第18話 プロポーズ?

 黄緑、深緑、萌葱、青碧、薄緑に常磐など、様々な色の葉に鮮やかな色を灯す花が置いてある庭。


「これ、全部造花なのですか?」


 置いてあると表現したのは、それらがどれも造花だったからだ。とても正確に細かくできているけれど、手触りが違えば光の返し方も違う。見渡す限り造花なので、いつも私が部屋から見ている庭の植物も作り物かもしれなかった。


「いつもはちゃんと生花なんだけれど、最近は植物が枯れやすいから造花に変えたの。リルクエット様が作ったのよ」


「へぇ、すごいですねリルクエットさん」


「幼い頃から得意だそうよ。何でも、ミハイル様とアン様が好きだったから上手になったとか」


「そう、ですか」


 植物を見て笑う父と母の姿が浮かんだ。ちょっと胸が苦しくなった気がして父と母の姿をすぐに追いやった。


 白いガゼボに着くと二人の使用人さんがいて、すでにお菓子が机の上に用意されていた。お茶もすぐ出てきて、私たちは天気とか好きな花とかの他愛のない話をしながらアフタヌーンティーを楽しんだ。実に優雅である。


「ねぇバンシーク。図書室通いの成果は出た?」


 紅茶をこくりと飲み下すシャルロさん。バンシークさんは唇にカップを当てたままじっとシャルロさんを見てから、ゆっくりと言った。


「情けないことだが、目立ったものは何も」


 それからカップをソーサーに戻し、バンシークさんは私に紅い瞳を向けた。


「マリア殿。貴方に教えを乞いたい」

「私にですか?」


 こんな小娘が教えられることなんてほとんどないはずなのに、どうして私なんかに教えを乞おうとするのか。


「あぁ。貴方の不安を取り除くには、どうすれば良いだろうか」

「えっ」


 思いがけない質問だった。私の不安を取り除く?


「貴方は私に不安を吐露してくれた。私はその答えとして、貴方の不安を取り除く何かを用意しなければならないが、良い考えが思い浮かばないのだ。貴方がいた世界のことを知れば思いつくかもしれないと図書室に保管された記録を読んでみたが、貴方の御両親や世界についての知識が増えるだけで貴方のことは分からなかった。ならば直接聞くしかない。マリア殿、どうすれば貴方の不安は解消されるのだ?」


 シャルロさんが「真面目ねぇ」と小さく呟く声が聞こえた。私もそう思う。バンシークさんは超がつくくらいの真面目なようだ。私はそういうつもりで言ったわけではないのに。


「そう、ですね。私にも分かりません」


 ティーカップを両手で包み、水面に映る自分を見ながら続けた。


「具体的にどうすればいいのか、はたまた何をして欲しいのかなんてないんです。あのとき話した不安のほとんどは、ここが異世界だから感じているものではなく、きっと向こうに帰ってからも付き纏うものだと思うんです」


 例えば見知らぬ土地で生活する不安は元いた世界にだってある。全然知らない土地に引っ越せば自ずとそうなるのだから。常識だって生活する集団が変わるだけで変わるものだ。その他の不安も一見この世界だけに当てはまるように見えて、実はそうではないものばかりだ。つまり私はこの世界への不安というより、生きていくことへの不安を語ったにすぎなかったのである。


「マリア殿は自分と向き合い、冷静に判断できるのだな。素晴らしい」


 私は首を振った。


「淡白なだけですよ。それから、人よりちょっと考えなくてはいけない状況だったから真剣に考えたことがあるというだけで、私個人の優劣ではありません」


 そう。私は父の体が弱かったから生きていくために様々なことを考えざるを得ず、また天涯孤独の身になってしまったから考えたにすぎない。父が元気で、父も母も生きていたなら、私がこの歳でそんなことを考えることはなかっただろう。


