第11話 仕事と絆
僕はどうしても昨夜頭に浮かんだことが気になってしまい、いつもよりかなり早く家を出た。電車が空いていたので、これから先も早めに家を出るのはありかもしれない。そんなことを思いながら、僕は自分に貸与されている会社用のノート PC から案件管理システムにログインする。
「SHHソフトさんとの案件はっと……あったあった」
顧客名で絞り込むとすぐに出てきた。期間、金額、担当チーム。僕は別のお客様の案件に入っていたから呼ばれなかったけど、思っていた以上に若手が多い。業界最大手とも名高い SHHソフトとの仕事だ。経験を積むという意味でも、手数を増やしておくという意味でも、人は多いほうがいいだろう。ステークホルダー一覧を見たが、SHHソフト社長の正樹さんの名前はなかった。ま、当然と言えば当然だが。
それと、プロジェクトマネージャーになっている人は、一年目のときにとてもお世話になった人だった。技術に精通しており、顧客交渉もうまい。あとで聞いた話だが、事前にトラブルの芽を摘むような進め方をする人らしく、重要な顧客や案件を任されることが多いらしい。
「ん?……
正樹さんが入院したことの影響があるのかを悩んでいると、直属の上司である綿島
『急な話だけど、9時から緊急
ミーティングの内容が一切わからない呼び出し。しかも、SHHソフトの案件に入っていないチームメンバー宛に送られたチャット。そう思いながら時計を見ると、緊急 MTG まであと一時間。僕ははやる気持ちを抑えて、今日の作業を始めることにした。
◇◇◇
「忙しいところ、急に集まってもらってありがとう。さて、月初の全社会での共有事項で知っていると思うが、SHHソフトさんの案件について今月末の納品予定だ」
会議室に集まったSHHソフト以外の顧客対応を行なっているメンバー。顧客との打ち合わせなどでどうしても会議室に集まれないメンバーは、オンライン会議で参加している。そんな僕たちに、直属の上長であり、今僕が参加している案件のプロジェクトマネージャーを務めている綿島さんが話し始める。
「SHHソフトさん側の受け入れテストは実施中で、挙動面でのバグは出ていない。だが、セキュリティテストを依頼していた会社から、重大なセキュリティホールが検知されたという報告が来た」
綿島さんの言葉を皮切りに、周りのメンバーたちがざわつき始める。オンライン会議で参加しているメンバーからは、詳細説明を求めるコメントが投稿されていた。
「みんなも知っての通り、国内で知られている企業や大病院が攻撃を受けている。先々月、別チームが担当している顧客が攻撃された。幸いと言っていいのかわからないが、攻撃されたのはうちの担当システムではなかった。だが、顧客の業務に影響が出たことに変わりはない。そのため、俺たちの作ったシステムにセキュリティホールがないかをテストすることが、納品前の絶対ルールになったのは先月の全社会で共有された通りだ」
綿島さんは飲み物を飲むために言葉を切る。いつの間にか、周りのメンバーのざわめきは止まっていた。
「で、今回SHHソフトさんのシステムについて、セキュリティホールがあることが検知された。挙動面には一切影響がないが、この穴を塞がないと情報が抜かれ放題。攻撃者の好き勝手にシステムをいじくりまわされる可能性が大きい穴だ」
綿島さんが会議室に集まったメンバーをぐるりと見渡す。オンライン会議をしている端末のディスプレイにも視線を向けている。
「それを塞ぐため、SHHソフトさん以外の顧客を担当しているメンバーを投入することになった。今から名前を呼ぶものは、アサインされている案件の作業を残るメンバーに引き継いで、SHHソフトさんの案件のフォローを頼む」
綿島さんは、淡々と名前を呼んでいった。会議室にいるメンバーで名前を呼ばれた者は返事をすると、若干顔を引きつらせながらものすごい速度でノート PC のキーボードを叩いている。引き継ぎの情報をまとめているのかもしれない。
「それから、
「ぁ……は、はい!岳仲、います」
「ああ、よかった。自分は入らないと思ってたのか?岳仲は情報処理安全確保支援士とCompTIA Secuirity+、CCNAを持ってるからSHHソフト案件のプロジェクトマネージャーから絶対回してくれって切に頼まれたよ」
情報処理安全確保支援士は、独立行政法人情報処理推進機構(IPA)が試験を実施している国内初のサイバーセキュリティ関連の国家資格だ。合格率は20%程度と言われているが、若手のうちに資格をとっておいたほうがいいと言われ、がんばった。
CompTIA Secuirity+ は、CompTIAというグローバルなIT業界団体が認定している国際資格。CCNA は、大手ネットワーク機器メーカーであるシスコシステムズが認定するベンダー資格だ。どちらもセキュリティ関連の技術者を目指すなら登竜門的にとっておいたほうがいいと言われている資格。社内ではとっている人がほとんどいない資格だったのでチャレンジしてみた結果、なんとか合格することができたもの。
「わかりました」
「よし。引き継ぎは、後で相談しよう。じゃあ、SHHソフトの案件に参加してもらうメンバーは以上だ。日頃の 1on1 やチーム MTG で聞いた状況を踏まえて人選しているが、引き継ぎ期間などの相談があれば個別に連絡してくれ。急なことで申し訳ない。一応、SHHソフトさんには納期変更も打診しているということだけど、ここが正念場でもある。みんな、心して取り組んでほしい」
綿島さんが閉めて、緊急 MTG は終了した。僕は、綿島さんか、SHHソフト案件のPMには、正樹さんの入院を明かしたほうがいいんじゃないかと悩んでいた。
◇◇◇
昼休みの時間もキーボードを叩いて引き継ぎ資料を作っていると、僕のスマートフォンが鳴った。画面を見ると、美羽さんだった。正樹さんに何かあったのだろうか。
「はい、岳仲です」
「あ、美羽です。お父さんのことなんですが、今いいですか?」
「ちょ、ちょっと待ってください。場所を移動しますので」
僕は慌ててノート PC をつかみ、オフィス内に設置されている電話会議用ポットに入った。自席で電話会議をすると、周りの音が入ってしまうことがある。万が一にも情報流出をしないよう、電話会議をするときは防音されているこのポットを使うよう指示されているのだ。
「お待たせしました。大丈夫です」
ポットのドアが閉まっていることを確認し、待たせていた美羽さんに先を促す。
「はい。えっと、お父さんですが、お医者さんからバイタルが安定してきたと。内視鏡で目視しないと確実なことは言えないけど、胃酸過多も落ち着いてきているようなので、今すぐ胃に穴が空いちゃう心配はしなくて大丈夫そうとのことでした」
「よかったです。安定しているようで……って、あれ?美羽さん、今日は学校では?」
今日は平日。学校があると思ったが違うのだろうか。
「え、あ、その……きょ、今日は、えっと、き、記念日、そう!創立記念日なんです!だから学校はおやすみで」
「そうなんですね。すみません、知らなくて」
美羽さんの言葉が怪しい気もするが、唯一の肉親である父親が倒れて病院に入院しているのだ。そんなとき、学校に行っても落ち着いて勉強なんてできないだろう。僕は追求することはやめておいた。
その後、美羽さんと少し雑談をしてから電話を切った。正樹さんも心配だが、昨日の病院から帰るときの様子を考えると、美羽さんも心配だ。なんとかして早めに帰ろう。僕は気合いを入れ直すと、ポットを出て自席へと戻ることにした。
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