【完結】僕たちはこの恋を知らない
赤瀬涼馬
第1話 天才たちと秀才
俺・早乙女怜侍は、小学生の頃から何をやってもダメやつだった。周りがすぐに出来ても、一人だけ上手くいかなんてことが多々あった。
運動会ではかけっこでビリになり、弾入れ競技では投げた玉があらぬ方向に飛んでいく、何をやってもダメダメな自分が嫌いだだった。
そんな俺に母はいつも口癖のように言っていった。
「良い? 怜侍。あなたは、あなたと同じように出来ない人の気持ちを分かってあげられる人になりなさい」
俺が失敗するたびに母はその言葉を口にした。アラームの音で目を覚ました。ベッドの近くの置時計に目をやると時刻は六時半を回ったばかりだった。寝ぼけ眼を擦りながらベッドから起き上がってリビングに向かう。
「おはよう、怜侍。朝ご飯出来ているわよ」
そう言って俺に母が声をかけてくる。
「おはよう、母さん」
挨拶をしてから椅子に座って並べられた朝食を食べる。一口、二口食べた後。
「そういえば………今日、姉さんのお見舞いの日だろ?」
箸を置いて、母にそう尋ねてみると、〝だいぶ良くなってはきているみたいよ〟と言って優しく微笑む。
その言葉を訊いた俺は「姉さんの病気は俺が必ず治す」と固く誓う。
朝食を食べ終わった後、制服に着替えて登校の準備に入る。
諸々の支度が終わって玄関を出ていく前に元気だった頃の姉との写真を見遣る。
「行ってくるよ。姉さん………」
そう声をかけて玄関を出る。
通学路を歩いていると、目の前をとんでないくらいの美少女たちが歩いていた。一人は透き通るような白髪にもう一人は艶やかな黒髪をした生徒だ。
「マジか―――朝からあの天才コンビと出くわすとは………」
一気に憂鬱な気分になりながらなんとか学園を目指す。
それから教室に入り軽く挨拶をして自分の席に座る。朝のHRまで時間まで勉強をして過ごす。
ほどなくして、担任である南野紗良が不機嫌な様子で教室に入ってくる。
「全員速やかに席に着いて黙れ!」
とても教師が口にするとは思えないセリフを言いながら教壇に上がる。
―――紗良ちゃん怖っ! 職員会議でまた何かあったのかな? とクラスメイトたちが小声で話始める。
どうやら、紗良は地獄耳の持ち主らしくその内容を的確に聞き取ってしまう。
「そこのお前ら………無駄口を叩いてないでさっさと黙らんか」と怒気を孕んだ口調で言い放つ。
名指しされた生徒たちは蛇に睨まれたように縮こまって謝り倒していた。
HRが終わった後、昼休みまで授業をした後にいつものようにカフェテリアでごお昼を食べようと席に向かっていたところで―――。
見知った生徒を見かける。俺の目の前で慌てたようにアタフタとしている白髪の少女が何を探すように辺りをきょろきょろと見渡していた。
「おいどうしたんだ? 大丈夫か」
心配になった俺は気づけばそう声をかけたのだが。
「ぎゃっあ―――ご、ごめんなさい。遅くてごめんなさい」と怯える子鹿のようにブルブルと肩を震わせる。
「そんなに怯えなくても良いぞ」
怖がらせないようにそう言い訊かせようとするが――――。まったく効果がなく状況を悪化させるだけであった。
「そこのあんた! 琴音に何してるのよ!」
後ろから怒気を孕んだ声が聞こえてくる。振り返ってみるとそこには鬼の形相をした黒髪の少女が仁王立ちをしていた。
「ち、違う………俺はただ―――」
「黙りなさい! どうせ琴音が可愛いからってナンパでもしようとしたんでしょ?」
こちらの話を訊かずに一歩的な決めつけでそう言ってくる少女に「違うんだ、これは誤解で―――」
弁解しようとするが、「どこが誤解なのよ?」とキッとした目で睨んでくる。
「行くわよ、琴音」と白髪の少女の手を引いてどこかに行ってしまった。
「まったく、何だよ。あれ………」
理不尽に罵られた俺はただ呆然としているだけであった。
1
「早乙女怜侍くん、今日からキミには彼女たちとともに生徒会の選挙に臨んでもらう」
学園長室には入った途端、開口一番に訊いた言葉がそれだった。
そして目の前には二人の少女が立っていた。一人は透き通るような白い髪をゼミロングヘア、もう一人は艶やかな黒髪をショートヘアにした美少女だ。
俺はこの二人のことを知っている。
(この子達って昨日、カフェテリアで会った二人組!?)
