終章 夜の果てに希う
学園襲撃――それは王国を揺るがす大事件だった。加えて各地で魔族の襲撃が多発。少なくは無い死傷者が出た。
さらに最前線では魔族の軍勢の動きが活発化し、数日以内に侵攻を再開するだろうとの報告がなされていた。
俺はストレアさんに同行し、王城にいた。扉の前で彼女を待ち続ける。その奥ではいくつもの怒号が飛び交う声が聞こえた――無理もない。今まで静止していた筈の魔王が突然動き出したのだ。今、魔族の動きはかつてない程に指揮が高い。
学園の被害は甚大。最早教育施設としての再起は叶わない。さらには多くの貴重な人材を失った。
次の一手をどうするか、王国側は決めあぐねているのだろう。このまま正面激突をするか、それとも――。
「やあ、待たせたかな」
「教官」
「もう教官は不要だ。学園は機能を停止している。呼び捨てで構わない」
「いえ、もう慣れた呼び方なので」
「ならそれでいいさ。会議の結論を言おう」
そういってストレアさんは一拍置いて、淡々と告げた。
「現時点で人類における最大戦力――。つまり魔王城に私とキミで潜入し魔王を暗殺する。それが今の状況を打破できる何よりも最善な手段だと判断された。魔王と戦うのがキミである事は伝えなかったがね」
「……」
「キミにとっては、最もそれが望ましいだろう?」
ああ、やはりこの人は俺の本質を見抜いている。
俺が何より望んでいた――。
「はい」
「では荷物を纏めたら出発しよう。魔王城に関しては目星がついている。別れがあるのなら済ませておくと良い」
別れ――王国から出立したらもう会う事は無い。
けれど、大丈夫だ。もう済ませてある。
アイーシャにも、アイリスにも。今まで出会ってきた人達にも。
一度別れたら次に会える保証は無い。だから、いつだってこれが最後の別れだと思っている。
故にこの手に残るのはただ一つ。
「いえ、必要ありません」
俺には、この剣だけで。
荷物を纏め、夜に王都を出た。
馬に跨り草原を駆け抜ける。俺に騎乗の知識は無いので、ストレアさんの後ろにくっついている。
彼女曰く通っている道は何度か、戦場で激戦となった場所だと言う。今は不気味なほど静かだ。
そこから夜明けまで駆け抜けた後、馬を降りた。そこから先は慎重に進まないと見つかる可能性が高いからだ。
「……疲れはどうだ。旅は動くだけでも疲労するものだからな」
「大丈夫です、元から十全じゃなければ戦えない人間では無いので」
「頼もしいな」
休息を取ろうという事で野営を行った。魔王城まで一気に突撃するための準備段階だ。
「手筈を確認しようか。このまま魔王城まで進み、雑魚がいれば私が排除する。キミは魔王の下まで進むんだ」
「……多分、そういったヤツはいないと思います」
「ほう、自信がありそうだね」
「先生と俺は同じです。邪魔されなくない、互いが互いだけを斬る。もしその間を妨げる者がいれば、そいつを斬ります」
「……そうか、羨ましいな。お互いにそこまでの事を理解してあえているとは」
「疑わないんですね」
「キミに剣を叩き込んだ人物だろう。なら信じるよ」
ストレアさんは手にしたカップにスープを入れて、こちらに渡してくれる。
それを口へ運ぶ。寒さで冷え切った体が、じんわりと温かくなる。
さて何を話すべきか。こういった事は苦手だ。でもせっかくなら、思い切って踏み込んで聞いてみよう。
「ストレア教官は……」
「どうかしたかい」
「ストレア教官は、人を斬るのが好きなんですね」
「……全く。剣に関してはキミに隠し事は出来ないな」
そういって彼女は軽く微笑んだ。
剣を一戦交えただけで、その人がどういう人生だったのか凡そ分かる。彼女の剣は、血肉を求めていた。
「ああ、私は紛れも無く人斬りだよ。誰かを斬る事に喜びを感じる。それ以上の幸福を見つけられない獣。それを騎士と言う仮面で覆い隠している。
