朽木まとめ

朽木真文

薔薇と巨像の首稼ぎ

 賞金稼ぎ全盛の時代、賞金稼ぎとして活躍する二人組、百発百中の射手である少女の薔薇と、刃も通さない防護服に身を包んだ山のような巨躯の男巨像。この二人で一人とされる薔薇と巨像(ローゼ・マンス)。

 薔薇と巨像は、洞窟内に潜伏していた賞金首の狩りを終え、いつものように懸賞金を受け取りに顔見知りの軍人、ユークの下へ向かう。賞金首の懸賞金を受け取ると同時に新たな情報を求めると、金貨二枚と引き換えに得たのは、近隣の森にて大規模麻薬カルテルである天上の道導(ディペンデント)が暗躍し始めているという情報。

 軽口を叩き合いながらも、すぐさま情報を精査するために二人が向かったのは街の酒場。そこで呑んだくれている一人に話しかける。その人物こそ、鳥を使って情報を集める情報屋、留り木キッドだった。

 何度か遣り取りを交わし、キッドから情報を購入した薔薇。曰く、天上の道導は頭目であるデルガーと、その腹心である植物学者、密輸担当、交渉人の三人からなる衛星を支柱としており、その三人さえ殺すことが出来れば天上の道導は勝手に瓦解するだろうとキッドは言った。

 彼女たち二人は順調に森の中を進んでいた。薔薇の卓越した気配遮断の能力と、投げナイフによって警備兵に一度も見つかることなく進み、彼女はその先に広大な麻薬畑を見つける。

 麻薬畑に荷車が放置されていたことを発見した薔薇は、殺した警備兵の衣服を身に纏い変装する。彼女が薔薇と呼ばれていたのは、様々な種類を持つ薔薇その者のように、彼女が変装の名人でもあったからなのだ。

 巨像を荷車の荷台に隠しながら、警備兵の一人と接近する薔薇。完璧な変装が功を奏し、薔薇は警備兵から情報を引き出す事に成功する。曰く、衛星の中の一人、植物学者が本部であるデルガーの邸宅で会議中なのだそう。衛星の一人がいると言う事は、他の衛星やデルガーもいる可能性が高いと睨んだ薔薇は、下水道から一気にデルガー邸へと侵入する事を考案する。

 麻薬加工による排水をそのまま流しているだろう下水道を進むと、見張りの三人と接敵。薔薇と巨像はそれを容易く圧倒すると、拷問と自白剤を駆使してみはりの一人から情報を聞き出す。曰く、この下水道は訓練場まで繋がっておる、その出口には五人ほどの見張りがいるらしかった。

 ただ実際に辿り着くと、見張りは五人ではなく六人。デルガーが侵入者の存在に勘付いている事を頭の隅に置きつつ、二人は六人を圧倒し殺し尽くす。下水道からの出口を出ると、そこは確かに私兵たちの詰所だった。だが、肝心の私兵が一人もいない。それに訝しく思いながら進むと、立ちはだかる影が一つ。赤い髪の長躯の女。彼女こそ、同じ賞金稼ぎである炎砂のヴェルメリオだった。

 曰く、麻薬カルテルに雇われて本人も気乗りしていない模様。そこで、ヴェルメリオは薔薇に対して一騎討ちを申し出、彼女はそれに同意したことにより二人による一騎打ちが始まった。

 結果として一騎討は引き分け。事前の約束では、ヴェルメリオは自分に勝てばデルガーの情報を提供すると告げていたが、少しデルガーの情報を薔薇に伝えたのだった。

 場面は変わって地下通路から出る巨像。そこには豪華な調度品が飾られており、そこがデルガーの本拠地である事に説得力を持たせていた。ヴェルメリオにより齎された情報でデルガーの邸宅へ続く地下通路を通った二人だった。

 廊下を注意深く進み、二人は人のいなかった厩舎に出る。そこで、最上階に居るだろうデルガーを殺す為にどの様にして最上階へ行くか思案していると、突如背中から声が掛かった。

 顔を見て、声の主がデルガーである事を確信した二人。然し、彼の背後には何十人もの私兵が二人に対して銃を向けている。会話により、ユークが薔薇と巨像の情報を漏らしていたことを彼により告げられる。そして、デルガーが攻撃を指示する事により部下の全員が発砲。寸前に巨像が横に突き飛ばす事により、薔薇は射線を切ることが出来たものの、巨像は銃弾の全てを一心に受ける事となった。

 巨像が剣を斜めに構えた所を見て、薔薇は彼の思惑を理解。斜めになった剣に銃を撃つことにより、跳弾でデルガーと衛星を殺す事に成功する。仕事は終わった。そう考えていると、突如笑い声が響き始める。そして、その笑い声は、死んだ筈のデルガーが発生源だったことを、彼が起き上がった事により二人は知る。

 起き上がったデルガーの正体は、悪魔だった。悪魔は、デルガーが死を超克するために悪魔を召喚したのだと告げる。だが二人は通常の弾丸が効かない悪魔の身体に苦戦し

つつも、聖水を内包した弾丸や純銀の弾丸により悪魔の討伐に成功するのだった。

 一方その頃ユークは詰所から仕事に着替え、仕事の終わる場面だった。人気のいない街を歩き、辿り着いたのは誰も見向きしない古びた民家。ノックをすると暗号が求められ、彼は暗号を淀みなく言い放ち中に入る。何とその場所は悪魔崇拝の集会。サバトの儀式を行う間だったのだ。だが、儀式間に小さな女の子が訪れる。

 その正体が賞金稼ぎの薔薇であると知っているユークは恐怖の余り声が出ず、あっという間に一人が死亡。もう二人も命を失った所で命からがら夜の街を抜け出すも、薔薇の卓越した射撃術により追い付かれ、始末されることとなる。

 仕事を終え、街を歩く薔薇と巨像。ユークも死んだことで、新しい担当と話し、その情報をキッドの下でも購入し諸々の準備を済ませた二人は街を歩いていると二人の子供に声を掛けられた。その二人の願いを聞き入れつつ、二人は次の仕事の話をする為に酒場へ向かうのだった。




「薔薇と巨像の首稼ぎ」

朽木真文


 緊張が迸る。敵襲だ。洞窟に潜伏してしばらく、遂に彼らを狩る狩人がその居場所を突き止めたのだ。

 男は洞窟の奥へ、さらに奥へと松明を片手に走っていく。

 敵の正体はなんだ。

 国の軍隊か。いや、軍隊ならばあんな歪な二人組が訪れる筈がない。同じ理由によって警察も、この首に懸かった懸賞金を狙う一般人であることも弾かれる。よって、あの二人の正体はただ一つ。

 聞いたことがある。懸賞金が懸かった犯罪者を追うことで生計を立てる、頭のおかしい連中がいるということを。

 通称、賞金稼ぎ(バウンティ・ハンター)。

 ある者は舌が五枚ある。偽物の名画を、張りぼての豪邸を、ガラス製の宝石を。保身の為に人を騙し、自らを騙す。そんな、嘘で人生を塗り固めた人間がいると。

 ある者は古今東西あらゆる毒虫を従えている。その美貌に中てられた者に、文字通りの毒牙を突き立てる。そんな美しくも毒々しい女がいると。

 ある者は正義の執行者を名乗る者たち。弱きを助け、強きを挫くを理念に、世の賞金首を断罪する正義の代理人。そんな集団がいると。

 そしてあの二人も、それらと同じ。


「っ!」


 振り返ったその瞬間、洞窟の入り口の方から爆音が響き渡った。

 あんな場所から撃って届く筈がない。洞窟の道はまるでとぐろを巻いた大蛇のように入り組んでいる。その上、途中には分かれ道もあるのだ。

 だが、その希望的観測の通りにはいかない。

 何度か岩壁を削ったかのような音が響いたと思えば、気付けば鋭い痛みが男の太腿を貫通していた。

 熱傷を負ったかのような熱が、傷口から全身に広がっていく。

 焼けるように熱い。ぬらりとした液体の感覚が腿を伝い、靴に溜まる。それが自分の血液だと認識するには、少しの秒数を要した。

 気付けば、男は倒れていた。もう歩けない。足が思うように動かないのだ。まるで冷え固まった鉄でも纏っているかのように、何一つ男の脳の指令を受け取らない。

 足音が二つ分、男の下に近づいてくる。

 軽い足音と重い足音。計二つが、さも鎌を携える死神のようにゆっくりと。

 聞いたことがある。それは、賞金稼ぎの二人組。

 方や、まるで山のような大男。銃弾も貫通せず、刃も弾き返す。黒い防護服に身を包んだそれは、まるで死の化身と見紛う程の無類の強さを誇ると。

 もう片方は、幼い少女。四丁の銃とナイフを巧みに扱い、一度撃てば必ず当てる。例え遮蔽に隠れていても、遠く離れていても、箱の中に隠れようとも、洞窟の最奥に居たとしても。

 彼女の目から、銃口から、逃れる術はないと。


「あら? 外した?」

「……珍しいな」

「岩壁って難しいのよ。私の木偶なら、直角に磨いておいて頂戴」

「無理だ」


 関係性の見え隠れする話をしながら、二つの影が男を見下ろしていた。

 噂通りの大男と少女。賞金稼ぎ一の武力を持つとも名高い、気高き狩人。

 獲物を前に長く語ることもない。そして少女は、銃口を男の頭に向けた。

 銃声と暫しの静寂。硝煙を吐き出す銃声を息を吹きかけて消し去り、少女は銃をくるくると手で回す。


「こいつで最後?」


 あどけない少女の声が、洞窟の中にこだまする。

 焦げ茶色のホットパンツに、すらりと伸びた太腿。その地肌に巻かれたホルスターには、回転式拳銃が片足に二丁。銃口から白煙を吐いているものが二丁の計四丁。同色のブーツの大部分には、血痕が染みついている。

 華麗なガンプレイと共にホルスターに銃を収め、少女は溜息を漏らした。

 白いブラウスに黒のベスト。頭から羽織るフード付きの黒いマントにも同様、べったりと真紅の血がこびり付いている。ただ、僅かな膨らみの上に輝く薔薇を模した黄金の徽章は、まるでそこだけ切り取られたかのように一滴の血の付着も無く輝いている。

 顔立ちは端正。その矮躯に見合った幼さを残し、それでいて薔薇のような上品さは見る者を魅了するようだ。瞳は月夜の湖のような深い蒼で、マントから覗くミディアムボブの髪は箒星の尾を撚ったかのような美しい白銀だった。


「ねぇ、聞いてるの? これで最後って訊いてるんだけど? それとも、誰か他に話し相手を紹介してくれるのかしら。だったらいいんだけどね」


 ランタンを片手に持った彼女は苛立ちを露わにしつつ、地面に転がるボールを足蹴にする。しかし、それはただのボールではない。

 その正体は、人間の首。苦悶の表情を浮かべ、脳天に綺麗な風穴を備えた一人の男の首だった。

 彼女の足元に転がっているのは、それだけではない。

 この洞窟の闇に紛れるように、黒いマントを羽織った男の肉体。首から上は寂しく、綺麗な断面で断たれている。その下にまるで絨毯のように広がる真紅には、少女のブーツも浸っていた。

 そう、そこで死に絶えた男の、血だまりに。

 勢いよく蹴られた首級は何度か地面を転がり、跳ねまわり、その先にいた一人の男の脚に当たり止まった。


「……商品を粗末に扱うな」

「アンタが返事しないからでしょ? 敵はもういないのか、これで終わりかって聞いてんのよ。全く、余計なことを喋らせないで頂戴。疲れるのよ。大体ね、いつもアンタは言葉が足りないの。分かる? 報告、連絡、相談! いい? 仕事で大事なのはこの三つよ。それをアンタは何よ、索敵に行く、だとか、上、だとか言葉が足りないのよ。いや分かるわよ、確かに喋るのは面倒だわ。でも会話ってのは意思疎通の為にあるものであって、伝わらなければ意味が無いのよ? それをいつもいつも、自分勝手に終わらせないで頂戴」

「……面倒そうには見えない」

「あら、それは私に対する偏見? いい度胸じゃない。あの木偶が立派に言うようになったわね。いいわよ相手してあげる。私は別に喋るのが面倒だけど、嫌いだとは言ってないでしょ。むしろ好きな相手のお喋りならば一生できる程に好きだわ。自分でも口数が多いのは知っているつもりよ。でも、それは只のお喋りの場面にだけ限定されると思わない? 例えば事務連絡とか、上司との話って手早く終わらせたいものでしょ? 仕事中の話ってそういうものよ。この私だって面倒この上ない。私とお喋りしたいんならば、まずちゃんと事務連絡をこなすことね」


 溜息を吐きながら、男が少女に向き直る。

 山のような男だ。その体躯は、少女三人分を縦に並べて漸く足りるかと言ったもの。

 真っ黒な防護服のようなその装備には、様々な道具が備え付けられている。鍵開けの道具から、聖水、刃に塗る毒。簡易的な爆弾に、投げナイフ、縄に括った柑橘類まで。

 全てを黒で覆ったその防護服は、どのような刃も通さない。

 フードになっている防護服と、黒いガスマスクのせいで顔や髪すらも彼は外界に晒していない。その様はまさに、動く甲冑のような無生物的な不気味さがあると言える。

 背中には、一刀で馬も両断出来るような巨大な片刃の剣。血で濡れたそれこそ、少女の足元に転がる男に、首と胴の別れを強制させたものだった。


「……現状分かる時点ではもういない。それで最後だ」

「先に言いなさいよ全く、口数少ない癖に保険だけは一丁前なんだから。じゃあさっさと首届けてご飯食べるわよ。あぁ嘘、お風呂にも入りたいわ。見てよこれ、アンタがさっさと頸斬っちゃうから返り血で私までびちょびちょのべとべとよ? 勘弁して頂戴。私血を浴びる趣味は無いのよ?」

「……知ってる」


 天井に頭を打たぬように、上体を前傾させ歩み寄って来た男は少女に手を広げて差し出す。

 巨大な手は、少女の頭程度であれば鷲掴みに出来てしまうだろう。そんな手を足掛かりに器用に上り、男の肩に座る。男は少女を運びながら洞窟の来た道を戻り始める。

 聖王歴五百六十三年。後世の歴史家は言う。この年代は、ある仕事を生業とする者の最盛期であったと。

 溢れかえる犯罪者への対処として、王国はその頸に賞金を懸けた。それこそ、一般家庭が数年は遊んで暮らせるほどの、莫大な額を。当然民衆は血眼になって犯罪者を追い始める。ある者は新聞社に情報を売り、ある者は武器を片手に。

 しかし、相手も人間。只の獣ではない。次第に犯罪者自体も力を付け始め、賞金目当てに襲い掛かる民衆に抵抗し始めたのだった。

 懸賞金はその桁を増やす。対して、犯罪者を狙う者は少なくなっていく。まるで篩にかけられていくように段々と、犯罪者を追う者はただの農夫から腕自慢へと、腕自慢から、その道のプロフェッショナルへと。


「さむ。アヒージョが食べたいわ。まだ店、やってるかしら」

「……もう朝だぞ」

「ハァ!? 先に言いなさいよこのクソ木偶! 急ぐわよ! ほら!」


 少女と大男も、賞金首を獲物とするプロフェッショナルの狩人、その内の一人。通称「薔薇と巨像(ローゼ・マンス)」。二人は、プロの賞金稼ぎだった。




「御機嫌ようユーク」


 詰所のドアが、物によって開かれる。

 鈍い音を立てて転がる幾つもの首。扉を開いたのは、正確には彼女等によって狩られた賞金首の首級だった。

 碧眼に銀髪の少女が、首を蹴り飛ばしながら詰所へと踏み入る。まるで実家にでも帰ったかのような乱暴な態度で。


「狩って来たわ。私が言いたいことは勿論分かってるわよね。換金よ、換金して頂戴」

「薔薇か……いい加減、首で投げ開けるのは勘弁して欲しいな」


 面倒そうにそう零すのは、机に向かい合っていた一人の兵士。名をユーク。軍服に身を包んだ茶髪でくたびれた顔の男だ。

 厭悪されるべき賞金稼ぎという職業の者が、唯一表社会と繋がる場所。さながら、裏社会の窓口である。


「あら、詰所の扉の設計に問題があるんじゃないかしら。私のこの身長じゃどう頑張っても届かないのよ? あの木偶は大きすぎてそもそも門を潜れないのだから、私が行くしか無いでしょう? だったら私がこうやって開けるのは仕方ないと思わないかしら。大体何よ、扉を開けるのに作法も何も関係無いでしょう? どこかには何回ノックしてからとか、まずは自分が入って扉を開けたままにするとか色々あるとは聞くけど、大体扉なんて入れれば同じなんだからそんなの関係無いじゃない。話のスケールが小さいのよ。というかそもそも、私がこれで投げ開けるのなんて本当は感謝して欲しいくらいなのよ? だってここに来たのが次の首の情報を求めてなのか、首を交換しに来たのかが一目で分かるでしょう? 思考のリソースの無駄を省けるなんて、これ以上無い程喜ばしい事だと思わないかしら。何の用でここに来たのかっていう会話の時間を省いてあげてるのよ? 私も貴方も忙しいんだからこれ以上」

「あー分かった分かった! 懸賞金な!? 今用意してくるから待ってろ!」


 彼女の長い語りに割り込むようにしてユークは強引に会話を終わらせ、転がっている五つ程の首を拾い上げ、詰所の奥へと消えていく。

 薔薇と呼ばれる少女や、巨像と呼ばれる大男。そして、騎士であるユークらが住まうこの王国、それがあるこの大陸の各国では、基本的に殺人は違法行為として知られている。

 殺人罪を犯せば、一部の例外を除き死罪。断頭台に掛けられ、首と胴が別れを告げるのだ。

 しかし、その例外と言うのが、殺した相手が各国で手配され、懸賞金の懸かった凶悪な犯罪者だった場合である。

 賞金稼ぎとは、このような者達を生け捕りにし、もしくは遺体を兵士の前に並べ、懸賞金を受け取ることで生活する職業。少女は薔薇。巨像と呼ばれる大男と組む、二人一組の賞金稼ぎだ。

 薔薇が貧乏揺すりで靴音を鳴らし待っていると、革袋を片手にユークが現れる。


「あ、言い忘れてたけど、次の賞金首の情報もくれるかしら。ここから一番近くでの情報で頼むわ」

「情報料は金貨二枚だ」

「アンタ達が殺してでも止めて欲しいっていうから、こっちはそれを生業としてあげているのに、その情報に値段を付けるなんて控えめに言ってまともな考え方では無いとは思わない? アンタからの情報が無いんだったら、私だって別に狩りに行かなくたっていいのよ。もう十分、一生生きていけるような額はとっくに稼いでいるもの。無駄に走り回って体力を消耗する意味は無いわ」

「あー分かった。ここから引いていく、了解。もう何も言うな」


 携えた革袋に手を突っ込み、何枚かを抜き取り隊服のポケットに入れる。そして、革袋を薔薇に投げ渡すと、詰所の椅子に腰を落とし再び机と向かい合う。

 キャッチした袋を腰元のベルトに掛け、ユークの隣に立ち背伸びをしながら机上を覗く。広げられているのは、羊皮紙に描かれたこの王国の地図だった。


「いいか、今いる場所から南西に五キロくらい先に森があんだろ?」

「ロヴィアの街道脇の森ね」

「そう、そこにな、数年前に野盗に占拠された村があんだが」

「その盗賊退治?」

「最後まで聞け。どうやらそこの持ち主が変わったらしくてな、今は表向きは製鉄所。その実は国際的な麻薬カルテルが製造拠点にしてるらしい。知らねぇか? 天上の道導(ディペンデント)」


 その組織名には、薔薇も聞き覚えがあった。

 天上の道導と言えば、国内の麻薬取引の二割を担うという超巨大な麻薬カルテルの一つだ。彼らの主な商品である「赤這い」は、他幸感や酩酊の症状を引き起こした後、強い依存性を引き起こし、最終的には臓器を灼く。

