「Glory Of Darkness」

 ※このエピソードは第四章「真ノ黒」からの続きになります。



 しとしとと降りしきる雨の中、傘も差さず一人の男が歩いていた。空色をした髪を逆立てて悠然と歩くその先に、男は何かを目に留めるとゆっくりと歩みを止める。

「何だテメェら……」

如何いかにも機嫌が悪そうに目を細め、空色の髪の男は怒気を滲ませながら吐き捨てた。

 鋭い眼光を向けられたのは雨除けの外套を羽織り、フードまでをも深く被った、見るからに怪しい二人組……男の行く手に立ち塞がるが如く、静かに雨の中を佇んでいる。

「はっはー!噂には聞いていたが凄い殺気だな、そんなに警戒しなくても大丈夫だぜ!」

その内の一人が被っていたフードを捲り上げると、テンガロンハットとサングラスを装着した、やたらと陽気な男が姿を現した。陽気な男はそのまま怒れる男に声を掛けるも、空色の髪の男は構う事無くいていた剣に手を掛ける。

「げっ!ま、まあ落ち着け!こちとら怪しい者じゃない、我々はこういう者さ!」

陽気だった男が慌てて血相を変えると、懐から一枚の紙切れを取り出し空色の髪の男へ差し出した。名刺とおぼしき紙を空色の髪の男は油断無く、されどぞんざいにそれを奪い取る。そしてチラリと名刺に目を通すと、即刻クシャリと握り潰してから破棄した。

 捨てた名刺に拠るとこの陽気で不審な男は、かの悪名高い闇の秘密結社『ダーク・ギルド』の幹部〝ブラッチー〟という人物らしい。

「……『ダーク・ギルド』だと?胡散臭ぇ闇の秘密結社の連中が……一体オレに何の用だ」

「我々の事を知っているとは大変光栄だぜ!何々今日は一つ、取引をしたいと思ってやって来たんだ!」

「失せろ、オレは誰の指図も受けん」

空色の髪の男が改めて不快感も露わに睨み付け、これ以上相手にせず素通りしようと歩みを早めた。

「おいおいおい、せめて話くらいは聞いてみるもんだぞ!お前にとっても悪い話じゃないのは保証するぜ!」

「消えろクズが」

最早一切を意に介さず、空色の髪の男がすれ違い様に罵声を浴びせる。

「あっ!おい待て!確かダズトと言ったな!?聞いた話しでは『ブリゲード』の一味からちょっかいを掛けられているそうじゃないか!」

息巻いたブラッチーがもう一度男の進行方向を遮った所、名前を呼ばれた空色の髪の男〝ダズト〟が忌々しそうに立ち止まった。

「ちょっかいを出しているのはテメェらも同じだ。群れなきゃ何も出来んゴミ共が、オレに関わるんじゃねぇ……殺すぞ」

「だから待てと言うに!確かにお前の力を利用したいのは同じかも知れん!だが我々は其れに見合った対価を支払おう!」

雨が降っているというのに不思議とダズトの身体は濡れておらず、全身から薄っすらと湯気が立ち昇っている。そして再び動き出したダズトに対して、ブラッチーは急いで名刺とは違う紙切れを手渡した。

 無理やり渡された小切手に目を落としたダズトは、其処に記載されていた金額を見ると、これまで以上に訝しんで眉間に皺を作る。

「……この額は」

「どうだ?お前も生きていく為に、金は幾らあっても良いだろう!?『ブリゲード』の連中はどうだった?お前を正当に評価する事も無く、上から目線で強制的に従わせようとしたんじゃないか?」

