第2話 これが大学生というもの



 今日も、どこかに映る自分が目に入るたび、ため息をつく。たしかに、わたしにしては、この髪型は冒険しすぎたかもしれないけれど。それにしたって、あんなふうに言うことないのに……。


「元気ないじゃん、優貴」


「あ……ううん。そんなことないよ」


 千鶴ちゃんの声で、我に返る。


「じゃあ、今日こそ、サークル席で一緒にお昼食べようよ」


「わたしは、予習しなくちゃいけないし。千鶴ちゃん、行ってきて」


 もちろん、それはただの口実。でも、わたしを毎日気にかけてくれる千鶴ちゃんは、すごく優しい子。


「そう? なら、行ってくるけど」


「うん。また、3限にね」


 千鶴ちゃんは、人懐っこいし、何より可愛いし。放送研究会の先輩たちともすっかり慣れて、サークル活動を満喫してるよう。活動といっても、日中なんとなく集まって、話をしてるだけみたいだけれど。


 ちなみに、千鶴ちゃんの人見くんの彼女になりたい願望は続行中らしく、たまに顔を出すという人見くんのことを、愛想がないとぼやいてる。


 どうしよう? こんなふうに、千鶴ちゃんの誘いを断り続けるのも感じ悪い。でも、正式に退部するなら、千鶴ちゃんに理由を説明しなきゃいけなくて。千鶴ちゃんの楽しい気持ちに水を差さないですむ、いい言い訳はないかな……と、そのとき。


「優貴ちゃん」


 後ろから、軽く顔をのぞき込んできた、一柳くんに体が強張る。


「会わないね。全然、サークル席にも来ないし」


「あ……うん」


 一柳くんの屈託のない笑顔から、顔を背ける。だって、あの場所には行きたくないから。人見くんにも、一柳くんにも会うのがつらい。


「どうしたの?」


 唐突に、一柳くんに心配そうな口調で聞かれた。


「えっと、何が?」


 思わず、直視する気はなかったのに、一柳くんの顔を見上げてしまう。


「耳のあたり、ずっと両手で押さえてるから。頭でも痛い?」


「…………」


 そうじゃなくて。この髪型、似合わないんだもん。見られるのが恥ずかしい。


「わたし、行くところがあるから」


「優貴ちゃん? 今日……」


 大人げないとわかっていながら、何か言いかけた一柳くんを無視して、小走りに教室へ向かう。バカだな、わたし。つらい思いをしたばかりなのに、あんなふうに話しかけられると、まだ無条件にドキドキしてしまう自分がいる。






「優貴、こっち。取っといたよ、席」


「千鶴ちゃん」


 教室に入ると、手招きしてくれる千鶴ちゃんの顔が見えて、ほっとした。


「あれ? 千鶴ちゃん、何か、いいことでもあった?」


 隣から伝わってくる、うれしそうな空気。


「うん。今日の夜ね、クラブで新歓のイベントがあるんだって」


 千鶴ちゃんが満足そうに笑う。


「クラブで? すごいね。楽しんできてね、千鶴ちゃん」


 そうだった、放送研究会って、そういうイベントのサークルだったんだっけ。自分とは無縁すぎて、すっかり忘れてた。


「何言ってるの? 優貴も一緒に、決まってるじゃん」


「えっ?」


 あわてて、大きく首を振る。


「無理! 無理に決まってるよ」


 わたしがクラブだなんて、場違いもいいところ。


「だいたい、わたしは誘われてないし」


 顔を出したところで、誰からも歓迎されない。


「えー。整くん、優貴にも来てほしそうだったよ。整くんも回すんだって」


「一柳くんが?」


 さっき、わたしに言おうとしていたのは、それだったのかな……そうだよね、授業のノートがかかってるんだから。


「でもね、ごめん、千鶴ちゃん。わたしの家、すごく遠いの。帰れなくなっちゃう」


 それは、本当のこと。ローカル線の端っこの駅だから、終電がやたらと早くて。


「そんなの、うちに泊まればいいじゃん。ね? はい、決まり」


「や、でも……!」


 心の整理だけでなく、着ている服だって、何の準備も —————。






「じゃあ、優貴は、これとこれね」


 結局、3限終了後、わたしは千鶴ちゃんの部屋にいた。


「これ?」


 夜のイベント用にと、千鶴ちゃんが棚から引っ張り出してくれたのは、かなり派手なロゴのロンTに、ミニスカートと長い蛍光色のベルト。


「優貴、いつも地味すぎ。せっかく可愛いのにさ」


「ありがとう。でも」


 全く、着こなせる自信がない。


「絶対、似合うって。ね? 着てみなよ」


「う、うん」


 千鶴ちゃんが、一生懸命わたしのために選んでくれたんだもんね。思いきって、袖を通してみた。


「ほら、いいじゃん! 完璧だね」


「そう、かな……」


 一抹の不安が、よぎぎらないでもないけれど。


「じゃあ、お茶でもいれよっか」


「うん。何から何まで、ありがとね」


 なんとなく、千鶴ちゃんの部屋を見回してみる。学生が一人暮らしをするのに、快適そうな広さ。きちんと片付けられて、キッチンからは自炊もしっかりしているようすが伝わってくる。