そして学園内で知らない者はいないほどの超がつくほどの有名人である。
文系の秀才・古橋琴音、理系秀才・天城莉奈だ。
学園内では尊敬と畏敬を込めてそう呼ばれており、双方得意科目である数学と国語において他の追随を許さない圧倒的な実力を誇っている。なぜ、そんな天才である彼女たちとともに生徒会活動をしなければならないのかと疑問に思っていると―――――。
「あんた! 昼間のナンパ男」
莉奈が驚いたように声を上げる。
「なんだ、君たち知り合いだったのか」
驚いたように言う学園長。
「俺たちは知り合いというわけでは――――」
その言葉を訊いた学園長が再び口を開く。
「そんな顔をするな、早乙女くん。別に知らん仲ではないだろう?」
「お言葉ですが学園長、俺は彼女たちと生徒会活動をする気はありません。学園長もご存じの通り、俺には叶えなければならない目標があります」
そう強い意志で拒否の姿勢を示した俺に対して学園長は優しく俺に微笑む。
「それにこれはキミにとっても悪い話ではないと思うのだが――――」と含みを持たせた言い方する学園長の言葉が頭の中で妙に引っ掛かる。
「もしキミが私の依頼を受け無事に達成した暁には早乙女くんが進学したいと言っている医学部の特待生枠に推薦しよう」と交換条件を出してくる。
迷っている颯真を見透かすように学園長が「どうかね? 悪い話ではないだろ」と真っすぐにこちらを見てくる。
瞳の奥からは揺るぎない自信が垣間見える。どうやらこの人は俺が断らないことを確信しているようだ。
「あのーいいですか? 学園長」
不意に横から声をかけられる。視線を向けるとおずおずと手を上げ、言いたいことがあるとアピールしている琴音と目が合う。
瞳が交わった瞬間、たちまち顔がリンゴのように真っ赤になりもごもご……と口籠ってしまった。
………これ俺が悪いのか?とか思っていると。
「もぉー琴音。もっとハキハキ話しなさいよ。見ていいてイラっとするわ」
隣に立っている莉奈が辛辣なこと言う。
「そんなこと莉奈に言われなくてもわかっています!」とぷっくりとハリセンボンのように頬を膨らませた琴音が今にも泣きそうな顔になりながら言い返す。
「そんなに強く言わなくても良いんじゃないか?」とフォローしようとする。
「あんたは黙ってなさい」
顔を真っ赤にした莉奈に一蹴される。
「落ち着きなさい。天城くん」
見かねた学園長が宥めるように声をかける。
そんなことはお構いないなしの彼女はどんどんヒートアップしていく。
「だいたいあんたはねぇ――――。いつもそうやってもじもじしているから……」
益々止まらない莉奈の怒りをどう収めようかと考えているところ。
「それくらいにしてやったらどうだい?」
またしても聞き覚えのある声が学園長室に響く。この声は!?と思い振り返った刹那、怜侍の予感は的中する。
「やぁ―――怜侍くん」と笑顔でこちらに手を振る長身の少女がドアに背中を預けるようにして立っていた。青みがかった黒髪をポニーテールにまとめているいかにもスポーツ女子といった感じの少女だ。
彼女の名前は結月早希。俺たちと同じ学年であり、バレー部のエースとして活躍している。
その甘いルックスとイケメン男子顔負けの立ち振る舞いからバレー部の王子様と呼ばれ、学園内の女子生徒たちから熱烈な人気を誇っている絶賛モテモテ中の美少女だ。
「なんでお前がここに居るんだよ。部活はどうした――――?」と驚いたように訊き返す。
「今日は学園長から呼び出されたから早めに上がってきたんだ」とイケメンスマイルで答える結月。悔しいが異性の俺から見てもあいつのイケメンスマイルの威力は絶大だと思う。
そんなことを考えていると思っていたことが顔に出ていたのか結月がフッフッフと笑ってこちらに来いと手招きをする。
「はぁ……。なんだよ」と言って近づくとグイっと腕を掴まれ壁側に押しつけられる。
そして早希が口元を俺の耳に近づけて「まったくー相変わらずひ弱だな。女のボクに力で負けるなんて……これじゃあいつか襲われてしまうよ」と蠱惑的な笑みを浮かべながら囁いてくる。
その様子を見ていた莉奈が「ちょっと! いきなり何しているのよ! っていうかいつまでやってんのよ」と抗議の声を上げる。