「従わねぇがな」

「勿論だとも!そしてこれはとてもビジネス的な取引だ!今のは前金……ミッションに成功すれば更に倍の額を支払おう!」

熱弁を振るうブラッチーに感化された訳では無いのだが、多少の興味を覚えたダズトは、警戒しつつも今度は完全に足を止めた。

「チッ、オレに何をさせたい」

「はっはー!漸く話を聞く気になったか!」

ドヤる声を上げたブラッチーは腕を組むと、ニンマリとした笑みを貼り付かせつつ大きく頷く。続けてとうとうダズトに、此度こたびの目的を語り始めるのであった。


「知っての通り我が『ダーク・ギルド』は超有名な闇の秘密結社の老舗だ!だがあの『ブリゲード』とかいう新興組織が最近台頭してきてな、愚かにも『ダーク・ギルド』に取って代わろうと画策しているようなのだ。恐ろしく強いと評判なお前を勧誘しているのも、戦力増強施策の一環なのだろう……其処でだ!ダズトには奴等を潰して来て欲しい!」

「ふざけろ、何でオレがそんな事する必要がある」

どう考えても無茶振りな内容に、ダズトが冷たく言い放つ。だがブラッチーは返答を予測していたのか、薄笑いを浮かべたままであった。

「ふふふ、明日『ブリゲード』の連中に呼び出されているだろう?勧誘の是非を聞く為にな……しかし何でそんな事を知ってるかって?それは我が組織の諜報部がすこぶる優秀だからさ!」

(……こいつも大概うぜぇな、矢張り殺すか?)

ブラッチーのやたらと鼻に付く喋り方は、ダズトに生理的な嫌悪感を募らせていく。まだ全然会話の途中なのだが、ダズトは思わず剣を抜きそうになってしまった。とはいえ当のブラッチーはそんな事を気にも掛けずに言葉を続けているのだが。

「どうせ断る腹積はらづもりなんだろうが……拒絶すれば連中はお前を始末しようとするだろうぜ!」

「ふん、そんなもん返り討ちしてやるよ」

「ならばこそだ!結局返り討ちにするのなら、我々と契約して金を手にした方がお得だろう?それとも本当は誘いを断る自信が無いか?そうだとしても前金は貰えるんだ、遠慮せず受け取っておけよ」

ブラッチーとしては故意に煽る気はさらさら無いのであろうが、その傲慢で挑発めいた言い方は、図らずもダズトの逆鱗に触れてしまう結果となった。

「おいテメェ、余りオレを舐めるなよ……!」

「うっ……!?」

激昂したダズトの気迫に呑まれてしまったブラッチーは、反射的に怯んで押し黙ると一歩だけ後退る。強張った顔には雨粒と共に冷や汗が伝い、それが雫となって流れ落ちていった。

「金は耳を揃えて用意しておけ、もし反故にしやがったら……テメェ諸共そっちの組織も潰す」

ダズトの鋭い眼光を受けたじろぐブラッチー。ダズトは気炎を吐きつつブラッチーの脇を通り抜ける際に、未だフードも取らず一言も発していないもう一人の人物を一瞥した。

「……」

特に何をした訳でも無かったが、ダズトはその人物が女である事に気付く。しかし直ぐに興味を失ったらしく、早々に目線を切って立ち去って行った。


「ふぃ〜……最後は少しビビったが、どうにか上手くいったぜ!流石はオレだ!」

滴り落ちる冷や汗を雨水と一緒に拭ったブラッチーに、もう一人の人物が近寄って来くるとやおらフードを脱いだ。

 顔を出したのは、まだあどけなさの残る淡い薄紫色の髪をした少女である。ダズトが進んで行った方角へジト目を向けながら、不愉快そうに綺麗なピンク色の唇を尖らせた。

「何、あのスカした態度……私ああいった口先だけの男嫌いなのよね」

「まさに狂犬の様な男だったな!さぁてリィナ!記念すべきお前の初任務は、あの男に託したミッションの成否を確認する事だ!」

突然言い渡されたブラッチーからの指令に、露骨に嫌な顔をするリィナ。湿気で重たくなった髪を気にしながら、仕方無く初めての任務の詳細を確認していく。

「えぇ〜……そうなの?でも『ブリゲード』って仮にも表立って『ダーク・ギルド』に逆らう連中だから、それなりにはお強いんでしょ?それをたった一人でなんて、流石に失敗するんじゃないかしら」