 少量であれば痛み止めとして有効ではあるものの、多量すればこのように凶悪な麻薬となる。

 王国の裏社会で密かに流行っている麻薬の一つである。


「賞金が懸かってるのはその頭目デルガーと、衛星って呼ばれてる要人の三人。植物学者のフリー。密輸担当のキャリーに、交渉人のトークス。手配書はこれだ」


 背伸びをやめ、受け取った丸められた紙を広げる。

 凡夫が見れば、目が飛び出るような懸賞金の額と共に、描かれた丁寧な似顔絵。内訳は、女が一人に男が三人。


「そんな重要人物が本当にいるのかしら? そこまで巨大な組織のリーダーだったら、地下にでも潜ってそうだけれど」

「まぁそうなんだが、斥候が言うには、どうやらここ最近兵士の巡回が頻度が跳ね上がったらしい。人も多くなってる」

「場所まで分かってるなら突入すればいいじゃない」

「それが一行に許可が下りない。どうやら本部の上層部らしいが、俺はそれ以上知らん」

「はぁ、確実な情報では無いのね。金貨二枚の情報量を取った癖に確実ではない情報を渡すなんて、情報屋としては底辺に位置していると自認した方がいいわよ」

「あぁーうるせぇうるせぇ一旦黙れ。ただこの内の一人はいるだろうと思われる。って感じだな。この三人さえ排除しちまえば、天上の道導は勝手に瓦解するだろ」


 薔薇は「そう簡単に行くかしらね……」と呟きながら、手配書を再び丸め紐で留め、パンツのポケットに無理やりねじ込む。


「ま、いいわ。私は賞金首を狩るだけだしね」

「それでいい。今この近くで可能性がある賞金首はこれくらいだ。北方にも一人いるらしいが、どうする?」

「割りに合わないわ。北方って、ディルキア山脈の所でしょ? そもそも私達の縄張りじゃないし。あそこってほら、あの嘘吐き野郎がいるじゃない。あ、昨日酒場で聞いたわ。あそこ有り得ないくらい寒いのよ。いいユーク、いいこと教えてあげるわ。女の子はね、寒さと色男に弱いのよ。それなのにたった一人って、割に合わないにも程があるわ。あそこに行くのにどれだけ装備を整えると思っているの? 教会の犬になって悪魔祓いでもした方が遥かにマシだわ」


 正教会は一向に秘匿し続けているが、悪魔は実在する。

 とは言え完全に秘匿している訳でもない。実際に異端審問官は存在するし、悪魔に唆されたとして刑の執行を受ける異端は少なくない。正確には、本当の悪魔の姿を隠し続けていると言うべきか。

 悪魔、それは恐ろしき存在。

 人を堕落へ導く、という宗教的な恐ろしさを説くのは賞金稼ぎの領分ではない。賞金稼ぎが語る悪魔の恐ろしさとは、強さである。 

 賞金稼ぎは、時折教会の走狗となって悪魔討伐に赴く事があるからこそだ。


「はいはい黙れ。いいから帰ってくれ。早く寝たいんだ俺は」


 言われるがままに反転し、薔薇は詰所の扉を意味も無く蹴り開けた。

 時刻は早朝。既に茜色が紺の空に差し掛かり、綺麗なグラデーションを描いている。先は東雲、中間は菫色に染まり、薔薇の頭上は紺青だ。

 あと数時間もすれば街はすぐに明るくなるだろう。

 薔薇は詰所の敷地内であることを示す門をくぐり、立ち塞がる壁に視線を向ける。薔薇の事を門の外で待っていた巨像だ。

 言葉も無く手を差し伸べてきたそれに、彼女は同じように言葉も交わさず蛇が巻き付くように上り、肩に座する。


「南西、ロヴィアの森よ。そこに麻薬カルテルの要人がいるかも知れないらしいわ。次はそこを叩くわよ」

「……そうか」


 二人の間に、それ以上の言葉は必要無いらしい。

 巨像の掌の上で優雅に足を組みながら、薔薇は巨像の防護服のポケットを漁り、幾重にも折り畳まれた地図を広げる。


「場所は廃村。表向きは製鉄所。一般人の立ち入りは禁止されてる。まぁ、私たちが普通に入っても屍になるのがせいぜいね。何なら顔が知られてたら先手を打たれるわ。残念ながら私たち、名が知れてるもの」


こころなし得意気な声色を察してか、巨像は呆れ気味に溜息を零す。


「……誰のせいだと」

「アンタのせいでしょ? 街歩いててどっちが目立つと思ってんのよ。アンタのせいで私が人形だと思われたの、私忘れてないんだからね? はぁ、もう」


 巨像の体躯も勿論だが、薔薇のお喋りも有名だという事は薔薇は知らない。

 彼女は頭を掻き毟りながら、巨像の防護服から今度はペンを取り出す。インクを受けるのは件の地図では無く、また別のメモ用紙だ。

 つらつらとペンを走らせながら、真剣な面持ちで薔薇は地図とメモ用紙に交互に視線を向ける。


「まずは情報ね。小さな村だけど、放棄されたのは多分私が生まれるより前よ。奴らが建築した大規模な建築物があるかも。村の原型は残ってないと考えるのが自然よね」

「……歳は知らん」

「レディの歳を勘繰らないで頂戴。てか、本来ならアンタは知ってる立場の筈でしょ?忘れたの?

「……あぁ」

「職務怠慢ね。はぁ、もういいわ。木偶、何も考えずにキッドのとこに行きなさい!」


 巨像の掌の上で薔薇が喚きながら、朝焼けが差し込んできた街の中に消えていく。




 酒場のドアを開けるのは一人の背の高い麗しい女だった。

 サングラスと緩く巻かれた銀髪。ブーツと同色のホットパンツに、ブラウスとベスト。太腿のホルスターには、計四丁の拳銃。

 美しい女ではあるが、まっとうに生きている類でもないだろう。それを察してか、誰も声を掛けようとはしない。


「……注文は?」


 カウンターにもたれ掛かる女に、酒場の主人が声を掛ける。決して目を合わせず主人はグラスを磨きながら。

 酒場の中は閑散としている。当然だ、時刻は早朝。農夫が畑の様子を見に家を出、鍛冶師が炉に火を付け始める時間帯。こんな時間から酒浸りになるようなろくでなしなど、碌に働いてもいない文字通りのろくでなしか、賞金首か賞金稼ぎのようなならず者だけだろう。


「水でいいわ。すぐ出るもの」

「あいよ」


 だがそんなならず者が、この酒場にはもう一人。


「隣いいかしら」


 茶髪の男は何も答えない。片手に小さな木の樽のジョッキを握りながら、彼はただ机上に視線を落とし続けている。

 傍から見れば眠っているようにも見える彼の隣に、水の入ったグラス片手に女は腰を落とすと優雅な動作で彼の耳に紅が差された唇を近付ける。

 艶やかな彼女の唇が紡ぐのは、今夜の誘いでも、情欲を掻き立てる言葉でもない。


「早く起きなさいよ木偶頭!!!」

「……起きてるよダボ」


 無精髭に、手入れのされていないボサボサの茶髪に、曇ったゴーグル。顔立ちは面影だけは残っているが、髭と髪、そしてゴーグルで正確な輪郭は窺えない。

 浮浪者のような皺の多い茶色い外套に、黄ばみの目立つシャツと黒いパンツ。肩に止っていた白い鳩が、薔薇の声に驚き飛び去って行った。


「クソダボ……耳元で大声出すな。頭割れるかと思ったわ」

「こんな美女になんて口の利き方! いい? アンタみたいな男はねぇ、美女の言う事には黙ってハイハイ従って」

「あーいい。お前がお喋りなのは知ってる。用件だけ言え、じゃなきゃ店仕舞いだ」


 一般的に何の資格も要らず、面接も履歴書も、経験も要らない。誰でもなれる賞金稼ぎという職業だが、その実は、必須の条件が二つだけ存在する。

 一つ目は、強さ。

 国が凶悪な犯罪者に懸賞金を設定する事で、国内の殆どの犯罪者は欲に塗れた者達により狩り尽くされることとなった。だが、次第に多くなっていったのは凶悪犯罪者がさらに罪を重ねる事。

 殺人罪は死罪だ。だがそれは詰まる所、一人殺しても十人殺しても、百人殺しても人生のピリオドは同じ位置に打たれると言う事。

 どうせおなじならば、長く自由を謳歌できた方がいいに決まっている。そんな考えからか、賞金首と呼ばれるような凶悪犯罪者はいつからか武装に身を固め、仄暗い場所に生きる者達を仲間として徒党を組むようになった。

 結局、賞金首はピンキリだ。借金を踏み倒し逃げ回るような弱々しい賞金首も存在するが、自身を狩りに訪れる賞金稼ぎを幾度となく返り討ちにしてきた者だっている。

 そのような賞金首を、一蹴出来るような圧倒的な武力。これが、賞金稼ぎになる為の必須な条件。否、正確にはそれを備えていない人間はその内死ぬ。

 もう一つこそ、薔薇がこの男に語り掛けた理由そのものだ。

 ジョッキを呷る男を、薔薇は呆れた目で見下ろす。


「朝から呑んだくれてるクソ木偶には言われたくないわね。早く仕事しなさいよ、留り木キッド」


 留り木キッド。その異名は、各地に存在する協力者から、伝書鳩で情報を受け取っていた様から来たらしい。薔薇と巨像が最も贔屓にする、この街の情報屋だった。

 第二に必須の条件と言えば、情報。

 絶対に狙った的を撃ち抜くことが出来る強力な銃も、どんな物でも断ち切ることが出来る名剣も、その力を振るう対象が分からなければ意味が無い。

 前後も分からないような人物に渡してしまえば、下手をすれば味方を壊滅させてしまうかもしれない。

 その為情報は、賞金稼ぎが賞金稼ぎとして生きるのに必須の物。

 賞金首の弱点や武装。徒党を組んでいるならばその規模や、戦力の練度なども知る必要があるだろう。そんな情報を提供してくれる人物こそ、情報屋なのだ。


「何の?」

「ロヴィアに廃村があるでしょ? そこのが欲しいわ」

「あぁ……天上の道導か」


 聞き覚えのある言葉に、薔薇は眉を動かす。


「知ってるのね」

「お前が今見下ろしてんのは、一体誰だと思う? お代はそうだな……麦酒十、いや十五杯分でいい」

「まだ飲むの? 死ぬわよ?」

「心配してくれてんのか? 優しいな」

「アンタが死ぬと私が困るのよ!! フンッ!!」


 机がそのまま割れるような勢いで、薔薇は幾枚かの金貨を机に叩き付けた。キッドはそれを緩慢とした動作で回収し、ジョッキの残り少ない麦酒を全て飲み干す。

 ぷんと漂うアルコールの香りに薔薇は少しだけ眉を顰める。それを知ってか知らずか天井に深い息を吐いた。


「毎度あり。……あの村だが、放棄されたのは五十年以上前だ。丁度お前が生まれた時期か?」

「飲み過ぎよ。ちゃんと前見えてる? これ、何本に見えるかしら。私って、若く見られる体質なんだけど」

「今はあそこにバカみてぇにデカい工場が建てられてる」

「図面は?」


 キッドは首を横に振る。


「そんなんある訳ねぇだろ。仲間じゃねぇんだからよ。問題は工場だけじゃねぇぞ。頭目デルガーの根城の大豪邸。広大な畑に、私兵の訓練場」

「ちょっとしたツアーね」

「手駒の数は千を超えてる。死んだ賞金稼ぎはお前らが狩って来た数より遥かに多い。一月前は首帯(くびおび)の奴が死んだぞ」

「へぇ……あの大男がね」


 キッドは懐から取り出した紙に殴り書きで情報を綴ると、クシャクシャに握り潰してから薔薇に手渡した。


「てか、国はどうしたのよ。なんでこんなのを国が放置してる訳?」

「知らん。知る気もない。大抵どっかのお偉いさんとズブズブなんだろ。まぁお前らがどうなろうと知ったこっちゃ無いが、俺の得意先を減らすのはやめてくれよな。俺から話せるのはこんだけ。残りはそこに書いておいた」

「助かるわ。お礼に抱かれてあげてもいいわよ」

「お代なら貰った、結構だ。誰がお前みたいなクソダボ抱くかよ」

「冗談に決まってるでしょ? 本気にしないで頂戴。誰がアンタみたいなクソ木偶に抱かれなきゃいけないのよ。豚と寝た方がまだマシだわ。言っとくけど、襲った瞬間にキスしてもらうわ。私じゃなくて、銃口とね」


 軽口を叩き合いながら席を立ち、薔薇は酒場を後にする。

 日の出から少し時間が経った。大通りには、僅かだが人通りも見えてきている。薔薇はそんな大通りを一瞥すると、酒場の裏へと回る。

 そこにあるのは、来客の馬を留めていく為の厩舎である。

 彼女がここに訪れたのは、何も彼女が馬でここに来たからではない。扱いの差で考えれば、馬にも等しいとは言えなくも無いが。


「終わったわよ」


 のそりと、厩舎から出て来る影が一人。大きく背を丸めた、真っ黒な人型。


「……毎回、何故厩舎」

「アンタが目立つからでしょ? 何を言ってるのよアンタは。はぁ……さっさと行くわよ。人が出始めてる。これ以上目立つのは避けたいわ」


 賞金稼ぎの情報が賞金首に漏れるという事は、逃げられるリスクがあるという事。

 数いる賞金稼ぎの中でも「薔薇と巨像(ローゼ・マンス)」の二人はその風貌故に、あり得ない程目立つ。

 その上、賞金稼ぎとは狙う者でありながら狙われる者でもある。いずれ狩られるのであればこちらから。そう考える賞金首達は決して少なくない。

 現に薔薇と巨像は知る由もないが、これより一時間後にはこの二人を追って一人の賞金首が、キッドの下に情報を求め訪れることになる。

 情報屋とは何も正義の味方では無いのだ。情報が売れさえすれば犯罪者でさえ客。生きて来た経歴で売る相手を選ぶような、酔狂な情報屋は存在しない。


「馬車は足が付くわ。歩いて行くわよ」

「……俺がか」

「そうよ? 悪いかしら」


 いつの間にやら、彼女はいつも通りの体躯に戻っていた。


「ほら立ちなさい。行くわよ」

「……あぁ」


 定位置に着き、薔薇が足を組みながら地図を広げると同時に、巨像が歩き出す。

 街道を往く人々の注目を集めながら歩くこと暫く、すぐに街を抜け脇に森がある街道に辿り着く。

 少し来た道を戻り、街道から外れた場所で一泊。そして、早朝。

 森の入り口で薔薇が肩から飛び降り、屈み込んで地面を確認する。

 まず土を指でなぞるようにして救い取り、次に少しあるた先の森の入り口に生えている草を手で支えながら眺める。それで何かが分かったのか、その場ですっくと立ちあがると再び巨像の肩の上に戻った。


「ここから入った形跡があるわ。人数は少なめで、徒歩ね」


 薔薇の呟きに巨像は何も答えない。

 この先にあると予想されている天上の道導の本拠地。頭目デルガーと、その屋敷がある事を鑑みると、大規模な警備体制が敷かれている事が容易に想像できる。だが、警戒網がここまで及んでいる事は考えにくい。

 警戒の網は広げれば広げる程に穴が広くなり、その分人数を要する。即ち、コストが膨大になっていくのだ。

 この先の廃工場と廃村は広い。それ程の広さを囲むような警戒網であれば、尋常ではないコストが掛かっている事だろう。

 対してこの場所はまだ森にすら入っていない、一般の通行人も目にするような場所。そこで警備となれば、警備員自体が注目を寄せる事になってしまうだろう。そしてそれは、天上の道導の本意ではない筈だ。

 となると、この形跡の主の正体は絞られる。

 野草取りにしては、住居があるようなエリアから遠すぎる。つまり、入る理由がありわざわざ訪れたような人物に。


「首帯か」

「正解、だと思うわ。となると、この場所にあるのは確定かしらね」


 ウルミと呼ばれる武器がある。柔らかい鉄により作り出されたその長剣は、長剣であって長剣ではない。なんとそれは鞭のようにしなり、それでいて人間を両断するのに十分な切れ味を有している武器だ。

 首帯は、その柔鉄で打たれた剣を常に首に巻き付けた男だった。

 達人と言って差し支えない程の使い手であり、さも長い手足のように扱う光景は薔薇自身も覚えている。賞金稼ぎに序列があるならば、確実に上から数えた方が早いような賞金稼ぎだろう。

 そんな人物が挑んで死んだのだ。

 用心は、するに越したことはない。

 薔薇が銃を抜き放ち、巨像が幾つかの投げナイフを袖の中に入れる。そして、両者はゆっくりと森の中に足を踏み入れた。

 数十歩ほど。鬱蒼とした森林の中で、両名は少しも足音を立てずに入り込むと、周囲を確認して人の目が無い事を確認する。


「どう?」

「いない」


 見張られている様子はない。ならば、やはり先の痕跡は警備員では無いのだろう。

 その事実に安堵のため息を漏らすと、薔薇は抜き放っていた愛銃をホルスターに仕舞い込む。


「行くわよ?」

「あぁ」


 そうして、薔薇と巨像は森に入る。

 この先には大規模麻薬カルテル、天上の道導。その本拠地がある筈だ。




 留り木キッドは、静かにエールを飲み干した。

 酔いが大分回っていた。しかし、どうやら覚めてしまったようだ。少し肌寒い感覚を確かに感じながら、キッドは芋をハーブと共に揚げ焼きにした料理を頬張る。

 アンチョビが効いているそれは、僅かな塩味と柔らかい食感と共に幸福を齎す。

 正直に言って、この酒場で一番美味しいと思っている。


「はぁ、ダボが」


 やはり、酔いが覚めた原因は明確だ。


 薔薇のせいだろう。


 尤も、心地よいまどろみを邪魔されたのが一因でもあるが、問題は薔薇そのものにある。

 彼女から漂う威圧感は、やはりどうも慣れられそうにない。

 例えば、見知らぬ他人から道を尋ねられた時、人はどう反応するだろうか。

 素直に道案内する者も居るだろう。急いでいるとして拒絶する者も居るだろう。ただその相手が、筋骨隆々の大男だったらどうだろう。

 要は、イメージの話だ。

 人は外見から、つまりは視覚から人の印象の殆どを決定づける。この酒場に入ってすぐ、ジョッキを何杯も空けているキッドを飲んだくれの屑だと見做すのは、科学的根拠があるということだ。

 では、それを薔薇に当てはめると。

 一般人は迷いなく幼い子供だと答えるだろう。ただ、裏社会に生きて来たキッドは違う。

 彼らが生きる世界で最も重要なのは、生き延びる力だ。つまるところ、勝てない相手を真っ先に見極める力。当然ながら、その力はキッドにも備わっている。

 

