流浪の賢人とその弟子、夏の豪雪を晴らして山村を救う

まさつき

前編 真夏の豪雪

 今は昔のことである。


 唐国からくにより渡り来た道登法師どうとうほうしと云う賢人がいた。


 長身痩躯の美男である。歳の頃は二十七程に見えるが、実の歳はわからない。唐国にて葛仙翁かっせんおうに師事したと本人は語るのだが、遥か昔でこれまた不明。とはいえ、仏法に道術、東の島国で陰陽の道を極めたのは、確かな話である。


 しかし、閨房けいぼうの術を未だ極めておらぬと天に昇らず地を流離さすらう姿は、女たらしの色男、生臭坊主でしかない。


 道登には一人、童子の弟子がいる。名を制多せいたと云った。七歳の頃、道登が拾った孤児である。類い稀なる仙骨を持つ逸材であると興味津々、弟子にしてみたのだが。不思議と仙術の覚えが悪かった。


 制多にはしかし、武術体術に限れば「見れば覚える」というほどの天賦の才があった。なるほどそれなら、仙術も見せれば覚えるだろうと試した道登なのだが。こちらは何故だかさっぱり、巧くいかない。


 さてここで、そんな子弟の数奇な旅路における、逸話のひとつを語るとしよう。



    §


 制多が道登の弟子となり五年が過ぎた――十二歳の夏のことである。


「御師さぁ~ん……この寒さ、なんとかならないのかい……」


 暑い夏の盛りであるはずなのに、道登と制多の師弟は、大粒の雪が舞う吹雪の山道を歩いていた。


「これも修行のうちですよ」と、文字通りに涼しい顔をして弟子を宥める道登の姿は、いつもと変わらぬ裳付もつけである。奇妙なことに体のどこにも、雪のかけらひとつ見当たらない。しかもどれほど身が軽いのか、足元は草鞋のままなのに、深い雪に沈むことなく歩いている。極寒の冬景色の中、法師だけが春の中であった。


 さてその弟子であるが……全身真っ白の雪化粧を施されて息を弾ませる赤ら顔は、文字通りに雪童子ゆきわらし。雪の中をけなげに歩く小鬼のようである。背にある五尺の金砕棒が、童子の姿をことさら奇怪なものに仕立てていた。


 道登法師は弟子の制多を伴い、とある山村へと急ぐ旅路の途中にある。行き着く先は、法師と所縁ゆかりある比丘尼が住持を務める尼寺だ。今では倉橋山と呼ばれる辺りにある観音寺であった。


「何か困ったことがあれば、この紙に文をしたため川に流しなさい。どこにいても、きっと助けに参ります」――そう道登が娘に告げて別れてより、どれほどの歳月が流れた時であったか。


 すっかり道登も忘れていた頃になって、助けを求める文が届いたのである。


 たちどころに思い返した道登は約束通り助けに馳せ参じようと、北陸へ歩み始めた踵を返し、制多共々この地へやってきた――という次第である。


「大丈夫かい?」


 制多は懐の中に向け呟いた。着物の胸元では、黒い小鳥に化けた姑獲鳥こかくちょうが縮こまって眠っていた。制多唯一無二の友である。美夜みやと名づけた小さな妖鳥の発する温もりだけが、猛烈な寒さに抗う制多の支えとなっていた。


「そろそろ村が見えてきます。もう少しの辛抱ですよ」


 師が弟子に気遣いの言葉を掛けた通り。吹きすさぶ吹雪の向うに、薄墨で描いたような家並みがぼんやりと現れた。


 外にはまったく、人の姿は見えない。家屋から漏れる僅かな煮炊きの煙だけが、まだ人の息遣いがあることを教えていた。


 道登は息をひそめた山村の家を一件一件廻りながら、戸口にまじないの札を貼り付けはじめた。一枚貼るごとに印を切って一言呟く。するとその家の周りだけ、たちまち吹雪が弱まるのである。


 そうして、山村すべての家に雪避けのまじないを施すと、最後には吹雪をしのぐ結界が村全体を包みこんだ。先ほどまでの雪嵐が嘘のように晴れ渡り、穏やかな雪景色となったのである。


