第21話 一通の手紙、忘れられない味

東京の冬空はどこか冷たく、澄み切っていた。ビル群に囲まれた塩見のオフィスでは、日差しが入る窓辺に小さなストーブが置かれ、その静かな熱が部屋を暖めている。デスクの上には書類とノートパソコン、そして未読の郵便物が無造作に置かれていた。


「塩見さん、また郵便が届いてますよ。」

秘書の茜が小さな封筒を手に持ち、塩見に声をかける。手渡された封筒はどこか古びた紙質で、表には整った筆跡で「炭火庵 大山吾郎」と記されていた。


「……懐かしい名前だ。」

塩見は封筒をしばらく見つめた後、静かに中を開けた。中には丁寧な手紙が入っており、その一文一文を目で追いながら、彼の表情が次第に穏やかになる。


「塩見さん、30年前、私の地鶏料理を絶賛してくださったこと、今でも忘れられません。あの言葉が、私が炭火と向き合い続ける原動力になりました。


しかし、時代が移り変わり、今では“地鶏”という言葉が乱用され、本物の価値が理解されにくくなっています。私の料理が、地鶏が持つ本当の魅力を伝えられているのか、不安になる日々です。


もし可能であれば、ぜひもう一度私の店を訪れてください。本物の地鶏の味を、塩見さんに確かめていただきたいのです。」


手紙を読み終えた塩見は、深く頷いた。彼の脳裏には、30年前に初めて炭火庵を訪れたときの光景が浮かんでいた。


「茜、九州に行くぞ。」

突然の宣言に、茜は目を丸くする。

「九州ですか?急にどうしたんですか?」


「30年前に訪れた地鶏専門店『炭火庵』だ。そこの大山吾郎という男が作る地鶏料理は、炭火の力を最大限に活かし、素材の旨味を極限まで引き出すものだった。その吾郎から手紙が届いた。」


茜は興味津々の様子で塩見の隣に近づく。

「地鶏って、普通の鶏とそんなに違うんですか?」


塩見は少し笑いながら答えた。

「地鶏は育て方、運動量、飼料、そのすべてが味に影響する。そして、どんなに良い素材でも、それを活かす料理人の腕が試される。吾郎はその両方を知る数少ない料理人だ。」


「つまり……すごい料理を食べに行くんですね!」

茜の目が輝く。塩見は静かに頷き、「いや、確かめに行くんだ」と答えた。


回想:30年前の炭火庵


30年前、塩見が初めて「炭火庵」を訪れたのは、まだ若手の料理評論家として駆け出しの頃だった。当時、地鶏という言葉は今ほど一般的ではなく、「高級な鶏肉」という程度の認識しかなかった。それを変えるきっかけとなったのが、この山間の小さな店「炭火庵」だった。


九州の山間部。人里離れた静かな集落の中、木造の古びた建物がひっそりと佇んでいる。その店構えは飾り気がなく、地元の常連客だけが訪れるような雰囲気だった。入口をくぐると、木の香りと炭火の煙が鼻をくすぐる。囲炉裏の中央には、白い炭が赤々と燃え、その上で金網に乗せられた地鶏の肉がじっくりと焼かれていた。


「いらっしゃいませ。」

当時40代だった大山吾郎が、少し無骨な笑みを浮かべながら塩見を迎え入れる。その手は、炭火を扱い続けたためか、少し荒れた皮膚と硬い指先をしていた。塩見はその手を見て、「この人は炭火と対話している」と直感的に感じた。


吾郎は言った。

「ここで使っているのは、私が信じてやまない地鶏です。自分で選んだ鶏を、炭火だけで焼いて仕上げます。それ以外の味付けは、ほとんど必要ありません。」


吾郎は丁寧な手つきで地鶏の肉を網に乗せる。部位はもも肉。炭火から放たれる遠赤外線の熱が、肉の表面をじっくりと焼き上げ、余分な脂を落とす。火力の調整は網の高さで行われる。吾郎は少し網を上げ、また少し下げる。それはまるで炭火と会話しているかのようだった。


「炭火は熱源であり、香りの調味料でもあります。この火が肉の中にどれだけの旨味を閉じ込め、どれだけ余分な脂を落とすか。それが地鶏を本物にする鍵です。」

吾郎が語る言葉に、塩見は静かに頷きながら、その手元を見つめていた。


「ところで、地鶏とはなんだと思いますか?」

突然の問いかけに、塩見は少し迷いながら答える。

「……普通の鶏より高価で、脂が少なく、肉がしっかりしている。それくらいの認識です。」


吾郎は静かに首を振った。

「地鶏の定義は、確かに育成期間や運動量などで決められています。しかし、その基準を超える鶏が本当に『本物』かどうかは、育て方と料理人の手にかかっています。私は、この地鶏がどれだけ自然の力を受けて育ち、その力をどう料理に活かすかにこだわっています。」