「バケモンが」


 全身の毛が逆立ち、心臓は早鐘を打ちながら警鐘を鳴らす。

 あの女は、今まで出会ったどの女よりも危険だ。

 伝え聞く技術も、立ち振る舞いも、歩きからにじみ出る重心の移動や姿勢、手の動きも何もかも。

 表面的な危険性は無論ない。ただキッドの脳が、薔薇を構成する何もかもが生とは程遠いと避けようとしている。

 例えるならば、大蛇が隣でとぐろを巻いている状態。

 そんな怪物が隣に居れば、酔いも醒めるというもの。


「仕方ねぇ、飲み直すか」


 幸い、薔薇が追加で注文してくれた十五杯がある。

 大蛇とは言え、上手く扱えば武器にもなる。だが、諸刃の剣を扱うのにはやはり怖さもあるのだ。

 現時点で彼女、正確には彼女たちはキッドに敵対する気は無いらしい。それもこの街近郊の情報では、キッドを贔屓してくれているようだ。

 こちらに刃が振り下ろされる気配はない。

 その事実に安堵しつつも、今回の狩り。少し気になる点があった。


「あのユークがねぇ」


 王国軍のユークが、少し気になる動きをしている。

 疑わしい、とまでは言えない。詳細に何をしているのか、現状では一切推測できないからだ。

 ただ、普段しないような動きをしている。というだけ。

 情報屋は、情報を切り貼りして売るのが仕事。ただ、知らぬ情報を切り貼りして隠された真実を暴き出す事も必要だ。そうやって得た情報は、何より金になる。

 ユーク・ユースタス。生まれは帝国、育ちは王国。父親は生まれると共に死去。母親は、生きるのに困り王国を転々としながら盗みを繰り返す。

 最終的には、賞金首として狩られたようだ。

 中々に壮絶な生まれだな、とキッドは脳内のカードを場に並べる。

 他に並べるべきカードと言えば、最近の天上の道導の動き。

 王国内で、麻薬の密輸が滅法減ったのだ。当然天上の道導は大規模な麻薬カルテル。この動きにも、何らかの関与をしているかと思われる。

 そして帝国内で、食料等の物価が向上し始めた。これは、定期的に行われる王国と帝国の、戦争準備だろう。

 戦争屋を豊かにするためか、王国を疲弊させるためか、理由はキッドには知る由も無いが帝国と王国は定期的に矛を交えている。毎度適当な理由を付けて行われるそれは、最早恒例行事とも言える。これ程物騒な恒例行事も、他に見たことが無いが。

 帝国に恨みを抱くだろうユーク、大規模麻薬カルテルの密輸量減少、そして例年の帝国の戦争準備。

 持ち寄った原石を、今度は磨く作業だ。


「ちょっと出る」


 新しい酒が提供される前にマスターに軽く告げ、キッドはジョッキを片手に酒場の外に出る。

 まだ酔いが残っている為、少し覚束無い足取りで向かうのは厩舎だ。青々とした空の中で彼はゴーグルを持ち上げる。ヘーゼルの双眸が、いわし雲を睨んだ。


「この場合は、あいつらかな」


 両手の人差し指と薬指を口に加え、大きく息を吹く。

 指笛により、甲高い音が響いた。

 襤褸布のような外套で指に着いた涎を拭き取り、キッドはポケットに手を入れながらジョッキに残ったエールを呷った。

 暫く待っていると、巨大な影が空を覆い尽くす。

 それはただの雲ではない。一つ一つが蠢き、意思を有して進んでいる。その目的地は無論、指笛を吹いた主。キッドだ。

 蠢く影が喚く。しわがれた、烏の鳴き声。

 伝書鳩は本来、鳩の高い帰巣本能を用いて手紙を送り届けている。だが、キッドの場合は少し違う。

 羽ばたく烏の一匹が厩舎に着地する。それを皮切りに、その他全ての烏も着地する。

 キッドはコートのポケットから取り出したパン屑を撒き、自分の肩に留まった烏を撫でる。


「いい子だお前達。ハハッ、こら服を引っ張るな」


 キッドは他の烏を嗜めながら抱え上げる。

 欲しい情報は幾つもあるが、その中で最もきな臭いのはやはり帝国の動きだろう。そして。ユークの動きも。

 情報屋とは言え、実態は商人に近い。

 つまり、彼自身の勘の良さが物を言う。


「いいかお前達。ユークに付き纏ってくれ。何か新し事があればライト、お前が記録するんだ」


 烏の一匹が返事をするように鳴くと、そのまま彼の腕から飛び立った。

 その一匹に付き従うように、他の個体もあっと言う間に厩舎から消える。あるのは、立ち尽くす一人の男それだけ。


「さて、どう転ぶかな」


 精査すべき情報の一つ、天上の道導には薔薇と巨像が向かっている最中だ。ならば、何も心配は無いだろう。

 キッドが知る中で最も力を持つ、最高の賞金稼ぎならば。




 つまらない仕事だ。

 様子の変わらない、鬱蒼とした森林を前に心の中で独白する。

 裏社会でも権威ある天上の道導の元で警備兵として雇ってもらえたはいいが、そこまでが運の尽き。

 麻薬王のお膝元だからといって麻薬で遊び放題という訳でもなく、女が好き勝手に抱ける訳でもない。

 朝から晩まで、型落ちの安い拳銃片手に景色の変わらない森の監視を強制される。古くなっているのかトリガーも緩く、誤射暴発のオンパレードというおまけ付きだ。

 ただ、考えてみれば当たり前のことだった。

 麻薬はそもそも商品。なので、下っ端警備兵である自分に与えられる訳も無い。女はデルガーとそのお気に入りが独占する。下っ端の警備兵が指一本でも触れれば、瞬きの間に風穴が開けられるだろう。

 良い物は富める者が、悪しき物は貧しき者が。これ程分かりやすく、単純な社会の法則もないだろう。本当に必要な物は、弱者には回ってこない。

 とは言えやめたくてもやめられるほど白い環境でもない。情報の漏洩を避ける為、天上の道導は裏切り者を追い続ける。

 ある話では、この組織を抜けて遠方の国に逃げたとて、次の日には自室で首を吊っていた者もいる。このような話を、既に何度聞いたことか。

 だからこそ、一生、使い潰されて死ぬまで続くだろうこの退屈を、噛み締めているのだ。


「ひ」


 その声を発したのは、自分ではなかった。

 恐る恐る周囲を見回す。

 特に動物がいるという訳でもない。あるのはただ広がる緑。根を広げる巨木と、背の高い雑草に背が低く小さな花。

 恐らくは、さっき聞こえた声は気の所為だろう。そう思い聞かせ、再び前を見る。今度は先程までと違い、いつも通りのつまらない仕事であることを望みながら。

 ぬるりと、不穏な気配が背後にあると気付いたときには、もう既に遅かった。

 脇腹に小さな衝撃を感じ取る。


「いっ」


 声が出ない。その代わり出るのは、ひゅーひゅーと不鮮明な空気の抜ける音。続いて顕在化した激痛により、次第に状況を理解する。

 脇腹を何者かに刺された。それも、脇腹から肋骨の下を潜るようにして、肺に穴を空けて。だから、声を出そうと息を吸っても、肺に収まった空気が抜けて声が出ない。

 もう一度、今度は反対側だ。

 正確無比な一撃は確実に、切っ先で肺胞を突き破る。

 抵抗の隙すら無い。穴の空いた風船のように、肺から情けない音を立てて空気が抜けていく。いくら息を吸おうとも脳に酸素が送られず、段々と視界の端が黒く染まっていく。

 腰を、太腿を伝い、血が流れ出ていく感触だけがやけに鮮明に感じ取れた。

 膝を蹴り折られ、跪いた体勢になった自身の口を、恐らく襲撃者であろう柔らかい手が押さえ付ける。周到な事だ、もう声は出ないというのに。

 まるで、幼い少女のような体温の高く柔らかい手。

 そうして薔薇が首に刃を振り下ろす。

 走馬灯。首に刃が滑り込むまでのほんの僅かな時の中、彼は近くの街に残したハンディキャップを持つ妹のことを思い出していた。

 その死体は、ロケットペンダントを握り締めて。




「……殺さなくても」


 首に刺したナイフを抜き取り、遺体の衣服で血を丁寧に拭い取る。そしてその最中、遺体が何かを強く握り締めている事に気付きそれを解き、内包されていたロケットペンダントを取り出した。

 開いてみると、中には写真が一枚。ベッドの上で微笑む、一人の黒髪の少女の姿。


「……あァ? 木偶は黙ってなさいよ。ここにいる奴なんて皆犯罪者よ。ほっとけばその内懸賞金が付くわ。……そう考えると少し勿体ないわね」


 少しの間を置き、ペンダントを投げ捨てる。腰の後ろに携えたシースにナイフをしまう。

 そして不服そうに巨像を怒鳴り付けると、足元に転がる遺体を他より一際雑草の生い茂る箇所へ蹴り転がす。


「にしても結構いるわね、警備」

「……練度は低い」

「そうね、ただの寄せ集め。それだけが幸いだわ」


 天上の道導を構成するメンバーは全員が仄暗い過去を持つ犯罪者だ。それをいいことに、デルガーは彼らを自律思考する道具と言わんばかりに使い潰している。

 その中でも警備兵は雑兵の雑兵だ。それでも一切発見されずに侵入する事は難しい筈なのだが、賞金稼ぎとしてトップクラスの実力を有する薔薇と巨像にとっては、そこまで難い事ではない。


「あーもう、服が汚れるわ。鷹飛びが居ればこんなことしなくてもいいのに……。肌が血を吸ったらどうするのよ、私は別に吸血鬼になりたい訳じゃないのよ?」

「……奴は胡散臭い」

「そんなの知ってるわようるさいわね。アンタは黙ってなさい」


 理不尽な暴言を投げながら死体の銃から銃弾を抜き取り、パンツのポケットに仕舞いながら先程まで見張りが向いていた反対側へ、薔薇は周囲を警戒しながら茂みを掻き分けていく。

 まだ森は深い。薔薇の視線の先には、再び使い潰されている見張りが案山子のように立っている。


「はぁ、まだいるのね。蟻みたい」


 面倒臭そうに零しながらも、彼女の目は再び狩人のように鋭い物へと変わっていた。

 マントの下。ベストの上からに巻いたベルトに備えつけられたナイフシースから投擲用のナイフを抜き取り、順手に持つ。

 巧妙に茂みが無い場所を選びつつ、獲物から見た時に薔薇自身の影は茂みに隠れるように。そうして線、時折点の動きを織り交ぜながら徐々に距離を詰め、敵を射程圏内へ捉える。

 彼女の投げたナイフは、吸い込まれるように見張りの首元。あまりにも鮮やかなその芸当は、最早その場所にナイフが収まる事が決まっていたかのようだ。

 小さな悲鳴と共に、また一つの命を終わらせた。


「はぁ……私だってほんとは殺したくないわよ。殺さずに済むんならそうしたいわ」

「……何故」


 神妙な面持ちで、今までの罪を独白するように零す薔薇に、巨像は無機質な声を投げ掛ける。

 当たり前だ。このような血腥い仕事を生業としていたって、彼女が年端も行かぬ少女だということには変わりない。彼女にも罪の意識が。


「刃がべとべとするのよー! 一回一回洗面所に寄って洗いに行きたいくらいだわ! はぁ、撃ちたい」


 無かった。

 遺体に歩み寄り、先程と同じようにナイフを拭い銃弾を奪う。そして、背中側を覗くようにして確認すると、彼女は今までと違った声を上げる。


「ん?」

「……どうした」

「何か見えるわ。木偶、ちょっとこっち来なさい」


 そうして彼女の下に歩み寄る巨像の装備の中から単眼鏡を抜き取り、再び同じ方向の様子を窺う。

 何度か焦点を合わせる為に単眼鏡のつまみを回し、ようやくその先の物の詳細を確認した彼女は、再度声を上げた。

 あるのは広大な畑。青々と茂った植物はその一株一株が全て、麻薬である赤這いの原材料となるものだ。

 各所に点在する見張りの先には、何台もの台車を傍らに留めた煉瓦製の建物。窓は少なく、その周りには一際多くの兵士が警備に付いている。そこから少し行った所には、荷車と収穫した麻薬を置く場所がある。こちらの方は、小屋とは違って警備は少ないようだ。


「畑ね。途方も無く広い……。遠くに事務所みたいなのも見えるわね。加工場にも見えるわ」

「……どうする」


 当然ながら、薔薇と巨像の目的地はこの先。強いて言えば、そのさらに先だ。

 このような場所に構っている時間的余裕はない。見張りを幾人か殺している以上、いつかは侵入が発覚するのが時間の問題であるからだ。

 最善策は、この畑を真っ直ぐ抜ける事。

 だがそれは出来ない。理由は至極簡単。巨像は目立つからだ。遠目で見ても、少し大きな黒い影が素早く動いているように見えるだろう。侵入が発覚してしまえば、賞金稼ぎどころの話ではない。まず、生きて出られるかさえも怪しいものだ。


「ん、いいものがあるわね」


 薔薇の近くの森の入り口に荷車が止められてあるのを発見した薔薇は、単眼鏡を巨像の防護服に仕舞い顎に手を置く。


「本当なら回り道したいわ」


 森にぽっかりと空いた穴のような畑の外周を回り、本拠地である屋敷へ向かう。これならば、広大な畑を横切る必要は無く、発見のリスクが低い森を進むことが出来る。

 ただそのプランには、一つ問題があった。


「……時間」

「知ってるわ。時間が掛かり過ぎる。着いた頃には昼間ね。見張りの殺しもバレる可能性が出てくるわ」


 キッド曰く、千を超える大規模な私兵だ。管理には多少手を抜いている筈だが、一日に一回以上は兵士の数を確認する点呼がある筈である。

 薔薇たちがここに至るまで殺してきた数は四人程。外周を回れば今までと同じように殺す数は増えていく為、確実にそれ以上にはなるだろう。

 一度訪れた首帯を撃退している以上、彼らも賞金稼ぎの襲撃には慣れている筈だ。それほどの数を偶然で片付ける程、甘い連中ではないだろう。


「やっぱり突っ切る形になるわね」

「……どうやって」

「少なくとも殺しは出来ないわ。森と畑じゃ視認性が段違いよ。埋めでもしないと隠せないわ」


 死体が発見されでもすれば、警戒態勢が一段階上がる。

 そうなれば、忍び込むことは難しい。


「……」

「分かってるわ。ちょっと後ろ向いてなさい」


 彼女等薔薇と巨像のような通り名は、何も彼女等自身が名乗っている訳では無い。

 首帯、鷹飛び、そして巨像。それぞれの特徴が同業者によって分かりやすく通り名として呼ばれたのが切っ掛けである。そして、彼女のものもそう。

 バラは、世界で最も多くの種類の種類を持つ花だ。世界各地で愛されるその芳香はかつて、教会により「人々を惑わすもの」として禁じられたこともある程。

 ただ特筆すべきは、姿と色である。


「いいわよ」


 少し巨像が背中を見せただけで、彼女の容姿は百八十度変化していた。

 先程までの可憐な少女の風貌は何処へやら。中肉中背で気怠そうな目に、見張りが着ていた服に袖を通している。その見た目は何処からどう見ても、見張りの内の一人だ。

 白、黄、緑、黄金、橙、赤、茶、紫に桃色。様々な色を見せる薔薇のように、ある時は娼婦に、ある時は兵士に、またある時は農夫に姿を変える。まるで庭園の薔薇のように、一株として同じ色と姿形を見せない。

 彼女は銃や投げナイフといった遠距離武器の名手にして、変装の名人。それこそが、彼女の通り名の由来である。

 ハンドサインにより合図を交わし、素早く森の中から飛び出る。


「立たないでよ?」


 薔薇が荷車を押しながら畑の中を進んでいく。

 荷台には山のように積まれた麻薬の原材料。に、擬装した巨像だ。森の中から何度も姿を見せぬように材料をくすね、防護服の至る所に葉を差し込んだ特製の迷彩服だ。

 そんな巨像に小さな声で語り掛けながら、怪しまれぬよう堂々と麻薬畑を進む。


「と言うか、どう?」


 視線を動かさずに薔薇は訊ねる。変装に合わせ、すっかり雑踏でよく耳にするような特徴の無い男の声だ。

 蹲った状態でもぞもぞと身動ぎをすると、巨像は地響きのような低音で呻く。


「……かなり上質」


 巨像は、薔薇と巨像と言う賞金稼ぎの前衛ではあるが、同時に様々な状況に対応するために自ら薬や爆薬を調合する学者でもある。

 彼であれば、麻薬を加工する前の状況から麻薬の質を確かめる事も出来る。


「これが市場に出回ってるんでしょ? 全く大変ね、大犯罪者って感じだわ」

「……喋るな」

「何ですって?? 木偶のアンタが私に苦言を呈すなんていい度胸ね。 いいわ、そろそろ」


 ハッと我に返り、辺りを見回す。幸い、彼女等の正体に気付いたらしい者はいない。


「木偶、私を刺激しないで頂戴。アンタのせいで危うく蜂の巣になるところだったわ」

「……何もしてない」

「く、ち、ご、た、え、もよ……ッ!!! 二度と私に逆らわないで頂戴。いいわねッ!」


 畑を横断し、小屋を通り過ぎ、問題無く荷車置き場に辿り着く。周囲を確認するも、二人を怪しんでいる兵士はいないようだった。

 荷物である巨像はそのままにし、近くにいた見張りの一人に薔薇は声を掛ける。


「収穫してきたぞ」

「ご苦労さん、フリーさんはまだ来てない。収穫したもんは納屋に入れておいてくれ」


 時刻は早朝。ようやく空に光が差して来た頃合いだ。一般的な生活リズムをなぞっているならば、この時間にまだ起きていなくても不思議ではない。

 そして、フリーの名。

 彼女こそまさに、賞金首の一人である天上の道導所属の植物学者。デルガー腹心の衛星が一人であるフリーだろう。

 植物学者と聞いた時から薄々察していたが、彼女は麻薬の生産を一任している人物なのだろう。巨像を持って上質を言わせるような麻薬を栽培できるのも、ひとえに彼女がいてこそか。

 男が怪しんでいる様子は無い。薔薇は、少しでも多く情報を引き出さんと演技を続ける。


「ねみぃ……こんな朝っぱらからフリーさんはどこにいるんだ?」


 取り得ず、知りたいのは位置だ。

 薔薇が演技で欠伸をすると、見張りの男は軽く笑う。そして、釣られるように彼も長い欠伸を漏らした。

 見張りの男には眠さが残っている。きっと、遅番なのだろう。


「ハハッ、早番はズリィよな。フリーさんは本部でミーティングだそうだ」


 寝ているのではないのか、と薔薇は少しだけ自分の予測が外れた事を悲しく思いながらもすぐに考えを改める。

 これは、絶好の好機だ。

 フリーは三人の幹部の一人。そのフリーがミーティングとなると、それ以外の衛星のメンバーも揃っている可能性が非常に高い。

 同時に、最終的な目標であるデルガーの存在の可能性も。


「いいなぁ、本部かぁ」

「な、あっちにはいい女も質のいい麻薬も沢山あんだよな」

「ここのも十分だろ」

「確かに。あ、そうだ知ってるか? ここ最近、あのキャリーさんやトークさんが集まって何度も会議しているらしい」

「へぇーあの輸送担当と交渉人の?」


 気持ちよくなってきたのか、もしくは深夜を超えた時と特有のハイか。見張りの男は早口だ。

 だが、気持ちがいいのはお互い様。目標が殆ど揃っている可能性に、薔薇は少しばかり安堵する。


「何でも、交渉相手は帝国らしい。それも、一度全ての密輸を中止してるってよ」

「へぇ……――」


 薔薇は会話を続けようとはせずに思案に潜る。

 交渉相手は帝国だという。帝国と言えば、この国の隣国である。ここと同じく広大な領地を有し、ここと匹敵する程の軍事力を有す大陸屈指の大国の一つ。

 表立ってではないだろうが、それが一麻薬組織に取引を持ち掛けるとはリスクが大きすぎる。


「あ、おい、鮮度が落ちる。さっさと置いてこい」

「あー悪い」


 そうして、見張りの下を離れ、薔薇は荷車を納屋の方へ押していく。


「聞いたわね? 標的が全員いるのは僥倖だわ。にしても、ちょっとキナ臭いことになって来たわよ」

「……帝国か」

「ろくでなしの集まりの麻薬カルテルが上客との取引の間だからって、取引を止める訳が無いわ。多分取引の中止は帝国の指示ね。で、相手が帝国となると……輸送経路で兵隊でも運ぶ気かしら」