 静謐な銀世界を見渡してから、道登は山の奥へと足を向けた。


「さて、寺へ参りましょう。乙羽おとはさんが待っています」


 山村を通り抜け、雪に埋もれた参道を延々と登ってゆく。


「御師さん、まだぁ?」「もうすぐですよ」と、師弟の問答が幾度も繰り返され、さすがに制多も問い疲れた頃。一行はようやく、小さな尼寺に辿り着いたのである。


 本堂正面、雪の被る板張りの上には、年老いた比丘尼が戸を背にして座していた。道登の姿を見て取るや、比丘尼は深々と腰を曲げ頭を下げる。


「道登様、ようこそ、おいでくださいました」

「乙羽さん、約束通りお助けに参りました」

「ありがとう……あなたはちっとも、あの頃と変らないままですね」


 互いを懐かしむ眼差しをして、にこやかに道登と比丘尼は言葉を交わした。


「お寒いでしょう、中へお入りください。ささ……こちらへ」



    §


 庵に師弟を招くと、乙羽は一行に簡素な食事をふるまった。


 美夜は……精進料理で肉が無いのを拗ねたのか、小鳥の姿のまま制多の懐で眠り込んでいる。


 腹を満たして人心地ついた道登と制多は、乙羽の言葉を待った。


 炭が爆ぜ、小さな火の粉が舞った。熾火の向うで静かに、乙羽が語り始める。


「――始めは、日照りが続いたのです」

「この地で? 山の主に、護られているはずでは?」


 この土地は本来、夏の盛りであっても、涼やかな風の吹き抜ける暮らしやすい山村なのだ。すべては山の主でもある「雪女」がもたらす加護の賜物であった。


「今から、四年ほど前のことです、村の若者が雪女様と情を交わし……夫婦になったのです。可愛らしい女の子も一人、授かりました」

「なんと……!」


 雪女は、雪の精霊が人に化生した姿である。正体を隠して人の男と夫婦になり子をなしても、最後は本性が露見し悲劇に終わる……といった話は各地に残されている。


 ところが、村の若者は初めから雪女と知りながら相愛になったというのだ。しかも、相手は山の主である。これほど珍しい出来事は、長い時を生きてきた道登も聞いたことが無かった。


「雪女様もよほどお幸せだったのでしょう。加護の霊力が増して、以前よりもこの土地の実りが豊かになりました。それなのに……」

「今年になって突然、日照りが起きた……そして、夏の吹雪」


 日照りはまだしも、なぜ季節外れの吹雪を雪女が起こしたのか――


「雪女様に、何か良からぬ事が起きたのは確かなのです、でも……」


 眼は衰え、足も腰も弱ってしまい、比丘尼は自分で山の様子を確かめることができない。山を登るほどに吹雪は強まり、常人が近づけるものでもなかった。


「日照りに吹雪……作物も、今年は駄目かもしれません」

「そちらも、なんとかしましょう。ですが、まずはこの雪からです。山へ近づくほどに強まる霊気を吹雪の中に感じます。しかし……」

「ねえ、御師さん!」


 そわそわしながら、制多が口を挟んだ。大人の話に口を挟むものではないと心得てはいたが、まだ子供なのである。堪え性が足りなかった。


「おいら、何か悪いもんが混じってる気がする」


 道登は咎めることなく、弟子の言葉に頷いた。


「悪いもの?」と、乙羽は道登の顔を伺う。


「確かなことは分かりません、とにかく……」


 言葉を切ると、道登は弟子の肩に手を乗せた。


「夜明け前に出かけましょう。今夜は早く休むのですよ」

「分かった! んじゃ、御師さん、お休みっ」


 言うが早いか、制多は囲炉裏端に大の字となり、天井を仰いだ。


「こらこら、そんなところでひっくり返らないっ」


 だが制多は、そのまま静かな寝息を立てて、寝てしまった。



   §


 翌朝。乙羽に見送られた道登は、まずは雪女が家族と暮らしていたという猟師の小屋を、目指すことにした。


 結界の護りを抜けて再び吹き荒れる雪嵐の中で、昨日と同じく、制多はすっかり、しょげている。


「御師さぁ~ん……この吹雪、なんとかならないのかい……」


 ぼやきながら弟子が見上げる師の姿は、昨日と同じく春の中だ。


「なんとかしに行くのですけど……仕方ない。雪避けの術を授けましょうか」

「そんな術があるのなら、早く教えておくれよ」

「昨日から、やって見せてはいるのですけどねぇ」


 いつもどおりの〝やって見せた〟だ。武術は見ていれば覚えるが、制多に道術の学びはままならない。


「えーっ、またそれだったの?」

「文句、言わないの」

「うぅ……分かったから……とりあえず、詳しく教えて」

「とり……まあ、いいでしょう。まずですね――」


 道登には珍しく噛んで含めるようにして、歩きながら弟子に術の稽古をつけはじめた。理屈は、こうである――


 まず、温石代わりに唯一頼りとしている小鳥姿の美夜が発する身体の熱を、制多の身の内に借り受ける。その熱を、制多が内功で練った気と合わせて強く大きく膨らます。その気を総身に巡らせて、体表から静かに発すれば――


「おおおっ! 身体がぽかぽかしてき……あ、あああ、あれれれ?」


 度が、過ぎたらしい。


 雪を溶かし、しゅうしゅうと湯気を立てながら、制多の身体が深雪の中に沈みだした。練った気が、温かさを通り越して焼けるほどに熱くなっているのだ。


 たまりかねて、制多の胸元から小鳥の美夜が飛び出した。


「こら制多! 儂を焼き鳥にするつもりかっ!?」

「うわわわわ、ごめん、ごめんよぅーっ」

「落ち着きなさい制多、呼吸を深くするのですっ」


 叱咤する師の声に従い、制多は呼吸を整え我が身を鎮めようとするのだが……どうにも落ち着く様子がない。そのまま雪の中を進む姿は、まるで焼けた大岩が転がって、道を作るようであった。


