大学生編

アイドルデビュー

 なんとか合格して入った中学だったが、星哉はこれと言ってやりたいことがあるわけではなかった。もう、一生懸命好きなものを教えてくれる友達はいない。寂しかったけれど、自業自得だと思った。


 これでいい。変に自分で何かをしようとしたから母さんに怒られたのだ。

 従っていればいい。そうすれば、いやなことも、こわいことも、なにもおこらない。


 中学、高校と上がっても星哉の母は変わらなかった。

 部活はこれに入りなさい、塾はここに行きなさい。変な友達は作っちゃいけません。あなたは医者になるのよ。星哉はそれら全部に素直に頷いた。

 そこに加えて、女の子と遊んじゃいけませんが入った。学校は男子校で、放課後の予定も決められていれば、予定がない日は門限が早いから遊んでいる暇などないのに、だ。確かに男子校とはいえ、塾や学外で彼女を作っている子は存在する。けれど、星哉はそんなことに興味はない。一体何を心配してるんだろうかと思わないわけではなかったが、星哉はそれにも従った。母に逆らって、いいことがあるとは思えなかった。


 中高は、それなりに楽しかった。友達もいた。似たような存在というのは、案外いるものだ。特に中学受験から、となれば教育熱心な母親を持つ子どもは必然的に増える。

 そして、特に意志を持つことなく生きている「僕」《こども》も。

 似たもの同士は、どうしたって集まる。そして、そこで親の愚痴を言う友達を見て、ほんの少しだけ、もう少し親に反抗したっていいんじゃないかという気持ちが湧き上がった。

 だって、理不尽だ。必死に敷かれたコースの上を歩いているのに、まるでそれは当然であって、もっとできなければいけないんだとあれこれ要求される。周りの友人が少しづつ親に反抗して、やりたいことをやるようになっていけばなおさらだった。やりたいことがあるのかと尋ねられれば、そうではない。

 だけど。


 このまま誰かのいいなりの人生は、本当に僕の人生なのだろうか。


 六年、というものは存外に早かった。小学校の六年はそれなりに長かったはずだが、大学受験に向けて塾に学校に、と代わり映えのない日々を送るようになれば、一日などあっというまだった。燻る反抗心は日に日に膨らんでいく。それでも、ただ、勉強をしていた。


 そして、親の希望通り、医学部を受けた。


 唯一、志望校だけは自分で決めた。



 母は星哉に地元の国立大の医学部に行きなさいと言っていた。医学部に行きなさい、というのは昔から言われていたことだ。両親ふたりとも医者だし、跡を継いで欲しいというのは小さい頃からわかっている。

 一番安定していて、道の踏み外しようがないコース。母親の示すものは、間違いなくそうだった。

 

 けれど、せっかく大学生になるのに、きっとこのままでは窮屈なままだろうと思った。

 地元から一歩も出ずに、医者になる。きっとそれは、母の理想とする星哉の人生だろう。世間一般では、勝ち組と言われるのかもしれない。きっと、幸せに見えるのだろう。


 でも、それならば、星哉は一体誰の人生を生きているのだろう。


 出てみたいと思った。この制限された、安寧以外を感じることを禁じられたような狭い世界の外に。

 東京の大学の医学部に行く、と母に言った時はとんでもなく叱られた。身体はずいぶん成長して、身長も175センチを超えて母親の背丈なんかとっくに抜かしているのに、相変わらず叱られるのが恐ろしくて仕方がなかった。例え星哉のことを息苦しくさせる存在であっても、母親は母親だ。失望されるのは、辛い。

 予想はしていたが、ありえないとでも言いたげな口ぶりに酷く胸が痛んだ。先に説得していた父が一緒にいなければ、きっと星哉は地元の大学へ進みなさい、と繰り返された母の言葉に頷いてしまっていただろう。

 結局父が押し通すように、受験の第一志望は東京の大学、第二志望は地元の大学とすることで話は何とかまとまった。そして、3年前の冬、無事に東京の大学へ合格した。



「あの」

「……はい」


 大学一年の、冬。肌寒くなってきた頃だった。大きな街にもだいぶ慣れ、一人で歩いていた時だ。声をかけられて、星哉は立ち止まった。

 目の前のスーツ姿の男の人は、人好きのしそうな笑顔を顔に浮かべた。それから、私、こういうものですが、と名刺を渡される。渡されたそれを、星哉はまじまじと見つめて、そしてポツリと呟いた。


「芸能、事務所……?」

「アイドルに、興味はありませんか?」


 その言葉に、思わず顔を上げた。まさか、そんな、自分に。夢でも見ているのかと思った。

 脳裏に、昔言われた言葉がチラつく。


 ――星哉ならなれるよ、アイドルに。


 芸能事務所の人間らしい目の前の男の人はなにやらあれこれ説明していたが、星哉の耳には届かなかった。どうですかね、と尋ねられて、しばらく黙り込んだあと、ポツリとつぶやく。


「……なれるんですか、アイドルに」

「ぜひ。一度うちの事務所に、来ていただきたいです」


 頭の中で、勝手につくりあげた母が言う。一人暮らしを初めて、ようやく母親から解放された。されたと思っていた。けれど現実は優しくなどない。一人暮らしを始めても母親はバイト先やら部活についてやら口出しをしてくる。それだけではなくて、母親に言われてきた言葉がもうすっかり星哉の身体に染みついていて、何をしようとおもっても星哉の行動に口出しをしてくるような気がするのだ。アンタには無理よ。大学の勉強はどうするの。アイドルなんかに現を抜かすんじゃありません。

 そのどれもがもっともだと思う。

 きっと、星哉にはアイドルは向いていない。大学に入っても、結局何も変わらなかった。大人しくて、一人では指示がないと動くこともできない。相変わらず誰かの傀儡のままだ。


 だけど、変わろうとしなければなにも始まらない。


 アイドルは、みんなに元気を与えられるんだ。本当にすごいよね、そう言って笑っていた、陽太のようになれるだろうか。全然もう会っていないけれど、いつかどこかで見つけて貰えたら、少しでも彼に誇らしく、思ってもらえるだろうか。


「なりたいです、アイドルに」


 口から言葉が先に出ていた。

 はじめて、やりたいことを言った瞬間だった。

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