? なんですか?」

「そういえば、聞いてなかったんだけど……ナナオカちゃんって、どういう経緯でこっちに来たの?」


 ただ、この問い掛けに——

「——!」

 エイミーが何故か小さく動揺をしている。だが、一方の先輩は何も気づかなかったようで、そのままさらに詳細を尋ねていた。


「以前までは、東京にいたんだよね? 出身も向こうなんでしょ? なのに、どうして……わざわざ異動願いまで出して、こっちに来たの? この辺も確かに栄えてはいるけど、東京ほどはなやかじゃないでしょ?」


 すると——

 後輩の方は小さく考えてから、おもむろに答える。


「……まぁ、色々とありますね。ただ、その中でも一番大きい理由は……こっちの食文化に興味があったっていう点でしょうか。美味しい物、多いですからね」

 と、何気に語っていたのだが、一方の香久山はそれでも首を傾げていた。


「そうなの? でも……今は向こうにも、こっちのお店はたくさん進出してるはずでしょ? そこまでする必要ってある?」


「だからこそ、もっと時間を掛けて深く知りたくなったんですよ。東京の方で、そういうお店を色々と巡ってみたことで。そんな経緯があって、こっちに居を構えたいなって思ったんです」


 これを聞いて——

「……ふーん」

 先輩の方も、ようやく納得した様子だ。ただ、そこには一抹の疑問が残っているようにも見える。一方のエイミーはそれをすぐに見抜くと、敢えて小さく微笑みながら聞いていた。


「……他に何か?」

 すると、香久山が首を横に振る。

「……ううん、別に。まぁ、そういう風に理解しておくよ」


 どうやら、これ以上深く詮索するつもりはないようだ。エイミーはそう解釈していたが、少しだけ気まずくもなっていた。


 そのためなのか——

 このタイミングで、後輩が急に話題を変える。


「ところで、先輩。ちょっとした噂を小耳に挟んだんですが」

「うん? 何?」

「ここの管轄って……厄介な要救助者が、よく発生するんですよね? なんでも……瀕死癖を持ってる青年がいるとか」


 これを聞いて——

「——!」

 とある男子の顔を香久山が瞬時に思い出していると、一方の後輩が立て続けに尋ねていた。


「その青年……主に先輩が担当してるって聞いたんですけど、それってほんとなんですか?」


「……あー、彼のことか。確かに、私の担当になってるんだけど……ほとんど、押し付けられた形なんだよね。先日なんて、一日に二回も対応することになったし……あなたの言う通りで、ちょっとだけ厄介かな……」


 と、先輩の方が数日前の一件を思い出しながら、小さく苦笑している。すると、エイミーが急に俯き、何やら黙考を始めていた。


「……なるほど。そうですか……」


 だが、香久山には、この妙な反応の意味が全く分からない。そのため、思わず後輩の顔を覗き込みながら聞いていた。


「ナナオカちゃん? どうしたの?」


 すると、エイミーが不意にその顔を上げる。そして、ここで意外過ぎる提案を相手にし始めていた。


「……先輩。一つ……お互いにとって、メリットしかない話があるんですけど——」



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