参ったね、誰にも気づかれた事無かったんだが」
「よく我慢していたなぁって思いました」
あれだけの戦闘狂だ。戦っていれば人を斬りたいと言う欲望ぐらい見えてくる。
寧ろよく制御できていたなと思う。
「人の性ってやつさ。年を重ねればその分隠しやすくなる。魔族と戦争中、と言うのが幸運だったよ。
もし平和な世の中なら、私は間違いなく処刑されていた。若い頃は平穏を生きれなかったからね」
「……」
「殺しの剣に限った話じゃないさ。ろくでもないモノを生まれ持った以上はどうしようもない。人は重しを感じながらも、それを抱えて生きていくしかない。生まれる時代が一つ違えば、私は英雄から罪人だったろうさ。
ああ、本当に。歯車が一つでも違っていたら」
「でも、もしかしたらストレア教官が斬る事で何かが救われた人もいたかもしれません」
「そうか。それならそれで気が楽になったよ。たらればの、話だけれど」
そんな話をして眠りに着く。
朝を迎えて、再び魔王城への道へ。
不思議な事に魔族は一切いなかった。一切遭遇する事は無い。
そして、それは魔王城に着いた時にも。気づけば日は落ちていた。
「……やはり、か。キミの予想通りだ」
「……」
先へ向かう。
城を抜けると、王の間のような場所へ。
その奥に扉があった。――開くと、そこには一面に白い花々が広がっている。黒い空の頂点には綺麗な満月が一つ。
そして視線の奥、大樹の麓に一人の女性が立っていた。
「来たか、ヴィル」
「先生」
視線が僅かな間ストレアさんへ向けられる。
再度俺へ向けられた瞳には、怒りの色が見えた。
「……招かれざる客が一人いるようだが、どうする。帰るなら見逃す」
「私は彼の見届け人だ。いないようなものだと思ってくれて構わない」
「……成程、もし師を名乗る者なら斬っていた」
「それは恐ろしいな。……さて、私はここからキミ達を見守る。勿論手出しは一切しない。例えどちらが死のうとも」
「分かった、許可しよう」
「ああ、それと最後に一つ。他の魔族達は禁域にでもいるのかな?」
ストレアさんの問いに、先生は少しの間口を閉じる。
それから何かを思い出したかのように「ああ」と言って。
「あれらか。ヴィル、お前を暗殺するなど戯けた事を抜かしていたのでな。
全員、斬り捨ててきた」
「つまり、魔族はもうキミ一人だと」
「だろうな。鈍っていた腕を戻すには十分な数だ」
魔族は皆殺しにした、と。先生は当たり前のようにそう告げた。
それを出来る者が果たしてどれだけいるだろうか。
「ヴィル」
「ストレア教官」
「さよならだ。キミはいい生徒だったよ、私の人生の最期まで、キミを忘れないと誓おう」
「はい、こちらこそお世話になりました」
そういってストレア教官は歩いていく。戦いの余波が及ばないところにまで向かうのだろう。
手と足に力が入る。きっと今の俺は未だかつてない程に調子がいい。
自分の望みが、今目の前にいるのだから。
迸る衝動に身を任せるようにして、俺は先生目がけて駆けだした。
交錯する斬撃。振るわれる刃。瞬きの間に四度煌く残光は振るわれた剣の証。
それらに一瞬の気の緩みも許されない。
受ければ死ぬ太刀筋のみを防御し、後は度外視する。戦いを長引かせるつもりは無い。決着の形がどうであろうと。
「!」
全身に力がこもる。神経を張り巡らせる。何か一つでも見落とせば俺は死ぬ。
ああ、そうだ。稽古をつけて貰っていた時も、結局俺は一度も斬れなかったのだ。あの体に届かなかった。斬る事が、出来なかった。
それが渇きとなって、今もずっと魂の根底で飢えている。広い砂漠の中心で水を求める旅人のように。
「先生っ……!」
「どうした、剣が緩んでいるぞ!」
まるで稽古をつけてくれていた時の、あの時のような声音で叱咤をかけてくれる。
