第2話 フクロウの記章をつけた日

 エストラルダ国の白亜の城がそびえ立つ城下には、貴族街と平民街が存在する。

 その名の通りで、貴族街は貴族のための店や娯楽施設や豪華なタウンハウスが立ち並ぶ場所だ。道路なんかも馬車が通りやすいように整備され、警備も厳重。物乞いがお金を求めて足を踏み入れようとすれば、兵士に「ゴミは入るな」と摘まみ出される。

 平民街は平民のための店や市場がある場所だ。常に人とものが溢れて、ごった返している。活気があると言えば聞こえはいいけど、表通りは比較的綺麗にしていても道を一本奥に入れば一気に薄暗く物騒な景色に変わる。そんな場所で事件が起きても、兵士がやって来ることはない。


 貴族街と平民街の間は、荒廃した土地が広がっている。崩れかけの廃屋やゴミの山が異臭を放つ無法地帯には、人だって寄りつかない。

 景色は一つなのに、貴族街側から見る景色と平民街側から見る景色は見えるものが異なる。

「ある意味ここは、この国の象徴なのだ」と私に言ったのは父だった。あの頃の私は首をかしげたけど、今なら理解できる。


 普段はネズミや虫しかうろつかない場所に、今日はダークグレーの軍服を着た男たちが歩き回っている。

「今年は、もう二回目だな……」

「数年前は一年に一回だったのに、どうなっているんだ? これもまた模倣犯か?」

「若い女がここまで無残に殺され、右目が奪われるんだぞ? こんなことをする犯人が何人もいるなんて考えたくねぇよ」

「こんな酷いことを真似する奴がいるとも思いたくないな。十年前の事件の犯人は冤罪だったのかもな……」

「お前は、そっち派か?」

「なんだよ? そっち派って?」

「知らねぇの?」

「知らないから聞いてるんだろう」

「十年前の公爵令嬢惨殺事件から、毎年同じように顔面滅多刺しして右目をくり抜かれる事件が起きているだろう? 模倣犯だという派と、処刑された犯人が冤罪で真犯人が犯行を繰り返しているという派に分かれているんだよ」

「まじかよ……。あっ、ちょっと待て! 関係者以外は立ち入り禁止だ!」


 お喋りな兵士に止められた私は、紫がかった濃紺のマントを止めるフクロウの記章を指さした。

 金色のバッジが朝日に反射して少し眩しいのか、兵士は一瞬止まった。

「……法務官でしたか! 申し訳ありません」

「……あれ? ですが、まだ法務官に連絡は……」


 ここで時間を取られると後の予定に響く。困っていると、後ろから助け船が出された。

「いいんだ。俺が呼んだ」

 いつもやる気がなさそうな眠たい目をした医務官が珍しく声を張ったので、兵士たちは目を見合わせている。

 それだけで私に対する興味は失せたので、ありがたくその場を去らせてもらった。


 辛うじて形が残っている建物のなれの果ての中には、かつて大きな窓あったらしい空洞がぽっかりと空いている。そこから入り込んだ朝日が、場違いに降り注いでくる。

 幼い頃から顔見知りの医務官に頭を下げて、私は今回の被害者であるアシュレイ・エイバー伯爵令嬢の遺体に手を合わせた。

 いつ見てもむごたらしい遺体を前に、吐き気を催さなくなったのは何体目からだっただろう? 慣れたのではないと思いたい。こんなことに慣れる人間になってしまったら、犯人と同じ場所に堕ちてしまう。


「先日の試験をトップ合格した新人法務官が来るのは、この場所じゃないだろう? 今日は法務官としての第一歩目だ。城に行って、周りの人間に媚びを売れ」

 昔馴染みの医務官が言うことは辛辣だ。というか、それが法務官の実態だと私に教えてくれているのだろう。

「今日が初日だから、ここに来たんです。じゃなきゃ、法務官になった意味がない」


 疲れたようにため息を漏らした医務官の名前はロートン。

 ロートンは騎士団の医務官だけど、彼の父親がホワクラン家の主治医だった。それもあってロートンは、医者になる前から見習いとして私の家に出入りしていた。私の子守を任されることも多く、幼馴染みというよりは兄のような感じなのは十歳年が離れていたからだろう。

