第二章 最強の剣



 王国士官学校――通称学園。

 魔王との戦いで戦える者達を育成し、排出するための施設。

 指名手配犯との戦いで、俺は褒章を認められた事から推薦での入学が許可された。ちなみにこれは貴族以外では類を見ない程に異例の事らしい。

 慣れない馬車に揺られながら、領主から聞いた話を振り返る。


「……適性試験、か」


 新入生がどれだけの力量を持っているのか、どの教師が相応しいのかを確かめるための試験。

 ちなみにこれは入学試験でも見るらしいが、俺は推薦で決まっているため適性と言う名前に変更されているらしい。


「魔法とかよく分からないから剣がいいなぁ」


 ちなみにアイリスも入学は決まっているそうだ。貴族達に負けたくないと箔をつけるために手配犯を狙っていたらしい。

 入学したらよろしく、なんて言われたけどどうなんだろうか。


「着きましたよ、お客様」

「ありがとうございました、どうか帰り道もお気をつけて」


 馬車を降りると見えて来たのは巨大な都市。

 石造りが基本となっているのが目立つ。何でも昔遺跡だったのを改築して、学園にしたらしい。

 都市そのものが学園及び商業地区ともなっており、経済活動も活発である。

 その雄大さに思わず言葉を忘れて見上げてしまった。


「……俺みたいな人間には到底、縁が無いと思っていたんだけどなぁ」


 人混みの中を行きながら、中心部にある巨大な施設を目指す。

 学園関係者と一般人を区別するために設けられた関所に辿り着いて、警備する兵士に領主から渡された手紙を見せる。


「ふむ、通っていいぞ。中に入ったら、そのまま試験官が来るまで待っていてくれ。試験頑張ってな」

「ありがとうございます」


 関所を抜ける。

 中庭のようなところで、小さく息を吐いた。

 生徒達は卒業したのかほとんどおらず、いるのは教師や事務仕事、学園運営に携わる関係者ぐらいと言った所だろう。


「待たせてすまない、キミが例の生徒だね」

「貴方は……」


 話しかけてきたのは、灰色の髪を後ろで一本に纏め、高貴そうな服に身を通した女性。見るからに男装の麗人と言った所だろう。


「私はストレア。今回、キミの試験官を務める事になった」

「はい、よろしくお願いします」

「おや、意外だな。少しは驚くと思っていたのだが。これは嬉しい誤算だ」

「?」

「何、さほど重要な話でも無いよ。ついてきたまえ、試験場に案内しよう」


 ストレアさんの後をついていく。

 学園の施設は広い。一人だけなら絶対迷っていたなこれ。


「学園の歴史は目に通したかい?」

「いや、バタバタだったのでそこまでは……」

「では歩きながらでよければ教えよう」


 彼女の口から語られたのは、この学園の存在意義。

 王国は魔王領と隣接しており、加えて他の国からすると魔族の侵攻を抑える防波堤のような位置にある。

 長年戦争状態ではあるが、今は小規模な戦いがちらほら起きているだけであり、そこまで大規模な戦闘にまでは至っていない。その隙に王国は戦力を拡大するために学園に力を入れているそうだ。

 そう遠く無い未来に魔族との全面衝突が予想される。魔王の実力は未知数であり、どれほどの損害が出るのか一切が不明。しかしその部分が王国の運命を左右すると言われているため、人材に関しては実力とある程度の人格及び良識があれば学園は受け入れる状況下だ。


「長話に付き合わせて悪かったね。ついたよ」

「ここが……」


 学園の広場。練習場としても使われるそこは、あらゆる武器・魔術の研鑽を行えるほどに広い。


「剣だ、刃引きはしている。だが急所に当たれば最悪死ぬだろう。尤も当てられたらの話だがね」

「はあ」


 剣を受け取る。これは上質な剣だ。その刃を潰して練習に使っているなんて、ある意味贅沢に見えた。

 施設の窓から視線を感じる。学園の関係者が見ているのだろうか。


「気づいたか、勘もいい。こういった試験では学園長も直々に見られている。まぁ暇なんだろうさ」

「上司なのにそんな事言っていいんですか……?」

「キミが言わなければ気づかれないさ」

「うわぁ」


 この人、結構自由なタイプだ。

 貴族みたいな服を着てるから堅苦しいのかなと思っていたけど、全然違った。

 ストレアさんと間合いを取る。……これぐらいでいいか。


「先の手は譲ろう。どこからでも来るといい」

「分かりました、お願いします」


 斬る対象では無い。けれど、この人は間違いなく――強い。

 急所には気を付けつつ、本気でかかろう。





 ストレア――王国騎士団の中においても歴代最強の名を持つ剣士。魔王軍との戦いにおいて幹部全員を単独で撃破し、戦場では殿を務めそのまま敵軍全員を殲滅したなどの功績は王国では伝説である。単身で魔王軍を撃滅し、魔族が迂闊に攻めこめない理由を作り上げた者。