「そうでも無いぞ!我が組織の諜報部に拠れば、あの男ダズトは……我流ながら凄まじく腕が立つそうだし、何よりかなり戦闘に特化した異能スキルの持ち主らしいからな!」

「へ〜、そうなんだ……じゃあ成功する可能性もあるのね」

「いやあ、矛盾した話だがそいつは不可能だろう。かの『ブリゲード』が此処まで大きく成長したのにも理由が有る……それは連中のリーダー〝ソマック〟という男の存在だ。相当な使い手なのは当然だが問題はその異能スキル……何でも奴に付けられた傷は、治癒魔法を施そうが決して治らないらしい、例えどんなに小さな傷でもな」

「えっ、何よそのチート能力……反則でしょ」

「ヤバいよな!オレも絶対に戦いたくないぜ!」

脅威的な敵の能力にリィナが呆れた声を出すと、説明していたブラッチーも真顔で頷き激しく同意した。

「あ、それであのダズトって男を雇ったんだ……強いけど何処にも属さない男と敵対する組織を喰い合わせ、あわよくば共倒れさせようって魂胆ね。最悪そこまでいかなくても一方が消えて、もう一方が弱体化すればラッキーですもの」

「はっはー!御明察だ!新人ルーキーにしては頭が回るじゃないか!」

「それはどーも……でも、あなたは幹部のくせに随分と狡賢い真似をするのね」

若干軽蔑する言い回しはリィナの皮肉であったのだが、言われたブラッチーは却って得意気でもある。

「おいおいおい、そこは策士と呼んでくれよ。戦わずして勝つ!これぞ兵法の極意だ!」

「あっそう……まぁ兎に角、私の仕事はさっきの彼がどうやって負けるのかと、『ブリゲード』へ与えたダメージをこっそり見定めて来ればいいのかしら?」

「その通り、理解が速いな!リィナも正式に我が『ダーク・ギルド』のエージェントとなったんだ、高い給料分しっかり働いて貰うぞ!」

「はいはい、給料分はやるわよ。でもよしんばあの彼が単騎で『ブリゲード』を壊滅させて、もし生き残っていたら……その時はどうするの?」

「そんな事は万に一つも有り得んだろうが……そん時は金が幾ら掛かっても、奴を正式に組織へスカウトするぜ。オレの野望の為には、何よりも強い部下が必要だからな!」

言い終えたブラッチーは一息吐いた所で、マジマジとリィナの顔をサングラス越しに見遣った。

「しかし勿体無いぜ……お前は魔力量こそ規格外とはいえ、そこそこ可愛い顔をしているんだ、エージェント以外にも道はあっただろうに」

「私にあなたの女にでもなれと?」

ブラッチーの軽率な発言に気分を害したリィナは、うんざりとして冷ややかな視線を送る。しかし自分で言い出したにも拘らず、ブラッチーは想定外の事情で悪怯れた。

「いやあ、オレは遠慮しておこう。その、特に理由は無いんだが……本能的にお前は何かが怖ろしくて、尻に敷かれそうな気がするんだよなぁ」

「まあ!失礼しちゃうわね、結構尽くすタイプなのよ私」

ブラッチーからの告白に、急ぎ取り繕って表情を緩めるリィナ。人差し指を唇に当て殊更あざとく振る舞うも、一瞬だけ悪い顔をする所をブラッチーは見逃さなかった。

「お、おう……まあ、そういう訳だ……後はよろしく頼むぜ」

「はいは〜い☆ま、当面は彼のお手並みを拝見といこうかしら♪」

その場で転回したリィナは、手をヒラヒラと振ってブラッチーに一時の別れを告げる。そしてダズトが進んで行った方向へ向けて、自身もエージェントとして最初の一歩を踏み出すのであった。



 散乱する家具や調度品、至る所に穴が空いた床、派手に崩れた壁、今にも落ちてきそうな壊れた天井……どう見ても廃墟なのだが実はこの建物、つい数分前までは『ブリゲード』の根拠地として機能していた場所なのである。