「私もそういうのはあまり良くないと思います」と莉奈に続くように古橋も結月の行為を注意する。
だがそれは彼女にとっては逆効果だったようで、「どうしてダメなんだい?」と煽るように自身の胸部のあたりに俺の顔を抱き寄せる。結月の柔らかい感触と大きさが顔越しから伝わってくる。それと女子特有の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
刹那、二人の悲鳴にも近い声が部屋中に響き渡った。
「な、な、何やってるのですか!」
「な、な、何やっているのよ!」
と、二人の声が重なる。
「結月くんそれくらいにしておきなさい。これ以上学園長である私の前で不純異性交遊を続けることは賢明な判断とは言えないな」
と言って険しい表情をした学園長が止めてくれた。
怜侍はそのおかげでなんとか事なきを得ることができた。
だが、結月は不貞腐れたような態度で、「わかりましたよ―――」と言って俺を解放した。
「さて、全員揃ったので本題に入りたいと思う」
(うぅんー?ちょっと待て。さっき学園長は天城と古橋と一緒に生徒会活動をして、実績を残せば医学部への特待生枠に推薦してくれるっていう話だったよな。どうして結月までいるんだ?)
うまく状況が呑み込めていない俺は持てる頭脳をフル回転させ答えを導き出そうとしていた結果、ある一つの結論に達した。それは、結月を含めた四人で生徒会活動をして結果を残すことだ。
「学園長、さっきとお話が違うようなのでこの話は白紙に戻させてもらいます」
そう言って、部屋を出ようとしたその時。
「待って。八神くん」と古橋が俺の制服の袖を掴んで引き留める。
「そんな意気地なしほっときなさい。琴音、こいつがいなくても別に問題ないわ」
相変わらず辛辣なことを言う天城に対して、「私はこの人と……早乙女くんと一緒に生徒会を目指したいの!」と力説する琴音を見て、一瞬、表情をハッとさせた莉奈だったが、「そう。あんたがそう言うならいいわ」と言ってそれ以上は言ってこなかった。
「それでどうすんだい? このまま尻尾を巻いておめおめ逃げ帰るのか?」
意地の悪い笑みを浮かべた早希がそう訊いてくる。
「俺は……」と言い淀んだところで学園長が「早乙女くん。騙すような真似をしてすまなかった」と言い唐突に頭を下げてくる。
「私は、ただ彼女たちの将来を憂えていただけなんだ。君と関わりを持つことでなにかが変わる気がした、だからこそ彼女たちと生徒会活動をしてほしいと思ったんだ」
俺の顔を真っすぐに見据えて話す学園長の言葉にはウソ偽りはないないと不思議とわかった。この人は本当に生徒想いで純粋な教育者なんだということを確信する。
だからこそ俺もその気持ちに応えたいと思う。
「わかりました。この話お受けします」
「すまない、ありがとう」
学園長の目を真っすぐに見返して返事をする。
そう言って、再び俺に頭を下げる学園長を横目に、「で? 具体的にはどうすんの?」と莉奈が質問する。
「それについては心配いらない。すでにこちらで準備はしてある」
と学園長が一枚の紙を俺に手渡す。なにかと思って見てみると、『生徒会長選挙立候補用紙』と書かれた紙だった。すでに学園長の承認印が押されており、残るは俺の氏名と立候補にあたっての理由それから生徒会活動でのスローガンを書くのみとなっていた。
「ちなみにほかの立候補者は誰がいるんですか?」と訊くと、学園長は顔をしかめ言いづらそうに口を開いた。
「キミの対抗馬は現役生徒会長の妹である加瀬涼香だ」と訊いて心底驚いた。
―――加瀬涼香、容姿端麗で頭脳明晰、スポーツ万能と文武両道が服を着て歩いているような人物で姉の加瀬楓香に負けず劣らず優秀で人望があり、常盤中央御三家にも匹敵するほどの美少女である。まさかその加瀬が生徒会長選挙に立候補するなんて思いもしなかった。
そしてなにを隠そう俺と加瀬は同じクラスの隣人同士なのだ。つい先日も生徒会長選挙の立候補期間が始まったことを帰りのホームルームで担任から知らされたときに「私は選挙には出ない」と言っていたからだ。それなのになぜ? 急に立候補を表明したのかが不思議だった。