その言葉に、塩見は言葉を失い、囲炉裏の炭火でじっくりと焼かれている肉をじっと見つめた。


吾郎は焼き上がった地鶏を木製の皿に盛り付け、塩見の前に差し出した。「どうぞ、食べてみてください。」

肉にはほんの少しだけ塩が振られているだけだった。余計なタレやスパイスの気配はない。


塩見は箸を持ち、焼き上がったもも肉の一切れを口に運ぶ。一口噛んだ瞬間、目を見開いた。外はカリッと香ばしく焼き上げられており、中はジューシーで肉汁が口の中に溢れる。脂の甘みと炭火の香りが絶妙に調和し、肉そのものの旨味が存分に引き出されていた。


「……これが地鶏か。」

思わず口から漏れた言葉に、吾郎が微笑む。

「素材と火が対話をすれば、こうなるんです。」


塩見は次の一切れも口に運びながら、改めて思った。これまで自分が食べてきた「地鶏」と称する料理は、この料理とは全く別物だ、と。


食事が一段落すると、吾郎が炭火を見つめながら語り始めた。

「地鶏の良さは、脂の少なさや歯ごたえだけじゃない。その肉に詰まった風味や、炭火の香りと調和したときの旨味が最大の魅力です。でも、それを引き出すには、料理人が火と向き合う覚悟が必要なんです。」


塩見が「覚悟」と聞いて首を傾げると、吾郎が続けた。

「炭火は、常に変化します。同じ炭、同じ肉を使っても、焼き方を間違えればすぐに台無しになる。料理人が炭火の性格を見極め、肉の声を聞くことで、ようやく一皿が完成するんです。」


塩見は静かに頷いた。そして、心の中で確信した。この炭火庵の地鶏は「本物」だと。この味を知らずして、料理を語る資格はない、と。


現在:九州への旅路


「吾郎さんの地鶏は、あの時、俺に料理の本質を教えてくれた。」

空港へ向かう車の窓の外を見つめながら、塩見は茜にそう語った。


茜が興味津々の様子で尋ねる。「本物の地鶏って、そんなに違うものなんですか?」

塩見は少し微笑みながら答える。「違うどころじゃない。本物の地鶏は、一口でその違いを語りかけてくる。そして、それを活かす料理人がいなければ、本物にはならない。」


九州の山間部は、かつてと同じように豊かな自然に包まれている。その中に佇む炭火庵で、吾郎の地鶏は果たして今も「本物」の輝きを持ち続けているのか――。塩見と茜の旅は、そこに答えを見つけるためのものだった。


塩見と茜は、九州行きの飛行機に乗り込む。茜は窓の外を見ながら興奮を隠せない様子だ。

「九州の山の中で、そんなすごい地鶏料理が作られてるなんて……早く食べてみたいです!」


「ただの地鶏料理ではない。」

塩見が窓の外を見つめながら語る。

「吾郎は、地鶏を扱うだけでなく、それを“本物”に仕上げる料理人だ。素材の声を聞き、それを最大限に活かす火の力。それが吾郎の哲学だ。」


飛行機は福岡空港に到着し、そこから車で山間部へと向かう。車窓からは豊かな自然が広がり、茜はその景色に感嘆の声を漏らす。

「この環境が、本物の地鶏を育てるんですね……。」


塩見は静かに頷き、手元のメモに何かを書き込んでいた。「本物の地鶏を作るには、ただの素材ではなく、それに命を吹き込む料理人が必要だ」と。


次回予告:再会の地鶏、炭火の香り


九州山間部の「炭火庵」で再会した大山吾郎。その炭火で焼き上げられる地鶏は、果たして30年前と同じ味なのか?塩見と茜が確かめる“本物の地鶏”の真価とは――次回、「再会の地鶏、炭火の香り」。


読者へのメッセージ


料理には素材と技術、そしてそれを支える哲学が必要です。本作では、「本物の地鶏」というテーマを通じて、素材の本質と料理人の信念を描いていきます。炭火の香りが生み出す料理の可能性を、ぜひ味わうように読んでいただければと思います!

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