 かつての兄とも今は殺人現場でしか会わないとは、私の生活は随分と殺伐としてしまった。昔の面影を消したそんな私相手でも、現状知りうる情報をぼそぼそと教えてくれる大事な協力者だ。


 被害者は十七歳の伯爵令嬢で、やっぱり右目が奪われている。色は琥珀色だ。

 発見者は娼館帰りの男で、赤いドレスを着た派手な身なりの女が寝ていると声を掛けたら……。というわけだ。楽しい気持ちも、一瞬で吹き飛んだだろう。


「刀身は細く長いが、刃はついていない短剣だ。スティレットで突き殺された。いつも通りの『惨殺者の呪い』だよ。法務官の出番はないね。これも、いつも通りだ」

「いつも通り、ね……」

 私がロートンとこの話をするのも、八回目だ。私自身が無残な遺体を見るのも、九体目。『惨殺者の呪い』という言葉も、いい加減聞き慣れた。


 十年前の事件と同じ手口で女性が殺されることを、世間は『惨殺者の呪い』と呼んでいる。

 犯人が模倣犯だろうが、逃げ延びている真犯人だろうが、これだけ残忍な方法で人を殺す人間が野放しになっていることは恐怖だ。

 だが、『惨殺者の呪い』に関わる事件調査が、法務官に依頼されることはない。


「子供の頃のミレットは、もっと可愛げがあったぞ? 俺が何か言えば、ポッと頬を赤らめてさ」

「今だって、そう変わらない」

 悲しそうに私を見たロートンは「全然違うよ……」と呟いた。

 確かに昔の面影は残していないけど、もう少しこう言い方があると思う。

「おいおい、腐っても公爵令嬢だろう? そんなに荒んだ顔をすんなよ。嫁の貰い手がなくなるぞ」

「結婚適齢期なんてとっくに過ぎましたの。結婚をする気も、家を継ぐ気もございませんわ」

 私がわざとらしくオホホと不敵に笑うと、ローガンは「確かにもう二十六だけどな。筆頭公爵家の唯一の跡取りならって奴がうようよいるだろう」と言い返してきた。


 そういう人が列をなしているのは知っているけど、私には関係ない。

 ローガンに言ったことは強がりなんかではなく、本音だ。

 私にはもう結婚する気はない。大切な人の手を離して自由を奪った私に、誰かを幸せにすることはできない。


 貴族街と平民街の間に広がる街の墓場のような場所からは、当たり前だけど貴族街と平民街の両方が見える。

 右を見れば染み一つない色鮮やかな美しい街並み、左を見ればくすんだ灰色の世界。

 腐臭がしみ込んだこの場所は、貴族が自分たちの自己満足のために作った……。

 十年前まで私は、貴族街側の人間だった。今はそれが酷く虚しいと思えるほど、平民街の人間だ。

 

「今回も同じ犯人?」

 ロートンはガリガリと乾燥しきった頭をかき、「多分な……」とうなずいた。そしてすぐに、「初日に遅刻するなよ」と話題を変えた。

「配属先が、あの特別調査室だろう? まさかかつての婚約者が上司になるなんてな……」

 全く今日一番嫌なことを言ってくれる。それが私の顔の出たのだろう。ロートンは焦ったように手を振って「まぁ、いい。頑張れよ」と私を追い払う。

「はいはい、頑張ります」と言って現場を去ろうとすると、後ろからロートンと兵士の会話が聞こえてきた。


「後ろ姿でさえも見惚れますね。身分差がなければ、飯に誘いますよ。いやぁ、聡明でミステリアスな美人。最高です!」

「……臆病なくせに好奇心が旺盛なのは昔から変わらないけどな……。本当に大人しくて物静かな子だったんだ。あんな無理した態度より、おどおどした可憐な美少女の方が俺は良かったよ」

「……えっ? 医務官が結婚しないのって……、ロリ、コン……?」

「断じて違う!」

 兵士の勘違いを笑いながら、私はキリキリと痛む胃を押さえて城に向かった。




□■□■□■□■

読んでいただき、ありがとうございました。

三話(1~3)投稿しています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る