「さすがのキミも加瀬くん相手だと厳しいかね?」
「いえ、誰が相手でも必ず選挙には勝ちます!」と力強く宣言する。
「頼もしいな、健闘を祈る。 話は以上だ」
学園長から退出するように促されて、「失礼しました」と言って四人で学園長室を出る。
「さて、これからどうするか?」と色々考えようとしたところで、「推薦人は私に任せて下さい!!」とびきりの笑顔で古橋が名乗りを上げる。
古橋のやる気を目の当たりにし、ぜひともこちらからもお願いしようとした矢先に「古橋ちゃんで大丈夫!?」と不安げに結月が待ったをかける。
「それどういう意味ですか? 結月さん」
まるで獲物を取られまいとする捕食者のような鋭い目つきを結月に向ける古橋。先ほどの和やかなムードから一変して、ピリピリ殺伐とした空気がその場に漂い始める。
しかし結月も負けじと「だって古橋ちゃん、さっき怜侍くんに見つめられただけで真っ赤になっちゃたんだよ? それで全校生徒の前で演説できるの?」
正論を口にする結月を前にぐぅの音も出ない様子の古橋が「わたしだって頑張れます!」とありっけの声を出して言い返した。
「やる気だけあってもなぁ―――」
意地の悪い笑みを浮かべながら古橋を見る結月に対して、「そのくらいにしておきなさい」と天城が止めに入る。
「なんだよ、さっき自分だって古橋ちゃんのこといじめていたくせに……」
「別にいじめてなんかないわよ。ねぇ琴音」
助けを求めるように莉奈が琴音の顔を見遣る。
「さぁ―――。それはどうかな?」
今度は天城と結月が一触即発の空気になりそうなところで、「あら、選挙が始まる前からもうー仲間割れかしら?」と第三者の声が割って入る。
俺たちが一斉に振り向くとそこには……
現生徒会長である加瀬楓香がこちらに向かって優雅に歩いてきているところだった。
「ごきげんよう。早乙女くん」
「なにか御用ですか? 先輩」
「用がないと後輩に話かけちゃいけないの?」
と柔らかな微笑を浮かべながら生徒会長である加瀬先輩が俺たちの目の前に立つ。
怜侍がぶっきらぼうな言い方でそう尋ねると。
右手にある用紙が目に入る。視線に気付いた先輩が「あぁ、これ?」と言いながらそれを目の前でひらひらとさせる。
「八神くんなら気が付いていると思うけれどこれは妹の立候補書類だよ」
原則として生徒会会長選挙の立候補書類は立候補者本人が提出することになっているはずだ。
「そう。だからこれは妹から預かったもの」
俺の言いたいことを先回りして言う加瀬瀬に対して、古橋が素朴に質問をする。
「どうして妹さんが提出に来ないんですか?」と訊く。
「鋭いねぇ、琴音ちゃん」
どこか嬉しそうな上目遣いで古橋のことを見上げる先輩。
「先輩! 茶化していないで質問に答えてください!」と少し怒ったように言うと、「………そんなに怒らないの」と駄々をこねる子供をあやす母親のように古橋の頭をよしよしと撫で始める。
「加瀬先輩。いい加減にしてください!!」
「はいはい。わかった、わかったから」
あまりの剣幕に少し困ったように微笑みながら「実はね……と」詳細について話始める。
先輩の話を訊き終わった俺たちは意外な真実に驚愕していた。
「えっとーつまり、妹さんは颯真くんと顔を合わせづらいから先輩に立候補書類の提出を代行したってことですか?」と要約する琴音。
「うん。そういうことになるね」
「ちょっとーいいですか? 先輩」
ここまで黙って聞いていた莉央が口を開く。
「いくら早乙女と顔を合わせづらいからと言って自分で書類を出さないというのはまずいと思います。そんな人がこの学校の生徒会長に相応しいのかとあたしは疑問に思います」
と臆することなく現生徒会長に真正面から意見する。
誰に対しても物怖じすることなく、自分の意見を口にできる人間はそう多くはない。大抵の人間は、面倒事になることを恐れて長いものに巻かれろという理論で、周りに合わせてしまう。だが、目の前にいる天城莉奈という少女は周りに忖度せず、自分を貫ける強さがある子だ。これは誰にでも出来ることじゃないため俺も見習わなければならいと思った。
