第15話 星空の下で
「あ、もしもし。美羽さん、遅くなっちゃってごめん。今、病院に着いたよ。ええ、はい。夜間入口から。わかった。では後ほど」
美羽さんからのチャットを受けてから、僕の気持ちは落ち着かなくなってしまった。正樹さんの状態も気にはなるが、涼木さん、綿島さんとの検討も大事なことだ。僕は、目の前にある仕事に集中しようとした。
でも、僕の心がここにないことは、涼木さんにも綿島さんにもバレバレだったのだろう。すぐに2人から今日のところは終わりにしようと言ってくれたのだ。これ幸いと僕は早々に荷物をまとめて会社を後にした。お2人に見透かされたんじゃないか、ということに気づいたのは、病院の最寄駅に着いた時だったが。
そうしてたどり着いた病院で、僕は美羽さんに電話をかけたのだ。遅い時間なので美羽さんが帰ったことも考えてだったのだが、美羽さんは病室にいると言う。看護師さんには特別に許可をとっているとのことで、夜間入口の守衛さんからすぐに入館証をもらうことができた。そのまま、足早に先日訪問した正樹さんの病室へ向かう。
「……夕方に一度目を覚まして、少し会話をすることができました。担当の先生にも診ていただいた結果、お父さんの容態は落ち着いたと言えるそうです」
「そうなんだ。よかったね」
規則正しい寝息を立てる正樹さん。そのベッドの横に座る美羽さんから、正樹さんの様子を伺う。容態が落ち着いたとはいえ、そう簡単に退院はできないのだろう。心配そうな表情のままである美羽さんを見ていると、気やすいことが言える雰囲気ではない。僕は、なんとか当たり障りのない言葉を絞り出した。
すでに消灯時間は過ぎているため、病室の明かりは消されている。窓の外から差し込む月明かりに照らされる美羽さんは、その表情も相まってか、まるで悲痛を堪える女神にも見えた。
そんな考えを吹き払うように軽く頭を振ると、窓の外に広がる夜の街が視界に入った。少し、目が疲れているのかもしれない。街灯が少しぼんやりと滲んで見えた。疲れた頭には、電柱の間を走る電線が、まるでデータベースの構造図のように思えてくる。自動販売機の明かりが、オフィスのディスプレイを思い出させた。
「データの整合性を……確認……」
不意に聞こえた正樹さんの言葉に、飛び上がりそうになるくらいびっくりした。慌てて正樹さんの方を見るも、再び規則正しい寝息が聞こえてきた。
「びっくりしますよね。時々寝言を口にするんです。でも、仕事の話ばっかりで……」
そう言う美羽さんの表情は複雑だ。寝言を口にできるほど回復してきたという思いと、家族である自分より仕事を優先されているような気がする感情が渦巻いているのだろう。だが、僕の中から搾り出そうとしても、美羽さんにかける言葉は見つからなかった。
沈黙が病室を満たしてからしばらく。美羽さんは再び口を開いた。彼女の口から語られ始めたのは、正樹さんのエピソード。
「5年くらい前のことなんですけどね。私が小学校卒業するっていうときに、お父さんったら1ヶ月近くも家に帰ってこなかったことがありました。会社に泊まり込んで、エンジニアの1人として働いていたんです」
美羽さんの声は低く、過去を振り返るような響きを帯びていた。
「大きな取引先が、深刻なシステムトラブルに陥っていたんだそうです。そこの社長さんから『君の会社しか頼れない』って懇願されたって言ってました。それで、お父さんはお互いの会社のためにって言って、必死だったそうです」
言葉を切った美羽さんが、こちらに顔を向ける。月明かりに照らされたその表情からは、何も読み取ることができない。
「結局、卒業式の日も来られませんでした。でも、お父さんが作ったシステムのおかげで、その会社は立ち直れたんです。後日、感謝状を贈られて……帰ってきたときのお父さん、本当に嬉しそうでした」
一瞬、病室に沈黙が落ちる。
「でも、私……複雑な気持ちでした。嬉しそうなお父さんを見て、誇らしくて。でも同時に、寂しくて。お父さんは、人のためにがんばるのが好きなんだって言ってました。小さい頃から聞いていたので、それは知ってます。でも……でも、時々思っちゃうんです。お父さんの言う『人』に、私たち家族は……」
そこで美羽さんの言葉は途切れた。僕は居た堪れなくなって、眠る正樹の姿に視線を向ける。穏やかな寝顔を見せる彼は、娘の気持ちに気づいているのだろうか。
それからしばらくして、僕たちは帰路に着いた。静かな夜空の下、僕たちは黙って歩き続ける。
大通りの信号が赤になり、僕たちは足を止めた。
「正樹さんのこと、理解できたような気がする」
僕は、煌々と光る赤信号に目を向けながら、静かに言った。
「僕も、誰かのために全力で頑張ってきた。でも、大切な人に寂しい思いをさせてまですることなんだろうかって、美羽さんの話を聞いて思った」
隣に立つ美羽さんの様子を伺う。美羽さんは前を向いたまま、口を閉じている。
「で、ずっと考えてたんだけど、やっぱり違うんじゃないかなって」
美羽さんが僕のほうをちらりと見た。
「僕は今、会社で重要なプロジェクトを任されることになった。重要って言うくらいだから、簡単じゃないことは確か。でもさ、仕事を理由にして、それ以外を蔑ろにしていいわけじゃないんだよね。もちろん、いつもいつもうまくいくとは限らないけど」
自分の言葉に、つい苦笑してしまう僕。そんな僕を、黙って見上げる美羽さん。僕たちの間を、夜の風が通り過ぎていった。
「誰かを助けることと、誰かを大切にすることは、天秤にかけることじゃない。どちらかを諦めなければいけないわけじゃない。そう信じて、行動するよ」
僕は、体ごと美羽さんの方を向く。
「僕と正樹さんは違う人間だ。立場も年齢も、何もかもが違う。だけど、美羽さんの気持ちも、正樹さんの想いも、全部大切にしたいんだ。だから、僕の頑張り方を見ててもらえないかな」
僕の言葉に、美羽さんの瞳が僅かに潤んだ。ような気がした。
「……信じて、いいんですか?」
「うん」
「……本当に、信じちゃいますよ?」
「いいよ」
「……本当に本当に、いいんですね?」
「もちろん」
美羽さんの問いかけに、間髪入れずに返す僕。すると、美羽さんは口を開いては閉じ、閉じては開きを何度か繰り返す。僕は、彼女の言葉を待つ。
「……わかりました。私、陽介さんを信じます」
彼女の微笑みは、夜空の星よりも輝いて見えた。
「あ、信号青ですよ。渡りましょ」
そんな彼女に見惚れてしまった僕の手をつかみ、彼女は横断歩道を渡り始める。彼女に引かれるままに、僕は彼女についていく。
先ほどと同じように、黙ったまま歩く。だけど、先ほどよりも暖かい気持ちで歩くことができた。そんなとき、彼女のほうから通知音が聞こえてきた。美羽さんは、僕に小さく謝ってからスマートフォンを取り出す。思いもよらない内容だったのか、美羽さんが立ち止まった。僕も、それに合わせて足を止める。
しばらく画面を見つめていた美羽さんだったが、ゆっくりと僕の方を向いた。
「……陽介さん。お父さんのこと、幼馴染に話した方がいいと思いますか?」
誰かの幸せを探していたら、君に出会った。 カユウ @kayuu
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