小満
蚕起食桑
養蚕や製糸にまつわる場所で脚光を浴びている所と言えば、白川郷と五箇山の合掌造り集落や、富岡製糸場といった場所だろう。観光雑誌でも取り上げられているし、国内外問わず注目されている。昔の里山を留める折節の里では、富岡製糸場のような工場の方が人気だ。何せ、合掌造りの家屋は、何食わぬ顔で村の一部になっている。
「そう考えると、見るだけなら里で充分なんだよねぇ」
大きく開け放たれた窓から、小満の村を見下ろしながら、ニシキさんがのんびりと言った。ニシキさんは特にそういう部類の住民だろう。ここの家主とは手紙のやり取りをする仲を築いているから、その気になればお伺いを立てて、こうして二階へ上がらせてもらえる。
「とは言っても、現世には現世の歴史があるわけだから、そういうのはあっちに行かないと見られないし、触れられない。ここでは
「無音を体感する、ですか」
「たくさんの観光客で賑わっているだろうから、正直なところ、無音とはいかないだろうねぇ。でも、そういう景色も味わい深いものだよ、嫌厭されがちだけど。現世では、過去なんだ。この光景が全て、ね」
くるり、ニシキさんが振り返った室内には、むしゃむしゃ桑の葉を食べ続けている蚕たちがいる。台の上、
「もちろん、蚕は今でも飼育されているし、糸も取られている。だけど、昔ほどじゃなくなった。賑わいは消え失せて、別の賑わいに上書きされたのさ。現世側の合掌造り家屋では、そういう懐古が体感できるのさ」
「……。掛詞、使ってます?」
「気付いてくれて嬉しいよ、梓くん。蚕と懐古、いいな、我ながらいいのを思いついちゃった」
腕組みをしてうんうん頷くニシキさんだが、そんなに上手いだろうか。そう言うと面倒な絡まれ方をされかねないので、呑み込んで置いた。言わぬが花というやつだ。
現世ではそれほど盛んではなくなっても、折節の里ではまだ欠かせない産業というのは数多ある。古い形の山里や集落が、季節ごとに分かれて形成されている世界なので、当然の話ではあるのだが。
小満の村は暦、七十二候が示しているだけあって、そういう産業が特に活発な村だった。いつ配達に来ても、みんな張り切って仕事に勤しんでいる。現世と暦が重なった今はかなり忙しくしているのだが、この家はそうでもなかった。現世の言葉を借りるなら、マイペースに仕事をしているからだろう。繁忙期とされる頃合いに、ニシキさんと暢気に文通できているのも、のんびりした性格を裏付けている。
「おーい、ニシキさん、梓さん。お茶が入りましたよー」
階段の下からこちらへ呼びかける声にも、のんびりとした気風が滲み出ている。自分の方が階段に近かったので、先んじて降りて行けば、朗らかに笑う小柄なお爺さんに迎えられた。奥の囲炉裏近くでは、ちんまりと座ったお婆さんも、こちらに笑みを向けている。
お爺さんとお婆さんは、
「どうです、うちの蚕は良い食いっぷりでしたでしょう」
「ああ、毎年気持ちがいい食いっぷりだ。今年も良い生糸が取れそうだね」
「ええ、ええ、ほんとに。おかいこさんには頭が上がりませんわ」
自慢げに胸を張る老爺と、親しげに蚕を敬称で呼ぶ老婆は、どちらも挙動が可愛らしい。そんなことを言っては失礼な気がしたので、自分は微笑で留めておいた。
ご夫婦は、元は穀雨の村で暮らしていたそうだが、一緒になってしばらくしてから小満の村へ移り住んだのだという。この合掌造りの家屋は、移住の話を持ち掛けてくれた方から譲り受けたのだとか。常世たるこの里では、現世よりも長寿な住民たちが多いが、終わりがないわけではない。前の家主の方も、そろそろ消えるらしいと悟って、後継者を探していたのだという。
「妻も言っておりますが、ええ。ほんとうに、おかいこさんは大切です」
「どうしたんだい、しみじみと。もしかして、君たちも後継を探す頃合いになっちゃった?」
休んでいる囲炉裏を囲い、前の話を思い出していたら、今も正にそういう話になってしまった。自分はあまり、その手のことには詳しくないので、大人しく茶を飲ませていただく。
「まだ大丈夫ですが、そろそろ、どうしようかねぇって話になってまして。なあ?」
「そうなんですよ、ニシキさん。私も旦那も、このお家とおかいこさんたちを受け継がせてもらった身ですから、また大切にしてくれる方へ託そうって話してるんです」
「そっかぁ。当てはあるのかい?」
「ええ。
嬉しそうなお爺さんの答えに続いて、お婆さんも朗らかに笑う。良かった。この手のことは後継者がいないと繋げられがちだが、心配することはないらしい。
「良かった。それじゃあ、私もその子と仲良くなっておかなくちゃ。またこのお家に遊びに来られるように」
「大丈夫ですよ、わしらがお伝えしておきますから。梓くんも、倅と顔を合わせた時は、なにとぞよろしくお願いいたします」
「わたしからも、お願いします」
「もちろん、自分で良ければ」
湯呑を置いて、小柄な二人がしてくれたお辞儀に、こちらもお辞儀で返す。ちょっと嬉しかった。自分は、ニシキさんより関係が薄いと思っていたので。
ニシキさんを通して、この里に根付かせてもらった自分だが、最近は自分の足にもしっかり感触があるように思う。それが、こういう風に新しい繋がりを運んできてくれているのだろう。これからも、そういう繋がりが増えて、深まっていけばと思う。そのために、自分から前へ出ることも、きっと必要なのだろう。
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