さて、そんなことを心の中で思っているうちに先輩と天城の話も蹴りが付いたようだ。
「確かに、莉奈ちゃんの言う通りこの学校の生徒会長を目指す人間が自分の立候補書類を人任せっていうのは良くないと思うけど……そもそもこの学校のルールに生徒会長選挙の立候補書類を人任せにしてはならないというものはなかったはずよね?」と反論する。
確かにそうだ。生徒会規則にも学校の校則にもそんなことは一言も書かれてはいない。あくまでこれまでの慣例や一般常識としての話に過ぎない。今までがそうであったからと言ってこれからもそうでなければならないという決まりはどこにもないのだ。
加瀬楓香が生徒会長になるまではそうであったとしても現生徒会長は彼女でありその慣習はもはや過去の話である。彼女がその気になれば今回のようにルールを変更することは造作もないことなのだから。したがって、どう足掻いても天城に勝ち目はという結論が導き出される。
ちらりと天城を見ると先輩の指摘に返す言葉もないらしく悔しそうに唇を噛みしめていた。その様子を見ていた古橋が「大丈夫ですか?莉奈」
心配そうに駆け寄る。
「大丈夫よ。琴音 あたしはこれくらいじゃ負けないから」
と絶対に負けないとい強い想いを滾らせた目が加瀬先輩を捉える。
「へえーまだやる気なんだ?」
感心した先輩が良いおもちゃを見つけたと言わんばかりにサディスティックな笑みを浮かべる。
再び、口論の火蓋が切られそうになった直後、「そこまでにしておけ!」とハスキーな声色が耳を打つ。声が聞こえた方向に視線を送るとそこには……。
紫がかった黒髪を肩口あたりで切りそろえた髪型に同じく黒色のビジネススーツを纏った二十代後半くらいの女性が立っていた。名前は、南野咲菜。俺たちの担任兼現代文の担当教師である。
「あらー紗良ちゃんせんせー。 お疲れ様です」
フレンドーな態度で近づいていく先輩。その頭に沙菜の怒りの鉄槌が下される。
「お前は何度言ったら分かるんだ? 馴れ馴れしくちゃん付けで呼ぶな!」
と南先生が手に持っているバインダーボードで楓香の頭を叩く。
「ちょ……。もぉー痛いですよ。沙菜先生」
「自業自得だろ。あれほどちゃんを付けで呼ぶなと言ったはずなのに、未だに呼んでいるお前が悪い」
「確かにそうですけどこれはせんせ―と私の信頼関係の証ってことで―――」
そう先輩が口にすると、「いつから私はお前とそんなに仲が良くなったんだ?」と鋭い眼光が先輩を逃がすまいと捉える。
しかし、先輩はピクリともせずケロッとした様子で、「それは妹がお世話になっているよしみで――――」とか言っていた。この人、凄すぎる。あの視線をまともに受けてなんともないなんて、さすがは現役の生徒会長、肝が据わっている。俺だったら即ちびってそうだ。
なにを言っても無駄だとわかったのか、沙菜がそれ以上言ってはこなかった。
先輩の顔をもう一度見て、「はぁ―――」と大きなため息をつく。
それを見た先輩が「どうしたんですか―――? 沙菜せんせ」と白々しく訊いてくる。
「加瀬………お前という奴は―――」
沙菜がどこか呆れたような声で独り言を口にした後。
「そろそろ下校時間になるからお前たちもはやく帰れ」と言って俺たちに帰路につくように促す。
腕時計を確認すると、時刻は十六時になろうとしていた。最近は暗くなるのも早くなってきたため、早めに帰った方がよさそうだ。先生の言う通り今日はもう帰りましょうと四人に言い、俺も帰ろうとするが……。天城が、「まだ加瀬先輩との話し合いが終わっていないわ」
どうやら、自分が納得する結果になるまで続けるつもりらしいが、あいにく時間が来てしまったためそのチャレンジはまた明日に持ち越しにしてもらうしかないようだ。
「天城、気持ちはわかるが今日は遅いからもう帰れ」
沙菜に言われてしぶしぶ納得した感じに天城が「わかりました」と答え引き下がる。
とりあえず各々の荷物を教室にとりに戻ってから家路につく。
翌日の朝、通学路を歩いていると前を歩いている同じ学園の生徒から不満げな声が聞こえてきた。
「なによ! あの生徒会長。ホントムカつく!」と大きな声でそんなことを口にしていた。