「ほう……これはこれで、なかなか便利かもしれませんね」


 にわかの除雪術で作られる山道を、道登は弟子の背中を追いながら、霊気の中心目指して足を進めた。



    §


 やがて師弟は、雪に埋もれた猟師小屋に辿り着いた。


 小屋の戸口を前にして道登は右手に印を結ぶと、気合一閃、左から右へと真っ直ぐに右腕を払った。するとどうだろう、小屋を隠した雪だけがふわりと、跡形もなく霧散したのである。


 しかし払ったそばから小屋は白く染まってゆく。吹雪の勢いも容赦がない。


「どうやらここが、乙羽さんが言っていた男の家……雪女と娘の三人で暮らしていた場所のようですね」


 再び埋もれだす前に、道登は家の中を調べ始めた。部屋のそこかしこに間違いなく、人が暮らしていた名残が見て取れる。だが、それだけだ。


 吹雪を起こす霊気の中心は確かに、この猟師小屋のあたりにある。何もないが、何かが、あるはず――


 ふいに、煤ぼけた梁の上に留まっていた黒い小鳥が飛び立って身を翻すと、紫烏色しういろの羽衣を纏った女人へと変化した。姑獲鳥である美夜が産女うぶめの姿を現したのだ。


「どうしたんです、急に?」と訝しむ道登に、美夜は家の奥を指さした。


「ずっと向こうに幼子の気配があるようじゃ……が、ひどく小さい」


 思案する美男と美婦の前に、雪まみれになって雪童子の如き制多が現れた。


「御師さん、あっちに何かいた」

「お前……その恰好、雪避けの術はあきらめたのですか?」

「だって、雪の上を沈まないで歩く術と一緒だと、難しいんだもん」


 それより、と制多は師の袖を引き、師と友を小屋の裏へ誘った。弟子の案内で、道登と美夜は小屋の裏道を進んでゆく。やがて崖下にある小さな洞窟の前に一行は辿り着いた。


「御師さん、この中だよ」と言いながら、制多はさっさと穴の中に入ってしまう。大人二人は狭くて天井の低い道を、のそのそ屈んで進むことになった。窮屈な思いを強いられたが、ほどなくして大人が立てる程の高さがある、四畳ばかりの小さな部屋に行き着いた。


 部屋の奥には、壁を背にして高さ四尺ほどの氷塊が立っていた。


「ほらここ、人がいる」と制多は氷の中、白い着物姿の少女に指をさす。


「気配の源はこの娘であったか。死んではおらぬが……」


 眉をひそめる美夜の前に進み出て、道登は氷塊に閉じ込められた少女の前に片膝をついて座った。


「どれ、私が話をしてみましょう」


 そう言って氷の上に手のひらを置いて目を閉じ――法師は、動かなくなった。



    §


 ――暗闇の中、幼い娘が独り、微睡んでいた。


 いつからこうしているのか、少女の記憶は定かではない。


 暗闇であるのに、自分の手足や体ははくっきりと見える。


 他に何もない世界で、何かを、誰かを待っていることのみが心にあった。


 誰だろう、誰がくるのだろう――誰も、来ない……そう思って過ごしていた少女の眼の先に――小さな光がぽつりと、現れる。


 体を起こして目を凝らす――誰かが、来た。だが、あれは待ち人ではないと、何故か少女は知るのである。


 やがて目の前に立ったのは、麗しい顔をした若い男であった。


 知らない人である。裳付姿であった。悪い者ではない、とだけが分かった。


 闇の中、ひとり春を纏ったような法師が、目の前に座った。


 道登である。


 法師は静かに手を伸ばすと、そっと優しく少女の額に、触れた。


 少女はとたんに、微睡みから覚めた。そうして我が身に起きたことを、すべて思い出した。思い出してしまった。涙が、どっとこぼれた。


 泣きじゃくる少女を、道登は懐に抱く。少女の背を、そっと撫でた。


 そうするうちに、果てることなく泣くかと思われた少女は、落ち着きを取り戻す。これも仙人の術なのか、それとも、法師の優しさが為せるのか。


 やがて気を鎮めた少女を立たせると、道登は少女と話を始めた。


「あなたを助けに来ました。私は道登という旅の法師です」

「あたしは、さち

「では、お幸さん。あなたと父上母上に、何があったかお話しできますか?」


「うん」と頷く幸の瞳に、悲痛の色が滲む。


 震える声でぽつりぽつりと、少女は身の上を語り始めた――


「父さまは、化け物に食べられちゃったの」と言った。


「母さまは、雪になって消えちゃった」と言った。


 日照りをもたらした者の正体と、真夏の吹雪の原因を、このとき道登は、知ったのである。

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