 戦争の状況は落ち着いており、そのため彼女は学園の教員として駆り出される日々を送っている最中である。

 学園での日々は彼女にとって退屈なものであった。――否、戦いも退屈だった。

 魔族は弱かった。人も弱かった。魔王は出てくる気配がないが故に興味を持てない。一気に攻め込む事も考えたが、彼女の喪失を恐れた者により魔王がいる所へ向かう事は無かった。

 周りは自分をはやし立てる。その力に縋りたいのか、へりくだるような相手も山ほど見て来た。

 いっそ山奥にでも引きこもってしまうかこのまま魔王の所まで殴り込みにいこうか、などと突拍子も無い考えが浮かび上がっていた所、ふと試験官をしてほしいとの話があがって来たのである。

 彼女へ試験官を頼まれる事は別段不思議ではない。箔が欲しい生徒があれこれ図ってこようとする。最強には負けて不思議ではない。寧ろ打ち合える事すら光栄である。

 ――だが件の少年は違った。まず他の者と気配が違う。まるで俗世から切り離されていたような雰囲気。そして己の名を知らないと語った豪胆さ。そしてまるで、闇に浮かぶ月のような有様。


“成程、そういう事か”


 先手の斬撃を受け止める。早く重く鋭い。殺す事を考えれば理想の斬撃だった。

 それを流し、反撃を入れようとして――次の斬撃が迫り、それを回避する。

 予想よりも次の動作への移行が早い。加えて動きの起こりも感じさせない。そこらの騎士では勝負にならないだろう。


“遊びの剣では無い、試合の剣では無い。殺しの剣だ”


 二手先の動きを予想。それ通りの動きをしてきたので、反撃する。

 交わる刃。掻き鳴らされる斬撃の鼓動。

 呼吸する事すら愛しいと思える瞬きのような時間。

 一刀を防がせ、そのまま剣の上から一気に蹴り飛ばす。彼は地面を転がりながら、受け身を取り何事も無かったかのように立ち上がった。貴族や騎士の試合では得物のみを使う事が美徳とされ、体術を使う事は恥とされる。つまり彼女が行った事はルール上での反則に等しい。

 だがそんな事はどうでもいい。彼と言う剣の果てが見てみたい。

 いつになく心が躍るのが分かる。ここまで己と戦える者がいると言う事実は望外の喜びだった。


「……」


 彼はただ無言で構えに入る。

 開いていた間合いを僅か二歩で詰めて、その勢いを保ったままの回転斬り。剣速は早い。並みの者では見切る事すら適わない。

 だからこちらも全く同じ動作で、剣を合わせた。刃引きされた筈の剣と視線が交錯し、赤い火花を散らしていく。

 しかし互いに間合いを離さぬ距離でさらに打ち合う。振るわれる剣に空振りは無い。

 瞬きを許さない剣戟の最中である事に気付いた。


“剣の勢いが上がっている……?”


 最初の時と比べ、彼の刃はさらに早く鋭くなっている。普通ならば戦いの経過と共に勢いが落ちていくと言うのに。

 それに気づいた際、さらに自分の心が歓喜する音を彼女は聞いた。


“ああ、嬉しいよ。キミと出会えた事が何よりも……!”


 ただの剣術でこの領域にまで至る。その過程を考えるだけでこれからの未来が楽しみで仕方ない。

 人は己をどう見るかは知らないが、彼女にとって退屈は敵だ。何よりも嫌うものだ。

 いつしか戦場ですら、あり溢れた日常になってしまった。魔王軍幹部との戦いは最初こそ飽きなかったがそのどれもが似たようなばかりで、彼女には児戯となった。次の刺激を求め学園に向かったが、そこも同じだった。

 最近では、もう国の命令など無視して魔王の下でも向かおうかと本気で考え始めるようになっていた頃だった。

 まさかこの国で驚くような剣士と出会えるとは。このまま心行くまで死合いたい。


“――とは言え、これは試験だ”


