第5話 ウェンディゴ

 それにしてもこいつ、とにかく食い辛い。

 体がでかいのもあるのだろうが、なかなかうまく俺の悪魔が入っていってくれない。

 とはいえ、心臓を食ってくれたおかげで頭は真っ先に食うことができた。

 もう自由に動くことは出来ないはずだ。

 危険はないだろう。

 ただ少し時間はかかりそうだ。


「こいつも……なんだかややこしい体してるなぁ」

 

 ウェンディゴの身体は小鬼とは違いかなり食い辛い。

 だが同時に、より多くのことが分かってきた。

 まず、こいつも俺と同じように一度悪魔に食われている。

 ちなみにこれは洞窟にいた小鬼も同様だ。

 俺達がモンスターと呼んでいた奴らは、どうも死体を悪魔に食われることで生まれているらしい。

 ただ、俺の場合は少し違ったようで、生きたまま食われたせいでこうなったようだ。

 実際は、ほぼ死にかけていたのだろう。

 そこに悪魔がやってきて、体を食い始めたのだ。

 それでも普通であれば、食われた俺はモンスターになるか、あるいは死ぬはずだった。

 ところが何の間違いか、その過程で思わぬ出来事が起こる。

 俺を食っていた悪魔と、食われていた俺自身の意識が、何かの間違いで繋がり混ざってしまった。

 その結果、今のよくわからん状況に至っているわけだ。

 とはいえ、これは俺のいい加減な予想に過ぎない。

 ウェンディゴを侵食する過程で経験する、悪魔との無言の対話から導き出した仮説だ。

 そもそもこの悪魔と俺が勝手に呼んでいる存在もよくわからない。

 本当は天使かもしれない。


「まぁ、それは無いだろうがな……。そんなことよりだ――、この悪霊、よく見るとおっぱい大きいんだよな……」


 どうもこのウェンディゴというモンスターは、元はヘラジカとヤモリ、そして女騎士だったようだ。

 何かの間違いで、同じ場所にその死体が打ち捨てられたのだろう。

 混ざり合い悪魔に食われることで、ウェンデイゴという新たなモンスターとして生まれ変わったのだ。

 女騎士だった要素がとても良い仕事をしている。

 そもそも女騎士というものは、その辺のあばずれ女傭兵どもとはわけが違うのだ。

 軍を鼓舞するのが役割であり、見目麗しく教養ある姫として、それなりの身分の者がなるものだ。


「ただなぁ、顔がヘラジカの頭骨なんだよな……もったいない。それはいい女だったろうに……。実にもったいない……いや――、もしかして……」


 ウェンディゴへの侵食方針を変える。

 このまま食い殺す予定だったが、なんだか惜しくなった。

 元の女騎士の要素を何とか引っ張ってこれないだろうか。

 遠い地平の彼方にいる悪魔へと問いかけるようにして、ウェンディゴの体を慎重に食っていく。

 集中するんだ……すべてはこの見事なおっぱいのために。


「あ、あっぶね~……、戻ってこれなくなるとこだった」


 悪魔に同調し、あまりに広く遠くへ意識を飛ばしすぎた。

 もう少しで自分を見失うところだった。

 実際心臓を引っこ抜かれたときよりもやばかったかもしれん……。

 やっぱりなんでも自由にいじれるってわけじゃあないんだな。


「おっぱいのために死ぬとこだったわ。我ながらあほ過ぎるな。だがまぁ――これはなかなかうまくいったのでは? どうだ――?」

「ア……、オ? エ……ハ……?」


 いい女だ。

 少なくともヘラジカの頭蓋骨よりずっといい。

 赤くたっぷりとした長い髪に赤い瞳、少しオレンジがかっても見えるな。

 この曇り空の下でさえ、光でも含んでいるかのように明るく輝いて見える。

 肌は白く、魚の腹のようなどこか湿度を感じる滑らかさだ。

 透明感と艶めかしさを感じさせる。

 背丈は俺より少し低い程度か。