 麻薬カルテルの輸送経路は巧妙に隠されたものだ。現に、王国がこの一大組織を表立って潰しに行けないのも、この輸送経路が分からないからという理由もあるだろう。

 そんなルートを補給路として敵兵が扱うとなると、恐ろしい。

 透明な敵が突然背後に現れるようなものだ。その上、奇襲の対処に力を入れ過ぎれば同時に本土より進行するだろう帝国の本隊に対応できない。王国は苦戦を強いられるだろう。上層部が麻薬カルテルとズブズブのこの国であれば、尚更だ。

 歴史上帝国は、兼ねてより幾度も王国と砲弾を撃ち合って来た。そんな帝国なら、戦争をしたがるのも理解できる。


「面白いことになったわね。こいつら放置したら、晴れて私たち二回目の亡国の民よ? テンション上がるわね」

「……知らん」

「まぁそうね。別の国にでも行こうかしら。はぁーまたコネ作るのがめんどくさいわ。あ、まずはこの仕事ね。聞いてた?」

「……あぁ」

「とりあえず、ここが畑だって分かっただけで大きいわ。多分ここから続くのは、新鮮な内に麻薬に加工できる近い位置に加工施設」


 薔薇の推測は続く。

 麻薬の原材料である畑から、最も近い位置に加工施設があるだろう。

 鮮度を維持しつつ、素早く加工する為に畑のすぐ側に加工施設があるのは頷ける。そして、加工施設により完成した麻薬は天上の道導にとって最も重要な商品。当然、頭目であるデルガーの屋敷に匹敵する警備を配置している筈だ。

 となると、施設の配置は決まって来る。

 畑、加工場、警備兵の詰所。そしてデルガーの邸宅だ。


「どこかに下水道がある筈よ」

「……おじょ」


 ナイフの鋭い突きが巨像の首元に振るわれる。

 まるで、金属と金属が打ち鳴らされたような甲高い音。超高度の性能の防刃性を有すそれは、薔薇のナイフなどものともしない。


「に、ど、と、その呼び方をしないで頂戴。私は薔薇、それ以上でも以下でもないわ。勿論私も一緒に行くわ、慣れてるし、森の方が安全。流石に街の下水処理場と同じ施設を使っている訳ないし、独自の施設を有してる筈だわ」

「……あぁ」


 麻薬加工時の排水を流しているとすると、一般的な下水施設に流しては発覚の恐れがあるからだ。

 納屋の裏口から抜け出し、薔薇と巨像の二人は森に再び潜伏する。

 そうして彼女の言う通りに天上の道導が独自に用いる下水道に到着するまで、大した時間は掛からなかった。


「川に垂れ流しなんて……」


 巨大な石煉瓦のトンネルが掘られ、暗いその奥から汚水が流れている。そのどれもが全部、粘度があるのかある程度まとまった塊となってぼとぼとと音を立て川へ落ちていた。その悪臭は、推して語るべし。

 川の上流は一切の澱みの無い清流だ。小川、と言った方が正確な小さい川だが、まだ少し暗い森の中でも僅かな光を反射して輝いている。ただ汚水を流されたそこからは違う。

 まるで汚泥でも流したかのようだ。否、実際にそうなのだろう。濁っていて、底が見えない。その上、まとまった汚泥が川の流れによって解かれ、耐え難く激しい悪臭が鼻腔を切り裂くかのよう。


「独自の施設、いや施設って言う程近代的じゃないわね。一体いつの時代の人間なのかしら。少し楽しみだわ」

「……下流の村で、流行り病」

「あぁーあったわね確かに。これが原因だなんて夢にも思わなかったわ。ねぇ、綺麗な布ある? 一応口と鼻に巻くわ」


 装備の中から取り出した布を口許に巻き、薔薇は大きく深呼吸した。

 名残惜しいが、森の綺麗な空気はこれでおしまい。ここからは、汚泥に満ちた空間である。


「じゃあ、行くわよ」


 巨像の手を借りず、軽々しい動きで薔薇が最初に乗り出す。そして、後から巨像が続いた。

 下水を垂れ流すトンネルは水の流れる音か、何者かの足音か、もしくは地獄へ手招く声か。様々な音が反響し、ごうごうと不気味な音を鳴らしていた。

 まるで、招かれざる客に警告するように。

 暫く無言で歩いた後、おもむろに薔薇が口を開く。


「暑いだ寒いだってのは、勿論気温の変化によるものよ。でも、どうやら一部は脳の思い込みらしいの。私それ聞いて思ったの」


 コツコツという足音と、軽快な話し声だけがこだまするように響く空間で、二人は足早に歩みを進める。

 幸い、下水道に配備された見張りはいなかった。だが彼女等は万が一の接敵に備え、小さいランタンを巨像の防護服にぶら下げている。

 流石に薔薇と巨像も人間。暗い場所であれば、灯りが無いと進めない。

 とは言え、灯りとは本来一番目立つもの。ここのような暗所では、灯りが遠くからでもよく見える。

 既に敵が銃で武装している事も把握している為、敵が灯りを目掛け遠距離の狙撃をすることも想定すると、最も危険なのは灯りの持ち主だ。

 そこで、銃弾を物ともしない巨像に灯り役を任せている。


「暑い寒いは触覚でしょ? 同じ五感なら、味覚も嗅覚も強い自己暗示で誤魔化せるんじゃないかって」

「……結果は?」

「無理ね、吐いていいかしら」


 巨像が沈黙で認めると、薔薇は手早く布を外し流れる下水を少しばかり増やす。

 煉瓦造りの下水道は、悪臭と害虫が充満する場所だった。厚い防護服を着込んでいる巨像はともかくだ。

 薄い布一枚の薔薇が耐えられる訳も無く、数分も立たぬ内に嘔吐いていた。


「うう……臭過ぎるわ。そう言えば、確かに中毒者って総じて臭い息してるものね。って言うかアンタだけ狡いわよ。私にもその服寄越しなさいよ」

「サイズが」

「ちょっとぐらい隙間あるでしょ! 入れなさいよ! ほら、私と一緒に居れてアンタも嬉しいでしょ? 嬉しいわよね? そうよね知ってる。じゃあ失礼するわね」

「……離れろ」


 返答に詰まる巨像に、薔薇は更に捲し立てる。


「はぁ、アンタはいいわよね。敵の攻撃とか避ける必要無くて。こないだとか、アンタ敵の砲弾まともに受けて無傷じゃなかったかしら?」

「……あぁ」

「羨ましいわ。私なんて一撃貰ったら即死亡よ? 砲弾なんて以ての外だわ。ぼんって――薔薇は手を結び、勢いよく開く――弾けるのが落ちだわ。なんとか避けて避けて、敵の攻撃を掻い潜って漸く反撃のチャンスにありつけるの。それをアンタは何? 真正面から敵の攻撃をもろに受けながら進んで間合いに入ったら剣振るだけ? 頭おかしいんじゃないかしら。いえ撤回するわ。頭がおかしい。大体何よ、その服って刃を通さないだけで衝撃はまともに受けるんじゃなかったの?」

「……あぁ」

「じゃあなんで砲弾受けて無事なのよ。榴弾よ? 普通そんなのが着弾したら至近弾でも人間は散り散りになってる筈なの。それをアンタは何よ、アンタの身体はいつから液体になったのかしら? いいわよねアンタは体格に恵まれて。アンタが喧嘩で負けてるの見た事ないもの。私は負けばっかりよ? その差を私は努力で埋めて……木偶」

「あぁ」


 二人の視線が下水道の先に向かう。

 彼女等が聞き取ったのは、今薔薇たちがいる場所に向かう複数の足音。巨像が素早くランタンの灯りを消し剣を抜き放ち、薔薇が両手にナイフとリボルバーを構える。


「――」

「――」


 不鮮明な話し声と共に、遠くでランタンの灯りが芽生えた。会話の内容は聞き取れない。しかし、複数名がいることだけは確かだ。

 薔薇はリボルバーだけを仕舞い、辺りを見回す。そろそろ暗所でも目が慣れてきたところだった。下水道は一本道、接敵は避けられない。ならばこそ、後手に回る事だけは避けねばならない。

 彼女の視線が上に向いたところで、彼女はゆっくり口を開く。


「木偶、持ち上げなさい。アンタは案山子よ」

「……狙撃は?」

「射程圏外よ……。そんな便利な道具じゃないのよこの子は。出来て三十メートルが関の山ね」


 薔薇の指示通りに巨像の手の甲に乗った薔薇が、巨像が手を上げることにより天井に近付いていく。

 彼女は色褪せた煉瓦、その隙間を軽くなぞると、腰元のナイフを両手に構え思い切り天井に突き立てた。

 甲高い音が小さく響き、薔薇は確かな手応えと共に切っ先で抉る様にナイフを軽く動かす。そしてゆっくりと、そのナイフを支柱に身体を持ち上げ、天井にぴったりとくっついた。

 小さい体躯ながらも確かにある筋肉で体勢をキープしつつフードを落ちないように深く被り、色までも擬態する。単純作業の繰り返しの警邏では、この環境に隠れ潜む避役のような彼女に気付くことは難しいだろう。

 人間は足元に意識が向きやすい。何故なら、自分自身が通る道だからだ。

 このような警備では尚更、警備兵は「侵入者は地面を歩いている」という固定観念に囚われている可能性が高い。その上、このような脚を踏み外す事を絶対に避けたい場所で上を向いて歩く人間などまずいないだろう。

 対して巨像は、剣を抱えるようにして蹲る。まるで岩のように道を塞ぐ彼を少なくとも異常だとは思うだろうが、人間だと思う者は少ないだろう。


「ん?」


 計三人の見張り。

 一人が巨像に気付き足を止める。残る二人も以上に気付き、並ぶように止まった。

 ランタンを持つ一人が高く掲げる。

 橙色の光は舐めるように、巨像の身体の一部を照らした。


「なんだこれ」


 訝し気に呟き、警備兵はゆっくりと片手を拳銃に忍ばせながら距離を詰める。

 一歩、また一歩。徐々に光が強くなる。

 伸びる四肢、防護服の皺、呼吸に動く背中。もしかしたら人間かも知れない。そう警備兵が思った時には既に、彼らは巨像の射程圏内にいた。


「あ」


 起き上がった巨像が、片膝を突きながら剣を薙ぐ。

 刃は一切の抵抗無く一番前に出ていた兵士の腹筋を断ち切り、脊髄を断ち切り、身体を二つに分けた。

 両断された上半身が落ちるよりも、もう二人が声を上げるよりも早く、薔薇が動く。

 一番後方にいた兵士の首に降り、肩車のような体勢を取りながら手早くリボルバーをホルスターに収めナイフを振り下ろす。

 降り立った薔薇に、突き立てられた刃に、反応する暇を与えない。

 一切の抵抗も無く刃はすんなりと皮膚を食い破り、頸動脈に穴を空ける。ただ、まだ終わらない。

 薔薇はそのまま身を這う蟻のように手早い動きで男の肩から降りると、肋骨の下を潜り抜けるようにして肺に穴を空ける。

 声とは、息を吸い込んで行うものだ。彼女はナイフを用いて肺を狙う事を好む。それにより、肺胞に満ちる空気に逃げ場が生まれ。声を出す為の空気が無くなるからだ。

 反対側も同じようにした頃には、既に男の目から生きる希望が失われた頃だった。


「いやっ」


 二人の死を目の当たりにし、警備兵の直感が死を感じ取ると同時に、巨像が返した刃が兵士の脚に入っていた。

 斬り飛ばされた脚が、ぼとりと音を立てて汚物の流れの中に落ちる。

 達磨落としのようにバランスを崩すも、兵士は倒れない。倒れる最中の兵士の口に薔薇が手を当て、同時に彼の頸に冷たい刃を突き付けたからだ。


「叫ばないで、喋らないで、口を開いたら殺すわ」


 ナイフにぬらりとした血液の感触を感じながら、兵士が何度も激しく頷く。

 陳腐な脅しではあるが、それを疑うにしては既に犠牲が多過ぎる。

 薔薇は兵士が怯えていることを確認すると、ナイフを少しだけ肌に食い込ませる。

 薔薇と巨像が有す情報は未だに少ない。

 一応はキッドにより輪郭だけは掴めてはいるものの、詳細な情報については侵入し暫く経った今でも謎に包まれているのが現状。

 であれば、情報を聞き出す他無いだろう。これは彼女等による、少々過激な尋問である。


「アンタは何処から来たの?」

「……」


 ナイフの刃が煌めき、警備兵の右小指を落とした。


「っつああぁぁ!!!!!」

「うるさい。猶予は二秒よ。もう一度訊くわ。アンタは何処から?」

「く、訓練場だ」

「何故ここに?」

「直接指示されたんだ、見て来いって……」

「どこからデルガーの豪邸へ行けるの?」

「ここから三つ目の梯子から……豪邸のすぐ近くに出れる」

「そこに警備は?」

「……いない」


 その回答に薔薇は眉を顰める。

 今の警備兵の話を聞く限り、デルガーは何かを察している可能性がある。そんな彼が、自分の邸宅へ近づく道に警備を置かない筈も無い。

 つまるところ、彼の言葉には嘘が混じっている。


「木偶、アレ頂戴」


 呼びつけた巨像が彼女に差し出したのは、一本の注射器だ。

 白く濁った液体が内包されたそれは、何かが沈殿しているのか下の方に白い層が形作られている。

 それを軽く振って混ぜた後、迷い無くナイフ片手に警備兵の右腕の服の上から差し込んだ薔薇は、中で揺れる液体をゆっくりと注入した。

 最初は戸惑いと恐怖が入り混じった表情を抱いていた警備兵だったが、液体が体内に入って行く程に徐々に緊張がほぐれていく。

 暫く待っていると目はとろんと溶け、強張っていた筋肉が弛緩する。まるで、至福の最中にでもいるように。


「豪邸のすぐ近くに出れる梯子、そこに警備は?」

「あぁ…………五人だ」

「やっぱり、自白剤入れといて正解ね」


 彼女が用いたのは、即効性の高い自白剤。

 効果は非常に高いが、持続性は極めて短い。本来は後遺症等は残らないが、薔薇等により用いられる倍以上の濃度のそれは、打たれた人間を確実にもう二度と人間的な生活を送れない廃人にする。


「デルガーはどこ?」

「……いつもは私室にいる。今日は……ミーティング」

「衛星はどこ?」

「ミーティング……豪邸にあいつら用の部屋もある」

「ミーティング室はどこ?」

「……あう」

「屋敷の図面は?」

「……」

「敵の数は?」

「……」


 ナイフが頸の皮を突き破った。

 焦点の合わなかった目がぐりんと白く剥かれ、切創から噴水のように深紅が噴き上がる。手は糸の切れた人形のように垂れ、小さなうめき声を最後に鼓動が止まった。


「下っ端ね」


 警備兵の亡骸から手を離し、ナイフに付着した血液を兵士の服で拭い取る。

 その間に巨像は、兵士の遺体をまるで包丁で料理でもするように剣で次々と細切れにし、汚水の流れに遺棄していく。

 殺人は犯罪だが、相手は賞金首に仕える兵士。法的にはグレーゾーンではあるが、一応黒ではない。とはいえ、証拠隠滅は図るに越したことはない。


「聞いたわね?」

「……五人か」

「何とかなるわ。不意打ちだもの。それより問題は、ここの警戒を頭目が直接命じた事よ」


 薔薇たちは毛の一本に至るまで毛ほども痕跡を残していない。

 正確には残してはいるが、怪しまれるような痕跡はない。見つかれば、一発で厳重警戒になってしまうような痕跡だ。

 森を警備していた遺体は茂みに隠してあるし、何かを落としたなんてことも無い。そもそも遺体が見つかっていれば、連中はすぐに厳戒態勢に入っているだろう。

 それが無いという事は、薔薇たちの侵入の痕跡は見つかっていないという事だった。それなのに。


「恐ろしく勘がいいか、偶然か……人じゃない何かが味方に付いてる、なんてことは無いとは思うけど」


 心配そうに零しながら、薔薇は転がっている警備兵の小指を蹴り落とした。

 証拠も隠滅し、暫く歩く。

 一方通行の下水道だが、豪邸付近の昇降口は外側に凹むような空洞になっているようだ。薔薇はその中を覗き込み、敵を観察する。


「……」


 この空洞は質素だが休憩室の役目を担っているようだった。

 壁から一定の距離を取って並べられたソファーに、テーブルの上にはトランプ。薔薇側の壁にもたれ掛かり、煙草を吸っているのが一人。席に着きトランプを愉しんでいるのが三人。梯子を挟んで壁にもたれ掛かり話しているのが二人。計六人。

 そのどれもが同じような服装に、拳銃を装備している。それを確認し、薔薇は顔を引っ込める。


「増えてるじゃない……どういうことよ」

「……援軍」

「だとするとかなり不味いわ。バレてるじゃない、私たちのこと」


 唯一勘付かれる可能性があるとすれば、やはり死体。

 だが、死体が見つかっておいて厳戒態勢に映らないのもおかしい話。


「……だが」

「えぇ、バレてるならバレてるで厳戒態勢を敷く筈だわ。つまり、勘付いてはいるけど確証は無いんでしょうね」


 薔薇は顎に手を置き思案に耽る。


「どうする? 六人を逃がさないようにするのは結構骨が折れるわよ」


 位置関係で考えると、最も近いのが壁にもたれ掛かってる兵士であり、次がテーブルにいる兵士。少なくとも、四人の兵士の間を潜り抜けなければ梯子の二人までは辿り着けない。

 一人だろうと逃がせば、主たるデルガーは薔薇たちの襲撃に確信を持ち、全兵力を投入するだろう。そうなると、いくら薔薇と巨像の二人であろうと標的を殺しての逃走は至難の業だ。


「あれで行きましょうか。木偶、いいわよね」


 返答の代わりに、巨像が頷いた。

 溜息を吐いた薔薇が、面倒そうに両手を掲げる。巨像はその矮躯の腰元を両手でしっかりと掴み、軽々と持ち上げた。

 さながら人形で遊ぶ子供のようだ。巨像はそのまま緩慢とした動作で見つかりに行くように、六人の前に躍り出た。


「え」


 兵士の誰かが二人の存在に気付き、声を上げた時には巨像は薔薇を持った手ごと振りかぶった直後だった。

 まるで弩のような速度で、巨像の手から薔薇が射出される。

 空中でナイフを抜き、薔薇は体勢を整えた。そうして着地したのは、見事に梯子の上だ。それも丁度、梯子を挟んで駄弁っていた見張りの首元。

 膝を大きく曲げ衝撃を殺し、ナイフの刃が二人の首を貫く。

 対する巨像は思い切り腕を振り抜いた勢いで大きく前に踏み込み、左手で近くの壁にいた兵士に肘鉄を振る舞う。


「な、なんだお前ら!」

「てっ敵だ!」

「木偶、上への蓋は閉まってるわ」


 それはつまり、何をしてもバレる心配は無い。

 三人が手早く銃を抜き、一人が薔薇へ。もう二人が巨像へ銃口を向ける。

 薔薇は敵の首に刺さったままのナイフを抜かず、這うような低姿勢で狙いを定まらせずに一瞬で間合いを詰めると、走った勢いのまま顎を蹴り抜く。

 頭蓋が揺れ、脳が揺れる。兵士の意識はその一撃で、確実に刈り取られる。

 巨像は銃口を前にしても冷静だ。既に意識を失った兵士の頭を鷲掴みにすると、急な接敵で狙いの定まらない兵士へ投げ付けた。

 避けられず、体勢の崩れた兵士を、二人纏めて既に抜いた斬馬剣で縦に分断する。もう一人は、手の空いていた薔薇が銃のグリップで喉を強打した。


「あぁぁぁぁぁぁっ」


 痛みに泣き叫ぶ最中で、首と胴体が別れを告げる。別離を強制させた張本人は、大きく剣を振るい血糊を振り落としてから背中に担ぎ直す。

 見回しても、これ以上の敵はいない。制圧は完了した。


「ふぅ」


 パンパンと身体に付いた埃を払うように手を叩き、薔薇は転がっていた死体からナイフを抜き取る。


「よいしょ、蓋が閉まってて助かったわ、よいしょ」


 薔薇は気絶している兵士に抜き取ったナイフで止めを刺す。巨像は、再び遺体を細かく分解していた。

 世の中には、不殺を掲げる酔狂な賞金稼ぎもいるが、二人は違う。

 死体という決定的な証拠が生まれてしまうものの、それでも気絶させた後の記憶や、情報が漏れる事を考えてしまえば殺してしまった方が手っ取り早い。何よりこの場所であれば、下水道に流せば死体など消える。

