見守り聖女は元カノ勇者に会いにいく

みやこ留芽

第1話:予想外

 熱く、清く。

 始まりの炎がツルギとなって、私の胸を貫きました。

 法衣の守りも、女神の加護も私にはもうありません。


「エーリア……!」


 怒りと悲しみが混ざった表情が目の前に。

 

「どうしてだ、聖女にして私の無二の友人よ!」


 炎の一番輝かしい場所と同じ髪色をしたひと。悪逆を払い、人に平和をもたらす勇ましき方。


「お前が……私につえを向けるなど……!」


 聖衣の胸をおかす刃へ触れてみます。脈打つようなそれへ。


「最初から、このために私はあなたのそばにあったんですよ」

「な、に?」

「勇者を監視し、ときに魔族とさえ通じる連絡役。人類の裏切り者」


 彼女の顔が沈痛に歪みました。


「それは先日さきに承知したと言ったぞ、エーリア。なのにどうして……!」


 罪を告白してなお、醜い背信を重ねるのか、と。


「魔王が倒れた今、大教父だいきょうふ様にはもはや周囲へのさい心しか残っていません。救国の英雄を、新たな政敵と見なしかねないほどに」


 全身を縛る魔力の糸が、私を操り。指先から伸びた霊刃が勇者の首を裂く寸前、腕ごとねじれてれます。彼女を殺そうとする呪いと、と願う呪いのぶつかり合い。

 彼女が目を見開きました。


「エーリア、まだ魂縛印こんばくいんが残って……!?」

「っ、ふ……裸さえ知り合ったあなたをもあざむけてしまうのですから、私の演技力も大したものですね」


 身に刻まれた、殉教じゅんきょうの印。人に告げることも、見せることすら許されなかったそれは、今やおぞましい裏切りを私に強制しているのでした。

 見破られなかったのも当然。もともと処女雪しょじょせつの聖女と揶揄やゆされるほど、清純派でならした私でしたし、それでなくとも、目前の彼女こそは純情じゅんじょう可憐かれんを絵に描いたような勇者だったのですから。


「大丈夫です。こんなこともあろうかと自分に呪いをかけておきました。あなたに刃を向けた私は、あらゆる因果の収束によって死に至ります」


 一世一代の大聖術。とはいえ、魂縛のいましめを回避するためには、本当に刺すか刺されるかのタイミングで発動する仕組みにするしかありませんでした。


「馬鹿な……これじゃあ、君は何のために……!」


 彼女がきつく私を睨みます。その目許に涙がなくて、私はほっとします。


「あなたの救った、平和な世界が見たかった」


 刃を掴んだ腕がだらり。

 かすみがかった視界の中心を、頑張って彼女の顔にあわせます。私なんかよりもよほど、天使の彫像めいた目鼻立ち。


「ただの人間として生きるあなたを。恋をして、歌って踊って、子どもと遊んで、おばあちゃんになって、死んでいくあなたを見たかった」

「エーリア……!」


 望めばきりがなく、また彼女がそれを断れないこともわかっています。が、こぼれる命は待ってくれませんでした。


「あなたを殺すための魂縛印は、私のつむじの後ろにあります。首を持ち帰れば、教会による勇者殺しは明白でしょう」

「――生きてください」


 一息に喋ったあと、精いっぱいの笑顔でひと言だけ付け加えました。それでおしまい。彼女のけんに深いしわが刻まれて。


「君は、自分勝手だ……っ!」


 吐き出された言葉に、落ちかけたまぶたが丸く開きました。自分勝手、私が?


