オペレーション・セブン・エー

千早さくら

前 編

 北緯二〇度五〇分、東経一四〇度三一分に位置する半円形の小さな孤島では、〇二五五時を過ぎたところだった。


 亜熱帯性気候に属するこのメリダ島は密林に覆われており、当然ながら夜の闇に閉ざされている。ただ夜行性の獣だけが、その姿を暗闇に紛れ込ませてひっそりと動き回る、そんな時間帯だ。


 ただし、それは地上に限ってのことだった。この島の地下には、人知れず作られた広大な軍事施設、〈ミスリル〉西太平洋基地が存在した。人工的な空間が広がり、そこではたとえ真夜中であっても皓々と電灯が灯り、常に一定人数が活動状態にあるのだ。


(もっとも、節電のため二二〇〇時から〇五〇〇時までは〇号通路、主要通路、主要施設、当直が詰めるオフィスを除いて消灯され、夜勤手当削減のため番兵の人数は前年より十パーセント減となっていた)


 そのような軍事基地であっても、数分で午前三時になろうという現在は、やはり起きている人間がもっとも少なくなる時間帯である。──通常であれば。


 そしてその夜は通常ではなかった。月に一度、西太平洋戦隊の一部隊員にとって非常に重要なミーティングが開かれる日だったからだ。演習時を除き、このような時間に部隊の十五パーセントに上る隊員が一斉に行動するのは、このミーティングのある夜に限られる。


 集会場所は、居住区からも司令部からも遠く離れた、粗大ゴミの集積区画にある一室だった。通路には非常灯が間隔を空けてポツンと灯っているだけで、ずいぶんと暗い。そんな中を出席者たちが一人、また一人とやってきては、扉の中に吸い込まれていく。薄闇の中、足音を忍ばせて密やかに現れては消えていく人影は、地上で獲物を求めて徘徊する獣と同種の雰囲気さえあった。


 〇三〇〇時まであと十五秒に迫ったとき、扉の前に長身痩躯の男が立った。腕時計を確認すると、眼鏡のブリッジを右手人差し指で押し上げてから、おもむろに扉を開いた。通路から入ると蛍光灯がやけに眩しく感じられて、部屋の奥へと進む前に数度瞬きをする。


 十メートル四方ほどの室内には、五十名を超える隊員が集っていた。そのほとんどが男性だったが、わずかながら女性の姿も見つかる。皆、パイプ椅子に座ったり壁にもたれたりしながら、定時を待っている。たった今やって来たマデューカス中佐を認めると、室内の低いざわめきは潮が引くように静まっていった。


 中佐が部屋の片側に配置されたスチールの机の脇に寄り、その場に立っていたゴダート大尉の敬礼を受けたとき、時刻は〇三〇〇時となった。


 机の横に置かれたパイプ椅子に腰を下ろした中佐が、


「はじめたまえ」


 と大尉に指示を出したところで、いよいよ会合は開始された。


 ゴダートはざっと辺りを見回す。


「当直の者以外はほぼそろっているようだな。それでは諸君、本年最初の定例会を開始する」


 手元のパームサイズPCをチェックしてから、視線を右斜め前方に座る白人女性に向けた。


「まずは大佐殿の今月の予定である。ヴィラン少尉」

「はい」


 きびきびと立ち上がった少尉は、大尉と同機種の自分のPCに目を落とした。ディスプレイにあらかじめ表示しておいたテスタロッサ大佐のスケジュール表を読み上げる。


「当月七日、TDDの通常訓練に参加。九日、十日、グァム島にて行われるボーダ提督主催の懇親会に出席。十一日、警戒システム用資材の搬入に立ち会い。十三日、TDDのリアクター検査に立ち会い──これはいまのところ九日に予定されていますが、前日にキャンセルが入るはずです。十六日、机上演習に参加。二十一日……」


 クールな声が淡々と告げる内容に、一同は熱心に耳を傾けた。メモを取っている者も多数いた。ヴィランは大佐の秘書官であるため、情報はマデューカス中佐よりも正確であり、かなり細かいことまで把握している。彼女が三か月前に参加するようになってから、会の活動も無駄がなくなり活発化した。