「ふん、ゴロツキ風情が……この程度でオレを殺すとか百年早ぇぜ」

ダズトの冷徹な声が、静かな周囲に響き渡った。よくよくと見ればダズトを取り囲んで、既に屍と化した人間が数多あまたに横たわっている。しかも倒れている全員が心臓を一突きにされるか、頸動脈を断ち切られているのも相俟って、現場は文字通り血の海たる凄惨な様相を呈していた。

 其の中で立派な身形みなりをした頭目らしき男だけが唯一人、存命のまま鋭いアーミーナイフを構えてダズトと対峙している。

「よくも俺の集めた四十人もの手練れを、それもまさかたった一人で倒すとは……どういった異能スキルを使ったというんだ?」

狼狽する『ブリゲード』の頭目〝ソマック〟の疑問に、ダズトは血に染まった剣を肩に担ぎニヤリと口角を上げた。

異能スキル?は!オレはまだ異能スキルなんざ使っちゃいねぇぞ」

「何だと?じゃあ其の強さは一体……」

「オレが強いのは当然としてもだ、はっきり言ってテメェらが弱すぎんだよ」

信じられぬ事実を突き付けられたソマックは、漏れ無く言葉を詰まらせて顔色を失う。倒れている中には選りすぐった屈強な戦士や、熟練の魔法使いも相当数含まれていたからだ。

 四十人もの猛者を残らず斬り伏せて尚も余裕を披露するダズトに、ソマックは脂汗を搔きつつも意を決して話し掛ける。

「へ、へへっ……なぁ、あんた俺と組まねぇか?俺の特別な異能スキルとあんたの強さがありゃあ、きっと世の中を蹂躙出来るぜ」

「世の中、か……悪いがこんな世界に興味は無いんでな、テメェ一人あの世で勝手にやってろ」

「や、野郎!人が下手したてに出ればつけ上がりやがって!」

即答で突き放すダズトにソマックは憤慨!遂に抜き身のナイフを振るい、鼻息も荒くダズトへの襲撃を開始した!

「丁度雑魚ばかりで退屈してたんだ、自慢の異能スキルとやらを見せてみろ」

襲い掛かるソマックを睥睨しながら、ダズト自身も迎え討つ為に身構える!直後に閃いたソマックのナイフを、ダズトは慌てずに盾で防いだ!

「ふん、少しは出来るみたいだが……言ってオレの敵じゃねぇな」

その後も続くソマックの攻勢!それでもダズトは冷静に攻撃を見切り、ソマックの攻撃が届く事は無い!

(こ、この野郎!軍でもトップクラスだった俺のナイフ捌きを、こうもいとも簡単に!傭兵稼業に身を移してからでもこんな奴見た事ねぇぜ!)

どうやらソマックは元々軍人らしい!無論ソマックの動きも素人離れした物ではあるが、ダズトの誇る動体視力の前には手も足も出せなかった!

(だが一撃だ……!一撃さえ入れば俺の勝ちなんだ!)

焦るソマック!そう彼には恐るべき異能スキルがある!そしてダズトはその正体を知らない!

「所詮この程度か……つまらん、もう死んどけ」

「くそっ!ここでやるしかねぇ!」

防戦に飽きたダズトが戦いを終わらせるべく!ソマックの喉元を目掛け高速の突きを繰り出した!その瞬間ソマックは敢えて突撃!死中に活を求め一歩を踏み込む!

「ぐっはぁ……!やった、ぜ……!」

ソマックの肩をダズトの剣が貫通するも!同時にソマックのナイフがダズトの左頬を切り裂いた!

「チッ……」

悔しそうに舌打ちするダズト!受けた傷は浅いが出血量が比較的多い!そしてソマックの決死の攻撃で急所を外してしまったダズトだが、そのままソマックの肩に突き刺している剣に力を込める!