 少し残念に思う。もし敵同士なら思う存分殺し合えたのにと。出会い方が違っていれば、とは思わずにいられない。

 彼の剣を弾いて距離を取る。そのまま持っていた剣を地面に差した。


「ここまでだ、これ以上は殺し合いになる。キミも分かっているだろう?」

「はぁ、死ぬかと思った……」


 彼は息を吐いて、床に座り込んだ。

 ――彼の未来は決めた。ああ、行く先など、これは一つしか無いだろう。





 ストレアさんとの試験を終えた俺はそのまま何故か早めに用意されていた部屋で寝泊まりをする羽目になった。

 学園業務開始後も、ここをそのまま俺の部屋として使っていいらしい。入学式なんてしきたりは無く、とある日付が来たらクラス分けを張り出してそのまま授業開始と言う訳だ。

 学園を見て回ったり、時々ストレアさんに誘われては軽い稽古みたいなのをしたり。そんな日々で時間を潰していたら、いつの間にか発表の日が来ていた。

 学園の生徒の証である青いマントを肩にかける。動きにくいのが無いけど、引っ張られたら嫌だなコレ。


「人が多い……」


 人混みを掻き分ける。まるで孤児院に住んでいた日々を思い出す。

 そして掲示板に張り出されていた内容に目を丸くしてしまう。


「は?」


『新入生ヴィルに関しては、ストレアの完全な個別指導とする』


 え、何で?


