第3話

 今日もまたいじめられている彼を見ると朝から気分が憂鬱になっていく。見ないふりをしても聞こえる声に、視界の隅に映る顔が、フィルムのように名焼き付いて離れない。助けたくても勇気もない、無視したくても逃げられないその光景に胸が焼けたように気持ち悪かった。

 そんな時、クラスのドアが開いて一人の子が入ってきたのを確認する。そして驚いた。

 目元に大きな痣を作る彼が、昨日理沙の話していた河上という生徒であることがわかった。こんなにわかりやすいことってあるんだ。でも理沙の話によれば腕って言ってなかったっけ。しかし今目に大きな痣がある。昨日の会話を思い出した。

 もし本当に家庭内暴力を受けているなら、彼の方こそ救いようがない。


「ごめん通るよ」

「お、おう……」


 彼はその集団の間をわざと通って席に着いた。さすがにあんな彼の顔を見ては何も言えなかったみたいだ。

 間もなく予鈴のチャイムが鳴った。意図したのかはわからないが彼が無茶ぶりをされる時間がほんの少しだけ短くなったことが私に落ち着きを取り戻させた。

 内心ではきっと今日の出来事は昼食時の話題になるだろうな、とも考えていた。



※※※



「それ思った!」


 やっぱりみんなその話題に食いつく。

 河上くんの目の痣の話をしたらみんな思っていたらしく、すぐにその話題で盛り上がった。あんなところに痣ができるとは余程親は家庭内暴力を気にしていないとか、まだ家庭内暴力って決まったわけではないのに。

 または彼が実はヤンキーで学校の外では喧嘩ばかりしているなんて話でも盛り上がっていた。彼に至ってそれはないと思うのだがこうして話していると信憑性が増すのは、何とも噂っぽかった。

 噂と言えば


「なんか何でも願い叶えてくれるって噂あったよね」

「ああ、あれか。なんか知り合いの子に聞いたら何でもじゃないらしいよ」

「どういうこと?」

「なんかその人に出来ることなら何でもって意味らしい。それも本当かわからないけど」

「てことはやっぱ人なんだ」

「そうみたい」


 なんだ。別に期待してたわけじゃないけど、そういった都市伝説って案外退屈な答えが待ってるのものなのかな。

 その後もだらだらと談笑を続けているうちに昼休みが終わるチャイムが鳴った。ここからまた二時間も苦しい授業を受けないといけないとみんな鬱憤を漏らしている。もちろん私もそうだった。

 みんなで教室へと戻る途中でふと思い出した。


「ごめん、先戻ってて」

「どした?」

「ちょっと忘れ物」


 三時間目の体育の時に脱いだ上着を置き忘れていた。昼休み取りに行けばいいかと思っていたのにすっかり今の今まで忘れていた。

 もうすぐ授業が始まるというのに体育館に戻って取りにいかないと。まあ最悪授業には遅刻してもいいか。めんどくさいことは後回しにすることでさらにめんどくさくなると学びを得た。

 前の授業の先生が持って行ってたらどうしよう。せっかく戻って取りに来たのに無駄足になってしまう。

 逸る思いで体育館に向かいその扉に手を掛けた時、中が何やら騒がしいことに気が付いた。それはスポーツをやっている声ではない。何か揉めているような、そんな騒がしさだった。

 引き返そうかと思ったが、その扉の隙間から若干中が覗けて見え、私は興味本位で覗いてしまった。中には生徒が二人だけ。

 一人はいつもいじめられている子。そしてもう一人は————河上君だった。

 喧嘩でもしているのかと思ったが違った。

 いじめを受けていた子が、一方的に河上君に暴力を振るっていた。

 感情がぐちゃぐちゃになったような顔で、もしかしたらこれが彼の本当の顔なのかもしれない。そしてようやく気付く。河上君もいじめられていた? だからあんな痣を。

 これは止めないと、いけない。なのにまた足は動かなかった。

 ようやく殴る手を止めた彼だったが、河上君は意外な言葉を吐いた。


「これで満足? もう気は済んだ?」


 柔らかく響くその声には、確かな温もりと包み込むような優しさが孕んでいる。耳を疑ったが、間違いなくその言葉は今河上君が発したものだ。

 いじめを受けている人が出したとは思えない声音だった。よく顔は見えないがこんな状況でも穏やかな顔してるんじゃないかと想像できた。


「ああああああああああ!」


 彼はまた河上君に殴りかかる。腹も、腕も、顔も、生々しい音が体育館に鳴り響き思わず目と耳を塞いだ。

 何発殴ったのか、殴られたのかわからないが、ようやく気が済んだのか殴っていたはずの彼が涙を流して何度も謝罪した。


 まずい。


 彼がこちらに近づいてきた。私はすぐに身を隠してやり過ごす。上手くバレなかったみたいで、彼はまだ謝罪を呟きながら体育館を後にした。

 間もなくして河上君も出てきた。

 彼は何でもないような顔をしていた。


「こんなんで救えた気になるなよ」


 誰に対してかわからない独り言をごち、痛そうな痣を擦りながら体育館を出ていく。

 衝撃な光景を目の当たりにした私はこれから彼らにどんな目を向ければ良いのかわからなかったというより目の前で何が起こっていたかさえわからない。情報が全然まとまらない。

 とりあえず私はまだ置いてあった上着を手に取って教室へと戻るのだった。


 

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