「……ならそれは。あなたのせいですね、イリスガーデ」


 くすぐったいような気持ち。ほんの数年前まで、教会の操り人形でしかなかった私がなんと。


「自分勝手に、私はいきます。いい気分ですよ。ざまーみろ」


 やらされっぱなしだった世界に向けて、捨てゼリフまで吐けるようになったのですから。


「……っ、く……ははっ……!」


 剣の熱も、返り血も忘れたように彼女は笑い。私も笑おうとして、そんな力はとっくに尽きていると気づきます。でも、これで十分。

 世界はきっと彼女の道を照らすでしょう。絶望の雲は、他ならない彼女によって晴らされたのですから。旅を共にした仲間たちだって、彼女のことを守ってくれるはず。だから。


(私はもう、いなくてもいい)


 そう結論して、意識を手放します。終わりは想像より、ずっと晴れ晴れとしていました。



◆◆◆


◆◆




 ひゅう、と。

 薄闇の中、どこからか風が吹き抜けます。

 冷たい湿気と、遠くで崩れるガレキの音。目を開け、見下ろしたのは見慣れた体。異様なのはただ一点、踏んだ石畳のヒビまで見える透明な肌。


(わた、しは)


 つぶやいたつもりが声になりません。まるで肉体という仕組みが一変してしまったように。


「目が覚めたかい」


 はっと顔を上げます。崩れかけた石室を背景に、灰白の肌をした長身の女が立っていました。わずかに差し込む陽の光の下。その長髪が流れたての血のように見えます。襤褸ぼろ外套がいとうに、大鎌。


「心配しなくても地獄じゃないよ。まだね」


 鼻から下を覆った銀の仮面が、話すたびにわずかに上下して。


「そりゃそうさ。地獄そこへ運ぶのがアタシの仕事なんだから」

「――あ、なたは」

「驚いた。もう喋れるのかい。さすが聖女サマは霊体の扱いも上手い」

「……今はいつで、ここはどこでしょう?」

「そっちの質問の方が建設的だね。アタシのことなんて見りゃわかるだろうし」


 周囲は見覚えのあるような、ないような場所でした。自然の岩窟を利用した聖堂には違いないでしょう。ただ、ひどく風化して崩落しかけています。陽光がさしているのも、天井の一部がくずれて穴が開いているせい。


「私、幽霊レイスになったんですか?」


 ちょっとショック。曲がりなりにも聖職者が、というのもありますし、およそ未練らしいものを抱いて死んだ覚えもなかったので。


「もっと単純な話さ。アンタ自分に、たちの悪い呪いをかけただろ」

「あ……」

「今気づいたのかい、どうにも抜けてるね。それとも、後のことなんて考えもしなかったのかい。アンタはそれをいて回る側だろうに」


 私の編んだ術は「すべての因果を自身の死に収束させる」ものでした。「生」から「死」へと。でももし「死」が終点じゃなく、本来そこからさらに転位するべき「先」があるとしたら?


「え、天国ってマジであるんですか?」

「はッ、不良聖女には教えられないね」


 死神女は鼻を鳴らし。


「とにかく、その封印じみた呪いのせいでアンタの霊体はどこにもいけない。アタシも役目が果たせないってワケだ」


 ちなみに、と付け加えます。


「アンタが死んでから二十年たってる」

「えっ、そんなに……」


 自分の顔をさすり。ふわっとした霊体の感触は奇妙でしたが、感じる容貌かたちは慣れ親しんだもの。


「安心しな、霊体は老けないよ」

「そこは、頓着とんちゃくしませんけど」


 目をそらして、はっとします。あれから二十年たった、なら。


「イリスガーデは……! 皆はどうなったんです?」


 死神女が大きな手で前髪をかきあげました。


「見てみるかい」

「いいんですか?」

「まァ、仕事の一環さ。アンタみたいなややこしい霊をいてやるのもね」


 もっとも、と付け加えます。


「そうすっきりするもんじゃないよ」


 振るわれる大鎌。空間が切り取られ、ここではない場所へと繋がれたのがわかりました。知らない術。その、眼型まなこがたの窓の向こうに。


「っ、……なんですか、これ?」


 ――炎が。膨々ぼうぼうと。

 川のように大地を割り、際限なく広がっています。

 火の川の間では、人と魔の眷属けんぞくたちが絶えることのない戦いを繰り返して。

 ――炎が。亡々ぼうぼうと。

 そんな争いを遠くながめるように、彼女はいました。

 魔領の奥の奥、虚無の氷河に包まれてなお、燃え尽きそうな肉体を抱き締めている女。女といっても、炭になっては剥がれ落ちる皮膚の輪郭りんかくが、そう見えるというだけの。