何度も何度も叩きのめされて、その都度無様に立ち上がっては剣を構えていた事を思い出す。懐かしい痛みだと、笑いそうになる。
互いの剣は拮抗しているように見えた。少なくともあの頃のように、一方的に負けていない。
似た構え、似た斬撃で互いの命を狙い続ける。
精確でありながら早く、思考での狙いと実際の剣先には寸分の狂いもない。
「!」
放たれた刺突を、剣の腹で受け止める。その衝撃を踏みとどまって耐える事は出来ず、吹き飛ばされた。
すぐさま体を翻して着地し、迫っていた斬撃をもう一度受け止める。たった一撃、その一振りを受け止めただけで、全身に悪寒が走る程の殺意を体が襲った。
けれど、それらの何一つとして今の俺を止める理由にはならない。
「ああ、そうだ! いいぞ、ヴィル!」
斬撃が交差する都度に、かつての記憶が蘇ってくる。あの出会いの夜を。
今でも鮮明に思い返せる程、この魂に強く焼き付いている。
俺と言う人間が終わり、俺と言う剣が生まれた日。
何もかもを捨てた。人としての日々も幸せも、全部斬り捨ててきた。だと言うのに今の自分は、かつてない程に人間らしい。
「!」
剣同士が再び激突し、甲高い衝撃音を撒き散らす。
手が痺れる。吹き飛ばないように腰を落とし、足に力を込める。まるで剣の嵐の中にいるようだ。
「は、ははは」
今までの時間の中で感じた事の無い感覚。この一時をきっと、人は生きていると言うのだろう。
ならばその先へ、さらに先へ。
貴方に剣を教わった者として。貴方の剣に憧れを抱いてしまった者として。
俺が、貴方を斬る。
――ヴィル。あの時、あの夜、森で見かけた人間の幼子。気まぐれに剣を教えた者。
何もかもが停止したように思えるこの生において、たった一つの光。
ああ、こんなにも育っていた。こんなにも成長していた。
その事実がただ嬉しい。やはり運命とは奇遇なモノだと思う。
斬撃を振るう。早く速く、駆け抜けるような無数の斬撃。その悉くを彼は凌ぐ。致命傷の身を正確に防ぐ技量。それは超人的な出来事であったが、修練の果てに至った奇跡でもあった。
育っている。この身と渡り合えるようになるまで。ただ彼だけが。
「やはり、お前が。お前だけが……!」
魔王として生まれていたこの身は今まで死んでいたも同然だった。誰一人この身に届く事は無く、挑んだ者皆が溶けるように眼前から消えていった。
ずっと何もかもが同じ、怠惰のような日々。それに体はいつの間にか飽きてしまった。人は弱く、城まで辿り着く事は無い。だからと言って向かおうとしても、どうせすぐに死ぬ。弱者を殺す事に興味は無い。
そんな下らない事の繰り返しだった。何もかもに疲れ果て、擦り切れてしまって。
魔王では無く、一人の人間を装って旅に出た。――その先で出会ったのが彼だった。
森の中で獣に襲われる所を見つけ、それを救って自らの弟子とした。
『先生』
自分の後から着いてきては、そう呼ぶ人物。そんな彼と過ごす日常。
楽しかったのだ、あの日々は。どれもが紛れも無く。
剣の修行と言い、彼と交え、その腕が上がっていくのを見るのは楽しかった。
けれども別れは必ず訪れる。魔王を求める者達に彼が見つかれば、殺されてしまう。
自分ではない誰かの手で彼が殺される――それは我慢ならなかった。
故に断腸の思いで、彼と道を分かれる事にした。互いの道では無く、いずれ行く先で再会するために。
自らが育てた剣で、この身に挑んで貰うために。
そうして、確かに。願いは叶った。
「ヴィル!」
「先生!」
剣が舞う。斬撃はその軌跡を示すだけで、見届ける事は叶わない。
息が切れるのを体感するなど、どれぐらい前だろうか。今とはなってはもう覚えていない。
手が痺れを覚える程に、強く強く剣を握りしめ続けている。
生きている。今この時を私達は確かに。互いに無数の死を潜り抜けながら、互いの命を喰らいあっている。