 女にしては高い方だろう。

 筋肉もしっかりとついている。

 そして胸がでかい。

 張りのある立派な胸だ。

 なぜか俺が誇らしい気分になる。

 それにしても、さすが元女騎士。

 こんないい女は見たことが無い。

 ただ、その全てを台無しにするように、表情は恐ろしく暗い。

 すべてを諦めたような目で虚空を見つめている。

 あまりに虚ろだ。

 どんな残酷な運命に翻弄されればこんな顔ができるのだろうか。

 まぁ実際、心臓を食うような化け物になったわけだから、ついてないのは間違いない。

 曇天の森にぼんやりと佇む姿は、先ほどまでの姿以上に、悪霊としてふさわしく思えてくる。


「なぁ、森の悪霊。俺は迷子の悪魔だ。名前はフー・ジッド。お前は……?」

「フー? ン……」

「おおっ、なんだお前、喋ることができるのか? あんなに頭がぶっ壊れてたのに……、すげぇな」

「スゲェ……? ワタシ……、わたしは……。ええ、そう……、わたしは――カーネリアン」

「カーネリアン……アンで良いか、よろしく。しっかし……、よく名前が出てきたなぁ」

「アン……」


 カーネリアンは俺の顔をぼんやりと眺めている。

 自らの髪を手のひらに乗せその重さを確かめるように上下に動かしながら、ゆっくり時間をかけてそう名乗った。

 女性にしては少し低い声で、まるで歌うように喋る。

 名前を反復しながら、少し笑みを浮かべている。

 不気味だ。

 あまりに美しすぎる笑顔も、どこか悪霊のような、現実離れしたものを感じる。


「あなた……フー、心臓を食べて――生きていた人は……初めてだわ」

「凄いだろ? 俺もびっくりしてるわ。ところで……お前はウェンディゴか? それとも騎士なのか? それともヤモリ……ではないだろうな」

「さぁ……どうかしら、よく覚えていないわ。でも――、なんだかとっても気分がいいの」

「それは何より……それでだ! とりあえず、ちょっとおっぱいを――」


 俺がそう言って恐々と手を伸ばすと、アンはスルッと俺の懐に入り込む。

 そのまま俺の頭を胸に抱え込む様に抱きしめてくる。

 意外と力が強い。

 しかし、なんて素晴らしい感覚だろう。

 そんなはずは無いが、なぜか花の香りを感じる。

 肌はあまりに滑らかで柔らかい。

 頬をくすぐる赤髪まで心地良い。

 悪霊というには暖かすぎる体だ。

 だが――、同時に頭は酷く混乱してくる。

 彼女にこうして抱きしめられていると、不思議な満足感や温かさ、安心感のようなものを感じるのだが……。

 どうも……変だ。

 何かが、違う……。


「ん~? ……あれ? おかしいな……え? あれぇ?」


 カーネリアンの素晴らしい体に、俺の息子が全く反応していない。

 心もなぜか凪いでいる。

 まるで賢者にでもなったかのようだ。

 頭に一切の雑音が無く、スッキリしている。

 曇り空だが朝の澄んだ空気が心地よい。


「いやいや、おい! しっかりしろよ! ほら、元気出せよ! こんないい女目の前にして、なに下を向いて首傾げてるんだよ! おい……どうしちまったんだお前……昔はそんな奴じゃなかっただろ……。ああああああっ、もう! お前にはがっかりだよ!」

「がっかりだよ」


 ダメだ――。

 俺の悪魔へ問いかけても、答えらしい答えは返ってこない。

 ただ、失ってしまったことだけは分かる……。

 あの懐かしい欲望と興奮が、もう俺の中の何処にも見当たらない。

 ああ――、もう俺はいろいろ無理かもしれない。

 やはり俺の中の悪魔は悪魔だったのだ。

 ダメだ、旅に出よう……。

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