 その焼け焦げた金髪が、たまらなく懐かしくて。

 

「勇者イリスガーデだよ、そう言ったろ」

「嘘!」


 とっさに否定します。


「私たちはこんな世界、望んでない!」


 かつて送り出された村がありました。足を休めた町がありました。背中を預けた隊旗はたがありました。

 そのすべてが燃えていました。とどまることのない戦の火で。

 氷河の中で燃え続ける彼女の力が、燃える水となって流れ出しているのでした。それこそが燎原りょうげんの火の大元。


「これでは、まるで……!」

「先代の魔王みたいだって?」


 嫌な予感を言葉にされて、ぞっとします。


「当たり前さ。アンタたちが倒した彼だって、もとはただの魔族に過ぎなかった」


 討伐の旅路で出会った、戴冠たいかん前の魔王を知る魔族に聞いたこと。魔王はひとえに、一族の繁栄を願う青年でしかなかったと。


「二百年に一度あらわれる<魔王のかんむり>。それに触れた生き物はおかしくなっちまうのさ。そいつの血を浴びた者も、連鎖的にね」


 そう、だから。


「アンタたちはパーティ全員でみ血を分け合ったつもりだったみたいだけど。そんなもん、じかに斬り合った勇者がわりを食うのがわかり切ってるだろ」

「……」


 言葉につまります。事実をつきつけられて。

 仲間の誰も何も言いませんでした。想定よりも、私たち後衛への負担が少なかったことについて。当のイリスガーデがあまりに平然としていたから。


「アンタにいたっちゃほとんど触れてもいない。それでだなんて笑わせる」


 赤い瞳に一瞬、冷笑以外の感情がみえた気がして死神女を見返します。ふ、とその目元が皮肉にゆがんで。


「まあ、下界はそんな調子だよ。のぞいて満足したなら、アンタの魂を固定してる呪いを解いてほしいんだけどね」


 私は逡巡しゅんじゅんすらせず、彼女の横を通り抜けました。


「どこへ?」

「決まっています。イリスガーデを助けに」

「よしな。どこにも行けないって言ったろ。アタシがアンタを無理やり回収しようとしなかったと思うのかい」


 死神女が言い終わるより先に、私は足が重くなるのを感じました。


「死んだ人間は動き回ったりしない。アンタの呪いはデラタメだけど、そのくらいの分別ふんべつはあったみたいだね」

「……修正して掛けなおします」

「いいけど、解呪した瞬間にアンタの魂はバラバラだよ」

「だったら……!」


 振り返って腕を振るいます。絡みつく世界の裏側。無数の<糸>。

 瞬間、空間が裂け、眼型の窓が開きました。


「っ、アンタ、一度見ただけで?」


 裂け目の周辺から、まつ毛のように伸び出す無数の操作盤コンソール。さらに追加で遠景、近景用の窓を左右に。


「これで、外に干渉します。教えてください。あなたの知ってることを」

「……噂以上にデタラメだね」


 女が赤髪をかきあげ。


「何が聞きたい」

「他の仲間はどうしていますか。特にバッドガイ」

「さてね、勇者一行は〈聖女殺し〉の汚名を着せられて人類圏を追われた。〈忌み血〉に浸食された者も多い。今は魔族圏に散り散りと聞くけど」


 胸元を強く握りしめます。古巣が彼らにした仕打ちと、それを知りながら防げなかった自分の不甲斐なさに。


「けど、勇者を正気に戻せる人間なら、いる。アンタは知らないだろうけどね」

「……どなたですか?」

「彼女がただ一人、魂から愛し、血肉を分けた相手」

「それって……」


 口にしようとして、舌がもつれます。胸もなんだか詰まったような感じ。

 答えず、死神女は話を変えました。


「あともう一つ、良い報せがある。二十年で戦場も様変わりしてね」


 世界を映す三つの窓。そのフチを灰白の指先がなぞります。


「今の戦いは、アンタにとっちゃ子供の遊びみたいなもんだと思うよ」


 窓の向こうには、戦火からまだ遠い、にぎわしい街が映し出されていました。


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