もし奇跡があるのならば、永遠であれと願う。けれどそれではきっと、この一瞬は特別では無くなってしまう。
終わらせる――そう言わんばかりに二人が動く。
無数の剣を交えた。最早手数では趨勢は傾かない。そう判断したが故に双方は構える。
一秒――どちらも動かない。
二秒――風が吹いた。
三秒――二人の体が交差した。
立っていたのは、一人だった。
「……参ったなぁ」
仰向けに倒れたまま、ぼんやりと呟いた。
体から溢れる血は止まる事を知らない。
「確かに斬った筈だったんだけど」
「ああ、その通りだ」
視界に先生が映る。その手に剣は無い。
「お前の剣は確かに私を斬った。紛れも無く致命傷だ」
「じゃあ、何で立ってるんですか」
「ただの我慢だ」
「えぇ……こふっ」
次の言葉を言おうとして、口から血が溢れ出す。
本当に容赦なく斬ってくれたものだ。
……結局、この身に剣が届いたのは先生だけだったか。
「……」
今までの人生を思う。
思い返す事が無いのは、きっと出会った人々は強い人だったからだ。例え、俺がいなくとも彼らは幸せになるだろう。だからそれに何かを考える必要は無い。
そして、渇きが癒えていくのを感じる。ずっと、足りていなかったモノが埋められていくように。
「せん、せい」
「どうした」
そうだ、ちゃんとこれだけは言っておかないと。
もうすぐこの命は燃え尽きる。もう何も言えなくなる。
そうなる前に、自分の声を。魂の言葉を。
「おれは、あなたにあえて、しあわせ、でした」
「……ああ、私もだよヴィル」
そういって、彼女は満足そうに笑った。
ああ、よかった。この人が笑ってくれるのなら、ただそれで。
「ありがとう、ございました」
先生、俺は剣に生き、剣に死ぬ人生でした。ですがそれを不幸だとは思いません。
こんなにも満たされた終わりなら、例え短くとも満足いくものですから。
もし何一つ違えば、違う未来があった。
沢山の仲間と出会い、彼らと共に学び舎で過ごし。
彼らと共に魔王に挑み、その後の幸せを享受する未来もあったかもしれない。
けれど、全ては残骸に等しいただの夢。
夜に産声を上げその生涯を駆け抜けた剣の鬼は、眠るように息を引き取った。
「……ヴィル」
彼女はもう何も言わなくなった少年の額をそっと撫でる。
「……行かぬのか」
「立会人と言った筈だ。私には見届ける義務がある。彼の剣の先がどうなったのかをね」
いつの間にか背後にいたストレアはそう告げた。
「大したものだろう、私の弟子は。あの一撃は魂の核まで届いていた。……ああ、実に見事だった」
「その通りだよ、私が見て来た中で、最も美しく強い剣だった。……じゃあ私は立ち去るとしよう」
「そうだな、急げ。この城はもうすぐ崩壊する。私の魔力で編み出した城だ。私が死ねば崩壊し次元が消滅する」
「分かった。……ではさらばだ、魔王。キミの弟子は素晴らしい剣士だった」
そういってストレアは去っていく。
それを見届けて、彼女は倒れ込んだ。
彼の隣に寝転ぶように。二人で同じ景色を見るように。
「ヴィル」
思うように動かない指先を動かして、彼の指にそっと触れる。
震える口先で彼の名前を呼ぶ。凍えた心に温もりをくれた、彼の名を。
「ヴィル」
彼の顔は穏やかだった。まるで小川で春のそよ風を受けるように。
ずっと仮面のような表情をしていた彼女の顔は、微笑んでいた。
「思えば、私達が出会った時もこのような、月が綺麗な夜だったな」
差し込む月明かりが二人を照らす。この世界にはもう二人きり。
「あぁ、本当に良い夜だ」
そういって彼女は静かに目を閉じた。
静寂は永遠に。最早この夜が崩される事は無い。
俺と貴方と剣の果てで @nanikanoteriyaki
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