第16話 薄闇の中
◆
明かりが乏しすぎる。
それが最大の難しさだった。立ち位置を変える足の動きは継続しているが、このままだとナクドが明かりを背負う形になる。
そうなってしまえば、ナクドからは僕がかろうじて見え、僕からはナクドは見えづらくなる。
仕掛けるしかないと判断し、鋭く踏み込む。
ただこれは読まれていたようだ。
ナクドの刀が走り、刃の輪郭が光を受けて刹那だけ瞬く。
半身になって斬撃を避けるが、かなり際どいところをナクドの刀が走っていく。
僕の刀も翻るが、ナクドは受け流し、次の斬撃につなげてくる。
間合いを取らなければ危険と判断して後ろへ跳ねるが、ナクドが間合いを詰めてくる。僕はさらに後退。しかし間合いは取れなかった。
道場は広いようで狭い。
壁を背負いたくないと判断し、咄嗟に斜めへ移動。牽制の振りを繰り出して、なんとかナクドの足を止める。
返しの刃を体を傾けて避け、道場の中央側へ素早く足を送った。
向き直ったナクドが構えを取る。やや変則的な下段の構え。
明かりは二人を横合いから照らしている。あまりにも暗い。
膠着したところで結論は出ないのはわかっているが、下手に攻めると偶発的な事態で不利に陥りそうだった。堅実に、確実に勝つ道筋が見えない。
ナクドが道場で型を繰り返しているのは何度も見ているし、そのおおよそを僕は把握している。それでもナクドの剣術の全てを見たとは思わない。僕が見ている前で、そんな迂闊なことはしない。僕だったらしない。
誰かに剣術を教えるとしても、本当に全てを教える場合は滅多にないだろう。
ナクドは今の状況になることを、どこかで予測していたのでは、とさえ思える。ナクドにとって何が僕を切らせるきっかけになったかは知らないが、ナクドの躊躇いのなさは、事前に想定していたからではないか。
じりっと二人が横へ移動する。側面に回り込むのは許さない、ということか。
間合いを測る。呼吸を読む。
間合いは暗さで判然とせず、呼吸はお互いに潜めている。
こうなってはささやかなものを直感で解釈するしかない。
静かだ。
斬り合いを、命の取り合いをしているとも思えないほど、静かだ。
かすかな風が、道場の外にある何かの梢を揺らす。
その風がどこからか道場の中に流れ。
明かりが揺れ。
ナクドの刀が光り。
僕は踏み出し。
ナクドが踏み出し。
鋭い風を切る音。
まるで刃が閃光を発したような一瞬の瞬き。
道場の床が鳴り、二人がすれ違う。
息が詰まる。
素早く振り返り、刀を構え直す。
ナクドは。
こちらを振り向き、その横顔に明かりを受けている。
何かが彼の頬を汚している。何かじゃない。血だ。
誰の血か。
刀を構える姿勢は変わらない。
集中が極端に高まり、音が聞こえないのに、自分の鼓動だけが聞こえてくる。
ナクドも刀を構えているが、動こうとしない。
細く息を吐く。
喉が強張る。
ナクドが動いたので、刀をとっさに振り上げた。
しかしもうナクドは切り掛かってはこなかった。
一歩、二歩と横に蹌踉めくと、そのまま横倒しに倒れた。
僕はナクドが倒れてからも、刀を構え続けていた。
道場の床に血だまりが広がっていく。ナクドはまだ呼吸をしているが、徐々に細く、遅くなっていく。
やっと僕は刀を鞘に戻し、ゆっくりとナクドに近づいた。血だまりを避け、彼のそばに膝をつく。
「ナクド殿」
返事はないが、彼の瞳は僕の方を向いた。
「ナクド殿、どうして僕を切ろうとしたのですか」
返事はない。
「昨日のことと、関係があるのですか」
やはり返ってくる言葉はない。ただ瞳だけが僕を捉えている。
そこにある感情を読み取ろうとした。
怒りの気配は消えているが、代わりに憐れむような色がそこにある。ナクドを切った僕をナクド自身が憐れむ理由とは何か。僕の生き方が愚かしいと、そう言いたいのか。
腹が立ちはしない。事実だからだ。僕は愚かで、憐れだろう。刀を学び、人を切った時から、僕はそういう存在だ。わかりきっている。
ナクドの剣も、人を切ったことのある剣だった。僕に向けられた剣は、命を奪おうとする剣だった。
もし僕が逆の立場なら、僕はナクドをどんな目で見ただろうか。
そんなことを考えても、仕方がない。
「ナクド殿、教えてください。これはクズリバ様と関係あることですか」
やっと返事があった。
かすれているうえに、濁ってもいた。
「クズリバなど、どうでもいい」
「では、誰ですか」
ナクドの口元に笑みが浮かんだ。皮肉げな笑みの様に見えた。
「誰でもない」
誰でもない?
自分の、とナクドは最後に口にした様だが、その言葉にはもはや力がなく、最後まで言葉にはならなかった。ナクドの体から最後の力が抜けていき、ついに脱力した。
僕はゆっくりと立ち上がり、ため息を吐いて一歩、二歩とナクドの亡骸から離れた。
どうしてナクドが僕に刀を向けたのかは、分からないままだった。
クズリバの指図ではないなら、誰が僕の命を奪わせようとしたのか。ナクドはクズリバではないと言い、自分の、と言いかけて絶命した。自分の何のか。自分の意思と言いたいのか。僕が何か、ナクドに刀を抜かせるようなことをしただろうか。
考えているうちに、外が明るくなってきたようだった。
ふと、最初にナクドが口にしたことを思い出した。
ミズキを助けに行け、と言われたのだ。
ミズキに何があったかは知らないが、放置もできない。
僕は素早く自分の荷物を抱え、道場を裏から出た。表の通りに出ても明るくはなっても人はいない。駆け足で僕はミズキと毎日のように進んだ道をたどった。
移動しながら、自分の体や服装を見る。どこにも怪我はないし、着物も痛んではいない。血で汚れてもいなかった。
通りから折れ、さらに折れたところで、食堂が見えてくる。
普段は閉まってるはずの表の板戸が、開いていた。
歩調を緩め、息を整えながら中をうかがう。
「もし」
そう声をかけて覗き込むと、明かりが灯されが室内で、椅子に老人が一人で腰掛けているのが見えた。見知らぬ老人だ。
老人はゆっくりと顔を上げる。
言葉はなく、しばらく視線を交わしたが、老人の方が目元を緩めた。
「ミズキのお知り合いだね」
しわがれた声に、僕が頷くと「お入りなさい」と手招きをされた。
僕は、ゆっくりと建物の中に入った。空気が揺れて、中を照らす灯りがゆらゆらと大きく揺らいだ。
(続く)
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