「一撃入れた褒美だ、冥土の土産にオレの異能スキルを見せてやる……其の身に地獄を刻み付けてくたばれ」

「なっ!?ぎぃやぁああぁ!!」

剣先から赤黒い炎が噴き出しソマックを覆い隠した!耐え難い苦しみに襲われ悲鳴を上げるソマック!剣を引き抜いて尚も火勢は勢いを増し!果てには建物にも燃え移った!

「他愛の無ぇこったぜ」

激しい炎の熱とは裏腹に気持ちが冷めてしまったか!興醒めしたダズトは全てを焼き尽くす業火に背を向ける!所がその時!ソマック末期の声が燃え盛る炎の中から木霊した!

「馬鹿が……俺に、付けられた傷は……決して治らねぇ、貴様も……道連れだ……」

「何だと……?」

ダズトはソマックに付けられた左頬の傷に手を這わすも、確かに傷の深さの割に流れる血は止まる気配が無い。

「……」

だがそれでもダズトは無言で歩き続け、差し当たって建物の外へと脱出する。それから幾許の間も無く、元ブリゲードの根城は虚しくも焼け崩れた。

 その後も無言を貫くダズトであったが傷口からは止め処なく血が流れ続け、試しに治癒魔法を唱えてみるも一向に傷が塞がる気配は無い。ダズトは思索する様に一度目を閉じると、何を思ったのか急に歯を食い縛る……と、その時であった!

「……ぐっ!」

突然ダズトのてのひらから赤黒い炎が飛び出し!己の顔面左側を焼いたのだ!自身の炎で重度の火傷を負ったダズトの左頬は、おぞましい程に真っ黒く炭化する!しかし何と!かなり無理矢理ではあるが、止血そのものには成功していた!ダズトは顔面の半分を代償に、命を繋ぎ止めたのである!まさに驚嘆に値する胆力であった!


「驚いたわ〜……あなたホントに強いのね。しかも治らない筈の傷を、異能スキルの特殊な炎で焼き固めて止血するなんて……無茶苦茶もいいとこだわ」

何時から其処に居たのであろうか、ダズトも気付かぬ内に一人の若い女が立ち現れていた。しかもどうやら彼女は今起きた一連の出来事を目撃しているらしい、或いはブリゲードの関係者の可能性もある。どちらにせよダズトは女を始末するべく、今血を吸ったばかりの剣を再び構え直した。

 所がこの女、ダズトに剣と殺意を向けられているにも拘らず、何食わぬ顔でゆるりとダズトに近付いて来るではないか。予期せぬ女の行動に意表を突かれ、そしてダズトは思い出した。

「テメェはあの時の……」

 其れは先日出会ったダーク・ギルドの一員であろう女……リィナであった。リィナはダズトが放つ敵意の真っ只中を平然と突っ切り、あろう事かダズトの眼と鼻の先まで辿り着く。

「ほら、その火傷……私に貸してみなさいな」

リィナはおもむろにたおやかな腕を伸ばしたかと思うと、黒く焼け焦げて爛れたダズトの頬に手を添えた。突然の事に驚いたダズトがリィナの手を振り払おうとするも、次の瞬間……此れ迄に見た事も無い強烈な治癒魔法の光が、見るのも痛々しい患部を優しく覆い尽くしてゆく。

「何の真似だテメェ……!」

「動かないで、かなり酷い火傷よ……でも今の内なら私の治癒魔法で綺麗に治せると思うの」

普通の人間ならば尻込みする鋭い眼光を受けても、リィナは何ら物怖じせず淡々とダズトの治療に当たった。始めは拒絶する素振りを見せていたダズトも、リィナの凄まじい魔力でたちまち快癒していく様を体感しては、もう大人しくする他は無かったのである。

「……チッ」

「はい、火傷はしっかり治ったわ……けど不治だと言うだけあって、ソマックにナイフで付けられた傷痕は残ってしまったわね」

面白く無さそうにダズトが頬を擦った時、既に火傷は跡形も無く消えてしまっていた。それでもリィナの言う通りソマックの異能で付けられた傷だけは、出血こそ治まってはいるものの頬にくっきりと刻まれたままである。

