第10話 囁く静寂
悠太は、東京から車で4時間ほどの距離にある農村地域に引っ越してから、半年以上が過ぎていた。
彼は廃墟のような中古の一戸建てを購入し、自力で改修することから新しい生活を始めた。家の補修作業は彼にとって気分転換でもあり、日々の生活に新たな目的を与えていた。
最初の頃は、新しい環境に適応することや、日常の買い物ですら大きなストレスとなっていたが、次第に人との接触を避ける生活が心地よくなっていった。今では、1週間以上誰とも顔を合わせずに過ごすことも珍しくない。庭には菜園が広がり、野菜が豊かに実っている。贅沢をしなければ、自給自足も可能なほどの収穫が得られるようになった。
引っ越してすぐに病院で診察を受けた際、医師から「統合失調症」の初期症状があると診断された。医師によると、初期の幻聴や思考の高速化が、他人の考えを予測する能力を高めた可能性があるという。しかし、症状が悪化するにつれて思考がネガティブに偏り、精神のコントロールが難しくなってきているとの見解だった。薬物療法も検討されたが、休職していることから、長期的な治療を進めることが提案された。
人との接触がほとんどなくなったことで、悠太は次第に心の安定を取り戻しているように感じていた。静かな田舎暮らしの中で、日々の作業に没頭し、余計なことを考えずに過ごす時間が、彼にとっては癒しとなっていた。
時折、不意に現れる「声」によって精神を乱されることもあった。一晩中、見知らぬ誰かの悪意ある「声」が頭の中で鳴り響き、眠れぬ夜を過ごすこともあったが、最近ではその症状も落ち着いていた。
美咲には一方的に別居を提案したものの、電話でのやり取りは続けていた。
数日前にも、美咲から電話があった。直接会わなければ、「声」に惑わされることはないため、悠太は少しだけ安心していた。彼が「最近は幻聴も聞こえなくなった」と告げると、美咲は「久しぶりに顔を見たいから、近々会いに行くわ」と優しい言葉をかけてくれた。そんな美咲の優しさが、悠太にとっては申し訳なさと共に心の支えになっていた。
悠太は、もう数ヶ月も例の症状が出ていないことから、少しずつ人との接触を増やし、仕事に復帰できる日も近いと感じていた。
そんなある日、庭の菜園で作業をしている最中、突然、頭の中に再び無数の「声」が押し寄せてきた。それはこれまでにないほど強烈で、まるで誰かが囁き声で彼の心を蝕むような、激しい悪意に満ちた「声」だった。
「彼が羨ましい」
「あの人は何か悪いことをして儲けている」
「彼女にいつか復讐を」
「彼を彼女から奪い取ってやる」
他人の負の感情が一気に悠太に押し寄せ、彼の頭の中を支配した。痛みと恐怖が入り混じり、彼はその場で身動きが取れなくなった。静寂の中で響く「声」は、再び彼を追い詰め、心を乱していく。
悠太はその激しい感情に耐えられず、ついにその場に崩れ落ちた。
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