「貴方のお父上とお母上のことはリルクエット殿から聞いている。まだ年端もいかない少女だというのに、身に余る苦労をしたのだな」


「そうですね。それなりに」


 それだけ答えた。確かに苦労はしたのだけれど、私にとってその苦労は当たり前だったから特にどうこう思うものではなかった。


「マリア殿の言う通り、貴方の不安のほとんどは異世界に来てしまったという特殊な状況でなくとも存在し、さらには解決できないものなのだろう。しかし貴方はこうも言っていた。『自信がない』と。これはこの世界で私たちが求める役割を果たせるのかどうか自信がないということだと思うのだが、どうだろうか」


 よく覚えてくれている。確かに私はそう言ったし、今でも思っている。


「おっしゃる通りです」

「であれば、それは解決しなければならないな」

「そう、ですね」


 包んでいたカップをそのまま両手で持ち上げて紅茶を飲んだ。飲みたいわけではなかったけれど、返す言葉がなくて手持ち無沙汰だったから口を塞いだだけだ。


「自信を得るというのは難しい。自信というものは自覚すると今まで持っていたかのような、また、一瞬で得たかのような感覚がするが、そうではない。相応の時間をかけた結果、得られるものだ。貴方が提示した期間に得ることは難しいだろう」


 しかし、とバンシークさんは続けた。


「私はマリア殿なら役割を果たせるのではないかと思っている」


 真っ直ぐな目で見られた。どうしてこの人はこんなにも真っ直ぐな目で私を見るのだろうか。


 私は顔を隠すようにずっと当てていたカップを置いた。


「バンシークさんがそう思われる根拠を教えてください」


 聞いてみたかった。こんな何の取り柄もないどこにでもいる小娘の私に対してどうしてそう思うのか。


「根拠は貴方の肩に乗っている天使の羽毛だ」

「天使の羽毛?」

「マリアちゃんの左肩に乗っている白いやつよ」


 ハッとして左肩を見た。そこには先程バルコニーで見つけて部屋まで連れて入った白いふさふわがいた。いつの間にかついてきていたみたいだ。


 ふわふわを掴んで手の上に乗せてみる。この生き物なのかも分からないものの名前が天使の羽毛なのか。


「これは生き物なのですか?」


「一応ね。どこまでの知能があるのか分からないし、何を食べて生きているのか、どこからやってくるのかすらも分からない謎の多い生き物なんだけど」

「どうしてこの生き物が根拠になるのですか?」

「天使の羽毛は幸福の象徴だと言われているからだ」

「幸福の象徴?」


 バンシークさんは頷いた。


「天使の羽毛は王族がいるところによく出現すると言われている。王族が力を使うと高確率で出現するとも言われていて、王族の力に反応しているのではないかという説もある」


「天使の羽毛が現れたら王族の証明だ、とも、大地を浄化する祝福の力が使われた証拠だ、とも言われたりするのよ。そういえば以前リルクエット様がおっしゃっていたわ。ラファエ王が御健在のときは天使の羽毛をよく見かけたけど、倒れられてからは見かけなくなったって」


「図書室の記録に、貴方のお父上やお母上がいらしゃったときは頻繁に目撃されたとも書いてあった。近年この周辺では存在を確認されていなかったのにもかかわらず、マリア殿が滞在するようになってすぐ現れたのは偶然ではないだろう。マリア殿には少なくとも天使の羽毛を惹きつける力があるのだ」


 私は黙っていた。説明されても、この白いふわふわが根拠になっている理由が理解できない。あまりにも私の常識とかけ離れているからだ。私の世界では何かしらの生き物で能力を測るなんてことはなかった。能力は全て試験など基準の決まった評価によって数値化され、数値化できないものは価値のないもの、あるいは存在さえしないものとして扱われていた。しかしこの世界では、こんなにも不確定なふわふわしたものに評価を委ねているのだ。信憑性を疑ってしまうのは、私が元の世界の常識に慣れているからだろうか。


「それだけでは心許ないか」


 私が疑っていることが伝わってしまったようだ。


「そうですね。私にはこのふわふわはただの不思議生物にしか見えません」


 正直に答えた。ここで嘘をついてもどうにもならない。


 二人とも黙ってしまった。居心地の悪い雰囲気になってしまったが、こればかりはどうしようもない。バンシークさんの言うとおり、自信というものは何かしらの経験がないとついてこない。きっとこの世界で暮らして初めてついてくるものなのだろう。