「どうしたんだろか」と思いながらも片手に持った英単語帳に視線を落とす。
だが、すぐにその声に聞き覚えがあることに気づく。この強気で自信満々な口調は――――。
恐る恐る顔を上げると艶やかな黒髪を靡かせた天城莉奈が地団駄を踏む勢いで怒りを露わにしていた。
視線に気付いた莉奈も遅れてこちらを見てくる。お互いに時間が止まったように見つめった後に。
「んなぁ………なんであんたがここにいるのよ?」
驚いた莉奈がそう尋ねてくる。
「それは通学路だからに決まっているだろ」
莉奈の質問に呆れつつもそう答えて先に行こうと歩き出すと同時に………。
「ちょっと待って。早乙女くん」
莉奈の隣にいた琴音が慌てて怜侍の制服の袖を掴んで呼び止める。
「……… どうしたんだ? 古橋」
なるべく怖がらせないように優しく声をかけると、指をもじもじとさせた琴音がなにか言いだけな様子で怜侍の顔を見てくる。
「あぅぅ―――えっと、その――――あの~~~」
消えりそうな声で口をもごもごとさせている。
「ゆっくりでいいから話してくれ」と言って怜侍が落ち着かせる。
「よ、よかったら、私たちと一緒に登校しませんか?」と綺麗な白い肌を真っ赤にした琴音が絞り出すように言う。
その誘いに怜侍は「まあいいぞ」と言って渋々と言った感じで琴音の隣を歩く。
「ちょっとそんなに嫌ならあんただけ先に行きなさいよ」とご機嫌斜めの理奈がつっかかってくる。
「別にどうしようがおれの自由だろ」と言い返して気にせず歩き続ける。
それから、生徒会選挙に向けて色々と準備することになった。選挙までは一か月くらい時間はあるので、その間に応援演説の原稿を書いたり、生徒会に立候補する動機などを考えなければならずやることは山のようにある。
そんな中、まずは推薦人を決めるため、放課後のカフェテリアで怜侍たち三人は話し合いをしていた。
「早乙女くんの推薦人は私がやります!」と意気揚々に手を挙げる琴音に理奈が不安げな様子で「あんたに推薦人が務まるの?」
「大丈夫です! 任せてください」
「………」
自信たっぷりに頷く琴音。だが、俺はこのふたりのやりとりに見て凄く不安になるのだった。
2
それから生徒会選挙の準備を始めてから二週間が経過。すでに告知は済んでおり、校内の掲示板には各候補者の写真が貼られていた。
「ふたりとも――! そっちはどう」
「はい、こちらもそろそろです」
「こっちも終わりそうだ」
放課後の図書館にて、俺たちは今度の学生集会で使う演説の原稿と必要な資料を作成していた。粛々と準備が進む中、不意に理奈の手がピタリと止まった。
「どうしたんだ? 天城」
正面で作業をしている彼女に俺はそう声をかける。こちらの呼びかけに答えずに、画面を注視したまま固まっていた。
「莉奈――? どうしたんですか? 大丈夫ですか!?」
その焦った表情に俺たちはただならぬものを感じた次の瞬間――――。
ぐうぐぅぅぅ―――――という腹の虫が部屋中に響き渡る。音のなった方に視線を向けると、理奈が耳まで真っ赤になっていた。
「………」
「………」
「………」
どことなく気まずい空気が流れる。
「みんなお疲れのようだね」
俺たちしかいないはずの空き教室の扉から聞き覚えのある声がした。振り返ってみるとそこには、バレー部の王子様の異名を持つ早希が何食わぬ顔で立っていた。
「ちょっと何の用よ! 結月」
早希の姿を見た理奈が敵愾心丸出しの視線を向ける。
「おっと! そんなに怖い顔しないでよ。結月さん」
おどけたように肩を竦めた早希がそう言って理奈を窘める。
「ふ、ふたりとも落ち着いて下さい」
オドオドしながら琴音が止めに入る。
「うるさいわね、あんたは黙っていなさい」
「大丈夫だよ。すぐに終わるから」
と言って、聞き入られることはなく、あえなく撃沈した琴音はトボトボとした様子で席に戻る。
そんな三人を様子を見ながら、俺は小さくため息を漏らすのだった。
【完結】僕たちはこの恋を知らない 赤瀬涼馬 @Ryominae
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