「……以上です。変更が生じた場合は、その都度メールにて連絡いたします」


 主立った予定を発表し終えたヴィラン少尉は席に着いた。


 すかさずゴダート大尉が後を続ける。


「今週末に予定されている懇親会について補足する。第一に、大佐殿の出発時の見送りに関してだ。九日一六〇〇時にヘリで離陸していただくので、見送る者は駐機場の四番ゲートまたは第三観測所に集合。施設中隊にはすでに話を通してある。立ち位置はいつものようにくじ引きで決めるので、八日二〇〇〇時までにスタンリー一等兵まで申し込んでおくこと。帰還時間はまだ決定していないが、判明次第メール連絡を入れる。尚、写真撮影および出待ち入り待ちに乗じた他目的のさぼりは厳罰に処す」


 前月に違反したばかりの曹長と二等兵に視線を向けると、二人はそろって明後日の方向を向き、苦笑いを浮かべていた。


「第二に、大佐殿が出席を渋っておられる件に関して。ボーダ提督からの達しで、なんとしてでも参加せざるを得なくなるよう、我々で上手くセッティングせねばならん。諸君の協力を要請する。実績を上げた者には、提督より特別手当が支給される。懇親会で撮影する大佐殿の生写真三枚セットだ」


 室内がさんざめく。なんとしてでも手に入れるぞ、という気迫が場に満ちた。


「次、前月当番だった実行部隊からの活動報告。ヤン伍長」


 部屋のちょうど中央辺りに座っていた東アジアの風貌の青年が立ち上がった。


「はっ。先月撮影した大佐殿の新しい写真はすでに現像が済んで、配布の用意も整っています。今回の目玉は、なんといってもクリサリス号でのメイド姿です。特別に通常よりも二枚、配布枚数を多くしました」


 皆、十日ほど前の作戦を想い出した。直接参加した者は、大佐の姿がどれだけ可愛かったかを繰り返し力説し合い、船や基地に残っていた者はメイド姿をようやく拝めると知ってそわそわしだす。


 ヤンは落ち着きのない雰囲気が薄れるのを待ってからもう一度口を開いた。


「それから、十二月の定例会で提案のあった、大佐殿のスカート丈に関する案件ですが、進展がありました。どうやら巧いこといきそうです。総務部から縫製メーカーに発注書が渡る寸前に、丈の指定を二センチメートル短い寸法に書き換えることに成功しました」

「おおおおおぉ」


 室内に小さからぬどよめきが起こった。両手を握りしめたり、拳を振り回したり、肩を叩き合ったり、と各々悦びを表現し、中には感謝の祈りを神に捧げる者までいた。


 その様子に、マデューカスが苦々しい顔付きになった。渋面に気付いたゴダートは慌てて小声で話しかける。


「中佐、何度も申し上げるのは恐縮ですが、これは会員の志気を保つために必須です」

「……やむを得まい」


 不承不承とはいえ先月すでに承認している事柄だったので、中佐は改めて異議を唱えることはしなかった。


「新しい制服が仕上がるのは二月初旬の予定だそうです。えー、十二月の活動報告は以上です」


 一同の騒ぎに消されないよう、ヤンは声を振り立てた。発言を終えると席に着く。


 歓喜が収まったところで、ゴダートは先に進めた。


「最後に、年末に行われた緊急ミーティングで動議が持ち上がり、その場において全会一致で可決された『ウルズ7×エンジェル、カップリング化計画(仮)』に関してだ」


 クリサリス事件の折りに、テスタロッサ大佐がサガラ軍曹に振られた。その情報がさる筋を介してもたらされたことから、一週間前に緊急ミーティングが行われていた。


 一同は喜びに沸いた。もちろん、大佐殿が軍曹ごときに振られるなどというのは屈辱だ、という意見もないではなかった。とはいえ万が一にもカップルになどなられては大事だったので、それで良しとすることに落ち着いたのだった。


 だが、そこで新たな憂慮が持ち上がった。朴念仁のサガラ軍曹と素直でないチドリ嬢とでは、いつまでたっても仲が進展しないのではなかろうか、というのである。

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