「おい、ヴィルって誰だよ……」

「ストレア様直々に教えて貰えるなんて羨ましい」

「家名が無いって事は平民だろ。何でそんなやつがあの人に……」


 この喧騒とした声は、この内容の事だったのか。

 さて、この空気どうしたものか。


「あっ、ストレア様よ!」


 女子生徒の叫びにも似た声に振り返る。この数日何度も見た姿が、こちらに歩いてきている。あれから何度か打ち合ったが、結局一度も当てることは出来なかった。

 王国最強、と言うのは伊達じゃない。


「やあ、驚いた様子だね。秘密にしていた意味があったものだ」

「いや、さすがにビックリします。どういう事ですこれ?」

「書いてある通りだよ、ヴィル。キミの指導は他の教師じゃ務まらない。

 よって全て私が行う事になった」

「……えっと、ストレアさん他にも業務とかあるんじゃないんですか」

「その間はこちらで都合をつける。さ、行こうか」


 騒然となる生徒達の間を縫いながら、ストレアさんの後をついていく。

 いいのかなぁ、これ。





 空き教室……と呼ぶには少しばかり小さい。と言うか生徒が一人しかいないのを教室と呼んでもいいモノだろうか。言葉の定義は分からないけれど。


「ここなら余計なモノもいない。キミと今後の打ち合わせを十分に行える」

「はあ……」

「ヴィル、キミの力ははっきり言うとこの学園じゃ育てられない。学び舎としての力量を、既にキミが大きく上回っているからだ」

「? そうなんですか」

「私はこう見えても、王国最強と呼ばれる騎士だ。それと殺し合いが成立する時点でキミは学園にとって持て余す存在になる。集団で戦闘とか苦手だろキミ」

「……まあ」


 斬るなら俺一人だけの方が動きやすい。

 目に移る全てを敵と見ればいいのだから簡単だ。


「心配するな、私もだ。だから教員会議では少々強引な手を使わせてもらった。キミを他の教師に手渡した時点でこの国を出ていく、って言ってやったのさ」

「えぇ……」


 大人げないのではそれは……。

 と言うかよく考えたら先生もそんな感じだったわ。


「さぁ、話はここまでにしよう。早速授業と行こうか」

「ちなみに授業って何するんですか」

「決まっている。ただ斬り合うだけだよ」


 それから他のクラスが授業中の間、訓練場で只管斬り合っていた。

 これやっている事普段と変わらないのでは。





 放課後、食堂で腹ごしらえをする。

 士官学校と名乗っているだけあり、食事にはこだわっているのかかなり美味しい。これ、三食全部ここでもいいな。

 ずるずると麵を啜っていると、聞き慣れた声で名前を呼ばれた。


「ヴィル」

「アイリス! 良かったー、知り合いがいて」

「初日から早速有名人ね、貴方」


 アイリス――傭兵で、確か学園に入学する事は知っていた。傭兵の頃と同じ衣装ではあるが肩にかけているマントが、彼女が学生である事を告げている。

 事情で会う事は難しいと思っていたけど、会えてよかった。


「え、アイリス知り合いなの」

「まあちょっとした縁でね。ヴィル、目の前いい?」

「どうぞ、どうせアイリス以外の知り合いもいないし」

「なら作っていけばいいじゃない。丁度私も、今日知り合ったばかりの人いるから丁度いいわ」


 よろしくー、なんて言われる。

 まずいな孤児院では子ども達や顔見知りのしかいなかったから、こういう時なんて言えばいいか分からない。


「おい、お前がヴィルか!」

「? そうだけど」


 いきなり喧嘩口調で話しかけてくる金髪の少年。服装がいい所を見るとどこかの貴族だろうか。

 背後には取り巻きらしき姿がある。


「今すぐストレア様の指導から辞退しろ。お前には相応しくない!」

「えっと……誰?」

「フン、その無知こそ貴様みたいな平民にお似合いだ!」

「いや、キミが誰って話なんだけど……」


 ここ数日色んな視線を向けられるけど、皆の名前を知らないのだからどうしようもない。ましてやそれで仲良くする手段何て知らない。

 こういう時アイーシャなら、きっと上手くやるんだろうなぁ。


「いいか! 我々貴族がいる! 故に貴様ら平民は、その事を弁えて――」

「――おや、興味深い話をしているな」

「す、ストレア様!?」


 どこからか現れたストレアさん。いや、どこにいたんですか貴方。

 何やら楽しそうな表情で口元が笑っている。眼が笑ってないなアレ。


「学園が決めた事を不服としている……。そういう認識でいいかね」

「そ、その通りです! 名誉ある方々からの指導は、誉れ高き者が受けるべきでしょう!」

「ふむ、一理ある。ところでキミは?」

「私は貴族の――」


 逃げ出そうかなぁこれ。





 何故か、例の貴族と俺が戦う事になった何故だ。





 訓練場はいつになく賑わっていた。王国最強と名高いストレア先生が指導する事になった件の人物と貴族が決闘すると言うのだから。

 ボソボソと何かを呟き死んだ目をしながら木刀を持つヴィル。何やら豪華な魔術書を持ち、さらには腰に杖を差している貴族。

 私のように戦場を渡り歩いてきた経験のある人物なら、どちらが勝つか容易に見えてしまう。


「ね、ねぇアイリスちゃん大丈夫かな」

「大丈夫よ、彼強いもの」


 同級生が不安そうにヴィルを見る。一見するとぼんやりしていて、まるで日向で寝転がる猫のように見えなくもない。呑気に欠伸もしているし。


「キミは確かアイリス君だったか」

「ストレア先生」

「いや、失礼。彼の事を話しているのが聞こえたものでね。そうか、彼の経緯はキミも関わっていたんだったな」

「はい、軽くですけど」


 広場は貴族達と平民達で完全に別れている。どうやら思っていた以上に両者の対立の根は深いようだ。

 魔王との戦争中だと言うのに立場に拘れるなんて、贅沢なものだと思う。

 そんなもの、戦いに何の役にも立たないのに。


「……キミは彼の剣をどう思った?」

「剣、ですか。私は……美しいと思いました」

「美しい、か」

「はい、ただ斬るという事だけを目指して鍛えられた刃。あれほどの使い手を、私は見た事が無いです」

「……ただ何か一つを為す、という事は傍から見れば美しいものだ。それが道半ばであるのなら猶更さ。

 だが私はね、あの剣を――恐ろしいと思った」

「恐ろしい、とは?」


 あの王国最強の口からそんな言葉が出てくるなんて珍しいと思ってしまう。

 そんな私の表情に気付いたのか、ストレア先生は小さく微笑んだ。


「あの剣は、誰かを斬るためだけに研ぎ澄まされているからだよ。自身の生き様や信念じゃない。

 たった一人を斬る――それだけだ」

「それって……」

「彼に剣を教えた人物を、私は心の底から恐ろしいと思う。そしてそんな教えを全て学んでしまった彼にもね」


 広場の声が一気に止んだ。

 審判が試合開始の合図を上げたのだ。

 私は視線をヴィルに集中させた。





 まずは出方を待つ。と言うか一方的に、なんてそんなのはつまらないだろう。あの貴族とて自分の力を示したい所はあるに違いない。わざわざストレアさんに直談判してたぐらいだし。