 ダズトは切り傷という概念を火傷で上書きし止血を成功させたが、矢張り一度でも不治の異能スキルで受けた傷に関しては、如何にリィナの治癒魔法を以てしても完治は困難だったのだ。

「ふん、オレに恩を着せたつもりか?テメェが勝手にやった事だ、礼など言わんぞ」

治療を受けて流石に剣と共に剥き出しの敵意を収めるも、つっけんどんとしたダズトの態度は変わらない。それでもリィナはめげる事無く、努めて朗らかにダズトに接し続けた。

「勿論私が勝手にした事だもの、お礼なんて要らないわ☆でも、ふ〜ん……こうして見るとあなた結構男前じゃない。私はリィナって言うの、よろしくねダズト♪」

「どうでもいいし、馴れ馴れしくオレの名を呼ぶな」

笑顔でウインクしながら自己紹介をするも、鰾膠にべも無く突き放されてしまうリィナ。ダズトは意識して態と彼女を無碍むげにあしらったのだが、どうしてかリィナはクスクスと楽しそうに小さく吹き出し始めた。

「……何が可笑しい」

逆にダズトはムッとした顔で訝しむ。人に嫌われるのには慣れているダズトだったが、こんな晴れやかな対応をされた事で僅かに動揺しているのが見て取れた。

 微笑みを絶やさずにリィナが口を開く。

「一つ訊いてもいいかしら?ダズトはどうしてソマックに勧誘された時、迷いもせずに直ぐに断ったの?」

「ふん、聞いてたんなら知ってるだろ。オレはこんなクソ世界に興味は無ぇし、一度でもオレを侮った野郎に迎合する気も無い……それに奴らをぶっ殺さなけりゃあ、テメェらから残りの金も得られんからな」

「それって先に契約してたから、こっちを優先したって事?顔に似合わず律儀なのね〜」

「取り違えんなよ、約束の金を出さなきゃテメェらも殺す」

リィナの反応が気に食わなかったのか、ダズトは再度言葉に殺気を含ませた。

「そんな物、幾らでも色を付けて支払うわ……どうせ私のお金じゃないし」

「ならいい……話は終わりだ、消えろ」

結局どんなにリィナを威圧しようとも暖簾に腕押しと悟ったダズトは、報酬の言質げんちだけ取ると後は面倒臭そうにそっぽを向く。しかしリィナは今にも立ち去ろうとしていたダズトの正面へ先回ると、彼女の人生でも一番のキラキラとした笑顔で以てダズトの顔を覗き込んだ。

「そうもいかなくてよ……私、あなたの事気に入っちゃたわ☆」

「あ?」

この思いも寄らぬ事態に際し、ダズトですらうっかり鼻白む。

 そしてリィナの口から飛び出して来たのは、更にダズトの予想を超える発言であった。

「ねぇダズト『ダーク・ギルド』に入って私と組まない?」

「ふざけろ。言った筈だ、オレは誰の指図も受けん」

「でもダズトだってお金は必要だし欲しいわよね?命令されるのが嫌なら、私が組織との仲介役になって任務の趣旨だけを明示するわ……お気に召さない内容のお仕事は蹴ってくれて構わないわよ」

リィナの提案にダズトは露骨に懐疑的な視線を向ける。

「何だと?あらゆる決定権をオレに委ねる気か?」

「そ♪何もかもダズトの気の向くままで良いわ、面倒な報告や折衝は全部私がやってあげる」

極めて有利な条件を提示するリィナであったが、ダズトは逆に不審感を募らせた。

「そこ迄して、何が目的だテメェ……」

「あら〜うふふ……あなたもだんだん私に興味が湧いてきて?」

「んな訳ねぇだろ」

どれだけ凄もうがのらりくらりと躱すリィナに、遂にダズトは根負けして続ける言葉を失ってしまう。

(どうしたらそういう発想になる……この女イカれてんのか?)

