第18話 試練の旅

霊樹の神殿でエクリプスの剣を手にしたあの日から、数日が経った。今では、あの場所に立ち戻ることなく、俺たちは次の目的地へと向かっていた。しかし、あの神殿で受けた試練と、剣を手にしたときの感覚は、まだ鮮明に俺の心に残っている。


剣を握るたびに、あの日の光景が目の前に浮かぶ――俺が影に打ち勝ち、剣を選ばれた瞬間。その背後に隠された重みと、父カイゼルの影を感じるたび、胸が締め付けられるような感覚に囚われる。


「ルシエル、どうしたの?」


アリシアの声が俺を現実に引き戻す。振り返ると、彼女は少し心配そうな顔をしていた。


「……ああ、ちょっと考えてた」


「またお父様のこと?」


俺は黙って頷いた。今でも父の影が俺の中で渦巻いている。彼のような英雄になることが、俺にとって一番の目標だった。それでも、その道がどれだけ険しく、どんな犠牲を伴うのか、少しずつ見えてきた気がする。


「大丈夫。焦らないで、ルシエル。剣を手にしたからといって、すぐに英雄になれるわけじゃない。ゆっくり進んでいこう」


アリシアの優しさに、ほんの少しだけ救われた気がした。だが、同時に心の中でわずかな焦燥が広がっていくのも感じる。俺が英雄にならなければならない理由が、何か無性に迫ってくるような気がしてならなかった。


その晩、俺は眠れぬ夜を過ごしていた。テントの中で横になり、目を閉じても、心は静まらなかった。突然、頭の中に響く声があった。


「――ルシエル」


その声は、確かに父の声だった。驚きと共に目を開けると、すぐに視界が霞んだ。目の前に現れたのは、まるで霧の中から出てきたかのように、薄暗い人物だった。


「父さん?」


「いや、俺ではない」


その人物は、今の俺の姿と全く同じ顔をしていた。だが、その瞳は冷たく、どこか疲れたような色をしていた。


「お前は……何者だ?」


俺が声を上げると、その影は少し笑みを浮かべた。


「俺は、お前の中に宿る「記憶」の一部だ」


その言葉が響くと、目の前の風景が一変した。俺はあの時の記憶の中に、引き戻された。


「……父さん?」


目の前には、戦場で血を流しながら戦うカイゼルがいた。彼の周りには、数多くの仲間たちが倒れ、彼一人が立ち向かっている。


「カイゼル! 無理だ! 早く避けて!」


仲間の叫び声が耳に響くが、カイゼルは無表情で剣を振るう。彼はその場で最後の一撃を放とうとするが、剣を握る手が震えていることに気づく。


その光景に、俺は心の中で叫んだ。


「父さん、あんたはどうしてそんなことを――」


その時、カイゼルは振り向くと、目を閉じて静かに言った。


「俺が英雄である限り、誰かが犠牲になる。それが運命だ」


その言葉が、俺の胸を突き刺した。


「そんなの……」


「それが英雄の宿命だ、ルシエル」


突然、父の顔が変わり、俺に向かって歩み寄ってきた。目の前に立ったカイゼルは、まるで俺を試すような視線で見下ろしていた。


「お前も知るだろう、何を犠牲にして、何を得るか。それが英雄の道だ」


その言葉を最後に、カイゼルは戦場を背にして消えていった。


「父さん……」


その後、記憶の中で父の戦いとその姿が繰り返し映し出される。次第に、その過酷な道のりが明らかになっていった。父は確かに英雄であり、数多くの命を救い、世界を変えた。しかし、その背後には、計り知れない犠牲と、深い孤独があった。


「俺も……」


その時、突然、冷たい風が俺の背中を包んだ。振り返ると、再びあの影が現れていた。今度は、より近くに感じるその存在に、俺は言葉を失った。


「その答えは、お前が決めることだ。だが、お前はすでに、父親と同じ道を歩んでいる」


その言葉に、俺は深い苦しみを覚えた。自分が父の道を歩んでいることに、俺はどうしても納得できなかった。しかし、それは否応なく現実だった。


「何を選ぶ? お前が英雄になるために、失わなければならないものがある。父親のように、心を捨てる覚悟が必要だ」


その言葉は、まるで俺の心を引き裂くように響いた。父が選んだ道、その裏に隠された真実。それは、どれだけ自分を犠牲にし、何を失ってでも進むべき道だということを、俺に強く示していた。


「でも、俺は違う」


俺は静かに言った。その言葉は、自分でも驚くほど力強かった。あの時の影に背を向け、振り返ると、目の前にはアリシアとグラントの姿が見えた。


「俺は……父さんみたいになりたくない。俺は、もっと自分らしく、仲間と共に歩んでいきたい」


その瞬間、影は消え、周囲の景色も消え去った。気づけば、再び俺は霊樹の神殿に立っていた。エクリプスの剣を握りしめ、胸に響く決意を感じる。


「俺は……俺自身の道を選ぶ。英雄になるために、何を失ってもいいわけじゃない」


その言葉が、俺の中で確信に変わった。俺は父の道を完全には受け入れない。だが、その覚悟は、確かに俺の中で生まれていた。


「ルシエル、大丈夫?」


アリシアの声が響き、目を開けると、彼女とグラントが心配そうに俺を見つめていた。


「ああ、大丈夫だ」


俺は穏やかに答え、エクリプスの剣を手に取った。その感触は、確かに父の剣ではあったが、今はそれを自分のものとして感じていた。


「これからも、俺は進んでいく。仲間と一緒に――」

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