 懐かしいな、先生に修行の文句言ったら殺されかけた事あったなぁ。

 とはいえ、今回は盗賊の時と違って殺す必要は無い。


「火の精霊よ、我が血脈と家名に応え――」


 貴族は何やら詠唱を始めていた。アイーシャはそんなの無しに魔術書を持つだけで魔術が出せていた。それを考えると素質は彼女の方が上なのだろう。

 もし学園に来ていたら大成出来ていたかもしれない、なんてありもしない未来を考えた。


「赤く燃えよ、紅く燃えよ。魂に応えて燃え上がれ」


 詠唱はまだ続いていた。

 ……隙だらけだな、斬ればそれで終わる。

 だらりと腕を下げて詠唱が終わるのを待つ。今の時間で五度殺せた。いや、さらに最適化すれば七度か。


「貴様ァ! 舐めた真似をしてくれるッ! 焼き尽くせ、焔よ!」


 ようやく詠唱が終わったのか、魔法陣が浮かび上がって魔術書から炎の海が放たれる。

 けれど制御しきれていないのか、所々に途切れ目があった。そこに体をずらせば、簡単に回避出来てしまう。

 火は止んで、焦げた地面だけが残っていた。威力はそこそこあったらしい。


「……終わりか?」

「馬鹿、な……!」


 呆然と目を見開く貴族。

 どうやらこれで手品は終わりのようだ。ならばもう良いだろう。

 一気に踏み込んで、間合いを詰める。僅か十秒。

 木刀で足を払うと、あっさり体勢を崩した。まだ相手は現実を呑み込めていないのか反撃の起こりすら見えない。

 そのまま木刀の先を首筋に添える。


「勝者、ヴィル!」


 木刀を訓練場の棚に戻す。余りにも軽すぎた。やはり鉄の剣じゃないとだめだな。あれじゃないと振っている感じがしないや。

 そのまま去ろうと思ったが、ふと考えを思いついて木刀を二本持ち出す。


「ストレア教官」

「どうかしたかい」

「このまま、一手お付き合い願えますか。物足りなくて」

「ククッ、分かった。キミが満足するといいが」


 そのまま、生徒達が見守る中でストレアさんと対峙する。どうやら何やら喚いていた貴族も、その様を見て観客に戻ったらしい。そこまで彼女の武勇は響いているという事だろう。


「……」


 ああ、やはりと思う。

 久々の感覚だ。先生と稽古を行っていたあの時と全く同じ感じ。肌がひりつき、空気が冷えていく。気迫で言うのなら、あの時の盗賊より数段濃い。

 全身の力みが程よく抜けていき、さらに臨戦態勢へと移る。


「……」


 ただ歩く。一歩一歩ゆっくりと、さながら獲物を追い詰める獣のように。

 既に間合いは半分ほどまで詰まった。

 彼女の体が跳ね上がる。


「!」


 上空からの強襲。体を両断せんと振るわれた一刀を、転がって回避する。

 木刀だと言うのに地面には斬撃の痕が残っていた。

 着地の隙を逃さない。踏み込み、体を沈めて地面後方から前方目がけての斬り上げ。それを彼女は目線を合わさぬまま剣の柄で受け止めた。

 そのまま木刀を持ち変えての一閃。受け止めて、持ち上げるようにして後ろへ流す。

 超近接戦闘の間合いにも関わらず、こちらからの剣が届かない。

 そこから互いに間合いを離さぬまま、至近距離での攻防。

 時折体術を交えるも、距離は離れない。


「早いな、以前よりも剣速が上がっている。本当に嬉しいよ。――おかげで、全力で振れる」

「!」


 相手が上段の構えに入る。一刀に全てを賭けた振り下ろし。あれは、マズい。

 受け止める? 否、防御ごと両断される。

 ならばこちらも、全力の一撃を放つだけの事。


「打ち込む……!」


 震脚と共に木刀を地面と水平になるように構える。

 全身の筋肉がばねのように振り絞られる。その勢いのまま、全霊で引き放った。

 斬撃と刺突が激突する。


「……」

「……満足できたかい?」

「はい、充分に」


 互いの手元に残ったのは、木刀の柄だけ。そこから先は消し飛んでいた。


「課題は?」

「ただ実戦あるのみだ。キミに足りないのは経験値だろう。放課後、またやるかい」

「はい、お願いします」


 足りない。まだ足りない。

 この渇きは、消えない。

 あの夜から、ずっと。





「……さて」


 摘まみ上げた書類を見ながら、ストレアは小さく息を吐いた。

 彼に必要なのは経験。既に彼女が教えられる殺し合いの動きは、全て実戦で見せている。

 回数をこなすだけだ。それだけできっと彼は自らが望む世界を見れるだろう。

 恐ろしい少年だと思った。少なくとも自分が彼と同じ齢の時には、まだあそこまでの腕には至っていない。

 幾千幾万の殺し合いを超えて、ようやくたどり着ける境地に彼はもう辿り着いている。

 一体どうやって――なんて事に興味は無かった。世の中には過程を超えてしまう者がいる事を知っていた体。


「キミはどこまで行けるんだい、ヴィル」


 書類の記載にはたった一言。

 ――禁域調査とだけ記されていた。


「見届けさせてもらうよ、キミの事を」


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