ダズトは初めて出会うタイプの人間に面食らい、思わず奇異の目をリィナへ差し向けた。

 押し黙ってしまったダズトから白い眼で見られ様とも、お構い無しにリィナの勧誘は続けられる。リィナはぶりっ子めいて上目遣いになると、薄ピンク色をした瑞々しい唇に立てた人差し指を付けた。

「それに私の魔法……結構あなたの役に立つと思うんだけどな☆」

 リィナのキャピキャピした言動は鼻に付いたが、ダズトは一旦感情を抑えて考えてみる。

 別に金銭に苦労してはいないが、有れば困る物でも無いのは確かであった。加えて先程の治癒魔法をかんがみても、リィナが他に類を見ない魔力量を誇っているのは明らかであり、今後もサポートが受けられるのであれば有益なのは間違い無い。そして何よりもダズトにとって今の無聊ぶりょうかこつ日々は、甚だしく陰鬱な毎日の繰り返しであったのだ。

「如何かしら、悪い話じゃあないでしょ?」

「……」

 唯一の懸念はこの怪し気な女……リィナが何処まで信用出来るかである。今の所害意は感じられ無いものの、其の真意が不明な以上、常に裏切りのリスクは付き纏うのだ……とはいえこの時点で、ダズトの結論は既に決まっていたのであるが。

「得体の知れぬ女め……だが、まあいい。それ程言うなら今後も暇潰しに話だけは聞いてやる……但し最後に決めるのは必ずオレだ」

「やった!交渉成立ね☆」

ダズトの返答を受けて嬉しそうにピョンと跳び跳ねるリィナ、これにダズトは水を差す様に付け加えた。

「だとしても必要以上に馴れ合う気は無ぇ。それと、もし約定を違えた場合はテメェを殺す……覚えておくんだな」

「いやん♪文字通りの殺し文句って訳ね〜、もう痺れちゃうじゃない……ふふっ益々気に入っちゃったわ」

最早リィナには何を言っても無駄であり、諦念めいたダズトは真顔のまま一言も発さずに歩き出した。

「じゃあ早速お近付きの印に、一緒にご飯でも行きましょうか☆」

「断る」

「あらあら、照れてるの?可愛い所もあるじゃない……って、あ!ちょっと待ちなさいよ〜」

足早に立ち去ろうとするダズトを、リィナが笑顔で追い掛ける。辟易したダズトはリィナを振り切ろうと速度を上げ、最終的には殆ど駆け足に近くなるのであった。



 カイザルドとの決着が付き、現実世界に帰還した直後。

 気が付けばダズトは吸い寄せられたかの如く、「神の欠片」の前で呆然と立ち尽くしていた。

(……何だ、今のは……リィナと初めて会った時の記憶……?何故今更そんな事を思い出す……)

十三個もの「神の欠片」を食い入る様に見つめるダズト。胸中に浮かび来る過去の記憶は、もしかすると「神の欠片」が見せているのであろうか。

 ダズトは焦点を失った虚ろな目で「神の欠片」へと手を伸ばした。

 ……キイィィン……

 全ての欠片が淡く青緑色に発光する。ダズトが先に自身と共鳴していた欠片を掴み取った時、それら総ての思念がダズトの意識とは無関係に心身へと流れ込んでいった。

(……ああ、そうか……オレがやるべき事は……)

今やダズトの瞳には青緑色の光だけが映るのみである。そしてダズトは少し身体をふらつかせると、手にした「神の欠片」をそっとふところに仕舞った。


「リィナ……」

「う、ん〜……あ、ダズト?」

ダズトの呼び掛けにリィナが目を覚ます。

「無事か?」

「うん、大丈夫よ……ふふっ、ひょっとして私を心配してくれてるのかしら?」

珍しく安否を気遣ってくるダズトに対し、リィナは揶揄からかい混じりの笑みを零した。だがダズトはジッとリィナの瞳を見つめると、驚いた事に倒れているリィナへ手を差し伸べる。