「今日は頑張るからね、わたし」


「何を?」


「人見くんに決まってるじゃん」


「あ、そう、そうだったね」


 どうやら、照れているらしい千鶴ちゃんに背中を叩かれて、むせそうになる。


「あんまり、しゃべってくれないんだけどさ。見てるうちに、どんどん好きになっていっちゃったんだよね」


「……たしかに、格好いいよね」


 中身は最悪でも。


「とにかく、今日! 少しでも進展させるから」


「そっか。頑張ってね、千鶴ちゃん」


 わたしは、気持ちも伝える前に玉砕しちゃったけれど。千鶴ちゃんなら、上手に人見くんの心を開くことができるかもしれない。


「…………」


「どうかした? 千鶴ちゃん」


 ふと、千鶴ちゃんがわたしをじっと見つめてることに気がついた。


「わたし、優貴が整くんと話してるの見て、いろいろと好都合だと思って、声かけたんだけど」


「あ、うん」


 普通に、そんな気はしていた。


「でも、よかった。優貴と友達になれて。優貴といると、なんか落ち着く」


「わたしも……! わたしも、千鶴ちゃんがいてくれて、心強いよ」


 千鶴ちゃんの笑顔に、わたしもうれしくなる。純ちゃんみたいに、千鶴ちゃんとも仲よくなれるかもしれない。


「帰ってきたらさ、二人で夜通し語り明かそうよ」


「うん。楽しみだね」


 友達の家に泊まりたいと伝えたら、お母さんは心配そうだったけれど。頑張って、根気よく説得して、本当によかった。


「そんなに遠いなら、優貴も一人暮らしさせてもらえばいいのに」


「うちの親、心配性なの」


 行き着くところ、男の子なんて、関係ないのかもしれない。高校のときだって、純ちゃんとの他愛のないおしゃべりが、楽しくてたまらなかったっけ。






「あった。この地下だね」


「う……うん」


 目の前の建物の雰囲気に、足がすくむ。ここが、ドラマや漫画でしか見たことがない、クラブ。


「みんな、待ってるよ。入ろ?」


「あ、うん」


 どうしよう? やっぱり、千鶴ちゃんに借してもらった服、おかしくないかな。それに、今日は貸し切りとはいえ、一応未成年だし。


「あ、先輩!」


「来た来た、ちづちゃん」


 薄暗い中、知ってる顔を見つけたようで、奥のラウンジの方に駆け寄っていく、千鶴ちゃん。本格的に心細くなってきちゃった。大音量の音楽。遊び慣れた人たち。タバコの煙。どれもが、わたしとなじまない。


 もっとたくさんの人がフロアーで踊っていたりするものだと思ってたのに、意外と好き勝手にばらけている感じで、それが逆に、居場所のなさを思い知らされてしまうというか……。


「優貴ちゃん」


 不意に、大音量の中、耳元で名前を呼ばれた。


「あ、は、はい」


 顔を確認しなくても、一柳くんだとすぐにわかった。


「来れたんだね、今日」


「……うん」


 曇りのない笑顔の一柳くんから、不自然に視線を外して、うなずく。


「千鶴ちゃんと来たの?」


「…………」


 よほど大きな声を出すか、一柳くんの耳に顔を近づけないと、話はできない。なんだか、どうしたらいいのか、わからない。うつむいた状態のまま、一柳くんを無視し続けているみたいになってしまった。


「俺、優貴ちゃんに、何かしたっけ?」


 気がつくと、真顔になっていた、一柳くん。


「ううん、あの……」


 怒らせちゃった。考えてみたら、昼休みのわたしの態度も変に思ったよね。でも、何か言おうにも、この騒々の中では、どうにもできない。


「ごめん。悪いけど、もう機嫌取れない」


「え……?」


 短く息をついて、一柳くんが遠ざかっていく。わたしが子供なの? 自分のいないところで、あんなことを言われても、何もなかったみたいに普通にできなきゃ、おかしいの?


「千鶴ちゃん、どこ?」


 助けを求めるように、千鶴ちゃんの姿を探した。こんなイベント、早く終わっちゃえばいい。そうしたら、千鶴ちゃんの部屋に戻って、ふたりだけでゆっくり話ができるのに……と、そこで。