「マリア殿」


 低く響く声に名前を呼ばれて目を向けたら、真っ赤な瞳とぶつかった。


「この世界を救うこと自体は嫌ではないのだな?」

「はい。こんな私でも良いのなら力になります」


 すんなり答えが出てきた。悩む必要のない問いだったからだ。


「為せるかどうかが不安なのだな?」

「えぇ。己が何者かも知らなかった小娘に何ができるのかと疑っています」

「そうか、分かった」


 バンシークさんは一拍おいて息を吸い込んだ。


「であれば、私が貴方を信じよう」


 私は目を大きくした。


「私が貴方の力を信じ、貴方が歩む未来を切り開こう。厄災を払い、忌む者を切り捨て、穢れのない場所へ導こう。挫けそうになったときは支えよう。私が貴方の不安を取り除く手伝いをする。貴方が許すのなら、貴方と共に歩みたい。いかがか」


 真っ直ぐな瞳に吸い込まれそうだった。真っ直ぐな言葉に胸が詰まった。バンシークさんが本心で言っていることが分かる。この人は本当に、どうしてこんなにも真っ直ぐなのか。


「……なんか、求婚してるみたいね」

「え!?」

「む」


 シャルロさんが肘を突いた両手の上に顎を乗せて羨ましそうな顔をしている。


 確かにバンシークさんの言葉を思い返してみるとそう聞こえなくもない。気付いてしまうと途端に恥ずかしくなって顔が熱くなった。


「そのつもりではなかったのだが、もしマリア殿がシャルロ殿の言うようなことを思ったのなら、責任を取ろう」

「責任ですか?」

「うむ。結婚しよう」

「な!?」


 開いた口が塞がらなくなってしまった。


「私の言葉がそう思わせたのだったら責任を取るべきだ。もちろんマリア殿が良ければだが、私はそれだけ言葉に責任があると思っている」

「真面目ねぇ」

「真面目すぎますよ!」


 ここまでくると真面目というより生真面目の方がしっくりくる。どういう環境で育ったらこんなにも一途でひたむきな人間が生まれるのだろうかと不思議な気分になった。


「お気持ちは嬉しいですが、私のことは伴侶選びとは別として考えた方が良いと思います。私も別物として考えますので」


 丁寧に断りを入れるとバンシークさんは「そうか」と言った。プロポーズの件はこれで片付いたことにして、改めて答えを用意した。


「真摯に考えてくださって嬉しいです。バンシークさんがいらっしゃれば安心して何でも果たせそうです。今ここでどうするのか答えを出すことはできませんが、バンシークさんのお気持ちは伝わりました。これからはバンシークさんのような人がいてくれることも加味して考えます」


「私の存在が貴方の中に残れたのなら、それで良い」


 顔にじわっと熱が湧いた。何だろう。シャルロさんがプロポーズのようだということを言ったからか、こういう言葉もその類の意味に聞こえるような気がしてならない。バンシークさんは素直で真っ直ぐすぎる。その心を移したような瞳でじっと見られていると思うとドキドキしてきた。頬が赤くなっていやしないだろうか。


 心配になって両手でカップを持ち上げ、顔を隠すようにして紅茶を飲んだ。


 それからすぐシャルロさんが新しい話題を振ってくれて談笑に入ったのでほっとした。惑わされることもあるが、シャルロさんのようなムードメーカーがいてくれるのは大変ありがたかった。


 全員が二杯目を飲み終わるとお開きになった。


 最初に立ち上がったのはバンシークさんだ。


「それでは私はこれで失礼する。マリア殿。私の真心を受け止めてくれて感謝する」


 右手が差し出された。握手を求められているのだと解釈して立ち上がって応えようとしたが、ころんと何かが膝の上に落ちてきて立ち上がれなかった。


 何だろう、と視線を下げて


「みゃぁっ!!」


 思わず叫んでしまった。


 膝の上にバンシークさんの首がある! 先程とは別のドキドキで心臓が痛くなった。


「すまない。どうやら今日はだいぶ連結部が甘いようだ」


 膝の上の首が口を動かし、首のない身体がぺこりと頭を下げた。

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