「そうだ、テメェには感謝している」

「ちょ、急にどうしたの?らしくないわね……」

目を見張るリィナが思わず手を取ると、ダズトは優しくリィナを引き起こした。更にダズトはリィナが立ち上がったのを見計らい、携えた手を引っ張って自分に引き寄せる。

「……もう、何か言いなさいよ。こっちが気恥ずかしくなるじゃない」

何時になく真剣な表情のダズトにリィナは焦って視線を落とす、それから繋いだままの手を見ては頬を赤らめるのであった。


 突然リィナを衝撃が貫く。

「ダズ、ト?これは……?」

リィナの胸には深々と剣が刺し込まれ、あろう事か背中まで突き抜けていた。予想だにしない出来事で呆気に取られるリィナが、「なんで?」と言いたそうに顔を上げる。

「すまんなリィナ、赦せとは言わん」

能面の如き顔をしたダズトの口から、極めて抑揚の無い声が響いた。

 カイザルドとの戦い並びに瀕死だったダズトを回復させる為、現在リィナの魔力は予備も含めてほぼ底を突いている。当然ダズトは全てを承知の上で兇行に及んだのは言うまでもなく、剣は確実にリィナの心臓を捉えていた。

「テメェと居ると心が安らぐ、気持ちが落ち着く……お陰でオレはこの世界に光を見れた……心から礼を言う。だからこそテメェと居ては決意が鈍る、意志が揺らぐ、覚悟を躊躇う……」

ダズトは無心に語りながら、ゆっくりとリィナの身体から剣を引き抜く。

「……リィナと一緒では、オレは先に進めない」

真っ赤な染みがリィナの胸に広がった。リィナは急速に力が失われていく身体をダズトに預け、其の胸に顔をうずめながらもたれ掛かる。

「うふふ、しょうがないな〜……赦して、あげるわ……私の、可愛い人だもの」

口端から一筋の血を流して必死で言葉をつむすがるリィナを、ダズトは贖罪の意識からなのか力強く抱き締めた。

「私は……あなたの〝何か〟に、成れたのね……」

「……」

リィナ最期の問い掛けにダズトは否定も肯定もせず、只々リィナの身体を抱き締め続けた……リィナを巡る全ての力が尽き果てるまで。



 薄暗い廊下をダズトは一人で歩いていた。

 虫一匹の気配すら感じさせぬ静寂の中、自身の足音だけが周囲に染み込む様に響き渡っている。しかし此処は一体何処なのであろうか、ポケットに手を突っ込み歩くダズトにも疑問が浮かんだ。そもそも何時からこうして歩き続けているのか、どうして此の場所に居るのか……ダズトは何も憶えていなかったのだ。

 立ち止ったダズトは俯いていた顔を上げると、生気無く前方を睨み付ける。薄暗い廊下は延々と無限に果てし無く、ともすれば地獄まで繋がっていそうな程に、ダズトの進む先は闇に閉されていた。

「……くっくく……!」

突如ダズトが肩を震わせ、壊れた嗤いをこぼし始める。

「ははは……!そうだ黒だ、真っ黒!世界を黒く染めてやろう……!」

 もう既にダズトは、我々の知っている……乱暴ながらも気骨のあるかつての姿とは掛け離れ、ひたすら狂気に身を任せるだけの浅ましい存在に成り果てていた。

「空も海も!森も砂漠も!月も太陽も!人さえも!全てを真っ黒に塗り潰してやる!」

リィナという抑止力を失った今、ダズトを止める術を世界は持た無い。

 「神の欠片」の力に呑み込まれたダズトは再び歩き出すと、世界の総てをことごとく闇に還していき……最後は自分自身も闇と同化し消えて行った。



 そして漆黒の悪夢は永久とこしえに……。

 まさしく「闇の栄光」が始まりを告げた瞬間であった――終

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そして闇の栄光へ 瀬古剣一郎 @Sword1man-seko

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