「優貴……!」


「千鶴ちゃん」


 千鶴ちゃんの声に安心したのも、ほんの一瞬。だって、わたしに抱きついてきた千鶴ちゃんが、泣いていることに気がついたから。


「どうしたの? 何があったの?」


 驚いて、千鶴ちゃんの答えを待っていると。


「人見くんが」


「人見くんが、何?」


 しゃくりを上げながら、わたしに説明してくれる、千鶴ちゃん。少し酔っているみたいだけど。


「今、人見くんに言ってきたの。好きだから、つき合ってほしいって」


「うん。それで?」


 展開の早さに戸惑いつつ、そこは気にしないようにして、先を促す。


「そしたら、人見くんが、わたしみたいなバカ女は死んでも嫌だって」


「…………」


「優貴?」


「許せない」


 抑えていた怒りが、ふつふつと湧いてくる。わたしのことだけならともかく、真剣に気持ちを伝えた千鶴ちゃんのことまで、そんなふうにバカにするなんて、絶対に間違ってる。


「ちょっと、優貴?」


「待ってて、千鶴ちゃん」


 あっけに取られている千鶴ちゃんを置いて、人見くんを探しに向かう。人より、ほんのちょっと格好いいからって、何をしても許されると思ってるんだ。


 一柳くんだって、同じ。自分の一挙一動が、わたしの心にどれだけ影響を与えるか自覚していないから、あんな態度が取れるんだ。


「人見くん!」


 慣れない暗がりの中を必死で探し回って、やっと人見くんの姿をとらえた。


「あ?」


「あ、あの」


 わたしの方に険しい表情で視線を移す人見くんに、つい弱気になってしまう。それも、そのはず。何といったって、三年間もずっと片想いしていた人なんだから。


「えっと……」


 ニヤニヤしながら、こっちを見ている先輩たちも気になって、なかなか話を切り出せない。それに、勢いで来てしまったものの、千鶴ちゃんの話をここでするというのも……と、そのとき。


「ヘン」


「えっ?」


 またもや、耳にしたのは、予想外の単語。


「ヘン……?」


 何が?


「その格好、変」


「…………!」


 怒りなのか、恥ずかしさなのか、自分でもわからない感情で顔が熱くなる。


「言う言う、玲」


 この前みたいに、ひゃらひゃらとわざとらしい笑い声を上げる、先輩たち。


「こっち、来て」


 完全に、頭に血が昇っていたんだと思う。いつものわたしなら、そんなできるわけがないのに、気がついたら、わたしは人見くんの腕をつかんでいた。


「何なんだよ? おまえ」


「いいから」


 ひやかす先輩たちを背に、自分でも考えられないくらい強い力で、その腕をひたすら引っ張る。


「何?」


 通路に出たところで、手を払いのけられた。


「だ、だから」


「どもってる」


「そ……そんなこと、関係ない」


 やだ。今頃、冷静になって、後悔してきた。でも、引っ込みがつくような状態じゃない。


「千鶴ちゃんのこと」


「ああ。あのバカ女」


 関われば関わるほど、こんな人を好きだった自分が悔やまれる。


「どうして、そんなに人を見下した態度が取れるの?」


 わたしにだって、そう。入学式の日、話しかけただけだったのに。


「……あのさあ」


 大きくため息をつく、人見くん。


「この歳になって、まだ他人の色恋沙汰に首突っ込むの? 頭、悪すぎない?」


「そういう問題じゃない」


 そんなふうに見えてしまうのも、わからないでもないけれど。


「よくいたよ、今までにも。そういう面倒な女に限って、俺のことが好きだとか、あとから言ってくるんだよな。バカバカしい」


「…………!」


 ここでうろたえたら、肯定してるのと同じ。わたしは違うもん。もう、昔の話なんだから。


「人見くんのことなんて、大嫌いだって言ったじゃない。そうじゃなくて、わたしが言いたいのは、千鶴ちゃんが……」


 と、声を荒げてしまったとき。


「佐野さん? さっきから、どうしたの? みんな、楽しくやってるのに」


「あ……」


 後ろには、冷ややかな目をした、一柳くんがいた。佐野さんという呼び方が、すごく機械的な響き。


「さっきから、千鶴ちゃんがどうとか言ってるみたいだけど」


「あ、うん」


 気まずさと恥ずかしさで、うつむく。


「今、声が聞こえてきたよ。あっちのトイレの中から」


「えっ?」


 トイレの中から、千鶴ちゃんの声が? 千鶴ちゃん、トイレの中で泣いてるの?


「ありがとう、一柳くん」


「どうする気? 佐野さん」


「どうするって、千鶴ちゃんのところに行くよ」


 なぜか、驚いたように目を見開いている一柳くんを不思議に思ったけれど、とにかくトイレのドアの前まで走った。騒音の中、耳をよくこらしてみると、一柳くんが教えてくれたとおり、千鶴ちゃんらしき声がかすかに漏れてくる。


「千鶴ちゃん、大丈……」


「やめなよ。悪趣味だよ。何考えてるの?」


「悪趣味?」


 ドアノブに手をかけたところで、追いかけてきた一柳くんに、腕をつかまれた。


「どうして? だって……」


 意味がわからず、一柳くんの顔を見上げる。


「なんだ。本当に、何もわかってないんだ?」


「え……?」


 不安を感じて、もう一度耳をドアに押し当てると。


「…………?」


 なんか、違う。どうも泣き声ではないみたい。というか、これって、もしかして……!


「わかった?」


「嘘……」


 初めて聞いた、生々しい行為中の声。


「言っておくけど、無理矢理じゃなかったよ。先に誘ってたのは、むしろ千鶴ちゃんの方」


「俺の前で泣いてた十分後には、通路の奥で先輩のくわえてたし。汚ないもん見せるなって、バカ女に言っとけよ」


 …………。


 人見くんの言っていることなんて、意味すら理解できない。これが、大学生というものなの?



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