 いつものように薔薇は死体の布でナイフを拭い、巨象はものの数分で解体を終えた。屍を汚物に浸からせ、二人は梯子の前に立つ。


「一応アンタ先に行きなさいよ。上がったら銃を構えた兵士が待ち構えて蜂の巣、なんてことあったら敵わないわ」


 断ることなく、巨象はカツカツと金属音を立てながら梯子を上る。やはり靴底にも金属が入っているんだなと薔薇が他人事のように思っている内に、巨像は既に天井の蓋に手を掛けていた。

 少しの力で持ち上げ、後ろを含め周囲を確認する。

 暖色の灯りに照らされたそこには、待ち伏せにより巨像を取り囲む銃口は勿論兵士の脚らしきものは無い。人気が無く、物音もしない。誰もいないようだ。


「何かいる?」

「……何もいない」

「じゃあ早く上がりなさいよクソ木偶。私をいつまでこの悪臭漂う空間に閉じ込めるつもり? 日頃の仕返しかしら。いい度胸ね。アンタが望むんだったら、こっちだって相応の対応をさせてもらうけど」


 蓋を横にずらし上に出る。

 暖かな光はガス灯による灯りだったらしい。下がすぼまった台形と、磨き上げた銅のような屋根。石煉瓦を積み上げた壁は、膠泥により隙間を塞いでいるようだ。

 見回すと、同じような壁が続き木製のドアが等間隔で備え付けられている。私兵の練兵場、という話は正しかったようである。


「敵は出払ってるのかしら」


 練兵場を歩きながら扉を開けて回る。訓練中か、はたまた別の理由か。人の気配は一つも無い。

 とはいえ、好都合だ。

 ここに私兵がいないのだ。そもそも二人は私兵を相手取るのが目的ではなく、デルガーなのだから。二人は残すデルガーの屋敷へ向かうのみ。太陽の位置と高さから屋敷の方向を割り出し、練兵場の中を進んでいく。


「だとしたら好都合……誰?」


 賞金首は大きく分けて二種類。

 一人、もしくは少人数の者たち。もしくは、多くの仲間と徒党を組んでいるような者たちである。

 大きな違いは、武装や資金力だ。

 個人で逃げ延びるような賞金首は、物量に対して弱い。

 さしもの薔薇と巨像でも、数千人の敵相手であれば奮闘虚しく骸となるだろう。個人の賞金首でもそれは同じ。複数人の賞金稼ぎに狙われては、狩られる他なくなる。その為、個人の賞金首は逃げ回るのだ。幸いなことに、一人であれば身を隠す事は容易い。

 対して、徒党を組むような者らは違う。

 例えば天上の道導であれば、身を隠すのが困難な代わりに、大きな資金力と軍事力を有する。その資金力をもってして、用心棒を雇う事もしばしば。

 同じ、賞金稼ぎを雇う事も。


「やぁやぁ」

「その声……」


 薔薇たちの背後から投げかけられる少し低い女の声。その声を、薔薇と巨像は知っている。

 同じ賞金稼ぎとして。同時に、警戒すべき同業者として。

 ワインよりは明るい真紅の髪は、まるで薔薇の蔓のように曲がりくねりながら腰元まで伸びている。美しい、という言葉が似合う顔立ちは自信に満ち溢れたものだ。

 純白の鎧と、赤いマント。巻き付く蛇のように煤がこびり付いている鎧は、高い硬度を持つ板金鎧だ。ただ、完全な板金鎧ではなく、一部は革を用いて柔軟性を保っているようだ。

 手に持つ槍は、煤けた鉄の槍。三本の捻じれた鉄が互いに絡まり、その中心に一本の鉄の筒が走っている。無骨なそれに色が宿っているのは、柄に巻かれた布だけだ。

 もし、もし賞金稼ぎに序列を付けるならば、確実に上位五人に食い込む者達がいる。状況次第ではどの者も他を圧倒する事が出来るだろう、比類なき実力の持ち主。

 言わずと知れた薔薇と巨像、贋作フォニー、純銀のティオレ、死なずのジュール。そして、もう一人。


「久しいじゃないか薔薇よ! あの悪魔退治以来かい?」

「えぇ。その鬱陶しいのも、相変わらずね」


 赤髪の女は捻じれ槍の穂先をこつんと石壁に当て、こつんと鳴らす。


「あの時は華を譲ったが、今回は敵同士。だがね、まるで宝石のように美しく麗しい。尚且つ比類なき強さを持つこの私が、麻薬カルテルに雇われては興も乗らぬというものさ。そこでどうだい薔薇。一騎打ちと行かないかね」

「成程。そう言う事ね、ヴェルメリオ」


 炎砂(えんさ)のヴェルメリオは、捻じれ槍の石突を再度石壁に当てる。筒の中で何かが動いた音を鳴らす。それは、さも海の波のような音。

 天上の道導は大規模な麻薬カルテル。薔薇らと同じくトップクラスの賞金稼ぎを雇う事も難しい事ではない。賞金稼ぎはあくまで、金目当ての仕事。つまるところは傭兵に近い。

 そもそも喜んで人を殺す仕事。犯罪者に金を貰うのも、国に金を貰うのも大した違いはないのだから。

 とは言え、それを気にする変人がヴェルメリオなのだが。


「私に勝てば、デルガーの情報を教えてやろう」

「……大丈夫? 依頼金出ないんじゃないそれ?」

「君が来た以上、どうせ滅ぶ組織だ。前金だけで十分だよ。それに、君と会えただけで取り戻したさ」

「ティオレと言いフォニーと言い、なんで、なんで賞金稼ぎってのは私の周りの人間はどいつもこいつも気持ち悪い奴ばかり……。はぁ、なら私に勝ったらなんでもいいわ。好きに選びなさい。どうせ無理だし」

「言うじゃないか。九十一戦、一負け一勝ち八十九分け。そろそろ決着を付けるとしようか……っ!」


 刹那、薔薇の眼前に穂先が迫る。

 文字通り爆発的な加速。無傷での回避は間に合わない。ならば、選択肢は一つ。軽く顔を逸らすと同時に、踏み込みは強く前へ。

 穂先が駆け抜け、頬を耳を貫いた。だが、痛みに屈する余裕はない。

 槍を絡め取ると同時に強く引き、引き寄せたろうヴェルメリオの端正な顔面を砕かんと裏拳を振り抜く。

 然し、その場所にヴェルメリオはいない。

 柄を握る手を緩め、滑らせるようにして槍の持つ位置を変える事で薔薇に引き寄せられる事を阻止。同時に、ふわりと浮かび上がるヴェルメリオの長躯。

 跳躍による空中蹴りが、薔薇の顎を砕く。

 これで勝利は必至。

 引き分けばかりの勝負に、ようやく終止符が打たれるのだ。思わずヴェルメリオから笑みがこぼれた。

 ただそれは、幻視だ。

 裏拳を外した時点でその攻撃を想定していた。

 腕を振り抜いた勢いを利用し、身体そのものを自分で投げる。

 壁に足を付け、跳躍。

 抉るような蹴りが、ヴェルメリオが防御に出した手を蹴り抜いた。


「木偶! 下がってなさい!」

「巨像よ、少し邪魔だぞ!」


 刹那、空気が爆ぜた。

 爆音と衝撃により吹き飛んだ壁から外に。

 グラウンドに並び立った二人は、立ち昇る黒煙を横目に再び構える。

 変装と射撃の達人が薔薇と呼ばれるように、さも石像のように硬く大きな巨像のように、炎砂のヴェルメリオの二つ名は理由がある。

 彼女は賞金稼ぎでもあり、学者だ。

 彼女が武器とするのは彼女自身が調合した特殊な火薬。

 その火薬を、彼女は槍や鎧を含む身体中のありとあらゆる箇所に仕込み、時に爆発的な推進力を。時に爆風により敵を退け、その炎は牙にもなる。

 その威力は、賞金稼ぎが威力だけを競うならば右に並ぶ者はいない。

 片手にナイフ、もう片方に拳銃を握り締めた薔薇が駆け出す。

 低い重心をさらに低く。

 さも蛇のように、地面を舐めるかのように。

 振り抜かれた捻じれ槍を、薔薇はナイフの刃を沿わせるようにして力の向きを変化させる。不意打ちではない今回は、一滴の血も流れる事は無い。

 こと薔薇と巨像において、薔薇の役割は後衛に見える。遠距離武器を四丁も装備している彼女だ。その上、投擲用のナイフも加えれば彼女の手札は中遠距離に特化していると言える。単純にそれらを乱射するだけでも、並の相手ならば明確な脅威だろう。

 だが、強者との一戦においてそれは覆る。

 目線、銃身、息のタイミング、指の動き。

 銃の射線を見切る為のヒントはいくらでもある。そんな相手に、銃を撃つのは棒立ちにも等しい。

 銃弾など物ともしない強者相手に、拳銃乱射等意味が無い。となると、後衛としての薔薇の役割も変わって来る。

 彼女の武器は、齢十にも満たぬ少女と等しい極端な矮躯。肉体の柔軟性と、当たり前のように跳弾を可能とする高い演算能力と想像力。そう、彼女が最も力を発揮する事が出来るのは、吐いた息の温度すら感じ取ることの出来る超接近戦。

 

「相変わらず蛇のようだな!」

「あら! 酷い悪口!」


 一秒にも満たぬ間に数度の突きを放つも、捻じれ槍の穂先は空気以外に何も触れず。何も穿たず。

 そしてヴェルメリオは捉える。自身に向けられた銃口、刻まれたライフリングを。

 爆発にも似た銃声と共に、ヴェルメリオは頭を逸らす。

 はらりと舞う真紅の髪。突き抜ける一条の線は、彼女の頸の肉を軽く削る。直後、ヴェルメリオの顔に嗤いが浮かび、彼女は槍を握っていた手をぱっと手放した。軽くなった手は空気を抉りながら、薔薇の身体へと。

 敵の攻撃のタイミング。それ即ち、絶好の好機。

 太腿を高く上げる事で、膝と肘の骨でヴェルメリオの縦拳を防ぐ。

 最初に現れたのは衝撃。次に、骨が軋むような異音が身体の中で鳴り響いたかと思えば、次の瞬間にはふわりとした浮遊感が薔薇の身体を包み込んでいた。

 吹き飛ばされる中、科学者と言う看板に偽りがあるだろうと悪態を吐きつつ、視線をぐりんと動かして無理矢理ヴェルメリオを捉える。

 まだ、攻勢は終わらない。終わっていない。

 薔薇は空中で両手を空にして、太腿に手を這わせる。

 そこには、白い柔肌に巻き付いたホルスターがある。

 空中で両手に拳銃を抜き放ち狙いを定める。彼女程の使い手であれば、標準を定めるのに一秒の内十分の一の時間も要さない。

 二丁の銃を、ハンマーを組ませるような形で発砲。発砲により降りたハンマーを起きているハンマーで起こす。銃身と重心を擦り合わせるように、シングルアクションのリボルバー連射を可能とする。そうして一秒の間に放たれた計十二発の銃弾を前に、ヴェルメリオは笑みを崩さない。

 ヴェルメリオは一歩下がって半身になる。そして、迫りくる弾丸を鎧で受けた。

 腕や足に角度を付け、銃弾の入射角を絞る。そうする事により、銃弾は容易く弾くことが出来る。


「チッ」

「チッ」


 二つの舌打ちと同時に、甲高い金属音が響く。

 ヴェルメリオの身に火の粉が降りかかると同時に、彼女の背後の土が爆ぜる。直撃は無い。とは、言い切る事は出来ない。


「……」

「……またか」


 互いに着地。同時に、動きが止まる。

 ヴェルメリオの頸には、銃弾で削れた痕跡。そして膝の近く。関節を覆う革の部分には、銃弾が貫通した痕跡が残っている。

 対して薔薇の肘と膝は真っ赤に変色していた。次第に、青くなっていくだろう。矮躯の彼女にとっては、ヴェルメリオの縦拳一つでも大きな手傷を負う。

 空中を舞い、回復した間合い。

 薔薇の銃口はヴェルメリオの頭を狙っていた。同時に、ヴェルメリオの捻じれ槍も薔薇の首元に突き付けられている。

 互いに、命を奪う用意が出来ている状態。つまりところ。


「引き分けね」

「そのようだ」


 武器を構えながらゆっくりと距離を取り、互いに武器を収める。同時に、歩み寄って来る巨像。

 薔薇と巨像は本来二人一組の賞金稼ぎ。一騎打ちと言うならば、巨像が参戦しないのはおかしい話だ。だが、彼が参加しなかったのは正当な理由がある。

 ヴェルメリオは本来莫大な量の火薬を用いる戦闘法を好む。だが、今回に関しては全くと言っていい程使用していない。最初に距離を詰める奇襲と、直後の爆発に使っただけだ。つまりこれは、互いに手加減する事を前提とした模擬戦である。


「惜しかったな。惜しかったよ。初撃こそ入れられたんだがね」

「言い訳がましいわね」

「……それもそうだ。私も入れられた訳だしね。いいよ、蹴りの分だ。少しだけ教えてあげようじゃないか」




 蓋を横にずらし上に出る。

 暖かな光はガス灯だったようだ。金属と、見事なガラスの意匠は鈴蘭を模しているようで、その再現度も高い。花弁の皺や、雌蕊に雄蕊。そこには高い技術が窺える。

 壁に飾られた絵画も一級品だ。

 油絵の質感とタッチは、少なくとも近い時代のものではない。恐らくは、数百年は前の著名な画家によるものだろう。見たことは無いが、そう確信に至らせる品がその絵にはあった。

 絵画や灯りなどの、目に見えたものだけだは無い。壁や、絨毯、天井の意匠。全てが豪奢であり、荘厳だ。

 いつの間にやら出て来ていた薔薇も、鈴蘭のランプに見惚れているようだった。


「……凄いわね。とんだ大富豪だわ。あのランプだけで幾らになるのかしら」

「……手が届かん」

「そうね。私たちじゃ手が届かない品ばかりだわ。……折角だから割ってく?」


 巨像が首を横に振ると、薔薇は「冗談よ」とおどけて見せた。

 二人は目標を思い出し、周囲の警戒に移る。

 ヴェルメリオが齎したのは、練兵場から繋がる地下通路。その行先は無論、デルガーの屋敷だ。

 見たところ、二人がいるのは通路の行き止まりのようだった。向かってすぐで通路は直角に曲がっており、通路全体を見通す事は出来ない。

 薔薇が素早く角の先を覗き込む。


「誰もいないわ」


 薔薇が角を出て、手招きで巨像を呼ぶ。

 遥か遠くまで続く通路には、人の気配一つ無い。不気味な程である。二人は武器に手を掛け、注意深く周囲を警戒しながらゆっくりと歩いて行く。


「取り敢えず上がるわよ。こんな金持ちが一階で会議なんてする訳無いでしょ」


 通路に度々ある窓の先には、外で控える兵士が何人もいた。それらを一瞥しながら、見つからぬように二人は登れる場所を探し歩いて行く。

 ふと、ある窓の前に差し掛かった時、先行していた薔薇が足を止めた。巨像にハンドサインで留まるように指示し、薔薇は念入りに窓の先を確認し始める。


「この窓の前だけ敵がいないわ。出るわよ」


 室内は道が限られている為、警戒する箇所が少ない。その為発見のリスクも大きくなる。このまま室内を進むのは、確実だが危険。そう踏んでのことだ。

 銃を片手に窓を開け、するりと音も無く窓枠を潜り抜け素早く周囲を見回すも、敵はいない。

 奇しくもここは厩舎のようだ。数十頭もの馬と、荷馬車が並べられている。奥の方には豪華な装飾の為された馬車もある。恐らくは、デルガーらが乗る為のものだろう。

 彼女は窓枠を超えようとする巨像を傍目に、屋敷の壁を舐めるように確認していく。


「計四階ってとこね」

「……手伝ってくれ」

「通れないの? 仕方ないわねぇ……」


 伸ばす両手を掴み、薔薇が思い切り巨像を引っ張り出し、薔薇は再び壁を眺める。


「雨樋があるわ。私は登れるけど、アンタは? 無理よねそうよね知ってたわ」


 巨像が答えるよりも先に否定する。ただ、実際にそう答えようとしていたので巨像は何も強く言えなかった。

 薔薇が雨樋を行くとなると、巨像はここに待機か。なんて相談をしている内に近付く気配に、二人は気付かない。


「どうです、見事でしょううちの壁は」


 そうして思案に耽る二人の後ろから掛かる声に、二人はただ息を呑むしかなかった。




「そんな壁の染みになってみる気はおありですかな?」


 胡散臭い物言いをする背後の声へ、二人はゆっくりと向き直った。

 貴族のような華美な装飾の服に、短い金髪と口髭。二人にとっては手配書で見覚えのある、天上の道導頭目、デルガーの顔。

 無論、彼一人だけではない。

 真直ぐ後ろに控えるのは、衛星の三人だ。そのさらに背後には、数十人にもなる彼らの私兵が、こちらに銃口を向けている。


「……あら、素敵なお誘い感謝するわミスターデルガー。だけど、遠慮しておく。貴方方を土に還す方が楽しそうだもの」

「ハッハッハッ、この状況でよく冷静に対応なさる。流石は、薔薇と巨像のお二人ですな」

「我々のような矮小な一賞金稼ぎのことをご存知とは。その深い見識には感服の意を表しますわ」


 薔薇がデルガーらの気を引いている内に、巨像はマスクの下から周囲を見回す。

 背後は壁と窓が一つ。何も無い。前には広い通路が奥まで広がっており、立ち塞がるようにデルガー等が立っている。

 その両脇には馬。二人の隣には干し草が山を成しており、荷馬車は遥か遠くだ。


「それにしても、よくここが分かったわね。私たちは毛程も痕跡を」

「残していない。それが証明だよ。大陸でもお前ら程腕が立つ賞金稼ぎはそうそう居ない」

「……知ってたってことかしら。なるほど、やけに静かだと思ったわ。私たちは誘われてたのね」

「おやおや、いつから裏稼業の人間を味方だと思っていたんだ、気高き薔薇よ」


 この場所に行くことを知っている者は、ユークとキッドの二人のみ。

 情報屋の掟として、依頼人を決して裏切らないというものがある。

 裏稼業は信用の世界だ。自分を売るかもしれない相手に、欲しい情報を求められるだろうか。答えは否だ。その掟を破った情報屋の末路は、例外無く決まっている。

 となると、選択肢は一つ。ものの数秒で、薔薇は結論に至る。


「ユークね」

「正解。あいつはお前ら側じゃない」


 続くデルガーの言葉で理解する。

 今まで得た情報から見るに、隣国である帝国はこの国への侵攻を水面下で密かに進めようとしている。それも、大陸全土で指名手配中の凶悪犯罪者の手を借りて。

 相当リスクのある行為だ。一個人ならまだしも、一つの国がその選択を取るには、余程の理由が必要になるだろう。なにせ、新聞にこの情報を一端でも掴まれればこの作戦は不可能だ。周辺国家からは非難の殺到では済まない可能性もある。

