第25話 責任
◆
それが責任だからです。
アオイはそう答えた。
「どのような責任がありますか。あなた方に責任などというものは、ないと僕は思います」
「違います」
ゆっくりとアオイが首を振る。
「違うんです、アイリ殿。私どもがもっと早く刀を差し出していれば、何もなかったのでございます」
「差し出すべきだった刀とは、あの刀ですね」
曖昧な表現でも、僕の言いたいことはアオイに間違いなく伝わった。
アオイはただ、頷いた。
食堂で僕に投げ渡された刀。鍔もなく、手入れもされてなかった刀。
やはりあれは、ヤムト氏の打った刀であり、クズリバ氏が求めている刀なのだ。
刀は、本当はあったのである。
「あの刀が、全ての元凶なのです」
手で目元を素早く擦ったアオイが、震える声で言う。
「私どもが素直になっていれば、それで済んだことです。私がもっと早く父の隠し事を知り、もっと早く父を説得できれば」
お父さん、とミズキが声をかける。
「あの刀については、おじいちゃんが決めたことでしょう。おじいちゃんの言うとおりにすると決めたのは、私も同じ」
「ナクド先生まで死なせてしまって、どんな顔ができるというのだね」
アオイの震える声に、ミズキもまた俯いた。
全ては過ぎたことだ、と僕なら思ったかもしれない。しかしそれは、これまでにいくつもの死を経験しているからそう割り切れるだけだろう。大半の人間は僕ほど人の死に触れない。大勢を自らの手にかけることもない。
どんな形であれ、死が遠くにあるというのは、平穏ということだ。
僕が生きている世界は、そんな穏やかな世界の中では異質な世界ということになる。
父親と娘が静かに涙を流す様子を、僕は見守った。
言えることは何もない。
僕は二人とは生きている世界が違うのは、明らかだ。
同じ言葉でしゃべっても、同じ価値観を持っていない。
「アイリ先生」
ミズキが顔を上げた。まだ涙が頬を流れるが、声はしっかりしているようだ。
「リリギはきっと、先生を許しません。片手を落とされ、弟を殺されたのですから、何があっても報復すると思います」
「それは、あなたたちも同じではないのですか?」
「そうです。私も父も、祖父も、クズリバの地を離れるつもりです」
一刻も早いほうがいい、と言いそうになって、彼らの動きを束縛しているのが僕だと気付いた。逃げ出せるはずのところを、僕の看病をして、面倒を見て今もここに残っているのは明白だ。
僕のことは放っておいてくれ、と言おうとした呼吸を読んだようで、ミズキが先に言葉にした。
「アイリ先生、祖父が、刀をあなたに託したいと言っているのです」
「刀を託す、とは、あの刀をですか?」
はい、とミズキが頷く。僕はアオイの様子を見た。アオイも、頷いている。
こんなに困惑することはあまりない。
名刀というものを、つい最近に初めて出会い、知り合って間もないものに譲るだろうか。
その地の領主に差し出さなかったものを、流れ者の僕のようなものに差し出す理由とはなんだろう。
しかも僕は、二人と親しかったであろうナクドを切っている。避けるのが難しい因果があったとしても、切ったのは僕だ。
僕は二人をじっと見た。寝ているわけにはいかず、手をついて起き上がった。肩の傷はまだ痺れるように痛む。脇腹の方が少しはマシだが、傷は深いと聞いている。
上体を起こした僕に、二人が頭を下げた。
「ご迷惑をおかけするのは、理解しております。しかし我々には他に頼れる方がおりません」
「僕に刀を譲って、どうしろとおっしゃる?」
アオイが顔を上げた。わずかに口元がわななき、顔面は蒼白になっていた。
「クズリバ様を、お切りいただきたい」
バカな、と笑うことはできなかった。
アオイは真剣そのものだった。その隣で頭を下げた姿勢のままのミズキも、止めるようではない。父親が意外なことを言って驚いているようでもなかった。
親子の間で、あるいは祖父も含めて、心を決めているということか。
「クズリバ様を切れ、とおっしゃるが」
僕の思考はすでにかなり先まで走っていた。
「館に入り込むことからして、至難でしょう」
はい、とアオイが頷く。
「しかし、あの刀があれば、拒絶もしないでしょう」
「クズリバ様は、僕から刀を取り上げ、それで全てに決着をつけたと思っておられるはず。そこへ僕が刀を持って現れ、疑念を抱かないものでしょうか」
そこは、とアオイの瞳に強い光が浮かんだ。
「欲が深ければ、目も眩むかと存じます」
「欲に目が眩んで僕を招き入れて、それでどうなります。クズリバ様を前にして、僕に突然に切りかかれと? そうすれば僕もまた、命はないでしょう。生きて館を出ることはない」
はい、とアオイが僕を見据える。瞳には強い意志がある。
死んで来い、というような光り方にも見えた。
僕の視線とアオイの視線がしばらくぶつかり合った。両者に言葉はない。
「お切りください」
アオイが唸るように言った。
「もしあなた様が切られることがあれば、私どもも命を捨てる覚悟でございます」
「それは、無駄な死というもの」
僕がそう言葉にしてみて、自分の気持ちが理解できた。
「よろしい」
僕は頷いて、アオイの瞳を改めて見た。そして顔を上げたミズキの視線を受け止めた。
「あなた方は時が来れば、姿を消せばいいでしょう。私はその時には、さて、生きているか死んでいるか、わかりませんが」
アオイもミズキも、息を飲んだ後、改めて深く頭を下げた。二人とも、肩がはっきりと震えていた。
「申し訳ありません。無理をお願いし、言葉もありません」
僕は笑うことができた。
一度は死んだようなものだ。それを救ったのはアオイやミズキである。
二人のために命を使ってみるのも悪くあるまい。
アオイもミズキもすすり泣き始めた。僕は何も言わずに、二人を視界から外した。
そうと決まれば、何か策を考える必要がある。
命を捨てる覚悟をすることと、無謀に命を投げ出すのは違う。
何か、クズリバ氏を出し抜く方法はあるだろうか。
親子が泣き続ける横で考えるにしては殺伐としていたが、仕方あるまい。
僕の命には、三人分の命が余計にかかっている。
下手は打てない。
僕が生き延びた時に初めて、三人が生きるのだから。
(続く)
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