第2話 惨めな生活からの羽ばたき

足が不自由になってテニスを続けられなくなった私は、慰めてくれる友達もいなければ親身になってくれる両親もいなかった。

車椅子になり、試合も不戦勝。

白けた結果を引っ提げて部室に現れた私に浴びせられたのは、氷水のような嘲笑だった。


「加奈先輩、いつも私たちのことを見下していたくせに、トラックに轢かれて試合に出れないとかダサすぎですよ。

普段から性格の悪いことしているから、神様が見ていたんじゃないですか?」


部室で私を待っていたのは、普段からよく私のことを目の仇にしていた2年生の女子3人組だった。

その中で、2年間で一度も私に勝つことができなかった後輩の1人が、私を見下ろしてくる。

これまでコートの上では歯が立たなくてプライドが傷つけられていたそうだが、それは私が悪いのだろうか。

私だって努力をしている。

練習が好きだったわけでもない。

手のマメはいつまでも痛いし、日焼けが酷くて色白とは程遠い肌の色になった。


でもその後輩は、校則違反のネイルをしているし、休日の部活も頻繁に休んでいる。

テストで赤点が多く、補習も多い。

いくら小さい頃からテニススクールに通っていたからといっても、人生は『うさぎとかめ』みたいに、いずれ追い抜かれることはバカでも分かるはずだ。


「さっきから黙ってばかりで面白くないですよ。

暗い表情で睨んできて、気持ち悪い。

言いたいことがあれば、言ってくださいよ。

足がダメになっても、口は動くんでしょ?」


煽りに対して、他の2人も楽しそうに笑いだす。

群れていないと戦えないくせに、こうやって人目に付かない場所で叩いてくる。

そういう根性の無さが、根本的な敗因じゃないだろうか。


私はたしかに、人生に絶望している。

夢も希望もないけれど、こんなバカを相手に涙を流すほど痛みに敏感ではない。


「結局コートの上では、一度も勝てなかったね。

勝ち逃げしてごめんなさい。

これからもそこそこのレベルで青春を楽しんでね」


何か言えと言われたから答えたのに、返って来たのは無言の平手打ちだった。

トラックに轢かれた痛みと比べたら、何でもない。

私が笑顔で見つめ直すと、後輩たちは私の荷物をわざわざ車椅子の足元に投げ捨てて、部室を出て行ってしまった。


「拾いづらいんだけど」


私はどうにか荷物を拾い上げる。

クシャクシャにされた服は、洗えばいい。

ガットを乱暴に切られたラケットは、そのまま置いて帰った。

どうせ新品だろうとも、ラケットは私の人生に2度と必要ない。


荷物を抱えて家に帰ると、珍しく父がテーブルに座っていた。

今はまだ夕方。

外ではセミが喧しく鳴いている。

いつもなら、父は病院の涼しい部屋で仕事をしているはずなのに。


「加奈、お前はもうテニスでの推薦入学はできないだろう。

今日から最低でも5時間は勉強をしろ。

これを機に、医者になる勉強を始めるんだ」


本来なら家族会議でもして、しっかり話し合うべき内容なのに、父は母にすらそんなことを相談しようとしない。

勝手に自分で決めつけて、周りには有無も言わさないのがいつものやり方だ。

私がどれだけ苦しい思いをしていようとも、興味がないのだろう。


「私は医者になんてならないわよ。

そもそも勉強苦手だし、何よりお父さんと同じような大人になりたくない」

「お前がどう思おうと勝手だが、言うことは聞きなさい。

どうせその体じゃ、頭脳を使う以外に働けないだろう」


血の通っていない言葉に、私は気が遠くなりそうだった。

これが実の親の言葉だと思うとうんざりする。


「足は、お父さんが治してくれればいいんじゃないの?

ヤブ医者だから、そんなこと出来ないだろうけど」

「俺は小児科だ。

医者にはそれぞれジャンルがある。

お前の応急処置をしただけでもイレギュラーだ」

「お父さんが担当しなければ、今頃松葉づえくらいにはなってたかもね」


どうせ父に、私を本気で治そうという気持ちはなかったに違いない。

昔からそうだ。

いくら医者とはいえ、出来ることと出来ないことがあることは理解している。

しかし父には、それ以上に足りないものがある。

言葉には出来ないが、人として大事なものが欠けている。

それはリアリストといえば聞こえは良いが、情のない化け物のように私は感じた。


「お前の進学先は、俺がすでに見繕っている。

偏差値は今のお前ではまだまだ足りん。

文句を言っている暇があったら、さっさと机に向かえ」

「……お母さんは、今どこ?」

「買い物だ。

お前の好きなものを買ってくると言っていた」

「あっそ」


母は父とは真逆で、私を過保護なくらい気にかけてくれる。

私が事故を起こした時は健気に看病してくれたし、昔、私が友達を失った時は涙が枯れるまでずっと私のことを抱きしめてくれた。


父も母も、私のことを考えている。

でも、どれも私が求めている関わり方じゃない。

そんな風にされても、孤独が際立つだけだ。


もっと私の話を聞いてよ。

もっと私のことを見てよ。


声にならない声が、蝉の鳴き声にかき消されていった。

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