 王国侵攻を成功させねば、この試みは白日の元に晒される。そうなることを避ける為に、帝国は秘密の補給路以外にも何か策を講じていると考えるのが妥当だ。

 例えば、帝国内の人間を密かに送り込む、とか。

 だが、薔薇と巨像は孤高の賞金稼ぎ。

 国家間の問題など心底。


「どうでもいいわ」


 国家間の問題等、二人にとって仕事のしやすさが変わる程度。さしたる問題はない。

 つまるところ、興味も無い。


「フッフッフッ、俺はそうじゃない。お前らの素性を調べて驚いたさ。こうして、初めて相対してもな。なぁ、悪魔によって失われたプリンセス。地べたの味はどうだ?」

「あら気持ち悪い、私のファンかしら。悪いけどアンタみたいな相手との握手は遠慮しているの、ごめん遊ばせ」

「それは残念だ。じゃあ代わりに……鉛玉と接吻でもしてもらおうか!!」


 幾十もの銃口が、一斉に炎を噴いた。

 僅かなアイコンタクトを交わし、巨像が薔薇をすぐ隣の干し草の山へと突き飛ばす。困惑の表情を浮かべたまま、薔薇は干し草の中に埋もれた。刹那、無数の弾丸が巨像に降り掛かる。

 いくら巨像の防護服とは言え、銃弾の勢いを全て殺せる訳では無い。銃弾が弾けて落ち、防護服にめり込む。

 悶えるように呻きながら、巨像はゆっくりと手を後ろに伸ばした。


「ハッ、小娘は後でやってやる。さぁ巨像! いつまで耐えられるかなァ!?」


 緩慢とした動作で巨像が掴むのは剣の柄だ。それを痛みに耐えながら取り出すと、自身の身体の前でさも銃弾を弾くように斜めに構える。

 薔薇からはデルガーが。デルガーからは薔薇が見えるように。

 干し草の隙間から様子を窺っていた薔薇が巨像の意図を察する。


「そういうことはねぇ……先に言いなさいよクソ木偶ッ!!」


 薔薇の四丁の中の二丁の拳銃は、何も予備の物ではない。

 体躯に見合わず、訓練により卓越した握力を手にした彼女ならば、四丁同時に引き金に指を掛けることなぞ、さして難しいことではない。


「距離!」

「目算十四。十一から一時」


 干し草の中から薔薇が発砲する。銃口が向くのはデルガーの方向ではない。眼前にて銃弾の雨を浴びながらも尚、剣を構える巨像を目掛けてだ。

 放たれた銃弾は剣に弾かれ、軌道を九十度変える。そして、吸い込まれるようにデルガーの顔面へと。


「は?」


 鈍い音が響いた。

 困惑を遺言に、デルガーが後ろに倒れる。眉間には、四つの銃弾による巨大な穴が空いていた。

 場に困惑が満ちる。二人を除き、ここにいる全員が今何が起きたのかを理解していない。それもその筈。

 高い演算能力と、経験と、積み上げられた技術。

 軌道上の巨像の剣の角度を目算し、巨像から与えられた情報で、跳ね返った後の弾道を調整する。僅か髪の毛一本程のズレも許されない、超の付く程の精密射撃。

 彼を仕留めたのは、卓越した技術により跳弾で軌道を曲げた、薔薇の弾丸だったのだから。


「距離同じ」


 再び干し草の山が爆音を発する。

 キンという甲高い音と共に銃弾は跳弾。再び、吸い込まれるようにして銃弾は衛星の三人の頭部へと。

 苦悶の表情を浮かべ衛星が後ろに倒れていく最中、困惑が私兵の間に満ちる。

 その時には既に巨像に銃口を向けている人間などいない。あるのは困惑と、恐怖。相対している薔薇と巨像、その二人の未知数の強さに対して。


「う」


 誰かが銃を落とした。鈍い音がやけに大きく響き渡る。


「うわぁぁぁぁ!!」


 各々が叫びを上げながら、二人の元から走り去っていく。またある者は繋がれていた馬の手綱を勝手に手繰り、駆け去っていった。

 彼等に懸賞金は設定されていない。そんな者のために使う銃弾は薔薇にはなかった。干し草を払いながらその山から出ると、溜め息を吐きながら銃を仕舞う。


「一瞬焦ったけど、終わってみると呆気無いわね」


 残ったのは、頭目デルガーと衛星の三人の遺体。このまま、首を持ちかえれば二人の仕事は完了だ。

 さていつものように巨像が首を刎ねようと近付いた、その時だった。


「ククク……」


 二人の動きが警戒の為止まる。

 何処からか聞こえる笑い声。その声を主を探し、二人は忙しく周囲を見回すも何もいない。あるのは馬小屋と干し草の山、それに窓。何も無い。笑う者も、いる筈がない。

 笑い声は響き続ける。


「ハッハッハ!」


 薔薇は目を瞑り、音の方向を特定しにかかる。

 馬、ではない。草の中に銃弾を撃ち込んでも、誰かがいる訳でもない。そうこうしている内に、笑い声の主は自ら姿を現した。そう、眉間を撃ち抜いた筈のデルガーの遺体が、起き上がることによって。


「ハァ……いやはや、見事だ人の子らよ」


 直立し、胸の前で手を叩くデルガー。否、デルガーだったもの。

 眉間を撃ち抜かれて無事な人間などいる筈がない。ましてや、彼に撃ち込んだ銃弾は一発やそこらじゃないのだ。計四発が、彼の脳漿を搔き乱した筈だった。

 ただ、二人の眼前のデルガーはこうして生きているかのように立ち、生きているかのように拍手し、生きているかのように二人を賞賛している。

 これが何の仕業によるものか、薔薇と巨像の二人は知っていた。


「驚いたわ。まさかデルガーが悪魔崇拝者(サタニスト)だったなんて」

「そうではない。彼は私的な目的の為に我々と契約を結んでいる。此奴に崇拝された覚えは無いな」

「その契約って?」

「何、簡単な事」


 古より聖書にて記述されているそれは、この世界に確かに存在している。

 遥か昔、神代の時代に神軍に敗れ去り地の底まで追いやられた彼らは、時折この物質界に訪れては、人々を誘惑し魂を奪う。

 様々な宗教文化に根付く、超自然的存在。悪を司るとされる人ならざる邪悪な者達。


「復活。死の超克だ」


 人々はそれらを、悪魔と呼んだ。


「復活?」

「あぁ。再誕、復興、蘇生。損傷した肉体の治療と、失われた魂を再度宿らせる。それがこの契約の内容だ」


 姿はデルガーのまま悪魔がそう告げると、次の瞬間からまるで水が押し寄せるように傷の周りの肉が蠢き、みるみる内に眉間の傷が癒えていく。

 そして、数秒後には何事も無かったかのように、傷一つ無いデルガーが立っていた。


「そんなこと、ベラベラ私たちに喋ってもいいのかしら」

「契約内容の秘匿は含まれていない。だが、このまま此奴を目覚めさせても結果は同じと見た」


 デルガーの肉体が隆起する。

 筋肉は風船のように膨張し、血管の脈動が目に見えるようになる。頭部の皮膚を突き破り山羊のような角が巻き始めた。服の背を貫通し、蝙蝠の如き翼が何度か羽ばたく練習をする。

 悪魔憑きと呼ばれる者達がいる。

 悪魔により肉体を乗っ取られることで、周囲に対し無差別に暴力的な言動を引き起こすようになる状態の事だ。

 ただそれが引き起こるのは、宿主の人間が悪魔に抵抗しているからこそだ。だからこそ、悪魔祓いの儀式により悪魔を追い出すことが出来る。

 ではもし、宿主が悪魔を完全に受け入れたら。


「ふむ、現世は久しい。こんなものか」

「絵に描いたみたいにお手本の悪魔ね。オリジナリティが無いわ」

「それは正しい。薔薇と言ったか? 我々の種族の個としての境界は曖昧だ。故に全ての悪魔が我々であり、全ての悪魔が我々でないのだ」

「……皮肉だったのに、なんだか小難しい話になって来たわね」


 面倒そうに吐き捨てた薔薇が、両手の銃を一斉に放つ。

 ただ、効果は薄い。

 全ての銃弾は確かにデルガーだった悪魔の眉間に収束した。だが、先程のように風穴を空けた直後から、肉体が再生を始めるのだ。

 宿主が、悪魔を完全に受け入れたら。

 混乱を避ける為、表社会では知られていない事だ。

 強靭な魂を持つ悪魔が人間と言う肉の器に完全に定着することにより、強靭な魂を持ちながらも物質界に存在できる、怪物が完成する。

 金属が打ち合わせられる音が鳴り、薔薇は装填していた銃弾を全て地面に落とした。

 そして、両手でシリンダーを振り出した銃をガンプレイ――トリガーガードに入れた指を支点に銃をクルクルとハンドスピナーのように回す行為――させながら、ピンと指で弾いた弾丸を器用に装填していく。

 再び、銃口を悪魔に向ける。


「無駄、無理、無謀だと知ってまだ戦うか、愚かな」

「あら、無駄かどうかは……まだ確かめてないでしょうッ!?」


 二丁同時の発砲。今度のそれは悪魔の肉体を貫かない。着弾と同時に破裂し、内包されていた液体が身体に付着する。

 肉が溶ける異音と、悪臭。悪魔が目を見開いた。


「これは……」


 触れた部分の皮膚が焼け爛れ、白煙を生じさせている。

 肉体への定着の際に赤黒く変色していた皮膚がでろんと捲れ、隠されていたピンク色の肉が顔を出した。

 悪魔に傷を負わせられる液体。答えは一つしか無い。


「聖水か」

「チッ、精度が。やっぱ通常弾には劣るわね……」


 当たったのは一発だけ。もう一発は、悪魔の頬を掠めただけだった。

 問題は精度だけではない。

 聖水弾は薄い金属の中に聖水を注入し、火薬のスペースを削いでいる。その為通常の弾丸と比べ、推進力にも難がある。

 通常の弾丸とは重さも、推進力も違う。悪魔相手でなければ、何もかもが通常の弾丸の下位互換だ。


「やはり目障りだな。契約に無関係な人間の不殺は含まれていない」


 悪魔がその一歩を踏み出すと同時に、巨像が小瓶を投げつける。内包された液体に、悪魔は本能的な危険を感じ取った。

 地鳴りがするほどの重く、深い踏み込みと同時に巨像が大きく剣を薙ぐ。軌道上にあった小瓶を割り、内包されていた聖水を纏った刃で。

 だが遅い。悪魔は大きく飛び退くことでそれを回避し、巨像が刃を返す前に間合いを詰めた。

 同時に、同じような深く重い踏み込み。振り抜かれる拳に内包されたエネルギーは、大砲の榴弾を優に凌ぐ。


「ウッ……ッ!」

「木偶!」


 まともに拳を喰らった巨像が大きく吹き飛び、屋敷の壁に打ち付けられた。巨大な亀裂が迸り、バウンドした巨像が地面に落ちる。

 薔薇がすかさず聖水弾を放つが、大した足止めにはならない。腕を構えて銃弾が急所には当たらないようにしつつ、ゆっくりと歩みで距離を詰めていく。

 聖水弾は悪魔相手の威力にも問題がある。同じ銃で撃てるように、弾丸は彼女が持つリボルバーに対応している大きさで作られている。

 当然、注入できる聖水の量もほんの少ししか無いのだ。

 ただ、時間稼ぎとしては十分だった。

 立ち上がった巨像が再び刃を振るう。聖水の飛沫を恐れ、悪魔は再び背後に跳ぼうとしたが、それを阻止するのが薔薇の投げたナイフだ。

 それらは地面と水平に悪魔へと飛来し、悪魔の胸へ深く刺さる。


「フンッ、これが何の」

「戻っておいで?」


 薔薇が手元を大きく引き寄せる。ナイフの柄の先端に括りつけられた細い糸が、同時に悪魔の上半身を大きく前傾させた。

 聖水を纏った剣が、悪魔の腹を浅く斬り付ける。


「何のォォッ!!」


 巨像が刃を返す前に、力任せに後ろに下がろうと悪魔は身体を反らせる。

 薔薇の身体がぐんと引き寄せられる。しかし完全に移動する前に、薔薇は再び銃声を鳴らした。


「これは……――――」


 今度は、聖水を装填した方ではない。

 銃を上に投げ、それが落ちるまでの間に太腿のもう一丁を抜き取ってすぐに、銃弾を撃ち放ったのだ。

 弾丸は悪魔の膝を貫通し、大きな穴を開ける。

 聖水弾ではない。しかし、悪魔の身体は再生しない。


「グゥ……ッ!」


 そのまま、返す刃が悪魔の首を捉える。

 小気味いい肉の断たれる音と共に、悪魔の視界が急激に回転し始めた。

 当然だ。切断された首が、回転しながら宙を舞っているのだから。


「え……」


 何度かバウンドし、転がり、そして止まる。そうなったことで、悪魔は漸く自身の状況を理解したようだった。

 九十度回転した世界で、悪魔は薔薇と巨像の二人を捉える。視界の端が黒ずんでいくのが分かる、息苦しさが、喉の辺りからせり上がって来る。

 いくら悪魔の力とは言え、首の無い状態で生き永らえることはできない。待っているのは、ただただ昏い、死。


「馬鹿な……馬鹿なァァァァッッ!!!!!」


 悪魔が叫ぶ声に、薔薇は不快そうな表情で耳を塞いだ。


「今際の際くらい静かにしたらどうかしら。主も耳を塞いで天国に通してくれなくなるわよ? ま私はあんまり信じてないけど」

「我々が……完全に受肉した我々がたかが人の子に祓われるだとォッ!? そんなこと……そんなことはあってはならなァァい!!!!!」


 咆哮。首から下が、徐々に再生していく。

 悪魔という存在は人間とは違う。人間とは異なる世界に住む、超自然的な生命体だ。だからこそ、何が起きてもおかしくはない。

 ゆっくりと、牛歩の如く速度で、しかし着実に失った部位が再生していく。このまま行けば、数分後には元の肉体に戻るだろう。

 それを見た薔薇は呆れを隠さずに大きな溜息を吐く。屈み込み、落ちた悪魔の首に目線を合わせ、冷笑と共に口を開く。


「往生際が悪いわよ?」

「黙れ小娘ッ!! 待っていろッ! 最初に殺してやるのはお前だッ!!」

「はぁ……」


 立ち上がり、首に背を向けて数歩距離を取る。

 そして、巨像の装備の中から金属片を取り出し、思い切り転がっている首の真上に投げた。中空で、顔を覗かせた朝陽を金属片が乱反射し煌めく。

 すかさず銃口をそれらに向ける。聖水弾を装填していない方の、もう二丁の銃で。

 早撃ち、あるいはラピッドショット。金属片が地面に落ちる前に、彼女は片方六発計十二発の弾丸全てを撃ち切る。

 放たれた弾丸の輝きは、通常の物とは違う。無論、聖水弾とも。


「……――祓魔の聖堂(カセドラル)」


 甲高い金属音が連続する。

 跳弾に次ぐ跳弾。金属片を壁として、全ての弾丸が幾度も軌道を変化させていく。金属片が半分に割れても、その破片すらも壁として。

 そしてまるで収束するように。全ての弾丸が同じタイミングで。全方位から悪魔の頭を貫いた。

 再生はされない。その弾丸の組成は、古くから退魔の力を有すと扱われてきた、純銀製なのだから。


「あのね、そう言われて待つ訳ないでしょ? 忙しいのよこっちは」


 そう吐き捨て、彼女は面倒そうにホルスターに銃を収めた。




 葉巻を吸いながら軍服を脱ぎ、身支度を終わらせる。

 詰所の構造上、主な建築素材が石により出来ている為この建物は温まりやすく冷めやすい。よって、春の口であるこの時期でも白い息が出る程に寒い。

 私服に着替え、コートを羽織る。


「お疲れ様です」

「おう」


 後輩の挨拶に軽く返し、彼は詰所を抜けた。

 まだ寒い街路を歩く。

 高い国力を持つ王国内とは言え、コスト削減の為に街灯は広い感覚でしか設置されていない。その為街路には滔々とした暗闇が、両手で隙間なく包むようにして覆い被さっている。

 この暗闇では三歩先の足下すら確認できない。その為、自分の身を護れないような一般人はこの時間に出歩く事を避けている。

 つまり、この街路に歩くのはユーク一人。

 紫煙を吹き、頭上の月を見上げる。

 上々、状況はまさに上々だ。

 帝国侵攻の為に、帝国は天上の道導の輸送経路を用いる事にしたらしい。リスクがあるだろうが、その辺りは下っ端兵士である彼には何故用いたのかまでは分からない。とは言え、その利点は痛い程分かる。

 天上の道導は王国ですら発見することの出来ない独自の密輸ルートを構築している。このルートを用いる事で、帝国は王国の斥候に何も悟らせること無く王国内に兵士や物資を運び入れることが出来るのだ。

 ただ、天上の道導にとってその輸送ルートは虎の巻。

 それを知られるという事は、自分の心臓を敵の前に曝け出す事にも等しい。その為この計画に協力するものには莫大な報酬が約束されている。

 そう、ユーク自身にも。

 ユーク自身と天上の道導にはなんら関わりが無い。だが、彼の両親は元々は帝国の人間だった。そこで協力者として白羽の矢が立つ。計画に誘われたユークに、断るという選択肢は無かった。

 母子家庭で生まれた彼は、まともな生き方と言う物を知らない。

 そんな形の無い物等、あるとするならば蹴り飛ばしたいとも思っているほどだ。

 一定期間で行われる帝国と王国間の戦争により、父親は戦地の最中で彼は産声を上げる。生後暫く、夜泣きのタイミングと訃報を知らせる配達員が訪れたのは同じタイミングだった。

 父親の死により、ユークの母は変わった。

 金に困った。もうなりふり構わずに、犯罪に手を染める事で食料を確保するようになった。

 場所に困った。路上、もしくは空き家。それでも場所が無い時は、住人を殺してでも住処を奪うようになった。

 そのような事を続け暫らく。犯罪者として追われ、各地を転々とし、そんな生活を続ける。王国は彼女を凶悪な犯罪者と認定。少ないながらも、彼女に懸賞金を設定する事となった。

 そこに賞金首が存在する限り、賞金稼ぎは生まれ続ける。

 幼少期の思い出。

 その中で最も鮮烈に残っている光景は、嗤いながら弄ばれる母親の姿だった。


 賞金稼ぎは、人狩りとも揶揄される職業だ。

 当然ながら、賞金稼ぎは人を殺す事を目的としている。その対象は、賞金首のみ。つまりは金を払ってでも殺して欲しいと思われるような、凶悪な犯罪者だ。殺されても文句の言えない、社会の屑。ならばと、玩具のように賞金首を扱う人間も多々。ユークの母親は、そんな賞金稼ぎに殺された。

 彼はまともな生活は知らずとも、愛だけは知っている。

 賞金稼ぎの来訪。彼女は瞬時にユークを隠し、自分の身を犠牲にする事により彼を守った。その結果彼は、賞金稼ぎの男たちにより弄ばれ、啼きながら甚振られる母親の姿を目にすることとなった。

 その日彼は、初めて憎しみを覚える。

 帝国が憎い。

 続く戦争により、父親が死んだ。父親が死んだことにより、母親はそんな生活を強いられることとなったのだ。

 帝国と王国との戦争は、一定期間を経て定期的に行われる。そこに殆どまっとうな理由は無く、ただただ戦争屋の利益の為に行われているに過ぎない。そのような戦争で、何故母は人生の底辺。その土を舐めさせられる必要があったのか。弱者とは、奪われるために存在しているのだろうか。

 王国が憎い。

 そのような、何の意味も無い戦争に応じた王国も同罪だ。

 母が憎い。

 何故、自分を庇ったのか。それが例え愛と呼ぶのだとしても、残された者の苦しみと屈辱を味わうくらいならば、いっそその場で一緒に死んでしまいたかった。一緒に、昏い眠りに着いてしまいたかった。

 賞金稼ぎが憎い。

 確かに、相手は国により懸賞金が設定された犯罪者。

 だが、本人がそれを望んでなったか。答えは否だ。

 母だって、望んで犯罪者になった訳ではない。父親が死んだことで、一家の収入源が消滅。それにより、生後という最も金が要る時期に母親の手一つで生活の金を稼ぐ羽目になった。

 一度でも、王国はそれを救済してくれようとしてくれたか。

 一度でも、帝国は失った父親を違った形でも補填しようとしてくれたか。

 一度でも、賞金稼ぎは母親の命乞いを聞いてくれたか。

 答えは否。否、全てが否。


 ならば、そんな世界。存在すら否とするべき。

 街路を暫く歩き、辿り着いたのは彼の塒ではない。町はずれの、古い建物。解体するのにも金が必要だ。複雑な事情により、この建物の今の持ち主は解体の金すらも出す事が出来なくなったのだろう。そんな、街の誰も近付こうとしない空き家だ。

 古い木の扉を何度か叩く。

 決まったリズムで、それでいて不規則に。


「空は」


 扉の向こう側で何かが蠢いたような気配を感じ取る。同時に、投げかけられる冷徹な男の声。

 突然の、それもこの時間の来訪者に訊ねるような言葉ではない。それどころか、どのような文脈を用いてのその質問をすることはないだろう。となると、答えは一つ。暗号だ。


「赤く」

「大地は」

「熱く」

「この世は」

「いずれ炎に包まれる」


 小さな声で「入れ」と告げる男の声。軋む音を立てながら木の扉が開き、夜中の来訪者を迎え入れる。


「よぉ同志ユーク」

「ノイマン」


 ユークを出迎えた男は、僅かな微笑みを浮かべながら彼に声を投げ掛けた。

 黒い外套に身を包み、様々な動物の牙やハーブを糸に通した首飾りを身に付けている男。手に持つのは黒い背表紙の本。題名は、何も書かれていないようだ。顔立ちは精悍だが、眼や口許等所々に疲れが見え隠れしている。例えるのならば、生きる事に対しての疲れが。


「仕事終わりか?」

「あぁ。お前もだろ? 全く、熱心な悪魔崇拝者(サタニスト)め」

「ハハッ、お前が言うのか。みんなは?」


 ノイマンと呼ばれた男は、言葉の代わりにユークを奥に案内する。

 その建物は、まさに奇妙な飾り付けをされていた。

 人間や、山羊の頭蓋骨。それらが紐に括られて天井から吊るされているかと思えば、次の瞬間視界に入るのはその頭蓋の内側で灯した蝋燭。そんな、インテリア風の頭骨だった。

 蝋燭の光しかないこの空間では、それらがまるで宙に浮かび上がっているかのような妖しい雰囲気を醸し出す。

 そんな廊下を進んだ先。辿り着いたのは、少し広い空間だ。

 もしこの空間が民家ならば、居間に当たる空間だろう。その床には、今まで進んできた廊下よりも更に奇妙な空間が続いている。

 地面に描かれた珍妙な紋様。

 真紅。かつ、生臭い絵の具によって描かれたそれは、決して幼子の落書きなどではない。所謂、魔法陣。

 傍らに立つのはノイマンと同じく黒いローブに身を包んだ女だ。フードの隙間から、焦げ茶色の三つ編みが垂れているのが見て取れる。それでいて、手にはワイングラス。内包する液体は、ワインとは思えないほどの粘性を持っていたが。

 それを描くのも只の絵の具とは違う。

 通称、サバト。またの名を、黒ミサ

 魔女の夜会。もしくは、悪魔崇拝者によって行われる集会だ。

 異端審問官により暴かれたそれらは、殆どが根拠のないでっち上げ。とは言え、その中には確かに事実がある。特に、教会の権威が下火になった現代では。

 つまるところ、本当の悪魔崇拝者。

 本来の正教会信徒はワインを飲むが、悪魔崇拝者は幼子の血を呑む。魔法陣を描く絵の具は人血。飾られた頭蓋骨さえも、正真正銘本物の人骨だ。


「お疲れ様ユーク」

「ジェーンお疲れ。ディンは?」


 そうユークが投げかけると、居間の奥から出てくる影がもう一つ。


「ここにいる」

「……じゃあ」

「あぁ、始めよう」


 サバトにおける儀式とは、悪魔への崇拝の儀式。もしくは、召喚。実際に悪魔を召喚することで、願いを叶えてもらうのだ。

 儀式が始まる。

 誰もがそう思った。夜闇に紛れて現れた、闖入者以外は。


「あら、何を?」


 声が掛かった廊下の入り口。蝋燭による仄かな灯りを背負い、壁にもたれ掛かる影が一つ。

 この場の三人は、その影の正体を知らない。

 黄金の薔薇の徽章と、小さな膨らみを覆い隠す白いブラウスと黒のベスト。

 焦げた色のホットパンツに、露わになった両太腿にはホルスターが巻き付けられていた。収まっているリボルバーはこころなしか、内包した火薬を炸裂させることを今や遅しと待っているようにも見える。

 深い蒼の瞳はさも鏡のように、魔法陣と吃驚を浮かべる四人の悪魔崇拝者を映している。月光を手繰り、撚って糸にしたかのような麗しい銀髪は、蝋燭の火を一本一本が反射する事で髪自体が光を放っているかのようだった。

 曰く、百発百中の名狙撃手。

 曰く、幼女の皮を被った悪魔。

 曰く、その姿は瞬きの間にも変わる。

 賞金稼ぎ。或いは、薔薇と巨像。その片割れ。


「……」


 ユークは自分の喉を触れる。そして、唇に触れる。

 カサカサとした、乾いた唇。喉を貫かれた様子はなく、一切の傷も無い。

 ならば何故、声が出ない。


「……お嬢ちゃん、こんな時間にどうしたの?」

「迷子か? 全く。だから最中でも見張りは残しておくべきだと」

「ディア、いまさらぶり返さないで。儀式に参加できない人がかわいそうって、決着がついたでしょ?」


 只の少女だと勘違いし、ジェーンが歩み寄る。

 目線を合わせるように屈み、少し首を傾げながら彼女は少女に語り掛けた。


「残念。私は迷子ではないわ」

「え?」

「自らの意思で、自分の脚でここに来たの」

「それって……」


 ジェーンが振り返り、視線を求める。

 この悪魔の集会に自らの意思で訪れた。教会に密告するでもなく、その脚で現れた。それが意味をすることはそう。


「同志!」

「……いえ」


 ハンマーが雷管を叩き、火薬の炸裂が熱と音を生む。空気は熱により瞬時に膨張し、それは文字通り爆発的な衝撃を生む。それにより射出されるのは、真鍮によりコーティングされた金属片。

 それはジェーンの顎を駆け上るように食い破り、頭蓋の頂点を突き破って天井に穴を空ける。

 ふらりと、身体を揺らすジェーン。だが、肉塊は既に脳の制御を外れている。

 バランスを取ろうともせず、重心を寄せていた前方に倒れ込む。少女はそれを押しのけて、自分の傍らに落とした。

 言わずもがな、手にはリボルバー。

 騎兵用に調節された、長い銃身により高い威力を実現したシングルアクション。

 静寂が満ちる。三人は状況を理解できず、声を発する事も出来ない。

 否、その内の一人は知っている。心当たりが一つ有る。何故なら彼女こそ、憎き賞金稼ぎを殺す為、天上の道導の下に情報と共に送り出した賞金稼ぎ。

 少女が親指でハンマーを起こす。

 そんな小さな金属音の直後、彼女は口を開いた。


「……狩りよ」


 漸く、ユークの乾いた喉が潤い始めた。

 ゆっくりと、未だ硝煙を吐く銃口を持ち上げる。さも、死神がその鎌を持ち、振り上げるかの如く。ギロチンの歯が、高く昇ってくかの如く。


「敵だ!」


 同時に発砲。そして、悪魔崇拝者たち叫びをあげる。

 悪魔崇拝者とは言え元は一般人。身体能力も、戦う技術すらも無い弱い一市民に過ぎない。とは言え、薔薇がだからと言って逃す筈も無い。

 銃口が唸ると同時にもう一人の命が潰える。吸い込まれるように、弾丸は眉間に小さな穴を空けた。

 もう一人、逃げ出そうとした悪魔崇拝者は、振り返った瞬間に後頭部に銃弾が突き刺さる。当たり前だ。走るよりも、跳ぶよりも早く、銃弾は敵の命を握り潰す。

 ユークは銃口が自分に向く間に思考を加速させる。

 ユークと薔薇の距離は大股で歩いて三歩程。近い距離ではあるが、これ程までに遠い三歩も無いだろう。

 逃げ道はこの今の奥に一つ。窓を突き破って飛び出せば二つだ。とは言え、逃げる事を許してくれるほど薔薇は甘い賞金稼ぎではない。十分な隙が無い限りは、逃げようと振り向いた瞬間に後頭部を撃ち抜かれるだろう。

 逃げるは無し。立ち向かうのも無し。棒立ちなぞ以ての外である。

 何か、何か打開策がある筈。

 それを考える為にも。


「んっ!」


 自身が纏っていたローブを剥ぎ取り、それと同時に薔薇に向かって投げつける。

 瞬時に薔薇は発砲するが、ローブを投げたのと同時に体勢を変えていた為腕を貫通するだけで済む。

 あの薔薇に撃たれて、命があるのだ。これは奇跡にも等しい。

 窓に飛び込むようにして建物から飛び出し、狭い路地裏を駆け抜ける。

 石畳が滑る。先程まで雨が降っていたのか、と紛う程。実際は、彼の脚が早く回りすぎているだけに過ぎないと言うのに。

 万が一。例えば、異端審問官にバレた場合等を考慮して逃走ルートは頭に叩き込んでいる。

 何故だ。何故ここが分かった。

 薔薇はそもそも天上の道導へ赴いた筈。そして、デルガーには薔薇と巨像が訪れる事も教えている。

 数百人もの私兵が彼女達を襲っただろう。そのような状況で、生き残れる術はない。その筈だった。

 何故、その彼女が生きている。

 そして、この場所にいる。

 否、そんな事は今考える事ではない。大事なのは、今のこ瞬間を生き延びる事。


「は……」


 遥か遠く、何かが弾けるような小さな音が聞こえて振り返る。

 位置で見るならばはるか後方。例えるならば、石と石を打ち鳴らしたかのような。甲高い音。

 それはさも、鐘を鳴らすかのように。

 思考をさらに回転させる。焼き切れてしまう程に、早く。

 相手は薔薇、獲物は拳銃。

 この音の正体は、自ずと分かる。


「クッ……!」


 抜いたナイフを眉間の前で構える。

 刹那、ナイフが爆ぜた。

 空中で独楽のように高速で回転し、やがて地面に墜落する。剣身が砕け、もう録に使えないだろう。

 跳弾に次ぐ跳弾で、逃げるユークの頭を狙う。こんなおよそ人間とは思えない芸当が出来る人間を、ユークは一人しか知らない。

 衝撃により痛む手を抑えながら、ユークは自分が来た方向を睨む。


「随分と、舐めた真似をしてくれたじゃない」


 薔薇は静かに歩みながら、ゆっくりと距離を縮めていく。


「天上の道導に情報を流したらしいわね?」

「……さぁ、何のことやら」

「あら、惚けても無駄よ。デルガー本人から聞いたんだもの。勝利を確信した時ほど、口の軽い人間はいないわよね」


 口の中で舌打ちを隠す。

 薔薇は、ユークとデルガーの関与を知っている。無関係を貫いて言い逃れする事は出来ない。

 つまり、戦う以外に選択肢はない。


「俺をどうするつもりだ?」

「あら、親の結末がどうでも、私には関係無い事よ。もしかして、かわいそうだから手加減してあげる。なんて言うと思って? 分かってることを訊くことほど、野暮な事は無いんじゃない? 男なら、しっかり女のサインを見逃さないようにしなきゃ。モテないわよ?」

「ハッ、お前にモテてもいい気はしねぇな」

「失礼ね。でも、遺言くらいは許してあげる。私ってばほら、気前がいいから」

「俺を殺せば、お前も犯罪者だ。俺は軍に所属しているからな」

「国賊の間違いでしょ? どうせ調べたら出て来るんでしょ? アンタが帝国に与した情報が。それとも、生け捕りにして拷問してあげようかしら。私、爪剝がすの苦手なんだけど、安心して? そういうのは、専ら木偶の専門分野なの。木偶の自白剤は効くわよ?」


 薔薇は並の賞金稼ぎではない。

 詰所にて懸賞金の受け渡しを担う事暫く。出会った賞金稼ぎの中で、最も無慈悲で最も恐ろしい存在だ。彼女とまともに戦闘すれば、瞬時に決着はついてしまうだろう。例え、勝利の女神がユークの肩を抱いていたとしても覆せない程の、圧倒的な勝利を。

 彼女とは戦うべきではない。

 では、どうするか。

 答えは一つしかない。


「悪魔よ! 悪魔よ! 悪魔よ! 悪魔よ!」

「は? 気でも狂った?」


 本来悪魔召喚において幼子の血等により描かれる魔法陣は、召喚そのものに用いるものではない。

 魔法陣とは即ち、召喚者の身を護るためのものだ。

 悪魔は召喚後すぐに顕現するが、その際召喚者の身体に憑いてしまえば、何も召喚した意味がない。皆、願いを叶える為に悪魔に救いを求めるのだから。

 その為魔法陣を描き、その中に立つ。もしくは魔法陣の中に悪魔を呼び寄せる事によ悪魔に支配されることを阻止するのだ。

 つまり、悪魔を使役させるために用いる。

 裏を返せば、悪魔を支配するつもりが無いのならば魔法陣を描く必要は無い。


「悪魔よ! 悪魔よ! 悪魔よ! 悪魔よ! 悪魔よ! 悪魔よ! 悪魔よ! 悪魔よ

!」

「……気持ち悪い」


 ユークは願う。

 この世の悉くが、灰燼に帰すことを。

 願う。世の理不尽が全て、平らに均され消えてしまうことを。

 希う。眼前の敵を、討ち滅ぼさんことを。


「よかろう」


 頭の中に聞こえた声に、ユークは身を委ねる。刹那、薔薇を前にして彼の肉体は醜く歪み始めた。

 

「あぁ、そういう事」


 それは、デルガーのように悪魔に完全に身を委ねた存在。

 召喚に応じた悪魔が彼の身体を作り変えているのだろう。薔薇は思う。変化を完全に待つほどに、優しい敵がいるとでも思っているのか。

 引き金に力を込めようとして、一度躊躇う。


「ねぇユーク」


 薔薇の問いに、ユークは何も答えない。

 今も尚、ふつふつと湧き上がるように肉体が隆起し、ピンク色の肉体が見え隠れしている様は、およそ人間と呼べそうにない。


「貴方には、誰かが差し伸べた手を覚えてる?」


 返答は、やはり何も無い。

 薔薇もそれ以上問う事はしなかった。

 銃声が三つ響くと同時に、ユークの身体が後ろに倒れる。

 賞金が懸かっていない以上、完全に殺害する気はなかった。目的が制裁ならば、抵抗の意思も浮かばぬ程に徹底的に心を圧し折り、他の者に賞金稼ぎを裏切る事の恐ろしさを語ってもらった方が効率がいい。

 とは言え、悪魔に転じてしまったのならば話は別である。

 悪魔討伐は教会により報奨金が出る。金になるのならば、殺さない訳には行かない。


「木偶、そっちは?」


 のそりと現れた巨大な影が、斬馬剣を携えながら薔薇の下へと近寄る。

 斬馬剣の剣身にべったりとへばりつく人血は、彼が別の場所で仕事をしていたことを示していた。


「全員殺した」

「そう、ならば上々」


 デルガー、そして衛星の三人が死ぬことにより天上の道導は瓦解した。とは言え、デルガーに信仰にも近い忠誠を誓っていた者も一定数いた。

 そのような芽が、未来永劫芽吹かぬように摘み取る。

 つまるところ、残党狩りである。

 天上の道導を全て殺し尽くすことは出来なかった。デルガーを真っ先に殺し、恐怖を植え付けてしまった為である。

 だからこそ、キッドによる情報を元に残党を追って夜の街を暗躍しているのだ。

 ただ、キッドの下に訪れた事で、状況は少し変わる。

 ユークの真実が、彼により明確に判明したのである。

 曰く帝国を、王国を憎む彼は熱心な悪魔崇拝者になり、帝国側と天上の道導側に情報を流す間者だったそうだ。

 そこで計画を変更。薔薇と巨像の強みは、二人で一人の賞金稼ぎということ。

 手分けする事により薔薇がサバトの会場を襲撃。巨像は、集う残党を借り尽くした訳である。


「残りは?」

「いない。と言うか、後関わってるのは帝国だけよ。無論、生きているのもね。流石に国を亡ぼす気は無いの、祖国を失う辛さは知っているつもりだし」

「お嬢」

「呼ばないでって……まぁいいわ」


 彼女はホルスターに銃を納める。


「じき夜が明けるわ。さっさとずらかるわよ」




「御機嫌よう」


 或る日の昼下がり。詰所のドアを開けるのは人ではない、投げ込まれた人間の首だった。

 遅れて銀髪のミディアムボブを揺らす少女が我が物顔で立ち入る。前任者から特徴を訊かされていた担当者の兵士は、すぐにその少女が迷子の女の子では無い事を察した。


「貴女が……あの薔薇様ですか?」

「そう言うアンタは? 新人かしら」


 兵士は立ち上がり、薔薇に対して敬礼する。

 焦げ茶色の短髪と濃い眉。ユークとは随分毛色が違い、真面目そうな雰囲気がある。


「は。自分、デュークと申します。今日からここの配属になりました」

「……奇しくも音が似てるわね。敬礼なんていいわよ、私別に軍じゃないし。仕事をしてくれればいいわ。私が何をしに来たかは分かる?」

「懸賞金ですね?」

「正解。早く持って行きなさい」


 首を拾い集め、懸賞金の入った袋をもって現れたデュークに、薔薇は思っていたことを口にする。


「そう言えば、ここの前任は?」

「あぁ、なんか飛んだそうですよ? 一昨日から急にいなくなったって。昨日除隊扱いになったそうです」

「へぇ、そう」


 ユークは悪魔に変化した上で、薔薇が殺害している。

 殺した犯人こそ分からないだろうが、その事実は死体を発見した軍も掴んでいる事だろう。

 その事実を、軍はもみ消しているようだ。

 流石に、軍の人間が悪魔を崇拝していたという事実は都合が悪いか。もしくは、失踪したことにしたい誰かがいるのか。

 どちらにせよ、薔薇には関係無い。彼女はそれ以上の推測を止めた。

 昨日大騒ぎして呑んでいた人間が、今日にはいなくなっているのが薔薇と巨像が住む社会だ。関わった人間に一人一関心を持っていては、このような仕事などやっていけない。


「ありがとう」

「いえ、こちらこそ。治安の維持にご協力いただき感謝します」


 懸賞金を受け取り、振り向かずに手を振ることで詰所を後にする。

 例の如く門で待機していた巨像の肩に乗り、次の賞金首の情報を得ようと酒場に向かっているところであった。


「あ、あの!」


 何者かに呼び止められ、巨像は振り返る。必然的に、その肩に乗っている薔薇も。

 見れば、小さな男女が緊張を露わに立っていた。

 まだ齢は十にもなっていないだろう。声を掛けたのは男の子だ。何の変哲も無い服装に身を包み、様子を窺うように巨像と薔薇を交互に見据えている。

 対する女の子の方は巨像に怖がっているのか、男の子の服の裾を握り締めながら、彼の斜め後ろに立っていた。

 薔薇と巨像の二人が目を見合わせる。


「どうしたの? かわいい坊やたち」


 巨像の手から降りた薔薇が、子供たちの視線に合わせて少し屈んでから微笑みと共に声を掛ける。


「お、お前ら……なんでもやるんだろ? 手伝って欲しいんだ」

「よく知ってるわね坊や。ええそうよ、お金さえあればね。で? 誰?」


 緊張をほぐすためか、薔薇は視線を合わせるように少しだけ屈み、優しい口調で聞き取りを始める。


「友達と、遊びたいんだ」


 薔薇は絶句したように言葉を詰まらせる。

 遊べばいいと言うべきか、もしくは素直にそう出来ない理由があるからこそなのか。ただ、様々な疑問が浮かびつつも最終的に最初の疑問に帰って来る。

 

「遊べば?」

「遊べねぇんだよ! ……あいつ、歩けねぇんだ」

「へぇ。それは、生まれながらって事かしら」


 薔薇の問いに、少年は大きく頷く。


「で、そいつの兄貴が義足を買うために金を稼いでるんだけど、この前死んじまったんだよ」

「へぇ。何の仕事をしてたの?」

「……知らねぇ。ノエルも知らないって言ってた」


 恐らく、そのノエルとやらが妹の名前なのだろう。そんな事を考えながら薔薇は巨像を顔を見合わせる。

 死ぬような職業、と言えばやはり軍か。

 ただ、現在王国と帝国が戦争しているという情報は一切無い。

 となると考えられるのは、薔薇と巨像のような裏社会の住人。


「で?」

「それでその……」

「まさか、義足を買って欲しい何て言わないわよね。何故私がそんな事をしなくちゃならないのかしら」

「ち、違う! 手伝って欲しいんだ! 俺たちは今、一緒に仕事して稼ごうって話になったんだ。でも」

「雇ってくれないって? 当然でしょ」

「だから、俺たちも連れてって欲しい!」

「ハァ!?」


 再び顔を見合わせる薔薇と巨像。

 賞金稼ぎは誰でもなれるが、誰でも稼げる訳ではない。その問いに関する答えは、当然ながら否である。


「無理よ。死にたいの?」

「でも、じゃねぇと死ぬのはノエルだ! 兄貴も死んだ、親も居ねぇ。俺達が、あいつの世話を見ないといけない!」

「あのねぇ。使命感に燃えてるところ悪いけど、そう言う場合は教会に伝えれば対応してくれるものよ。教会に助けを求めなさい。見ず知らずの私じゃなくてね。じゃあね木偶坊や」


 未だでも、でもと叫び続ける少年を置いて薔薇は酒場の方向へと街道を歩いて行く。

 少年が助けを求める声が罵声に変わり始めた頃、ようやくその声は聞こえなくなっていた。


「いいのか?」

「何が」

「あの子供だ」

「いいも何も、どうしようも無いじゃない。私たちがお節介を焼いても、何もその子の為にはならないわ。私たちも何も得しない。メリットなんてどこにもないじゃない。なら、私たちが介入する意味はそこに無いわ」

「いいならいいんだ」

「……」


 腑に落ちない、といった表情のままで酒場の厩舎に辿り着く。

 巨像を置き、彼女はそのまま酒場のドアを潜る。見慣れた格好の飲んだくれが今日も酔いつぶれている事を確認し、薔薇は水を頼みつつその男の隣に座る。


「木偶! 起きなさい!」

「……起きてる……ふぁっ……っつうの。大声出すなっつってんだろダボ」

「今凄い大きな欠伸したわね」


 留り木キッドはもう一つ大きな欠伸を漏らし、手元のジョッキを一気に呷る。そして大いに酒気を帯びた吐息を空中に吐き出す。


「次の情報よ。今度は近くの誰か、まで付けて頂戴」

「ユークの野郎が死んだからだろ? お代はいつものだ。今日はそうだな……芋のハーブ焼きも加えてくれ」

「ほんとよく飲むわよね。死んでも知らないわよ?」

「あ、待て。お前を探してた奴がいたぞ」

「……ユークの話ならもう聞いたし、動いたわよ?」

「違う。まぁ、その内分かるわ」

「あっそ。マスター?」


 薔薇が代金を机に置きつつ、料理と酒を注文する。それを確認し、キッドは小さな紙片に情報を書き綴り始めた。

 ふと、先刻の少年の姿が脳裏に甦る。

 薔薇と巨像に出来る事は何も無い。したとしても、かの薔薇と巨像が関わったのだ。

 裏社会に生きる人間が、彼らに手を伸ばす可能性もある。そうなれば、誰も幸せにはならないだろう。

 賞金稼ぎとしてもメリットは一切無い。あるのは損と、賞金稼ぎ稼業に巻き込む可能性のリスクだけ。


「ねぇ。追加で欲しい情報があるんだけど」

「あァ? なんだダボ、藪から棒に」


 賞金稼ぎは誰でもなれる職業。ただ、良い賞金稼ぎには条件がある。

 一つは強さ。

 賞金首には莫大な懸賞金が掛けられている。当然それを狙うのは、本職の賞金稼ぎだけではない。一発逆転を狙う農夫や、借金に追われる市民等もその競争に入ってくるのだ。

 当然今の今まで生きている賞金首は、そう言った者達を全て逆に葬り去って来た者たちだ。それを日常的に狩る必要のある賞金稼ぎは、彼らを容易く圧倒できる程の卓越した戦闘力が必要となる。

 二つ目は情報。

 自前の情報網でも、信頼できる情報屋でもいい。世界は広い。闇雲に探し回っても、狙い通り賞金首を見つけられる保証は無い。無論歩いているだけで賞金首に出会うような不運(幸運)な人間もいるが、それは例外だ。

 潜伏している位置、敵の素性、戦い方、背後に付いている何者か。それらを推測し、事前に危険を察知するためには、正確な情報は必要不可欠だ。

 そしてもう一つは、とても単純な事。




 煌めく朝日と共に、襤褸布を纏った少女がベッドから起き上がる。

 随分と目覚めがいい。これ程までに目覚めがいいのは、もしかすると生れて初めてかも知れない。

 紺碧の目を掻き、目脂を落とす。そして、ぼさぼさの黒い髪に構う事無く大きく腕を伸ばし身体も伸ばす。

 目覚めはした。だが、ベッドから起き上がることはしない。

 ベッド、と呼ぶにも少し至らないそんな寝台に掛かった掛け布団は、彼女の身体にある場所に合わせて盛り上がっている。そんな盛り上がりが、彼女の右膝の先からは存在しなかったためである。

 ノエル・オーウェンは不幸を生きて来た。

 自分が生まれると同時に両親が他界。母親は衰弱死し、父親は事故によりこのこの世を去った。

 親を殺した、呪われた子供。

 それを証明するように、彼女には先天性の病を患っていた。

 腫瘍が、身体中に出来る病だ。

 とは言っても勿論ただの腫瘍ではない。強い痛みを伴い、更には血液の流れを阻害するそれは、一度右脚に出来た際に途轍もない激痛を伴い、止む無く切除する形となったのだ。こんな腫瘍が身体中に出来る可能性を秘めていると、医者は言った。

 親を殺した忌子として蔑まれながら、一生芋虫のように地面を這うように生きていくことをしか出来ない。それでも生きる希望を失わなかったのは、たった一人の家族が寄り添ってくれたからである。

 たった一人の兄。かけがえのない、ノエルの宝物。

 だが、その彼ももういない。


「兄さん……」


 声に出しても、彼は「なんだ?」と呼び掛けてくれる訳ではない。

 彼は死んだのだ。そのような事がある筈も無い。

 もしかしたら、痛みさえ克服出来れば。そう考えてくれた兄が、高い痛み止め用の薬を買うために危険な仕事に就いてくれていたのは知っている。そしてその仕事が、法に触れるような仕事である事も。

 こみ上げる。失意の証が。


「うっ……」


 兄の仕事を察した時、言葉だけでは止めようとした。だが、彼に大丈夫だと笑い掛けられた時、ノエルは激しく言い返すことが出来なかった。

 どれもこれも全て、自分の為。

 その献身を、どうして貰うだけの自分が止める事が出来よう。

 そして何より、嬉しかった。誰かがここまで想ってくれる。その温かさを手放せなかった。冷たい石を投げられ続けた、ノエルにとっては。

 頬を伝う涙を拭い取り、朝日をもう一度眺める。

 もういっそ、死んでしまおうか。


「はぁい?」


 希死念慮が黒い渦となって立ち込め出した頃、ドアが何者かにノックされる。

ノエルが声を投げて訊ねると、声はすぐに帰って来た。


「俺だ! ジンだよ!」

「わ、私もいるよ」

「どうぞ入って。ノックなんて要らないから」


 入って来たのは、ノエルよりも二回りは小さい二人の子供。

 一人は男の子。もう一人は女の子だ。外で兄が二人に声を掛けたらしく、ノエルの状態を知って一緒に遊んでくれたり、食べ物を持ってきてくれたりしている。兄がいなくなった最近は、彼らがいなければ何も食べられていなかっただろう。

 二人を見て、希死念慮が少し収まる。

 ただ同時に、申し訳なさが満ちていった。

 この二人だって、本当は外を駆け回って遊びたい時期だろう。それを、兄の気遣いとは言えこのような動けない女の世話を焼かせる羽目になってしまっている。


「今日の食事? いいって言ってるのに。いつもありがとうね」


 確かに食事を持ってきてくれるのは助かる。とは言え、食事だけならば壁にもたれ掛かって歩けば、もしくは這うようにして動けば辿り着ける。


「いや……それもなんだけど、今日はそれだけじゃなくて」

「?」


 恥ずかしそうにモジモジとする少年少女に、ノエルは素直に疑問を浮かべる。

 よく見れば、何かを隠すように少年は後ろに手を回している。少女の体勢も、彼が持っている何かを支えるかのようだ。


「どうしたの?」

「……ほら、その……まぁいいや。うん」


 少女と顔を見合わせ、二人は隠していたものを差し出した。

 木製で模った人間の脚。それが何であるか等、分からないノエルではない。何も隠そう薬の他に最終的にはそれを買おうと、兄は身を粉にして働いてくれたのだから。


「……ど、どうしたの? そんなもの」


 職人の技術により作り出されるそれは、驚くほどに高価なものだ。そんな逸品を、まだ子供の二人が買える筈も無い。もしや兄のように、非合法の方法を用いた可能性さえある。

 自分の為に、そこまでさせてしまった。

 そんな事を考え絶句するノエルは、次の言葉で我に返る。


「ノエルの兄貴の友達って人が、偶然譲ってくれたんだよ!」

「い、いらないからってさ」

「そんな事……」


 有る筈がない。

 とは言え、実際にこの二人が義足を持っている事は事実だ。

 分からなくなる。どこまでが真実で、どこまでが虚構なのか。兄には本当にそんな友人がいたのだろうか。それとも本当は嘘で、この二人が義足をお金を貯めて買ってくれたのだろうか。

 分からない。分からないけれど、一つだけ知りたい。

 この感情を、何と呼べばいいのか。


「う……あ、あれ? おかしいな」


 気付けば、顔を押さえる手が濡れていた。

 上から伝うようにして、手の甲を伝う液体がある。

 その感触に気付き、手を顔から離して眺め、初めてそれが自分自身から溢れたものだと知る。

 それを知ってしまうと、もう歯止めは利かない。

 溢れ出す涙を抑えようとも、構わずに溢れて来る。どうしていいか分からず、ノエルは自分の顔を再び覆い隠す。二人はそんな彼女の様子に顔を見合わせ、義足を彼女の腿の上にそっと置いた。

 そして、何かを察してか音がしないようにゆっくりと扉を閉め消える。

 確かに感じる太腿の重みに、ノエルの涙は止まらない。

 何度憎んだ。自分の身体を。

 何度恨んだ。何もしてくれない国や街を。

 何度恨んだ。施してくれる人に何も返すことの出来ない不甲斐無さを。

 何度恨んだ。生を受けた事を。

 そんな自分とは、もう別れを告げられる。ノエルはひとしきり泣き、ようやく収まった頃には一時間弱が経過していた。

 犠牲は大きい。このために、最愛の兄は犠牲になった。だが、兄の犠牲は無駄ではなかったのかも知れない。そう思うと、この義足が兄の最期の贈り物であるようにしか思えない。

 生きる希望がふつふつと湧いてくる。

 いやそれよりもまず、二人への礼として元気に立つ姿を見せるべきだろう。

 そう考えたノエルは、さっそく涙で少し濡れた義足を身に付けようとし、義足の空洞の中を確認する。そして、四つ折りにされた紙片がある事に気付いた。


「……?」


 なんだこれは。あの二人が入れたものだろうか。

 だとすれば、歳に見合わず粋な計らいをする。


「ふふっ、もう一回泣かせる気?」


 正直、二人からの手紙なんてものが入っていたら今度は涙腺が決壊するだろう。

 人と人のつながり、その確かな温かさを感じながらノエルは紙片を抜き取り恐る恐る広げる。それは、予想通り手紙だった。

 とても簡素な手紙だ。宛名、差出人名を合わせて数行しかない。

 ただ予想と違ったのは、差出人。


「ノエルへ……初めに断っておくと、私は貴女の兄の友人ではないわ


 私は、誰にでも救われるきっかけが必要だと思う。そして、誰が誰に対しても手を差し伸べるべきだと思うわ。

 だからこそ、この義足を贈るわ。勘違いしないで欲しいんだけど。あげた訳じゃないの。いつか自分で稼いで私の下に返しに来なさい。恩で、もしくは――


 兄の仇より……」


 もしくは、仇で。

 手紙の差出人名の隣には、ペンで一筆で描かれた美しい薔薇が絢爛に咲いていた。




「いいのか?」


 のっそりと熊のように歩み寄る巨像の問いに、薔薇はすぐに答えるような事はしなかった。

 ただ、巨像の傍らに立つ影は薔薇の姿ではない。

 ならずものの男、というのが第一印象だろう。シャツにベルト、毛皮のズボンに革のコート。リボルバーが腰元のホルスターに収まった男。

 その視線の先には、嬉しそうに駆け出す二人の少年少女が収まっていた。二人のその手には、なにやら大きな物が抱えられている。


「敵を作ることになるぞ」

「そうね」

「……」


 駆け去っていく二人の影が消えた事を確認すると、薔薇は振り返り着いてくるように手で促す。尚、当の巨像は彼女が振り返った時点で既に同じように振り向いていたのだが。


「子供の頃の鮮烈な記憶ってのは、良くも悪くも際立つものだわ。その良し悪しに関わらず。私がやっているのは、獅子に自分の肉を与えたのと同じ。本当に愚かだわ」


 人気の無い路地裏に入り込み、薔薇は変装を剥ぎ取る。

 さも暑いからコートを脱ぐかのように、長躯の男から矮躯の女に変わる様子は、その道のプロフェッショナルならば垂涎ものの技術だろう。


「でも、本当に一生憶えてるのは手よ」

「……手」

「救いを差し伸べる手。変化に誘う手。どんなに退屈で、どんなに惨めで、どんなに豊かでも、これだけは確実。経験談よ」


 賞金稼ぎが、何故賞金稼ぎになったのか。

 無論、それ以外の生き方が無かった者も居る。だが、例えば同業者からも恐れられている者はそれぞれ独自の強い動機を持っている事が殆どだ。

 或る者は誰よりも美しくなる為。

 或る者は金の為に。

 或る者は生きる為に。

 或る者は正義の為に。


「私ってほら、こんな生い立ちじゃない? 孤児から王女、王女から賞金稼ぎ。有り得ない経歴でしょ?」

「そうだな」

「だからほら……なんて言えばいいのかしらね」


 そして或る者は、国を灼き尽くした炎を追って。

 薔薇の網膜には今も焼き付いている。

 崩れ落ちる王城も、知っている人が炭の塊に変わった姿も、そして握り締めた拳から滲む、どろどろとした血液も。

 そして膨れ上がって消え失せた、国を焼いた炎も。

 何度も死のうと思った瞬間はあった。

 何度も死ぬと思った瞬間もあった。

 幾度の戦場を越えて、劇戦を越えて。それでも、薔薇は諦める選択肢を廃し続けたからこそ生きている。

 これも全て、炎のせい。


 会場は喧騒に包まれていた。

 聖王歴五百五十年よりも以前。少し昔の話だ。よってこれは、昔話の類と言っても差し支えない。

 その日、その国は宴だった。

 当時、大陸西方にはクレセント王国という島国があった。

 小さな島国なれど、地下に眠る豊富な資源により高い軍事力、特に無類の強さを誇る海軍を有していた大国であった。

 そんなクレセントには、皆に愛される王女がいたのだ。

 麗しい銀髪と、絶世の言葉が最も似合う美貌。その名も、メイアン・ルイーズ・ピース=クレセント。

 彼女は、生まれながらにして類稀なる才を持っていた。

 初めに彼女の異常性に気付いたのは、彼女の教育係。


「何故、ここに兵を置かないのです?」


 休憩中に教育係が教えたチェスで、彼女はたった六手でチェックメイトを宣言した。

 その後の検証で、彼女の才が暴かれる。

 勉強に関しては学者に引けを取らず、武術を学べばすぐに会得し指南係を圧倒。チェスをすれば相手の陣形をすり抜けるようにキングが奪われ、引いたヴァイオリンは彼女にいい感情を抱いていない人間にも安らぎを齎した。

 何に対しても臆さない強い心を持つ。人心掌握にも長け、国民の隣人として心を奪い取った。

 まさに、神童。そんな彼女の、誕生日が訪れたのだ。

 様々な各国の重鎮が現れ、彼女に対して挨拶を交わしていく。

 そうしてパーティーも中盤。事は起こった。

 各国の新聞社も、その現象を記録している。初めは、小さな星の光だった。

 突如として、空に明るい輝きが芽生えたのだ。さもアンタレスのような、赤々とした星の光。

 しかし、それは只の炎では無かった。徐々に膨れがると同時に、太陽のような輝きを放ったそれは、会場の注目を釘付けににする。

 刹那、小さな太陽は爆ぜた。分裂したそれは、火球となって降りかかる。無論の事、メイアンのいる会場にも。

 それは、大陸の各国でも観測され空を一瞬にして赤く染めた。通称「空が灼けた日」として、各国の住民の記憶にも刻まれている。

 火球は墜落と同時に文字通り爆発的な勢いで膨張し、国を大きく包み込みようやく消える。城で行われていた第一王女、メイアン・ルイーズ・ピース=クレセントの誕生日パーティーをも呑み込んで。

 事故後に行われた調査では、爆心地は王都。

 国外に伝わる隠し通路などもあるにはあった。が、調査の結果爆発の勢いを見るに最初から通路に入っていなければ防ぎようがないと結論付けられる。

 パーティーの主役が城の地下に潜っていたなんてありえない。王族や、その他貴族の生存者はいない。自然とその結論に行きつき、クレセントは滅亡したとされたのだ。

 だが、事実生存者はいた。

 突き動かす怨嗟が、憎悪が、彼女を死から遠ざける。かつて国を焼いた炎。それを起こした者を、地獄へ。

 と、彼女の耳に囁いて止まない。


「生きる意味を、あげたくなったの。……私にはこれくらいしか出来る事が無いけど、私達が恨まれるのならば受け止めてあげられるわ」

「俺の意思は無視か?」

「当たり前でしょ。アンタは一生私に付き従って死ぬの。違う?」

「……そうだな」


 賞金稼ぎになるには、大きく分けて三つの条件がある。 

 そして最後の一つは。

 泣きついてきた子供の願いを、ほぼ無償で聞いて上げられるような。それが例え憎悪であったとしても、消えかけた生への渇望に薪をくべられるような。スプーン一杯にも満たぬ優しさ。

 それが、良い賞金稼ぎになる為の条件だ。


「さてと、感傷に耽るのもいい加減になさい。さっさと仕事するわよ」

「今回は?」

「あぁ、言ってなかったわね。まぁここで話すのもなんだし、まずは酒場にでも行きましょうか」

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